077:思惑の蔦と思惑の根は、絡まり合いを望む
地面を蹴って駆けるヒースシアンの動きは、ユズリハやレインが想定するよりもずっと速かった。
だが、二人は速いだけだと断じて、軽く場所をズレるだけでやりすごす。
ヒースシアンは振りかぶった拳の振り下ろし先がなくなったことに慌てるが、どうにもならないままユズリハに足を払われて、盛大に地面へとダイブした。
瞬間――ユズリハは即席花術弾の筒を一つ放り投げる。
放物線を描き、緩やかに宙を飛んでいく筒は、慌てて立ち上がったヒースシアンの視界に否応なしに入り込む。
粉末霊花と特殊な術式の描かれた素材を筒などの中に入れて、少ないマナで花術のような効果を発動させる導具。
言ってしまえば、弾けると花術が発動する爆弾だ。
ヒースシアンからすれば、どんな属性のどんな術が発動するか分からないものが目の前に飛んできた形になる。
一瞬慌てたような素振りを見せたヒースシアンだったが、即座に持ち直して立ち上がった。
「即花弾など……ッ!」
それからヒースシアンは筒に向けて手を掲げると、黒いオドの塊を撃ち放つ。
掌から放たれたオドの塊は、即席花術弾にぶつかると爆発した。
恐らくはどんな術が込められていようと耐えられるという自負があったのだろう。
その判断は正しいかどうかは別にして、確かにユズリハの現在の手持ちでは、致命傷を与えられる即席花術弾は乏しい。
元々、市街地や室内などの閉鎖空間での戦闘を想定して、爆発や衝撃波をまき散らす類のものは用意してなかったのだ。
だが――今この瞬間においては、だからこそ、役に立ったと言える。
「なんだ……ッ!?」
オドの塊を打ち込まれた即席花術弾は、爆発するように、黒い霧を吹き出した。
一瞬にして、周辺に黒い霧が立ちこめる。
「毒の類かッ?!」
ヒースシアンは慌てたように周囲を見渡す。
だが、この即席花術弾が作り出したこの霧に殺傷力は皆無だ。
吸い込んだところで、何の悪影響もない。
マナを帯びたこの黒い霧は、視界を遮り、一般的なマナ感知を阻害する機能を有したもの。
この霧に包まれたら視界を遮られ、方向感覚を失い、マナ感知が鈍る。
制作者であるユズリハとてその影響は免れない。免れないのだが――ユズリハはそんなことは百も承知で、霧の中へと飛び込んでいく。
自分の霊力過敏という体質をフルに発揮しながら、ユズリハはターゲットを見据えた。
そうしてユズリハは、黒い霧の中で戸惑うヒースシアンをハッキリと認識すると、足とブーツにオドを込める。
揺らめくような青い炎にも似たオドを纏った右足で、ヒースシアンを全力で蹴り抜く。
板金を蹴り飛ばしたような鈍い感触とともに、ヒースシアンのうめき声が聞こえる。
その蹴りに吹き飛ばされ、黒い霧の外へと強制排出されたヒースシアンは、地面にバウンドし、転がっていく。
奇しくも先ほど、ユズリハに殴り飛ばされた光景の再現のように。
だが、今回はそれだけでは終わらなかった。
ごろごろと転がり、仰向けの形でようやく止まったヒースシアン。その両肩と両膝に、レインが放ったナイフが、膝当てや肩当てを貫通して突き刺さる。
「普通の全身鎧なら、鎧の上から内臓粉砕までいける蹴りだったんだけど」
黒い霧の中から姿を見せながら、ユズリハがそう言って肩を竦める。
「こちらも――決定打にはならないものの、基本的に動きを完全に止められるはずの四肢縛りだったのですけれど」
ユズリハの近くへとやって来ながら、レインもまた肩を竦めた。
「すごいな……それほどの攻撃を受けても痛みがないッ!」
横になったままヒースシアンが叫んだ。
それから、その身体からゆっくりと、勝手にナイフが抜け落ちていく。
刺さっていたナイフが抜けきると、彼は立ち上がり身体を動かし、感動するかのように声を荒げた。
「四肢も無事だッ! ちゃんと動くぞッ!」
「むしろ、何であれで動けるの?」
ユズリハがうめくように訊ねるが、ヒースシアンの耳には届かなかったようだ。
彼はひとしきり感心し、高笑いをあげたあと、満足したようにこちらに視線を向ける。
その間、ユズリハたちは攻撃しようと思えばいくらでも可能だったのだが、ナイフが突き刺さっても平然としているような相手対するダメージの与え方が思いつかなかったのだ。
ならば、下手に攻撃するよりも、満足するまで高笑いをあげていてもらった方が、余計な被害もこちらの疲労も少ないし時間も稼げると、二人は考えていた。
だが――それはかえって、相手を冷静にさせてしまうだけの悪手だったのかもしれない。
「さて、お前たちの相手や、サニィを探すコトもしたいのだがな――本来の目的を忘れていたよ」
ヒースシアンは二人にそう告げると、地面を蹴って近くの建物の屋根へと飛び乗った。
「ヒースシアンッ!?」
「ついてこれるのならばついてくればいい」
彼は一方的にそう告げると、屋根づたいに走り出す。
「……ッ! あの方角はッ!」
即座にユズリハも走り始めた。
見知らぬ路地裏を抜けていくよりも、自分が知りうる最短ルートを進むべきだと、ユズリハは中央広場に向かって走り出す。
「ユズリハさん。あの男はどこへ?」
「おそらくだけど、花噴水の根本――制御装置のある管理室ッ!」
そこにはユノとライラもいる。
何も知らない二人が、ヒースシアンの傀儡にでもされたら堪らない。
もっと最悪なのは、幻蘭の園へと無理矢理旅立たされてしまうこと。
焦燥を押さえながら、オドで全身を満たし、ユズリハは駆けていく。
そのユズリハの横を走ってくるのだから、レインもかなり手練れなのだろう。
「あの男は管理室で何を……」
「穢れはマナやオドに混ざる。水や炎にも溶け込む。
恵みの雨の原料になってる地下水に、あいつが作り出した穢れが溶け込んだら?
それをハニィロップの国中が、何も知らずに恵みの雨として浴び続けたら?」
「もしかして、ハニィロップ王国そのものをサニィのように?」
「推察と推論を重ねただけの話だけどねッ!」
「事実であるなら、ジャック様への敵対行為ッ! 黙って見過ごすわけにはいきませんッ!」
ユズリハとレインの二人は走る速度を速めていく。
互いの目的の為、少しでも早くヒースシアンへと追いつくために。
♪
ハニィロップ王国 首都サッカルム
貴族街 カイム・アウルーラ滞在館
昨日の午後から各所へ伝令をやり、あれこれ書類を終わらせてようやくひと心地ついたネリネコリスは、滞在館の庭にできたクレーターの前で、ぼんやりしていた。
これを作り出したのは夫だが、その原因となる行いをしたのは、ハニィロップの貴族だった。
だが、だからと言って手心を加えてどうにかできる相手ではなかったのも事実だ。
夫であるサルタンの強烈な一撃を受けてなお五体満足だった、正気を失っていただろう貴族。
(昔、フリックから聞いた――異形黒化現象だったかしら……? あの時は話半分だったけど、まさかそれを目の当たりにするなんてね……)
基本的には獣や魔獣などに発生する、後天的突発型寵愛種。それの正式な名称だと、フリッケライは言っていたか。
(あのコキゾザークなる男――黒化現象を引き起こす指輪をしていたわね……。
あれはどこで手に入れたものなのかしら? 何らかの古代花導具? 誰かから貰った?)
コキゾザークの黒化現象が、人為的に引き起こされたものであった場合、引き起こした者の目的はなんなのだろうか。
(考えるコト、考えたいコトは多いけど、とっかかりやら判断材料やらが少なすぎるわね)
ネリネコリスが小さく嘆息した時、見知らぬ人に声を掛けられた。
「思案中に失礼、ネリネコリス殿」
滞在館の中で見知らぬ人物――となれば警戒するが、こちらの館の門兵が背後についているのを見るに、どうやら正式な客人のようだ。
「いえ、こちらこそ申し訳ございません。
客人がいらしているのに気づかず、思案に耽っておりました」
「はっはっは。なかなか絵になっていましたからな。役得というコトにしておきますよ――などと口にしたら、サルタン殿に怒られますかな?」
「その時は私が夫を叱りますので」
茶目っ気たっぷりに笑う男性に、ネリネコリスは誰だろうと、胸中で首を傾げる。
身なりだけみれば富豪の商人といった雰囲気だが、気さくな言葉や態度とは裏腹に、洗練された貴族らしさが滲んでいるようだ。
つまりは、高貴な身分の人のお忍び。
そう思って、改めて男性を見れば、それがすぐに誰か知れた。
「ハニィロップ王家では、親子揃ってお忍びで遊ぶのが趣味なのですか?」
「はっはっは――否定しづらいな」
「それで、その……お忍びでまで、こちらに来られた理由は?」
「ん? ああ、お忍び姿なのは偶然だよ。
たまたま遊んでいたら、ここのクレーターが見えてね。少し気になったのだ。一応、昨晩は報告を受けているが、実際目の当たりにすると、少し驚くな」
そもそも、この件の報告が昨晩届いているのであれば、遊びに出てくるのはどうなのだろうか――とネリネコリスは思わなくもないが、陛下なりに何か考えがあるのだろうと、気にしない方向でいくことにした。
「そういうコトですか……。
でしたら、少し陛下のお時間を頂けますか――できれば、陛下だけのお耳に入れておきたい情報もありますので」
「――で、あれば……偶然とはいえ、悪くはないタイミングだったかね?」
「ええ。考えようによっては、この大陸どころかフローステア全土を巻き込みかねない事件の、発端のような気がするものですから」
「……この穴がかね?」
「この穴を作るコトとなった原因が、ですね」
「ほう――」
ネリネコリスの言葉に、ハニィロップ王国国王ターモットが目を眇める。
「娘が戻ってきてからの方が詳細は伝えやすそうなのですけどね」
それだけで、ターモットには花導品が絡んでいるのだと理解できた。
そして、娘――ユノ・ルージュがこの場に戻ってくるのを待てないほどに、こちらの耳に入れておきたいのだということも。
「では少し、お邪魔させてもらうとしようか」
「ええ。こちらへどうぞ」
ターモットがうなずくと、ネリネコリスが先導し、館の入り口へと向かう。
そんな時、館の中から何やら若い男二人の言い争うような声が聞こえてきた。
「充分役割は果たしたはずではないのか? なぜまたこのような格好をしなければならないのだゼーランッ!」
「いいかいジブル。その格好でこの館の敷地に踏み込んだんだ。帰る為に外へ出ていく時にもその格好でないと、色々怪しまれ兼ねないだろう?」
その声に、ターモットは小さく苦笑する。
「そういえば、うちの息子が世話になったのであったな」
「ええ。手紙にも記しましたが、明らかに狙われておりましたので、一晩ほど匿わせて頂いた次第です」
「そのコトに関しては礼を言おう。その辺りの計画関係者の炙り出しも、今やっているところでな」
ターモットとネリネコリスがそんなやりとりをしていると、滞在館の入り口がゆっくりと開いていく。
「ゼーラン。ほんと、これっきりだからなッ!」
「似合ってるんだから、時々やればいいのに」
「やらんッ!」
そうしてドアが開くと、ドリスのお忍び姿をしたジブルが姿を見せた。 ターモットと視線が合う。
ゼーランは一瞬驚いたような顔をするが、ややして「これはおもしろくなってきた」という表情に変わっていく。
ネリネコリスは「あちゃー……」と頭を抱えて天を仰ぐ。
見つめ合う親子のしばらくの沈黙。
ややして、ターモットが一度吹き出す。
「……ぷ……」
その後は、もう堪えきれなくなったらしい。
「ぷぷ……くく……あーはっはっはっははははっははッ」
滞在館の入り口で、しばらくの間ターモットの大爆笑が響きわたるのだった。
♪
プリマヴェラを浄化したユノとライラは、二人でその個々のパーツを管理室の扉の側まで移動させた。
それから、ユノは花術紋の描かれた紙を広げると、そこにプリマヴェラの核とも言える冠を乗せる。
それから、紙に描かれた花術紋を起動させ、花導情報板を呼び出す。
紙から飛び出すように、半透明の板が出現し、虚空で制止する。
ユノはその板に描かれた情報を、高速で読んでいった。
さすがに清らの乙女が造りだしたという人形だけあって、花導情報板に表示される情報には、詳細不明部分が多数あるが、それでも何の情報がないよりはマシだ。
「これで調べる限りは、致命的な障害はなさそうだけど……不明部分にダメージがあったりする場合は、何とも言えないわねぇ……」
小さく嘆息すると、ユノは冠を丁寧に鑑定紙からおろし、鑑定紙もまた丁寧に折り畳んでいく。
「このレベルの先史花導品になっちゃうと、工房でじっくり調べないコトには、修理できないかもしれないわね」
手持ちに、プリマヴェラを修理するのに使えそうな道具も情報も補修材料もないのだ。今この場でどうにかするのは難しい。
独りごちながら、ユノは冠を撫でる。
「近いうちにちゃんと診て直してあげるから、しばらくは待っててね」
――ありがとう。いつまでも待ってるわ。
「ええ。できる限りは早めに修理しに来るからね」
こちらの呼び掛けに返事が来たことに軽く驚きながら、それでもユノは穏やかな笑みを浮かべ、うなずいた。
絶対に修理する――そう決意を胸に抱いて、ユノが立ち上がる。
それから、ライラの方を見ると、彼女は不思議そうに首を傾げていた。
「どうしたの?」
「いや、お姉ちゃんって本当に、花導具とお話できるんだな……って」
「え?」
違うの?――とライラに問われると、否定はできない。
「普段は、別に声とか聞こえるわけじゃなくて、そう接してるだけっていうか……でも、今のは聞こえたでしょう?」
「ううん。ライラは何も聞こえなかったよ?」
ならば今の声はいったい――ユノが思案に耽り掛けた時、二人の様子を見ていたアクエ・ファニーネが鋭い声を発した。
《二人とも警戒をッ! 何か……穢れた何かが、街の方に!》
その言葉に二人は弾かれたように顔を上げて、そちらを見やる。
《恐らく、ユズリハたちと交戦中……》
アクエ・ファニーネの言葉に、ユノの思考が回転していく。
(あの爆発の原因はそいつ……いや、だとしたら爆発の時点で、ファニーネやディークが気づいてた。
つまり、この遺都に来た時点だと穢れた何かは気配を消していた。
でもそうすると、先の爆発の意味が分からない。あれじゃあ調べに来いって言ってるみたいなものよね……。
つまり――穢れた何かと、爆発を起こした奴は別。
だとしたら、この二つは敵対してるってコトで……。
状況判断からユズリハたちと穢れとの敵対者は共闘。追いつめられた穢れた何かは、やむを得ず本気を出したってところかしらね……)
推測の域を出ないが、辻褄を合わせるならこんなところだろうか。
(穢れの敵対者――まぁ、十中八九、プロテア関係者よね。今この時代に穢れを正しく認識できてる人はほとんどいないわけだし。
ユズリハが躊躇い無く共闘を申し出るとしたら、顔見知りのクラウド、サニィ、レイン辺りが有力。
問題はなのは、穢れた何者か……そいつの目的は何?)
ユノが考えを巡らせていると、再びファニーネが鋭い声をあげる。
《あ、穢れた何かが、こちらに向かって来ますッ!》
目的はこの場所のようだ。
「ライラ、ここだと扉に近すぎるわ。もっと中央の方まで移動するわよッ」
「うんッ!」
白い床を歩きながら、ユノは確信を持つ。
「穢れた何者かの目的は、たぶん地底湖ね」
《ではユノ……これから来る者は、地底湖の邪精と合流するコト、なのでしょうか?》
「ええ。邪精だって精霊の一種なんでしょう?
意志があり思考もある。
恐らく、今の統括精霊たちが覚えている第三文明末期の邪精戦争時代の邪精たちよりも、より狡猾にもなっているんでしょうね。
末端の邪精だからって、ナメちゃダメよファニーネ。たぶん、今の邪精たちは精霊の傲慢を隙として、容赦なく付いてくるわよ」
実際に、シェイディーク・シャードゥは出し抜かれてしまっているのだ。
「合流されたらどうなっちゃうの?」
「さぁ」
ライラの問いに、ユノは肩を竦める。
「まぁでも、想像はできるわね。
花噴水は地底湖を汲み上げている。その地底湖が全部穢れちゃったら?」
「恵みの雨が、穢れの雨になる?」
「ええ。そうすれば、このハニィロップの地は再び邪精の本拠地と化すわけよ」
それは、第二次邪精戦争勃発の狼煙にほかならない。
「これから現れる相手も、倒そうなんて思っちゃダメよ。
あたしたちがするべき仕事は時間稼ぎ」
「稼いでどうなるの?」
「ユズリハと穢れた何者かが本気でぶつかり合ったら、もっと派手な爆発とかありそうだけど、それが無かった。
なら、穢れた何者かは、途中で戦いを切り上げて、こっちに向かうことを選んだ」
「そっか。だったら、ユズお姉ちゃんたちが来るのを待つんだねッ!」
「そういうコトよ」
そして、ユノは口には出さなかったものの、もう一つの作戦があった。
(ユズリハと合流したら、この場は任せてあたしはファニーネと共に地底湖へと降りる……そこで地底湖の穢れを祓う)
邪精同士が合流してしまうよりは、マシのはずである。
《二人とも、穢れた何者か……来ますッ!!》
ファニーネの声と共に、全身黒ずくめで変わった鎧と、花蜂を思わせる仮面――というかフルフェイスヘルム――を付けた人物が姿を見せた。
本日はなんとか更新できました。
次回は、ユノ達とヒースシアンの本格バトル開始予定です。
――が、前回のあとがきにあるとおり、今月の更新はちょっと不安定になりますのでご了承をば……。