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ガールズカルテット 作者:双色
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 目まぐるしく変化していく、というよりも過ぎていく日々の喧騒。
 季節は緩やかに冬へと移行している。
 残暑と呼ぶには長すぎるような夏の名残、もとい延長が少しずつ収束した短い秋。
 紅葉なんて気がつけば散りきって、もはや今が秋だと実感することさえ難しい。
 ただ暑いと感じないまでで寒くない今の気温から、俺の体は秋を感じ取っていた。
 俺たち三年は進路のことでばたばたと騒がしい日々を送っている。
 そんなある日の朝、俺は半年を過ごした教室に違和感を覚えていた。始業の鐘は既に鳴り終わって担任も教卓の前に立っているというのに、まだ流深の姿が見当たらない。遅刻寸前で教室に飛び込んでくることはこれまでもよくあったことだが、この時点でまだ着席していないのは初めてだ。
 ……まあそれも、俺が気に掛けることではない。
 騒がしい奴がいないだけに普段よりも日常が大人しいが、それで寂しいとか思うことはない。むしろ何となく久しぶりの倦怠が戻ってきて、これも悪くない気がする。
 思えば四月以来、俺の日常には必ず流深の姿があった。
 変わり映えしない日々。
 変わり映えしない倦怠。
 それを歪ませていた根源。
 普段あるものが無いと、その欠乏感というものは意外と大きく感じられるらしい。
 とはいえそれはどうすることも出来ない事柄で、だったら深く考えるのは無意味でしかない。開いた穴は何らかの形で埋めるしかないのだ。
 だから俺はそんなことなど全く気にせず、久しぶりの静かな時間を過ごした。


 ◇


 放課後。秋の空は真っ赤に燃えて、夕日は校舎の廊下を橙色に染め上げている。
 日々早くなっていく日没。本当に、今年の秋というものは短い。
 暑いか寒いかの両極端しかない気候は順調に後者へと移行していた。
 俺は恐ろしいほど人気の無い廊下を一人で歩いている。
 下校時間まではまだ一時間もあるというのに、こうして玄関から教室まで戻ってくる間に誰とも会わなかったことが不気味といえば不気味だ。
 放課後の教室に忘れ物を取りに行く、なんてことはよくある経験ではない。
 故に俺は今の状況が通常なのか、異常なのか判別できない。おそらくは前者であるという根拠の無い推測だけは確かにあるのだが。
 階段を上り終えて踊り場の角を曲がる。そこに来て、俺は足を止めた。
 別に誰かと廊下で会うことに驚愕したわけじゃない。
 それがあって当然であるとさえ思うほどだ。
 それでも俺は脚を止めざるを得なかった。
 教室の前。そこにいる人影が有り得ない人間の姿をしていたから。
「御桜……?」
 影は、教室の壁に凭れ掛かるようにしてそこにいた。
 朝から一度も見ていなかったその姿。
 髪の長いシルエットは夕日の逆行で半分が影に覆われている。
 細かい表情や顔の作りを確認することは出来ないが、それでも少女は御桜流深に他ならない。
 欠席しているはずの少女は、俺の声に気づいてゆっくりと振り向いた。
「こんにちは、遙瀬くん」
 声はどこか笑っているように軽い。
 聞きなれた女の声。
 人気の無い廊下。閑静な空間にその声はよく通った。
「お前、学校休んでたんじゃないのか?」
 立ち位置はそのままで問いかける。
 すると御桜流深という少女は小さく頷いてから、
「うん、まあね。……なかなか決心できなかったから、今まで」
 躊躇うような口調でそう言った。
 夕日色の廊下。二人の声だけがそこに在る。
 何か言うべきか迷って、俺は口ごもる。
 この状況は何だ? 学校を休んだ奴が放課後になっていきなり現れる。その事を訊けば意味の解らないことを呟いて黙り込む。顔色を確認できれば何らかの推測は出来るかもしれない。生憎それも出来ない状況だ。
「少し長い話になると思うけど、いいかな?」
 その質問に俺は頷く。
 肯定の動作を返してやると、少女は、ふ、と声に出して笑った。
 あまり人に聞かれたくない話だから、と言って教室の扉を開ける。
 教室の中に消えた姿を追って、俺もそれに続く。どの道目的は教室の中にある忘れ物だ。この行動が回り道になることはない。
 廊下から教室へ足を踏み入れる瞬間、ふとした疑問が頭に浮かぶ。
 俺が最初に流深を発見したとき、そのときの流深の体勢はどうだったか。
 教室の壁に凭れる様にして――――まるで誰かを待つように。
 誰か、とは状況から俺のことで間違いない。
 では俺がここに戻ってくる理由は――忘れ物に気づいて。
 その事を知っていたのは、俺だけだ。
 ここに俺が戻ってくる確証なんてどこにもない。ましてや時間が時間だ。学校を休んだ人間が、他の生徒に目撃されずに教室の前に佇んでいた。……いや、目撃者がいたかは解らない。ただこの状況は出来すぎている。
 俺がここに来ることも、廊下に人気が無いことも、全ては偶然。
 だというのに少女は――その偶然が必然であるかのようにそこに在った。

 まるで初めからこうなることを知っていたように。
 或いは、
 今この状況を創り出したのは――あの少女なのだろうか。

 疑問が何の解決もしないまま、俺は教室と廊下を分ける境界線を踏み越えた。


 ◇


 ばたん。とスライド式の扉が閉まる音。
 やったのは俺で、指示したのは流深だ。
 教室の中はやはり誰もいない。グランドから運動部の声が聞こえてくる。
 昼間とは違う教室の雰囲気。俺たち以外の人気が皆無であること。差し込んだ夕日で床も壁も天井も燃える様な赤に染められていること。原因は幾らでも推測できた。けれど俺は、
 この妙な胸騒ぎの原因が目の前の少女であると、どうしても思ってしまう。
 グランドに面した窓側。御桜流深という友人はそこで凭れかかって俺を見据えている。
 廊下で会った時と同じ様に。
 ……いや、違う。
 俺はこの少女のそんな姿を、もっと前に見たことがある気がしてならない。
 それがきっと、この違和感の正体なんだ。
「とりあえず、自己紹介からした方がいいのかな」
 透明の壁に隔てられた外の世界に視線を飛ばしながら、少女はそう言った。
 俺はその姿を眺めることしか出来ない。同じ教室で学ぶ友人が、どこか遠い存在に感じられた。
「――あなたも知ってる通り、わたしの名前は御桜流深。……実際に会って話をするのは、これが二度目になるかな」
 俺に振り向かず少女は言う。
 それがあまりに当たり前のことと、明らかに矛盾した言葉だと俺は瞬時に悟った。
「二度目も何も……話なら毎日してるだろ」
 ここで、この教室で。
 そう続けようとして閉口する。
 外界に向けられていた少女の瞳が俺に向いていて、その表情を知ってしまったから。俺は続く言葉を発することが出来なかった。
「……なるほど、そういうことか」
 何がどういうことなのか、それは俺自身も実の所よく解っていない。
 けれど理屈ではない感覚で俺は納得させられていた。
 多くを語るよりも、ただの一見で。百の聴覚認識は一度の視覚認識に及ばない。昔の人はよく言ったものだ。
 どんな衝撃的な告白を言葉で語るよりも、それは容易く受け入れられる。半強制的な暗示。俺は向かい合う少女の表情だけで、その心中を読み取ってしまった。……というよりも、読み取られされたと言うべきかも知れない。
 呟いて一人悟った俺を見て、目の前の少女はくすりと笑う。
 物分りの良い生徒を誇る家庭教師のような微笑。
「二重人格……とかそういうオチか?」
 我ながら頭の悪いことを訊いている。
 自分でも愚問と思える詰問に、少女は頷いてからいいえと言う矛盾した回答を寄越した。
「的を射た言葉、というよりも似て非なる存在って言った方がいいのかな。厳密に言えば、それは全く違うことだし、二重人格と言えば二重人格でもあるのかな。人格はそれまでに経験してきた感情の上に構成されるものだから」
 小難しいことを言っているが、俺には何のことやらさっぱりだ。
 唖然としている俺を気遣う様に、少女は補足説明を開始した。
「簡単に言うとわたしはあなたの知っているわたしよりも先のわたし。別に未来から来た、とかそういう意味じゃないけど。わたしは普段の御桜流深よりも多くを知っている御桜流深、て言えば解るかな」
 解らない。
 解らないのだが、それでぴんと来たことならばある。
 遠慮せずに俺は思いついた事柄を口に出す。
「流深が忘れてる記憶か……?」
 その問いに少女は頷いて、
「わたしは自分でも気づかない内に自分の世界を二分していた。わたしは御桜流深の体験する『ある感情』を受け持つ存在。……こんなことが始まったばかりの頃は、自分でも異常だと思わなかった。ただ少しずつ忘れてる部分が多くなっていくごとに、今みたいな半端な二重人格状態になってしまったの。
 人間の感情は、それまでにその人が体験した過去の上に作られるモノでしょう? 痛みを知らない人間は、平気でそれを他人に与える。誰からも優しくされたことのない人間は、誰にも幸福を与えられない。人間は受動的に受け取った感情を、能動的に他人に受け渡す生き物。人間の人格はそうした感情の繋がりの上で構成される。御桜流深という人間を造る感情には、本来人間が持っているはずの『或る感情』がない。わたしはその『或る感情』を持った御桜流深。
 つまりあなたが知っている普段の御桜流深は、或る感情を抜きにした不完全な御桜流深で、本来ならばわたしが通常の御桜流深なの。二重人格、といえばそうなるけれど、人格が二つあるわけじゃない。御桜流深という人格は常に一つだけ」
 これで理解できた? という風に少女は俺を見る。
 イマイチ明確な理解は出来ないが、曖昧ながら言いたいことは掴めた気がする。
 つまり普段の流深は不完全な人格で、その原因は或る感情の欠落だと言いたいらしい。……しかしそれがどういうことかと具体的に問われれば、俺は言葉を失ってしまうのだが。
「まあ……理屈は何となく解った。それで、普段のお前から欠落してる感情ってのは何なんだ?」
 えらく踏み込んだことを訊いている気がしたが、それを聞かなければ何のための会話だったか解らない。
 恐らく流深はこれまでの長い説明を全て前置きとしている、というのが今の俺に在る唯一つの確信だった。
 核心を突く疑問に、御桜流深という少女は表情一つ変化させずに答えた。
「普段のわたしには無い感情。御桜流深から零れ落ちた一つの感情は――――絶望」
 それが答え。
 至極あっさりと告げられた言葉に俺はオウム返しに答えることしか出来ない。
「どうしてこうなってしまったのかは解らないけど、わたしはいつの間にか絶望という感情を忘却するようになってた。原理は一切解らないし、こんなこと、誰にも話したことない。でもね、忘れた筈の絶望は時々蘇ってくるの……それが、今のわたし」
 忘れている筈の絶望。
 これまでに体験しているはずの感情。
 唐突に蘇ったそれによって、御桜流深という人物が本来持ちえる人格は形成されるのだと少女は言った。
 二重人格とは違う。けれど普通ではない。
 幾つかの人格があるのではなく、一定期間だけで完成させられる本来の人格。
 少女が俺に告げたかったことは、そういうことなのだろうか。
 …………間違いなくそうだ。
 だとしたら一つだけ解らないことがある。
 一部分だけ記憶……話に合わせるなら感情か……がどうして忘れ去られるのか。その疑問は本人も知らないと言うのだから、これ以上を問うても答えは得られないだろう。
 今の段階で確実に得られる答えのある疑問。
「お前の言いたいことは解ったけど――何でそれを俺に伝えるんだ?」
 それは、俺には解らなくて御桜流深には解る疑問。
 かつかつ、と足音を鳴らして少女が向かってくる。散歩でもするかのような自然な足取り。
 それは俺の正面で停止させられた。白い顔にある黒い瞳がこちらを見上げる。
「あなたがわたしの絶望だったから」
 答える声は、今までに比べて小さい。
 自分でもその言葉に自身が持てていない様な、そんな口調。
 意味の解らないその答えに、俺はさらに質問を重ねようとする。
「今日はありがとう。明日のわたしは、きっとあなたがよく知ってるわたしだと思うよ」
 が、果たしてそれは成されなかった。
 最後にそれだけを告げて、小柄な体が去っていく。
 次に俺の口から出る疑問を予想していたのか、扉をスライドさせる姿はどこか拒絶の意思を感じさせる。
 まだ尽きぬ疑問が残されているが、俺は帰っていく少女を引きとめようとは思わなかった。それがさして必要なことだとは思わなかったし、引き止めて質問攻めにしたところで答えが得られる確証はない。
 唯一つだけ確かなことが在るとするならば、彼女がそれを語らなかった以上、そこに俺が踏み込む必要はないということだ。
 去っていく後姿を遠い眼で眺める。
 その華奢な背中が、永遠の別れを告げている様に儚い。
 今度いつ会えるのかは解らない。また再開することを少女が望んでいるのかも解らない。
 夕暮れの教室。茜色に染め上げられた空間。

 茫然と立ち尽くすだけの俺は、秋の終わりと少しずつ大きくなっていく日常の歪みを感じていた。
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