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ガールズカルテット 作者:双色
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 一瞬のうちに冷めていった気温が冬の訪れを感じさせる。
 今年の秋は本当に短い。というよりも夏が長かったのか。
 下がっていくばかりの気温と変わっていく窓の外の景色。少なくなっていくカレンダーの残りが、一年の終わりを告げている。
 俺は白い息を吐いて窓の外を見つめていた。
 校庭は冬枯れした木々に縁取られている。春の段階では満開だった桜も見る影が無い今となっては、気温の上昇と季節の移り変わりを待ってただ佇むだけだ。
 窓の外は雨景色。
 昨夜から降り始めた雫は夜更け過ぎに雪に変わることもなく、こうしてまだ勢力を落とさない。運動部が日々踏み鳴らしているグランドは一つの大きな水溜りみたいだ。
 水面を打つ雨が作り出した波紋を数えることにも飽きて、俺は教室へと意識を回帰させた。
 隣の席はまだ空席。
 前回の席替えにより窓際を確保した俺、とその隣を確保した御桜流深。
 公平なくじにより決定された席順では在るのだが、いかんせん俺はこれが偶然とは思えずにいる。何しろタイミングが絶妙だった。まるで示し合わせたみたいに。偶然の女神の目覚まし時計が変な具合に狂いだしたのだろうか。
 現在の席が決定した前回の席替えは、あの日の翌日に催された。
 どこか歪な二重人格者であると、流深が自身を告白した日の翌日。
 その日の流深は俺のよく知っている流深で間違いは無かった。……よく知らない方の流深だったらどうなのかと言えば、どうでもないのだが。
 これが偶然の悪戯ならば相当性質の悪い悪戯だ。
 あれから二週間ばかりが過ぎた。
 流深はその日のことをまるで覚えていないらしく、少女の日常に変化は無い。俺はといえば、俺は俺で複雑……怪奇な日々を送っている。日常といえばそれは日常だし、非日常といってしまえば否定できない。
 変わったことは俺の中の御桜流深という人物像。その認識。
 それと――――
「おはよう、遙瀬くん」
 突然降りかかった声に顔を上げる。
 空白だった隣席の机上には鞄が投げ出され。
 いつの間にそこにいたのか、御桜流深が蠱惑的な笑みを浮かべてそこにいた。
「……ああ、おはよ」
 対照的なテンションで呟くように返答する。
 あれ以来、日常で変化したことは二つ。
 一つは俺の御桜流深に対する認識。
 一つは御桜流深が御桜流深で在る日が増えたこと。

 本来持ちえるはずの記憶が無い、一人の少女。
 本来失われたはずの記憶を持つ、一人の少女。

 同一人物であるとは解っている。それでも俺は、その少女を一人の少女だと思えずにいる。
 空気、表情、言動――おそらくは心情も。
 これまで俺が接してきた流深と、このルミは異なっている。
 何十年間も或る一つの感情を得ていなかった人格と、それを得た人格。
 二つのスイッチはどのタイミングで入るのかは解らない、と彼女は言った。それによって変格される人格が二重人格ではない、とも。ただそれまで不揃いだった感情が完成して、その差が二つの人格が在ると勘違いさせてしまうと少女は言った。
 ふと隣に視線を送ると、流深は不思議なものを見る眼で俺を見ていた。
「どうかした?」
 本気で同級生を心配している口調だ。
「いや……今日はそっちなのか、て思っただけだよ」
 その言葉は、少女の心にはどう響いただろう。
 席に着いた同級生は小さく笑って、
「そうみたい……だね。うん。昨日の晩にこうなってから、朝起きたときもまだ戻ってなかった」
 自分を非難するように言った。
 俺がこの流深と話したのは、あの夕方だけではない。それ以降も何度か話している。
 本人曰く、記憶が戻るのは朝昼夜に分けると夜が一番多い。夜に思い出して、朝に眼を覚ませば大概はまた元に戻っているらしい。……戻る、というのはどこか可笑しな感じだ。――俺に馴染みが無いとはいえ、本当の御桜流深はこっちなのだから。
「最近はどうも周期が可笑しいみたいなんだ…………。わたしがわたしで居る時間が、少しずつ長くなってきてる。これまでは朝からこの状態になることなんて、殆ど無かった。そうでなくても、わたしが忘却した記憶を思い出すことは何ヶ月かに一回だけだったのに。ここ最近では時間差で毎日だよ」
 そんな自分が恐い、と流深の瞳が語っている。
 ……ような気がした。
 どうにも解らないことがある。
「お前はそんな風に言うけど、それって悪いことじゃないんじゃないか? 忘れてることがあるってことはつまりお前自身が不完全だってことなんだし。だったら――忘れてることを思い出すことは、別に悪いことじゃないだろ」
 それだけが俺には解らないでいた。
 流深は自然的に起こる記憶の蘇生を疎ましく思うような口ぶりで語る。それが罪であるかのように、まるで記憶を思い出すことが孤独であるように、その行為が禁忌であるかのように。
 けれどそんなことは無い。
 忘れてる事柄を思い出すということは罪ではない。特殊な例を除けば、それが周囲の人間に危害を加えることなんて無いのだから。忘れているのが殺人現場の記憶で、自分が誰かを殺した瞬間の目撃者……みたいな記憶でも無い限り、それは何の問題でもない。
 俺がそう言うと、流深は小さく首を振ってそれを否定した。
 いったい何が間違っていると言うのだろうか。俺にはそれがまるで解らないでいる。
「わたしが自分の記憶を忘れているのには、ちゃんとした理由がある。だからその逆説で、思い出してはいけない理由もちゃんとあるの。……自分ではどうすることも出来ない現象(こと)だけど」
 それが何なのかと、加えて質問を掛けようとして俺は口を塞ぐ。
 チャイムと共に教室に入ってきた担任の声に便乗するように流深の眼は、この話はここで終わり、と俺に言っている。逆らうことの出来ない哀しい色をした瞳に、俺は無言のままで従うだけだった。
 どうしてだろうか。
 この話をする時の流深は途方の無いほど遠いモノを見る眼をしている。
 それがどういう眼なのか、具体的なことは俺には言えない。けれど直ぐ目の前で会話をしている俺など、全く視界に入っていないような。
 ……いや、それは違うかもしれない。

 これは俺の方が――御桜流深の世界の中に入り込んだような、そんな感覚。

 だからこそ、流深の瞳には俺が写っていない。だって鏡も無しに自分自身を見ることなど、人間には出来ないことだから。


 ◇


 放課後になっても雨は止まない。
 雲に覆われた夕陽を浴びられずに世界は夜のように暗い。
 誰も居なくなった静かな教室に、俺と流深はいた。
 窓際で凭れるようにしている流深と、机の上に腰を下ろしている俺。
 この状況には色っぽい事情など微塵も無い。帰ってもすることの無い二人が、たまたま最後まで教室の中に残っていたというだけのことだ。
 特にすることも無く、忙しく文字盤の上を回り続ける秒針を俺は眼で追っていた。
「朝の話の続きになるんだけどね」
 覇気の無い声で流深が呟く。
 言いたくないことを口にする、と決断したような苦渋の表情。
 その声に俺が振り向き、流深が語り始める。
「遙瀬くんは、人間がみんなどこかで繋がってるって話聞いたことある?」
「いいや、初耳だよ。そんな話は」
 それが朝の話と何の関係があるのだろう、と思ったが口にはしなかった。流深がそれを引き合いにするのなら、それにはきっと意味があるだろうと思ったからだ。
「世界の人間は総て同一の湖から流れ出た……細い川みたいなモノだって考え。一つの大きな原因、人間という霊長が発生した(よすが)がどこかに在って、わたし達はみんなそこから流れ出て枝分かれした存在。故にそれを辿っていけば霊長の――この世界の中心に辿り着ける」
「……まあ、言いたいことは解るけど。そうだとして、そんなことに何か意味があるのか?」
「はっきりとした意味は無いけど。……この世界に蓄積された歴史。人間が重ねてきた時間を遡るということは、つまり世界の理を知ることと同じ。世界のこれまでと、人間のこれまで。長いのは圧倒的に世界の方。人間が発生した原因をさらに遡れば、世界の原風景に触れられる」
 それがどうだと言うのか。俺にはまるで理解できない。
 流深は一体何が言いたいのか、本当に解らなくなってきた。この話と朝の会話とがどう繋がるというのか。
「世界の中心。そこには総てが在って、だから何も無い。世界のこれまでと、世界のこれから。過去も未来も――――あらゆる可能性が保存された場所。この辺りはアカシックレコードっていう考え方と同じかな。未来は無数の選択により分岐する。中心に触れられれば、自分の思い描く世界を今の世界に上書きできるの」
 この時点で俺は完全に話の趣旨が不明になっていた。
 世界の中心、アカシックレコード。そこに辿り着くことが出来れば、世界を自らの思うままに書き換えられる。それはダレカの心象世界の具現。言ってしまえば最大の禁忌。
 ……俺が話を聞いて解ったことはそれぐらい。後はだからどうしたという疑問しか浮かばない。
 何の為にそんなことを話して、何故その話の相手が俺なのか。
 今日はいつも以上に流深の心の内が読めない。
「それじゃあその世界の中心にはどうすれば辿り着けるか、霊長の発生はどうすれば遡れるか。遙瀬くん、あなたには解る?」
 唐突に尋ねられる。ここらで俺に振っておかなければ、そのまま意識が飛んでしまうと察したのか。
「さあ……。つうか、話が壮大すぎて何が何やらよく解らん」
 素直な感想を述べてみる。
 と、流深は俺の理解力の低さを嘆くこともせず、むしろそれが当然だと言わんばかりに頷いた。
「あくまで誰かが立てた仮説だからね。本当に世界の中心なんてものが在るのかは解らない。だからどうすればそこに辿り着けるのかも解らない。誰もそんな場所を目指したりはしないから、詳しいことも何一つ解らないまま」
 そう曖昧な結論を述べて、窓の外に視線を飛ばす。
 止まない雨。陽が差し込む隙間さえ空には無い。
 薄暗い教室に漂う沈黙が、妙な居心地の悪さを感じさせていた。
 結局流深は何が言いたかったのか。俺によく解らない話を聞かせておいて、それがどんな意味を持つのかも解らないまま話は打ち切り。最後まで朝の会話と連結することも無かった。
 ……いや、もしかするとどこかで繋がっていたのかもしれない。
 直接流深の口からは語られなかったが、それは俺に察してくれと告げていたのではないだろうか。だとしたら、それはどの辺りなのか。朝の会話と関連し、今の話で流深が俺に伝えたかったこと。
 朝の続きになる、と流深は言った。
 そもそも続きとはどういうことになのか。
 朝の会話が途切れたのは、流深が自分の記憶を失っている理由についての部分だった。となると、つまり今の会話の中にその理由が含まれていたということか。
 それが一体どの辺りだったのか。朝の話と、今の話。関連性は何一つ無い。
 記憶の忘却、世界の中心、人間の発生。
 後の二つは似た点があるかもしれないが、そこに最初の一つと結びつく事柄は無い。
 ……本当にそうか。本当に何の関連性も無いのか。
 世界の中心。アカシックレコード。世界のこれまでと、これからの記録。
 断片的なキーワードから見つけ出した僅かな繋がり。
 記憶と、記録。
 世界の持つ、保存された歴史と未来を記録。人間が持つ、蓄積された過去を記憶。
 話の中で流深が語った、世界の中心。そこに触れることが出来るのなら、世界を塗り替えることが出来る。もしも望まぬままにそこに到達しえる人間がいたとしたら。

 ――――もしかしたら、流深が言いたかったことは……

 ある一つの仮説を結論付けて、俺は顔を上げた。
 現実的に考えれば在りえない仮説。
 常識の範囲内ならば絶対にないと否定できる一つの仮説。
 俺は夜のように暗い窓の外を眺める流深を見据えた。
「お前……もしかして」
 と口に仕掛けてその続きを言葉に出来ない。
 流深の表情がこれまでに見たことの無いほどに、哀しい色を帯びていたから――。
 普通の歩幅でも一歩で無くせる距離。
 俺と流深は間近にいながら、その存在は果てしなく遠かった。

 どうして今まで気づかなかったのだろうか。
 ……御桜流深という少女は圧倒的に遠い。

「そろそろ帰ろっか」
 かちりと表情を切り替えて、いつもの声で流深は言った。
 その言葉に何と返事をすればよかったのだろう。
 流深が目に掛かった前髪を払い除ける。その動作でブレザーとシャツの裾が僅かに下がる。
 シャツの下から少しだけ見えたのは――包帯の巻かれた流深の細い腕だった。
「お前それ、どうしたんだ?」
 それは硬直状態から回復するには十分な光景だ。
 俺は殆ど反射的にその疑問を投げかける。
「え? ……ああ、別に大したことは無いよ」
 自分の腕に目を落とし、俺の言っていることを理解して誤魔化す。
「大したこと無い、じゃねえよ」
 流深の言うとおり、それは本当に大したことでは無いかもしれない。
 だとしても俺にはそうだと思えない。もしもさっきの仮説が当たっているなら――俺は包帯の下にある傷が、どんな経緯で付けられたものか知らなければならない気がしたから。
 さっ、と腕を下ろして包帯を隠す。流深は逃げるように早足で扉へと向かって行った。
「また明日ね、遙瀬くん」
 最後に一瞬だけ振り返って別れを告げる。
 その後姿を追いかけることも出来ず、俺は立ち尽くしている。
 この時点で、二人の間には埋めようの無い溝が出来ていた。
 いや……それも今更かもしれない。
 ただ俺が気づかなかっただけで、その溝は初めから在ったのかもしれない。

 擦れ違う想いと声の軌跡。
 ――――それは、二人がこれから辿る運命の筋書き。

 言いようも無い不安と、言葉に出来ない想いだけが残留していた。
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