035:盟友の唄
この回は――人によっては、R15や残酷描写のタグが活躍してるように見えるかもしれません。ご注意ください。
「痛っ……つつ……」
気が付くと、自分はどこかで横に倒れているようだ。どうやら意識を失っていたらしい。
左目に違和感があり、自分の目なのに開いているのか閉じているのか分からない。それでも、右目を開けて状況を確認しようとする。
だが、周囲は真っ暗だ。
(こりゃ、生き埋めって奴ねぇ……)
とはいえ、運が良かったのか、柱や壁が崩れた結果、偶然出来た隙間に自分は倒れているようだ。
「……ぐぅっ……ぁぁ……」
身体を動かそうとして、全身があげる悲鳴に、思わずうめく。
しかし、それである程度、身体の状態は理解した。
(左目は……たぶん、もう開かない。右足も臑辺りから先の感覚がない……)
それでも、両手は動く。
「……ふぅ……」
土埃まみれの空間だが、ひと呼吸して、気持ちを落ち着ける。呼吸にすら苦痛が伴うが、それでも、しないよりはマシだった。
「そうだ、杖……」
愛杖――原始蓮の杖。
ハッとした時に、自分の右手がそれを握っているのだと気が付いた。
先端が土に埋まってしまって引っ張り出せそうにないのだが、それでも自分が握り続けていたことに安堵する。
そして、これからやるべきことを思い浮かべる。
とりあえず思いつくことは――
「応急処置、かな」
まずは自分の怪我の状況の把握だ。
原始蓮の杖の先端が土に埋まって開くことが出来ないが――
「……違う」
小さく呟き、自分の思考を否定する。
「開かなくても、問題ない……」
開くのはマナを巡らしやすくする為。それと、一部の花術使用時に蕾の中で炸裂させない為だ。
ならば――
杖を握ったまま、右目に意識を集中する。
「始まりは世界を見通す左目、終章は世界を見透す右目。重ねて二つ」
そうして、右目に一時的に本来持ち得ない機能を付与した。
「其は万里の終端と発端を臨む塔」
暗闇を見透す機能と、死角を視る機能。
それをもって、自分の状態を確認して――
「確認しなければ良かった……」
思わず後悔する。
左目は恐らく潰れてしまっている。瞼が開くようになっても、もう光は捉えられないだろう。
そして右足は、臑の中央辺りからちぎれてしまっていた。
感覚が麻痺しているのだろう。痛みをまったく感じないのは幸いと言うべきか。
泣きそうな気分を押さえて、もう一度、ひと呼吸する。
「土地柄、水のマナばっかりだけど、別に他のマナがない訳じゃない……」
自分に言い聞かせるように呟いて、風のマナに呼びかける。
「始まりは穏やかならざる凪。重ねず一つ。其は風の渦巻く天使の羽音」
それを用いて、やや離れた場所にあるちぎれた足を、切断面の近くへと引き寄せた。
(水のマナでできるコトは……)
高位の治癒能力を持つ術者による花術には、切断クラスの怪我すら治してしまうようなものも存在するらしい。
だが、治療系の術というのは属性問わず、非常にデリケートでコントロールが難しく、努力よりも才能が物を言う術だ。
自分に出来るのは、水に治療効果を付与したり、肉体の代謝を高めて対象の体力と引き替えに傷を治す術だけ。
(どっちも、これだけの怪我を治すのには向かないのよね……)
前者は水が必要だし、後者は今の自分に使うには自殺行為だ。
(――いや、待てよ)
思い直して、花術の呪文を口にする。
「始まりは漣の集う海洋。重ねず一つ。其は波を束ねし水塊の御手」
水のマナを用いて、ユノは宙に水の塊を作り出す。
「よしよし……これに――と。加えて一つ。其は戦士を抱き癒やす繭」
その水に治癒効果を付与する。
これでこの水に傷を付ければ、徐々に消毒と治癒が行われる。
本来は、バケツなどに水を貯めて行う、気の長い治癒術なのだが――
「こいつをっと……」
宙に浮いた水をゆっくりと自分の左目に近づける。
それが左目を包み込むところまで持ってきた後で、もう一つの術をそこへ加えた。
「始まりは停滞する泡沫の夢、終章は凍てつき眠る魂。重ねて二つ。其は銀世界でも揺れる穂波」
すると、パキパキと音を立てて、その治癒水が凍っていく。
「冷たぁ……まぁ、頭は冴えてくれそうだけど」
そのまま、同じ要領でもう一つ水の塊を作って、右足とちぎれた足先を包んで凍らせる。
「これで治るような怪我じゃないだろうけど……。
ちぎれた部分を置き去りにしたくないしね」
医者に首を振られるまでは、自分の身体を諦めたくはないのだ。
「でも――目も足も、ダメならダメで、擬躯にしちゃってもいいのよね。不枯の精花とか組み込んで、花導人間でござーいって」
それはそれで悪くない。
大好きな花導品と一つになるというのは、魅力的な気もする。
「ま、色んな連中見下して好き勝手やってきちゃった報いかもね。同族嫌悪じゃないけど、同じような奴に陥れられちゃうとかさ」
だとしたら、ここが自分が幻蘭の園へと旅立つ場所であっても不思議ではない。
もとより、自分になんて興味がないのだ。興味があったのは、花学だけ。花術だけ。花導品だけ。
街の連中は勝手に自分を慕い、信頼し、良くしてくれていたけれど。
自分なんて、花学関連の能力や知識以外に何の役に立つのか。それ以外に存在意味があるのだろうか。街の人達だって、目当てはそこしかないだろう。
「そうよね。昔から、ずっとそう考えていたじゃない……」
『高嶺の花の種』から逃げだし、フラフラと各地を彷徨い、師匠と出会うまでは、ずっとそんなことだけを考えていたではないか。
なのに――
「うっ……くっぅ……」
何で、ユズリハやカルーアを思い浮かべて、自分は涙を流しているのだろうか。
何で、アレンやエーデルと口喧嘩していたことを思い出すのか。
「……師、匠……あたし、どうすればいいのよ……」
どうしてこんなにも、街や街の人達のことが心配で仕方がないのだろうか。
「…………ぅぅ」
自分で自分の価値を見出せてはいなかったのに――気付かないうちに、自分は他人の目を通すことで、自分の価値を理解していたのかもしれない。
自分は、街と街の人達に生かされてる。生かされているから、街や街の人達の役に立てている。
「……もしかして……幻蘭の園へ旅立つには、まだ、早いのかな……?」
ふと、そんな思いが沸いてくる。自分ではやっぱり自分の価値を正しく見つめられないけれど――でも、別れ際のユズリハの泣きそう顔を思い浮かべると、約束を違えるワケにはいかないような気がしてくる。
「…………うん、たぶん、旅立つには、まだ早いんだ……」
そうだ。幻蘭の園へと旅立ってしまえば、まだ見ぬ古代遺産や、これから開発されるだろう新しい花学技術に会えなくなるのだ。
死にたくない理由は、思い返せばいくらである。
自分で口にしているではないか。旅立たない理由があるだけだ、と。
言い換えるなら、それが無くならないなら、まだまだ旅立つわけにはいかないはずだ。
だったら、ここで素直に死を受け入れる必要なんてない。出来ることをやってからでも遅くはない。
「……でもさ……」
とはいえ――
応急処置はした。風のマナを利用すれば、呼吸はなんとかなる。
だが、それで自分が助かると決まったわけではない。
この場所に、誰か助けに来るという保証はない。
自力で脱出しなければならない。
「……ぁぁ……ひくっ……」
なのに、これ以上、今の自分に何が出来るというのだ。
杖を犠牲に炎の術でも使って、爆発でもさせるか?
それは危険すぎるだろう。今のこの小さな安全地帯を自ら放棄するような行為だ。
「……どうすれば……」
自分は生きるのを諦めたくないと思ってしまった。
こんな時に、このタイミングで、この状況で。
今更とでも言うべき瞬間になって、それに気付いたというのに、思いつく手段がどれもこれも現実的ではない。
「なんなのよ……もぅ……」
生きようとする自分が必死にやぶれかぶれの提案をし、冷静な自分が非情なまでに現実を直視させる。
「……たく……ない……」
どんな身体になっても、まだ見ぬ花学技術を見たい。
まだ見ぬ先史文明の遺産を見たい。
ユズリハたちと別れたくない。
「まだ……死にたくない……」
それは、学術都市から逃げ出してから、初めて口にした言葉。
自分の心の奥底に元からあったのか、それとも、師匠と出会ってから変わったのか、工房を継いでから変わったのか。街の人たちに変えられたのか。
どれであっても構わない。そう、思ってしまったのだ。
受け継いだ工房を、ここで終わりにしたくない。
まだ、やりたいコトがいっぱいあったのだ。
こんなところで、終わるなんて面白くないと気付いたのだ。
「……まだ、生きたい……ッ」
ひたすらに、口にする。
死にたくないと、生きたいと。
そう自分に言い聞かせてないと、心が折れてしまいそうで。
そう自分に言い聞かせてないと、死を受け入れてしまいそうで。
気が付けば、脱出方法を考えるのを止めていた。
ただひたすらに、死に抗い続けていた――
「♪……iRa , iN=oMoT , oT=aTaNa , aH=iHSaTaW……♪」
そして気が付けば、唄を歌っていた――
師匠が歌っていた、調子はずれたヘタクソな唄。
だから自分が代わりに歌った唄。
唄には興味なかったけれど、唄を歌うと師匠が嬉しそうにするから。
「♪……iRa , iN=oMoT , oT=aNaH , aH=aTaNa……♪」
それだけの理由で、時々歌ってた唄。
歌詞の意味は、未だにちゃんと解読出来ていないけれど。
死に瀕し、縋るような気持ちになった今、自然に口から漏れた唄。
この後に及んで、既に幻蘭の園へと旅だった師匠に、助けを求めるように、
「♪……iRa , iN=oMoT , oT=iHSaTaW , aH=aNaH……♪」
ただただ、ユノは歌っていた。
(我ながら、まだ師匠離れ出来てなかったのかな……)
そんなことを思いながら、ふと思いついた。
(唄は……歌い続ける――唄にマナは乗る……?)
マナに乗せて、外に届かせることは出来るのではないだろうか?
(精霊と共にある、か。その気があるなら、精霊達も一緒に歌ってくれないかしらね……)
そんなことを考えながら、ユノは歌う。
「♪……uoaTu , oW=aTu , iN=oMoT , aBaRaN……♪」
不思議と、死への恐怖や、生への渇望が薄らいで、穏やかな気持ちのまま歌い続けていた。それはある種のトランス状態に近いものだったのかもしれない。だが、ユノ本人はそれに気づかず、ただ助けを求め、声にマナを乗せて歌い続ける。
「♪……uRa , iN=oMoT , oT=iaKeS , aH=aReRaW……♪」
マナの乗った唄が、この空間に――そして、空間の外に、倒壊した遺跡全域に、広がっていく。
「♪……iaTiaTu , oT=aTaNa , aH=iHSaTaW……♪」
《なぜ、貴女はそんなにも生きようとするのですか?》
歌っていると、声が聞こえた。
ある程度、花術で空気を確保しているとはいえ、歌い続けているのだ。軽い酸欠でも起こしているのかもしれない。
だが、それが幻聴であったとしても、話し相手になってくれるのであればありがたい。
♪……oYu=uYieM , iu=oT=ieRieS……♪
ユノは歌いながら、質問に答えるという奇妙な感覚に身を任せ、その問いに答えた。
「まだ見ぬ花学技術がこの世界にはいっぱいあるからよ」
現存する花導品も、先史花導品も、この世には自分の知らないものがいっぱいある。
工房で修理を引き受けている今でさえ、度々見たことのない花導品の修理依頼が来ることがあるのだから、世には未知が満ちているのは必然だ。
「それに……待ってる人達が、居るみたいだし……」
そして最後に、小さくそう付け加えた。
《貴女は、精霊をどう思っていますか?》
「そうねぇ……難しく考えたことなかったわ。そこに居て当たり前の存在だったし……。
でも、そうね――今のあたしが答えられる明確なものがあるとしたら、それは……共に在る存在じゃないかしら――少なくとも一方的な関係じゃあ、ないわ」
そこまで告げてから、ユノは内心で首を傾げた。
♪……iN=aWoT , oW=iaGeN , iN=oKoK , oW=iaKiT……♪
自分が会話している相手は、自分の幻聴などではない。
確かにそこに、何かしらの意志と存在感がある。
《貴女が先日、友人と池の前で語っていた姿と言葉――嘘偽りがないのですね》
やはりそうだ。この声は――幻聴などではない。
だとしたら、この声は――
《マナやオドは、使われると抜け殻となります。その抜け殻は……そうですね、人間の発音でいうならレイという音が一番近い……我々がそう呼ぶ存在です》
この声は、意志在る精霊の声だ。
《レイは、我々にとってごちそうなのです。特に人間は、質のよいレイを作る天才といっても過言ではありません》
その声は、嬉しそうに、楽しそうに、
♪……oW=uKaYieM , oW=iRiGiT , oT=aTaNa , iN=oKoK=aMi……♪
まるでこちらと一緒に歌うように、流麗に語る。
《共に在る。まさにその通りです》
「……あなたは……?」
《人間が、水精母と呼ぶ存在》
「本物の……アクエ・メリウス……? 水の精霊達を統括する、母なる存在……?」
《久しく聞くことのなかった盟友の唄。
その美しき旋律に従い、我は貴女の元へと参りました。貴女が望むのでしたら、今、この場に於いて、契約を結びましょう。
代価は……そうですね、貴女が生きたいと叫ぶその生の全て》
「……命核そのものってコト?」
《はい。その命核の輝き燃え尽き旅立つまで、私を楽しませては頂けないでしょうか?
貴女はただ、自分の命の輝き赴くままに生きているだけで構いません。
勝手に覗き見て、楽しませてもらいますから》
アクエ・メリウスの提案に、ユノは思案する。
♪……iRA , iN=oMoT , oT=iRiGiT=oNoK……♪
逆に言えばそれは――
「あなたが飽きたら、契約は終了ってコト?」
《ああ、そうとも言えますね》
だがそれでも、水精母の力があれば、ここから自力脱出は出来る。少なくともこの場の打開は出来そうだ。
「いいわ。契約しましょう」
《では誓いを。何でも構いませんが、私に何か誓っていただけますか?》
少しだけ思案して、ユノは告げる。
「『共に在る』と。貴女の力を借り受けて、契約の元、私は貴女を楽しませるわ」
《――その誓い、確かに》
♪……oToM=oN=aTu=oN=uKaYieM , aW=aReRaW……♪
《貴女のその杖に、我が分身魂を宿しましょう。この分身を通じ、貴女の命を見させて頂きます。
分身に銘はありません……貴女が私の分身魂に銘を与えると同時に、この契約は成立となります》
水精母アクエ・メリウスの魂の分身。
その名前は――
「微笑みを待つ水の精霊。アクエ・ファニーネ」
《ではそれに応えましょう》
そう言って、アクエ・メリウスが歌うように応える。
《NaRa , iN=oMoT , oT=aTu=oN=uKaYieM , aH=aReRaW / iN=aKiHSaT , aH=iaKiT》
精霊言語なのに、ユノはハッキリとその意味を感じ取れた。
《これにて契約は成立しました。久しぶりの人間との契約です……。
大サービスで、そのような狭苦しい場所から外へと送り出しましょう》
そんな声が聞こえるや否や、視界が白い光に包まれた。
そして、光が無くなっていくと共に、外気を感じられるようになっていく。
ひんやりとした湿気。吹き抜ける風。
「常濡の森海……? 夢、じゃない……?」
《せっかくの契約ですのに、夢では困ります。
特別大サービスで、目と足も治させて頂きました》
「致せり尽くせりだけど、そんなに人間に肩入れしちゃっていいの?」
《その分、貴女が楽しませてくれるなら》
含みたっぷりに、そして楽しそうに、アクエ・メリウスが答える。
そんなに期待されてしまっては仕方がない。
「どこまで出来るか知らないけれど、期待外れにならない程度にはがんばるわ」
告げて、ユノは杖に意識を集中する。
蕾が花開き、花びらの一つが澄んだ湖のような青に輝く。
「始まりは湖と風、起章は海を渡る鳥、続章は風に舞う花、転章は澄み渡る翼、終章は蒼空を翔ける鳥」
空気中の水分と風を組み合わせ――その背に半透明の翼を創り出す。
「重ねて五つ。其は蒼穹を駆る自由の翼ッ!」
初めて使う五重言霊を何とか制御しながら、口元に笑みを浮かべる。
「よし。思いつきだけど、ファニーネの力を借りれば出来そうね」
《気を付けなさい。他の精霊と違って、統括精霊は貪欲だから……。
頂けるレイが物足りなかったら、貴女の中に残るマナやオドを強引にレイへと変えて搾り取りますので》
「みたいね。まったく、思ってたよりあたしに不利な契約じゃないかしら、これ」
《今なら解約が間に合いますよ?》
「サービスしてもらっちゃったしね。これでも商売してる身よ。サービスしてもらった以上は、せめて通常料金は払わなきゃ」
答えて、翼をはためかす。
「貴女が飽きるまでの間、よろしくお願いするわ」
《はい。こちらこそよろしくお願いします。盟友ユノ・ルージュ》
そうして、ユノは空を舞う。
目指すはカイム・アウルーラ。
街の中心リリサレナ広場にある、多乱風花の大時計。
水の統括精霊と契約し、ユノ復活です。
同時に色んなコトに気づきました。ある意味で、ユノの人生はここからなのかもしれません。
次回は毒に倒れそうなユズリハの話になる予定です。