挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ガールズカルテット 作者:双色
31/40

8

 /8


 ◇


 唇を動かすだけの長い独白の終わりに御巫暦は呟いた。
「…………です、せんぱい……」
 肺に含んだ空気が喉を通り抜けただけ。そんな声だった。
 最後に何かを伝えようとして、それが結局叶わずに終わる。けれど本人はそれで満足したのだろうか、薄く開いていた瞼が瞳を隠す。
「暦……? おい、暦」
 その、小柄な後輩の肩を揺すりながら名前を呼びか掛ける。
 何度呼んでも返事は無い。今俺の腕の中に在るのは完全に意識が途切れた後の人間の体。
 一瞬の焦りもけれど直ぐに拭い去られる。華奢な双肩と小振りな胸が僅かに上下しているその様子が、ただこの少女が眠っているだけなのだということを報せていたからだ。その寝顔は安らかとは言えないが、けれどきっと悪夢は見ていないだろう。
 苦しみぬいた末に、安らかではないが幸せそうな寝顔だった。これで悪い夢を視ているというのなら嘘だ。
 目の端に溜まったまま溢れることが無かった涙を指で拭ってやる。もう何日も睡眠を取っていなかったのか、暦の眠りは一目に相当深いものだと解った。
「……よく頑張ったな、暦」
 小さな後輩の体躯を背に乗せる。体重を感じさせない少女を背負い上げて、俺は立ち上がった。開放した入り口から入ってくる外の光は絨毯みたいで何となくいい演出に思える。……と、それでは自分が御伽噺の王子様だと言っているみたいだな。
 自分の思考に苦笑する。これだから空に、御伽噺の絵本を買ってやろう、なんて言われるんだ。
 埃っぽい足元を踏みしめながら外に出ると、開けっ放しの鉄の扉に凭れかかるようにして空が待っていた。勿論、誰を待っていたのかと訊けばこいつは自分の親友を待っていた、と即座に返答するのだろう。兄の帰りを待ち望む可愛い妹は、さてどこにいったのやら。
「暦は……大丈夫ですか、兄さん」
 大きな瞳が不安の色を湛えていた。
 俺は何も言わずに、背に乗せた暦の姿を空に見せてやる。それだけで、言葉で語るよりもずっと意味があることだと知っているから。空なら、暦の寝顔を見るだけで今本人が安静かどうかは判断できるだろう。
 空の緊張が緩んだのを確認して、暦を降ろす。
 俺は空が背にする扉とは逆の扉に凭れ掛かり、晴天の青を見上げた。
「暦はさ、ちょっと優しすぎたんだよ」
 そんなことを口にする。相変わらず視線は空を流れる雲に。これは誰に語っている訳でもなく自分の中で起きたことを整理しているだけなんだ、と態度で示しているつもりだった。さすがに、さっき喧嘩別れした妹と面と向かって会話するのは気負いする。
 俺の態度が意図するところを悟ったかどうかは解らないが、空も再び扉に背中を当てた。とん、と綺麗な音がしてそのことが解る。横目で確認してみると、空もまた同じ様に首を上方に傾けながら目を閉じていた。
 今なら、正面向かって立ってもばれないだろうな。しないけど、そんなこと。
 不意に緩んでしまった口元を正して、冒頭から間が空いた独白を再会した。
「自分が悪いんだって思い込むことは、結局自己防衛だったのかもしれない。でもそれを人に明かすってことは、そのことで誰かに咎めて欲しかったんだ。こんな話、国も法律も裁けないからな。罪の重さは良心の重さだから。暦は自分を庇うために罪悪感を背負って、結果そのことが余計に大きな罪悪感として圧し掛かってた。だから誰かに助けて欲しかった。自分以外に自分を責めてくれる誰かが欲しかったんだ」
 それも全部勝手な俺の想像かもしれないが。けれどそれに反論してこない空の様子を見ると、あながちそれも間違いじゃないかもしれない。
「朔夜さんと話したことだけどな、『正夢』と『予知夢』の違いってヤツなんだよ。二つを決定的に隔てる基準なんて無い。そうだろ。だって、どっちもそれが『特殊な夢』だと気づく頃には全部終わってるんだ。だったら、両者を分けるのは当事者の意識でしかない」
 朔夜さんが憂鬱に言ったことを思い出す。二つを隔てる確かな理なんて無い。
 元から意味の無いこと、追求するだけの無駄な……そう、何日も前に見た夢の内容について頭の中で議論するような、そんなこと。
「ようするにさ、『予知夢』はドラマのシナリオを先に知った上でドラマを見るようなもので、『正夢』は自分がドラマのシナリオを書いてからドラマを見るってことなんだ」
 なんとなく、その例えがしっくりくる。俺にしては上出来だったかもしれない。
 その時、隣で聞いているだけだった少女がくすりと笑った。
「なんだよ……」
「いえ。兄さんにしては解り易い例えだったので、可笑しくて。もしかして、朔夜さんの言葉をそのまま引用したんじゃないですか、兄さん。いつも宿題でやってるみたいに」
 からかうような声が無邪気に聞こえて、つい幼少期を思い出す。
 一瞬だけ、ほんの僅かな一時、昔の空をそこに見た気がした。それが嬉しいようで表情が綻んでしまっても、よく考えればここは笑っている場面ではないと気づく。兄の、威厳がそうさせる。
「……その例えも朔夜さんの引用か? 随分攻撃的だぞ」
「いいえ。朔夜さんはこんなこと言いませんよ。女の子にはいろんな感情の表し方があるんですよ、兄さん」
 小悪魔め。だんだん朔夜さんに似てきたんじゃないか。
 独白だと言っておきながら、いつの間にかそこには会話が生まれていた。
「で、話は戻るけどな。――自分の見た『現実になる夢』をどちらに分類するかは、当事者の良心なんだ。予知夢なら罪の意識なんて無い。不幸だな、とか、同情はあるかもしれないけどそこには自分に課せる感情が無い。それに対して正夢は、自分の夢があるから誰かが死んだんだっていう、罪の意識がそう認識させる。暦の場合は、自分の夢を正夢に位置づけてしまったんだろうな。さっき言ったこともあるけど、それ以上にこいつはそういう奴だからさ。結果として、意識が罪悪感に耐え切れなくなってパンクしたんだ。行き場をなくした罪悪感は、夢や現実の境界を曖昧にして自我を蝕む。暦が自分の夢を予知夢だと認識していたら、こんなことにはならなかった」
 朔夜さんが言っていた逆転現象のきっかけは、それかもしれない。或いは今日のことを考えるなら、暦は前にも誰かが死ぬ現場を現実に見てしまったか。どちらにせよ、暦の正常を壊すには充分すぎる。
 これ以上俺には言うことが無かった。これ以上何かを言っても、それは空にだって既知の事実だろうから。何を言ったて無駄なら、何も言わずに今はこうして時間の流れだけを見詰めていればいい。
 何も言う必要が無いのなら、だが。
「お前、最初から知ってたんだろ。暦が夢で悩んでること。だから朔夜さんに相談したり、あんな訳の解らない本を持ち出したりしてたんだな?」
「あれ? 兄さんには難しかったですか、あの本は。わたしには小学校の教科書みたいでしたけど」
「お前はまたそうやって……まあ、いいけどさ。深く追求する気はないし、何で暦がここにいるのか解ったのか、なんてことは聞かないことにする」
 ことは遡ること一時間前。
 廊下で暦から電話があってから、それこそ迷子のように校舎内を彷徨っていた俺は空と鉢合せになった。そこからはお互いに最低限必要な言葉だけを交わしてここまでやってきて、今に至る。それだけで充分に空には世話になったのだから、深く追求してまた喧嘩するのもバカらしい。
 兄に迷惑を掛けない――面倒は全部自分で背負って、解決してしまうのが遙瀬空という俺の妹だ。
「――でもな、無理はすんなよ。お前は俺の妹なんだから、この頼り甲斐のある兄に相談くらいすればいいんだよ。相談料なんてとりゃしないからさ」
 飛行機雲が伸びていく。青い壁面がもう直赤い夕焼けに暮れ始める。
 どん、と鈍い音がして振り向くと、さっきまでそこにあった空の姿が消失していた。
「兄さんに頼り甲斐があれば、相談くらいはしますよ」
「……それはつまり、俺は朔夜さんよりも頼りにならないってことだな」
 晴れやかな笑顔が直ぐそこに迫っていた。
 悪戯ながら無垢な笑顔を湛えた空に苦笑しながら、俺は眠り姫状態の暦を背負い直す。
「お姫様抱っこしたらどうですか、兄さん?」
「……バカ言うなよ」
 少しだけ安心することがあるのなら、もう昼間のことはわだかまっていないらしいことだった。
 長い間離れていた妹の気持ちを、俺は少しずつ理解できるようになってきたのかもしれない。
 今日は少し深く踏み込みすぎて、知らない道に在る知らない段差に躓いただけのことだとして忘れよう。同じ間違いを繰り返さないように、曖昧な輪郭だけを残すようにして。いつか思い出したとき、今日のことがいつかの夢のようで笑ったり出来るように。
 これからどうするんですか、というこれまでとは一変して真面目な空の問いかけに俺は肩を竦めた苦笑で答えた。
「取り合えず、頼り甲斐のある人に任せるよ。少し前にも似たようなことがあったしな。……あの時より人数も少ないし、大丈夫だろうよ」
 相当飢えているようだったからな。暦を退屈凌ぎにされるのは業腹だが、今は彼女に頼るしかない。
 半分だけ色が変わった夕方の天空を見上げて、俺達は兄妹揃って国語科準備室へと向かった。



(罪悪夢想の迷子/了)
 際限なく書いてしまうのは悪い癖です。
 二話同時に投稿してますので、お気をつけください(09/5.22)
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ