036:救いの女神は口が悪い
今回、前半はユズリハの一人称です。
それはある日のこと。
裏街を牛耳る二大組織。その片方のボスである、ゴールデンベリィ女史の屋敷にて――
「今週もありがとうね、先生」
そう言いながら差し出される封筒を受け取り、私はどういたしまして、と答える。
だが――
「どうかしたのいかい、先生?」
「いや、えーっと……」
考えごとが、顔に出ていたようだ。
こんなタイミングで気づかれるのも、何だか勘違いされそうでバツが悪い。
「支払いが足りなかったかい?
いいよ。先生の教育の腕前はこちらも買ってるんだ。常識の範囲内でだったら上乗せに応えるさね」
「あ、いえ。支払いはいつも通りで充分に」
「そうなのかい?」
やっぱり勘違いされていた。
結構良い額をもらっているのだから、これ以上は贅沢というものである。
「先生に指導された娘は、そりゃもうみんな上客を取れるようになってねぇ……稼がせてもらってるんだ。感謝してもしたりない」
「ありがとうございます。
ところで、自衛用の護身技を教えてしまったのは、少し失敗でしたかね」
「ああ、それに悩んでたのか?」
実際は別のことを悩んでいたのだが、まぁそれも気になっていなかったわけではない。
「相手は死んじゃいないよ。そもそも、ルールを破ったのは向こう。
裏街に居を構えてる娼館で、ルール破った客の心配なんてする必要がないのは、先生だって分かってるんだろう?」
「ああ……うん。心配だったのは、お客さんよりも反撃しちゃた猫さんかな」
「ああ、それも問題ない。しばらくふさぎ込んではいたけどね、今は普通に客取りしてるよ。むしろ先生が護身技を教えてくれたから、あの程度で済んだのさ」
それに私は安堵した。
お店の娘に大したことがなくて良かった。
「でも、先生。悩みはそれだけじゃないんだろう?」
見透かすような眼差しと、その口元に浮かんだどこか楽しむような笑み。
人の悩みを肴にするようなタイプ。
まぁこの手の界隈には少なからずいるタイプだ。もっともゴールデンベリィ女史は、肴にしながらも、基本は他言せず、それでいて興が乗れば相談にも乗るタイプのようだけど。
「あー……えーっと……」
少しだけ悩んで、私は彼女に肴を提供することにした。
「悩みってほどじゃないんですけどね」
「ああ」
それはもう楽しそうに、女史はうなずく。
「故郷捨てて名前も捨てて身分も捨てて……。
表街での普通の生活に憧れて、遠く離れた異郷の地で生活してるのに、なんか今までと生活が変わらないなぁって思いまして」
「やはり故郷でも――裏街みたいなところの出身で?」
「うん、まぁ。
育ちは娼館。物心ついた時からそこで暮らしてて……性喜術以外にも殺性技能と、単純な暗殺技能も一応……」
「おや。もっと早く言ってくれ。そっちの技能の教育者もほしかったんだよ」
「えーっと、殺人技術はすみません。お断りさせてください」
「そうかい。もったいないけど、仕方ない」
断れば深入りしてこないというのはありがたい。こういうところは臑に傷のある人間の多い裏街の利点である。
「ミス・ゴールド」
そうして話をしている途中に声を掛けられて、ゴールデンベリィ女史はこちらにちょっと失礼とジェスチャーをする。
それに、私は小さくうなずいた。
女史のフルネームはマリー・ゴールデンベリィ。
時々ミス・マリーゴールドと呼ばれたりもするらしいんだけど、いかにも女傑といった感じのワイルドさからは、その愛称はちょっとかけ離れてたりする気がする。
だけど同時に、マリーゴールドの花言葉を思い浮かべると納得できるところもあった。
あの花の花言葉は、多種多様だ。
友情・予言・可憐な愛情・嫉妬心・別れの悲しみ・悲哀・絶望・勇者・悪を挫く……などなど。
女史は裏街で娼館を多数経営し、薬物を中心としたの違法品の取引を牛耳っている一方で、自身の名前で裏街に、偽名で表街に――それぞれで孤児院の経営もしている。
その気がある娘には、娼館で客と関わらない下働きをさせ、さらに望めば客を取る猫として教育を施す。
そうでなくとも、自分の手の届く範囲で、孤児たちに対して、表裏問わず働き口を探し――必要とあれば仲の悪い東裏街にもためらわず声をかけている――、あるいはその為に必要な教育を施すなどをしている。
女史は世間的に見れば間違いなく悪だ。
だけど同時に――本人がどう思っているかはともかく――、救いの英雄だ。
孤児たちからしてみれば、彼女はどんな勇者よりも尊敬できる人で……少なくとも、自分たちを見捨てた世間よりも、大切にするべき母や姉。
私だって、幼い頃に女史に拾われてたら、ここの娼館の子たちのように、慕っていただろう。
今だって、こんな私を目にかけてくれてもらい、助けてもらっているのだから。
その複雑な女史の立ち位置と性格は、まさにマリーゴールドの花言葉を体現しているようだと思う。
そんなことを考えながら、私は女史を目で追いかける。
「ああ、ユノ姫。終わったのかい?」
「ええ。ついでに隣の部屋の空調もなおしておいたわ」
「そこまでやって、予定通りの時間で終わらせるとはさすが、次期店主」
「やめてよ、まだ師匠は生きてるんだから」
「そいつは悪かった」
あはははは――と豪快に笑う女史に、そんな女史に物怖じした様子のないユノと呼ばれた少女。
「ああ、支払いは予約分だけでいいわ。隣の部屋に勝手に入り込んで修理しちゃったのはむしろこっちの契約違反だし」
「確かにね。だが元々そっちも依頼予定だったんだ。払わせておくれよ」
「ま、そう言うんならもらっておくわ」
裏街のルールを把握し、しっかりと対応するのだから、裏街の人間なのだろう。
(だけど、それにしても――)
なのに……ユノと呼ばれた少女は、裏街の住人らしからぬ輝きを湛えている。
「ところで暖房の壊れてた部屋で、あんたんとこの部下二人が抱き合ってたけど、いいの?」
「いいさ。慰めやガス抜きってのは、何事にも大事さね」
そう答えて、女史は手近にいた部下に金庫から金を持ってくるように告げた。
裏街では、各種職人互助協会の口座を介したやりとりをするよりも、現金で直接やりとりすることが好まれる。
「金は今、用意するから少し待ってておくれよ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
彼女はそれを理解しているから、二つ返事でうなずいたのだろう。
それから、ユノと呼ばれた子は、ロビーの階段に淀みない所作で腰を掛けた。こうして待たされてるのは馴れているようだ。
「あ、そうそう。そっちの。先生って呼ばれてたちびっ子」
「ちび……」
それは間違いなく私のことだろう。
「あっはっはっは。確かに見てくれはちびっ子だけどね。気をつけなよ、姫。先生はこう見えてあんたより年上さ」
「へー」
さして興味なさそうに相づちを打つユノ。
「別に年齢とか経歴とか興味はないんだけどさ」
両肘を膝の上に乗せ、その手に顎を乗せ……ぼんやりとした視線をこちらに投げながら、ユノが告げる。
「さっき、生活が代わり映えしないとか言ってたじゃない?」
どうやら、話を聞かれてしまっていたらしい。
でも、別にそれを怒る気も咎める気もないので、私はうなずく。
「当たり前じゃないそんなの」
「……え?」
すると彼女は、面白くなさそうに嘯いた。
「故郷の裏街で育って、故郷を捨てて――で、流れ着いたのがこの街の裏街でしょ?
そりゃあ、代わり映えするわけないじゃない」
「いや、えっと……」
「お金稼ぐのに培った技術を使うのは正しいコトだけどさ、アンタの憧れはそうじゃないんでしょ?
あなたの培った技術なんて裏技しかないんだから、それで稼ごうとしたら裏街で生活するしかないのは当たり前でしょうに」
すらすらと、淀みなく、滑らかに、彼女は告げる。
「アンタが憧れてる表街ってのは、表街から見た表街なのよ。裏街から見た表街なんてのは、結局のところ自分の知る世界でしかないに決まってるでしょ。
表街で居を構えて、表街で身につけた技術でもって、表街で生計を立てる。それこそがアンタが本当に憧れてるものじゃないの?」
言葉が出ない。
彼女は一発で、私の中にくすぶっていた物の正体を看破した。
「表街から見た表街。表街から見た裏街。裏街から見た表街。裏街から見た裏街。その全てを一度見た後で、もう一度自分の憧れた生活を自分に問いかけてみればいいじゃない。
全てを捨てる覚悟があったんだから、裏の技能を一時的に使うのを止めて、表へ一歩踏み出して様子見するなんてコト、大した苦でもないでしょう?」
その言葉は、私の中にあった何かを氷解させて、納得させていくだけの説得力を持っていた。
「珍しいね、姫。他人に感心のないお前が、他人に長々と説教をしてみせるだなんてさ」
「そうね。自分でもらしくないコトしてると思ってるわ」
面白がっているゴールデンベリィ女史に、ユノはバツが悪そうに頭を掻きながら答える。
「でもさ、地位や名誉を勢いでブン投げて途方にくれてたあたしは、師匠に出会って救われたからさ」
「他人事じゃないから、救ってやりたくなったのかい?」
「別に。救ってやる義理はないから、蹴飛ばしただけ。
ただ痛がるか、弾みを付けるかは、そいつ次第」
この出会いは――本当に、充分すぎるくらいに弾みになった。
不敵で、不遜で、わがままそうで、芯が強そうで、気が強そうで、偏屈そうで、素直じゃなさそうで――当時の私からすると、そんなユノが救いの輝きを放つ女神に見えた。
「それでもまぁ、祈るくらいはしといてやるわ。貴女を救ってくれる何かに出会えるように。花導品とお金にね」
「祈るなら精霊や神様じゃないの?」
「精霊は気まぐれだしね。神様なんて容易に人を裏切るわ。
だったら、あたしが信じる絶対に裏切らないモノに祈るが自然でしょう?」
なんて屁理屈。
だけど思わず私は吹き出した。
「ユノ姫らしいね。まぁ、だからこそ信用に値する」
ゴールデンベリィ女史の太鼓判まで押されたこの少女の正体を知るのは、もう少し後になるのだけれど。
だけどきっと、私はその時にユノに惚れてしまったんだと思う。
性別とか関係なく。
きっと今後、男だろうが女だろうが、これ以上に私を正しく変えてくれる人間になんて会えないだろうって、そう思うくらいには、衝撃的な出会いだった。
……
………
…………
……………
「……っ!」
身体を起こす。
どうやら、意識を失っていたらしい。
見ていた夢は、初めてユノと出会ったときのこと。
「走馬燈じゃ、ないんだから……」
思わずそう嘯いて、その自虐が洒落になっていないことに嘆息する。
だけど、今の自分には、ちょうど良い自虐かもしれない。
もはやユノとの約束を果たせそうにないのだから。
毒への対策はとっている。
だが、その対策もどこまで有効か分からない。
それに何より、今の自分はここから動きようがない。
身体を動かすのも億劫だ。
「あーあ……」
何に対する嘆きなのか、自分でもよく分からない。
自分は表街にでてくるべきではなかったのだろうか――そんなことが脳裏に過ぎる。
詮無き思考――そう言われてしまえば、その通りなのだけど。
でも、私の中を支配する感情が、そういう考えばかりを思い浮かばせる。
これが本当の絶望ってやつかもしれない――そんなことを思っていた時、私の視界に信じられないものが目に映る。
――どうやら、口の悪い救いの女神というやつは、透き通る水のような翼を背にして、空を飛ぶこともできたらしい。
例えそれが幻覚であったとしても、最後にその姿を幻視できたのだから、それなりに意味のある生き方ができていた――そう思えて、私は思わず笑ってしまった。
♪
カイム・アウルーラに向かうべく、ユノが空を駆けている途中、常濡れの聖池のほとりに人影を見かけた。
「あれって……ユズリハ?」
だが、どうにも様子がおかしい。
街へと急ぎたい反面で、放っておきたくないという気持ちもある。
僅かに逡巡したユノは、マナの翼を制御して、池のほとりへと急降下する。
「ユズリハ」
花術を解除し、着地しながらその名前を呼ぶ。
「……ユノ?」
それに反応して上げたユズリハの顔は、青ざめてげっそりとしている。
「幻覚じゃない………本物?
……無事だったんだ……良かったぁ……」
「ええ、まぁね」
正直に言ってしまえば、こちらも無事であったかというと怪しいが、それは口にせず、ユズリハの様子を訝る。
「それよりも」
流石に尋常な様子ではない。
「アンタこそ、どうしたのよ?」
ユノが近づこうとして、ユズリハが手で制した。
「毒液を浴びちゃってるからさ……近づくと、気化した毒をユノが吸っちゃうかも……」
話によるとツリーピオには、毒液を撒き散らす機能があったらしい。
ツリーピオにそんな機能があったのは驚きだが、そんなことよりも、ユズリハだ。
毒でフラ付きながらも、息も絶え絶えにここまでやってきた。そしてオーガランプの実を口にすることまでは出来たらしい。
だが、体内の毒を解毒出来ても、身体かあるいは衣服に付着した毒が、すぐに身体を犯し始める。それに対抗すべく、再びオーガランプを口にする。それを数度繰り返しているらしい。
「馬鹿ッ! いくら『死な安草』と言ったって限度があるわよッ!」
「あ、あはは……だよね」
弱々しく、ユズリハが笑う。
洗い流したいが、聖池に飛び込むのも気が引けて、この場で耐え続けているというのだ。
「ったく……水を思い切りぶっかけて洗い流してあげる。
身につけてる即花弾がダメになっても怒らないでよ?」
それに、ユズリハがうなずくのを確認してから、ユノは杖を構えた。
(そう言えば、ユズリハが趣味で作る即花弾って、ちゃんと見たコトなかったわね)
そんなことを思ったのは、先ほど自らも死に瀕した故か。
「始まりは浄解の湧き水、続章は静かなる清流の声、終章は解放された自由の泉」
趣味ではないが興味がないわけではない。
「重ねて三つ」
だが、その興味も――ここでユズリハが幻蘭の園へと旅立てば、それを満たす機会を一生失ってしまうことになる。
(……ああ、そうか――そうだったわね。
師匠の時にも同じコトを思ったじゃない。もしかしたらユズリハも、あたしに対して同じようなコト、思ってくれてたのかもしれないのよね)
そう思ったら、ますますあの団長を好き勝手させたくは無くなってきた。
「其は聖水を奏でる清廉の滝」
水精笑姫アクエ・ファニーネの力も借りて、解毒作用を持つ水を生み出す。それをユズリハの頭上に作り――
「もうちょっと穏やかな術はなかったの……ッ?」
力を解放させたことで、バケツをひっくり返したかのような水が、ユズリハの頭上に降り注いだ。
「効果は本物なんだから、納得しなさい」
「はいはい……」
びしょ濡れになりながら、ユズリハはほっぺたを膨らませる。それから小さく嘆息し、念のためにと、オーガランプの実を口の中に放り込んだ。
「……ところで、オーガランプって美味しい?」
「苦くてエグくて強烈にマズい」
顔を本気で顰めながらそう告げて、ユズリハはゆっくりと立ち上がる。
「ごめん、ユノ。足止めさせちゃった」
「構わないわ」
青冷めながらも、いつものような顔を浮かべるユズリハ。それにユノは首を横に振って、その手を取った。
「文字通り飛んで行けるから、しっかり捕まってなさい」
「飛ぶって……?」
首を傾げるユズリハに、ユノはシニカルな笑みを浮かべると、その花銘を口にして、自信の背に再び翼を宿した。
「やっぱりッ、幻覚じゃなかった……ッ!?」
ユズリハの驚く声を聞きながら、ユノはふわりと宙に浮かぶ。
「アンタも、やられっぱなしってのは性に合わないでしょ?」
ユノの言葉に、ユズリハは力強く首肯する。
「もちろんッ! 落とし前つけてもらわなきゃッ!」
「そう来ないとねッ! 刻と天空の支配者の姿も、あたしたちが拝むわよッ!」
「うんッ!!」
ユノと合流し、ユズリハも復活。
負けず嫌いな二人は、やられたままではいられません。
以前も書きましたが、この世界における花言葉は、地球のソレと似たような経緯やエピソードで、同じような言葉を付与されているというコトにしておいてください。
次回は街の様子と、反撃開始……の予定です。