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 ◇


“――久しぶり”
 寒空の下で、表情の無い少女はそう呟いた。
 声は冷たい風に乗って空に消えていく。
 少女の言葉に応える者はない。
“ずっと、待ってたんだよ。ずっと、ここで”
 無表情。……そう思える少女の表情は本当に感情が無いのだろうか。
 私は知っている。
 この少女は何の感情も抱かないでここに立っているのではないと。
 ただ、今の心情を表に出してしまえば認めたくないこの現実を受け入れてしまうことになるから。自分は現実(イマ)を肯定するように自らの感情を干渉させてはいけないのだと、必死になって言い聞かせていた。
 そう、何度も、幾度も。
 現在からの逃避。いつか本当に笑っていられた自分が死んでしまわないように。
 少女は――私は、この現実から目を背けなければならなかったのだ。
 だから、無表情の仮面を被って過去にのみ自分を肯定していた。
“私の声は、届いていますか……?”
 泣きそうな声が尋ねる。応える声は無い。
 ただ虚しいだけの余韻は、冷たい空気に溶けていく。
 ――思えばこの時から。

 私は、私では無くなっていたのではないか。

 感情の浮かばない少女。私は心の奥に総ての感情を沈めていた。
 たった一つ。

 この暗い、どんな光の侵食も許さない昏過ぎる孤独を除いて。

 最後に一度だけ。少女は驚愕するように眼を見開いた。
 白く細い指が、頬をなぞる。片方の瞳から零れてしまった涙。その残留する暖かさに触れて。
 私の中の何かが、崩れた。
 少女は固い地面に両膝をつく。冷たい空気の中、彼女に同情する者は無い。誰も、彼女に声を掛けたりはしない。誰にも、私の声は届かない。
 幼い頃の幻を瞼の裏に浮かべて。
 少女は自分と同じ名字の刻まれた墓石の前で泣き崩れていた。


 ◇


 厚い灰色の雲が覆った空。
 突然一変した世界に私は自分がそれまで目を閉じていたのだと思い知らされた。
 眠っていた……ということではないだろう。ただ薄らぼんやりとした意識の微睡の中で、自分は夢とも追憶ともつかぬ幻想を見ていたということだけは理解できる。
 幼い日の記憶。出来ることならどんな記憶よりも先に忘れてしまいたい記憶だけれど、そう思えば思うほどに私の脳はこの記憶の忘却を拒む。……自分の意思に天邪鬼な自分の脳。これほどに煩わしいものは無い。
 私は空に向かっていた視線を落とす。
 私が今背を預けているフェンスの対面にはいつもいるはずの少年がいなかった。
「……」
 短い、沈黙。
 この場に自分しかいないのだと解って、私は少しだけ残念に思ってしまった。
 まったく、こんな感情はいつ以来だろう。
 それはきっとさっきのことが原因だと思う。
 こんな自分にもまだ人間らしい感情が残っているなんて。
 ――こんな、人殺しの私に。
「――――」
 何かを口にしようとして、私は唐突に口を閉ざした。
 じとっとして肌に纏わりつく空気を揺らして、屋上の扉を開く重い音が私の耳に届いたからだ。普通の生徒ならここには来ない。私は扉を開いた人物におおよその見当がついていた。
 けれどそんな私の予想が外れているのだと、現れた人物を見て気づかされる。
 この時の私は、正直に言うと驚いていた。
 自分の表情がどうだったかは解らないけど、少し昔の私なら両目を大きく見開いて驚愕に愕然としながら現れた人物を直視していたことだろう。
 二人目の屋上の来訪者は私が予想していた少年とはまるで違う、少女の姿をしていた。
 顔立ちや背丈から推測して彼女はおそらく私と同級生。
 漆黒の髪を生暖かい風に靡かせる少女の瞳は髪の色に揃えた漆黒。違うと言えば濡れているように艶のある彼女の髪に対して、その瞳は深すぎる黒色。目を合わせていれば、それだけでこちらの心の奥まで見透かされてしまいそうな、そんな黒色。
 彼女は整った顔を二三度左右に振るい、この場に自分を含み私と二人だけしかいないことを確認する。と、振り子のように揺れて戻ってきた少女の顔がぴたりと私に向いて止まる。
 目が合った瞬間。私は、何故か背筋が凍るように冷たくなるのを感じた。
 何かが、違う。そう違う。
 初見と今とでは明らかに少女には変化がある。
 重たい鉄の扉を開き、最初私の前に姿を現した少女が太陽ならば今の彼女は月――。
 対極であるはずの二つの存在を、一つの存在が感じさせている奇怪。
「初めまして」
 無害を極めた笑みを作って、少女は言う。
 その表情は私にも解るほどに暖かさがあって、見る者全てを安心させる笑顔だと言うのに。
 ――私はまるで、首元にナイフを突きつけられているような恐怖を感じていた。
 暖かさを伴う太陽の光と、冷たさを伴う月の光。
 傍観する者には前者。だが直接それを向けられた者には後者に感じられる笑顔。
 どう反応するべきなのか狼狽する私に、彼女は気を悪くするではなくむしろその反応が当然であると言うかのように私から視線を外し空を見上げた。
「嫌な空。雨はまだ降らないのかな」
 心のそこから今の空模様を憂う声。憂鬱な面持ち。
「まあでもそのお陰であなたとお話が出来るんだから、今日の天気には感謝するべきかな」
 雨だったら流石に屋上なんかにはこないでしょう? と言って、再び私に向けられる微笑。
 けれどそれは再び私の意識を凍結してしまうことはなかった。
 ……私と、話? 彼女は、今確かにそう言った。意味は明白。けれどもその意図が解らない。確かに興味本位で私に声を掛けてくる人間は皆無ではない。毎日ここにやってくる男子生徒もその一人だけど、この少女は違う。
 そう。興味本位からの行動ではなく確かに目的を伴った行動。
 短い彼女の言葉だけで何故か私にはそれが理解できてしまった。
「単刀直入に訊くね、楠さん。
 ――人を殺した気分って、どんな気分?」
 それは。
 私の中の何かを塞き止めていた堤防をあっさりと決壊させてしまう質問だった。
 何年ぶりだろうか。確かに感じる――恐怖。自分と同年代のはずの少女が、今は何よりも怖い。
「え――」
 知らず、そう呟かされる。
 何年も感じることの出来なかった自分の感情に戸惑いながら、言葉にならない心中の声は、私の意思に反して外に出てしまっていた。
 初対面の相手が何故か自分の名前を知っていること。自分しか知りえない事柄を知っていること。
「なんだ、まだそんな顔出来るんだ」
 少女の声には僅かに驚きの韻を踏んでいた。
 私はまだ、目の前の相手が何なのか解らない。
 何故だろう――この相手には自分の全てが見透かされている気がする。初め彼女の瞳に魅入られた時に感じた直感的疑念は、いつしか彼女の言葉から得る実感で確信に変わっていた。
「あなたは……なに?」
 不意に呟いた疑問は、けれどこの上なく今の私の心中を表していた。
「さあ」
 誤魔化す風ではなく、むしろそんなことは自分が聞きたいと言う風に彼女はそう告げた。
 この時、厚い灰色の雲を見上げる黒い瞳が何故か濡れているように私には思えた。
 儚げな横顔。その表情を見てようやく理解する。――目の前にいる相手が、この少女が自分と同類であるのだと。
 それまで喉に詰まって息苦しかった重い空気が少しだけ軽くなった気がした。
「自分が何で、どうして生まれてきたのか……なんてことは誰にもわからないことでしょう? そんなことが解っているのなら、わたしはこんな所にはいない。人はみんな、生きるために生まれてきて、その意義を求めて与えられた時間を削っていく生き物だから。……持論なんだけどさ、これはね」
 少女と目が合っていないからだと思う。
 語る少女の姿を私は落ち着いた心中で眺めていられた。舞台の上で独白する女優を眺めている心境に似ている。それが他人事であると無意識に思ってしまっていることも、それが他人事であるというのにそれを何故か自分に当て嵌めてしまう事も。
 空に浮かんだ月を見上げるように、そこに立つ存在が自分の遠くにあるものと解った上で私は少女を見つめる。
 嗚呼、そうか。ようやく気がついた。やっぱり彼女は私なんかと同種ではない。同じ方向に傾いているとはいえ、彼女はもっと別の――。
「わたしの質問には答えたよ。次はあなたの番。楠さん、答えて。
 あなたは、あなたの歌で人が死んだことをどう思ってるの?」
 同じ質問。
 同じ表情と同じ声で再度問われた私はけれど、さっきのように動揺はしなかった。
 何故だろう。一番触れられたくない筈の場所に触れられたというのに、私はこんなにも落ち着いている。こんなにも哀しいのに――どうしてこんなにも、嬉々としていられるのだろう。
 私は私の心に気づいた途端、塞き止めていた感情が溢れ出すのを確かに感じ寸での所で蓋をした。
「…………」
 私は答えない。
 数秒前まであった温もりを押さえ込んで、もう一度自分を空っぽに引き戻す。
 その様子を眺めていた少女は質問を黙殺する私におそらくこれが最後になる笑顔を向けた。
「答えたくないみたいだから、質問は撤回するよ。わたしが知りたかったことは、もう十分聞かせてもらったし」
 それじゃあね、という別れの言葉と同時に少女の髪が翻る。言葉は、本当の友人に掛けるように何気なく。また明日会えることを前提とした軽い口調だった。
 私はその背中を見送ることしか出来ない。
 きっと、まだもう少しここにいてほしいと思うこの感情ももうすぐ消えてしまうだろう。
 扉に手を掛けると少女は不意に行動を止めて振り返った。
「ああ、そうだ。気付いてないみたいだから言っておいて上げる。あなたの言葉はね、ちゃんと誰かに届いてるんだよ、楠さん」
 この先二度と会うこと無い少女は最後にそんな言葉を残して立ち去った。


 ◇


 どこか緩んでいた部屋の空気は朔夜さんの一言で張り詰めた。
 紫煙はゆらゆらと昇って、天井にぶつかる。その様子を目で追うという無駄な時間を三秒ほど過ごし、俺は口を開いた。
「聞きたいことは大方予想が付く。教えるのは空のスリーサイズでいいんだな?」
「いや、なんでそうなるんですか!?」
 先手を打たれて、質問とは違う言葉を口にしてしまった……。空のヤツ、一体どんな風に俺のことを話しているのだろうか。
 疑うべきは実妹の言動か、それとも変人教師の思考回路か。
 答えは歴然としていた。
「なんだ。気にならないのか、お前? 健全な高校生男子なら、それくらい恥じることはないと思うが」
「健全な男子高校生は妹の身体数値を気にしたりはしません」
「他の生徒がいいのか? リクエストを聞いてやろう」
「ねえよ、そんなもん!」
 先の問いの解答。間違いなく後者。そのことを俺は改めて承知する。
 肩で息をする俺を朔夜さんは冷たい目で見ていたが、やがて動物園でまったく動かない動物に興味をなくした子供みたいに視線を外す。
 無慈悲な表情が紫煙を吹き出した。
「冗談だよ、本題に移ろう」
 遊んでいやがったな、この人。
 朔夜さんはもう一度煙草を口から離す。
 口から紫煙を吐いた後もそれを指に挟んだままだった。
「歌姫事件。最近流れてる噂を私はそう呼んでいる。ああ、ネーミングがダサイとかの批判は一切受け付けないからな」
 人のネーミングセンスについてツッコミを入れるのは流石に飽き飽きしている行動で、俺の中の不毛行為ランキング不動の一位だ。そんなことにわざわざ労力と時間を割くほど、俺は愚鈍ではない。指摘拒絶というのなら喜んでそれに従おう。
 朔夜さんは机に肘を突き、手の甲で作った台座の上に顎を載せる。
「話をする前に確認しておきたいのだが、お前はこの件についてどこまで知っている?」
「殺人を犯さない通り魔の噂、てことぐらいです」
「そうか、だったらそこから始めよう。
 そもそも通り魔、という言葉の根源的事件は十九世紀末のイギリスで起きた連続殺人で、その際には五人の女が殺されたのだが……それについて長く語るつもりはない。この事件以来、世間では路上で起きた殺人、或いは傷害事件を『通り魔』と呼んでいるわけだ。その類の事件を一つ一つ挙げていけば一概に全て同じものとは言えない。動機――怨恨、衝動、現状打破。被害者の数、その共通点など、違う点を上げていけばきりがない。だがそれでも唯一共通している部分、それは通り魔と呼ばれる事件には必ず殺人衝動が付き纏う。どれだけ綺麗な理由があろうと犯人は必ず被害者に対して殺人衝動を持っているはずだ。
 だが今回の件はどうだ。誰も殺さない通り魔? そんなものは通り魔でも何でも無いよ」
 淡々とした口調で朔夜さんは語る。感情が伴わない語り口調。それに合わせて、語る彼女の瞳は無慈悲な色に満ちていた。
「突然だが遙瀬、お前は人間の死の種類について二つの死がある事を知っているか? 医学的な面で言う、脳死や心臓死などは別にして」
 それまで完全に聞き役モードに入っていた俺は、突然話を振られて動揺した。
 正直先の長い話を頭の中で整理している間に次の話が始まってしまったために、今自分に当てられた質問の意図があまり掴めていない。
 内心で焦っているのを悟られないように視線を朔夜さんから外す。
 思考。題目は死。
 死、といっても俺はまだまだ高校二年生。齢十六の若造でしかない。……そんな俺に、死について卓越した意見を求めるというのは無理がある。
 が、どういうことかこの時ばかりはそんな考えは浮かばなかった。授業中に教師から質問を受けるときとは違う。俺の脳裏には質問に対する解答が瞬時に浮かび上がっていた。
「一つは言葉通り、臨終を迎えること。もう一つは……ええと、その人物が周囲から忘れられること……ですか?」
 巧い言葉が見当たらず、後者においては詰まりながらの返答になった。
「ほお」
 短い声は朔夜さんのもの。睨む様に細めた目とは裏腹にそのイントネーションは感心しているようだった。
「なんだ、私が説明する手間が省けたな。ふぅん。お前、腐っても空の兄だけのことはあるということか」
「褒めてるんですか、それ? つうか、勝手に人のこと腐らせないでください」
 などと反駁してみても簡単に流されてしまうだろうことは理解していた。
 朱空朔夜という人物の大まかな人物像は昼休みの短い時間でも簡単に作成することが可能だった。
「知っているのなら話は早いな。話を進めよう」
「……やっぱり」
「あん? なにが、やっぱりなんだ?」
 聞こえないように、さっきよりも明らかに小音量呟いたつもりだったが、この変人の聴力は変なところで秀でているらしかった。こういうのを本当の地獄耳というんじゃないだろうか。
「いえ、なんでもありません。話を進めてください」
 呆れて話の進行を促すと、そうか、なんて言って朔夜さんは話し始める。
「お前も知っていると思うが、人間という生物は二度死を迎える。一度目は脳、肺、心臓の三つが機能を停止させたときに訪れる肉体的な死。そして二度目は、既に命を亡くした人物が記憶として誰かの中に残留している状態を前提とし、その記憶が何らかの形で失われたときに訪れる精神的な死。そうだな、例えばここに遙瀬橙弥という少年がいるとしよう。その橙弥少年はある日交通事故に遭い、死の一歩手前で生還する。だが、その時橙弥少年には身体的な異常は何も無かったが目が覚めると同時にそれまでの記憶も失われていた。さて、この場合目が覚めた少年は、一体どのようにして自分を『遙瀬橙弥』として認識するのだろう?」
「……無駄だと解っていますけど、一応言っときます。例え話でも交通事故に遭った被害者を目の前の人物にするのは止めた方がいいですよ」
 額に手を当てて、俺は憮然として言い放つ。もし仮に、とか言うけど俺はここに現存しているんだ。……うん。帰りは車に気をつけて帰ろう。案外交通事故を起こした車の運転手は朔夜さんだったりするのかもしれない。
 もっともな筈の俺の意見に、朔夜さんは何故か気を悪くしてしまったらしい。
「例え話だ。いいか? 私が言っているのはあくまで私の話の中にだけ登場する『ハルセトウヤ』だ。お前とは何の関係性も無い。気に入らないというのなら言っておいてやろう。『この話はフィクションであり、登場する人物及び地名、それらは全て現実とは関係ありません』。これで満足か? これでもまだ足りないというのなら、私の話に出てくるハルセトウヤとお前が別人であることを論理的に説明して――」
「あー、いや……もう……なんかすいません。解りました。解りましたから、話を戻してください」
 なぜ俺が謝らなくてはならない? 
 だったら初めから文句をつけるな、と朔夜さんは悪態をついて脱線していた話題を修復した。
「ったく。お前が余計な口出しをするから、どこまで話したか解らなくなった」
「……すいません。確か話は目が覚めた少年はどうやって自分を『遙瀬橙弥』だと認識するのか、だったと思います。……そりゃあ自分に記憶が無いんだったら、他人からそれを教えてもらうしかないでしょう。入院した病院の担当医とか、家族とか」
 考えるまでも無い単純明快な解答は考えずとも俺の口から紡がれた。それに間違いが無いということは、朔夜さんが一度首を縦に振ることで肯定される。
「その通りだ。他人とは自分を映し出す鏡だ。所詮人間なんて生き物は、他人なしでは自分を認識することは出来ないということだ。……だがもし、その少年が自己の存在を定義する物を何も持っていなかったとしたら? 少年の身からは少年の身分を現す持ち物が一切出ず、彼の家族も姿を現さない。こんな状況では少年に自己を認識される術は無い。人間が自分を自分と認識する方法は二つ。一つは脳の中に保存された記憶を再生し、再認する方法。内側からの認識だ。そして二つ目は他人、或いはそれまでの自分が遺した何かから得る認識。外側からの認識だが、今の状況では少年はどちらの手段を取る事も不可能だ。
 するとどうだ? 少年と、事故に遭う前の少年である『遙瀬橙弥』を結びつける存在はどこにもない。必然、それまで存在した『遙瀬橙弥』という人物は永遠に忘却へと葬られてしまう。自分は自分。この世界に一つしか存在しない、唯一無二だからな。それはつまり、それまで在った『遙瀬橙弥』が死んだことと同義だろう?」
 最終的には殺されてしまうのか、遙瀬橙弥は。
 俺は呆れるのさえ忘れていた。
 理由は二つあって、この時既に朔夜さんがどんな人間かを理解していたことと、もう一つは昨日のことを思い出していたから。そうつい昨日の昼休み。俺はこれに似た話を聞いていた。あの時は今回ほど長い前フリはなかったが、結論は同じなのだ。そして話の発端も同じ。
「つまり今回の通り魔――歌姫事件の犯人は、被害者から自己に関する記憶を全て奪った、てことですか?」
 訊くと、朔夜さんは小さく唸って黙り込んでしまった。それまで饒舌だった所為でそれがなんとなく不気味に見えてしまう。
「奪った、という表現は適切ではないが、何らかの方法で自己を認識できない状態にしたということだから、まあ……それでも構わない。重要なのはそこではないからな」
 遠い目をして、朔夜さんは煙を吐き出す。
 今彼女が何を思考しているのかは不明だが、少なくとも被害者への同情などではないだろうことだけは解る。見ず知らずの他人が奇妙な死に方をしたからと言って、俺ですらそんなことにどうこう深く思ったりはしない――とここまで考えて、ぴたりと思考が停止した。
 何かが可笑しい。でも何が。そこだけが不明瞭なままで取り残されている。
「こんな子供の噂話。死の順番が逆転する、なんて奇怪な事柄がなければ興味はないんだけどね」
「死の順番が、逆転する?」
 思考の果てのどこかに存在する矛盾を探す。そんな無為な行動を中断させるのに、朔夜さんの一言は十分過ぎた。
 とっさに聞き返す。すると朔夜さんは、ああ、とか気の無い返事をよこしてから言葉の意味を説明し始めた。
「お前も知っているだろ? 最近巷を賑わせている連続自殺」
 それなら知っている。
 丁度今朝のことを僅か半日足らずで忘却しきってしまうほど、俺の記憶機能は低スペックではない。
 朝食の席。俺と朔夜さんを引き合わせるために普段よりも早く家を出た空に取り残されて、一人朝食を取っていた最中のこと。会話が無く静まり返った状況を打破しようと点けたテレビで報道されていた事件だ。しかし、それとこれとで関連性はあるのだろうか。
「一連の自殺だけどね、自殺をはかった人物には皆それをする理由が無かったんだ。周囲の人間は全員、自殺した人物に関して自殺する数週間前から様子が可笑しかったと口を揃えて証言している。『壊れていた』とまで言ったらしいから、異常だ。
 考えてもみろ、ただの自殺を、事件としてわざわざ報道すると思うか? この国で自殺する人間なぞ、月に数えて三桁は軽く越しているだろう? この事件を処理した者が言うには、自殺した人間は自殺をする前から既に死んでいたそうだ。ここで言う死は、さっき言った精神死――つまり認識的な死、なんだがね。大方の見方は薬にでも嵌っていたのだろう、とのことだ。だが実際は違う」
 話を区切るたびに吸っていた煙草をここにきて朔夜さんは灰皿に揉み消した。
「自殺した人達が、歌姫事件の被害者だって言いたいんですか?」
 見当は付いていたし、その方が納得がいく。
 俺の発言を朔夜さんが肯定して、ようやく解った。俺が気になっていたのはほんの些細な矛盾。見落としていたこの『噂』の本質だったのだ。

 そう。言うなれば今回の事は全て、最初から最後まで幻でしかないんだ。

 どれだけ信憑性を得て、どれだけ作り上げられた話だとしてもそれは所詮噂。どこまでいっても現実ではないのだ。俺は今日まで様々な情報を得てきた。が、それらはどれも、らしい、とか、そうだ、とかそんな確証のない情報でしかなく、具体的にそれがどんなものなのかそれの核となる情報が欠如していた。
 朔夜さんの言っていることを纏めるのなら、今起きている連続自殺で死んだ人物は歌姫事件の被害者だと言うことだ。それがどういうことなのか、つまり彼らは何らかの形で噂の犯人に遭遇していてその結果自我の崩壊を余儀なくされた。自分が誰なのか、それが解らないというのは実は相当な恐怖だ。四方八方を壁で囲まれ窓さえも無く一切の光が無い真っ暗な空間に閉じ込められた人間がどうなるか、狂気に理性を押しつぶされ最終的には死ぬ。今回の事はそれと何ら変わらない。
 自己という光を失い、闇の中に閉じ込められた人間。
 自分が誰なのか解らなければ自分と外界との繋がりを見出すことも不可能。
 その絶対的な孤独に押しつぶされ与えられる死――確かにこれは朔夜さんの言う通り『孤独死』という命名が適切だろう。
 付け加えておくと、死の順番が逆転する、というのはつまり本来なら先に肉体的な死を迎えてから次に精神的な死を迎えるという普遍的な死とは違い、今回は精神的な死を迎えてから自殺により肉体的な死を迎えたということだった。
 引っ掛かっていた疑問や矛盾は全て解決した。のだが、止せばいいのに俺はまた新たな疑問を発見してしまう。……深く追求すればするほど、どんどん深い疑念が生まれる底無し沼みたいだ。
「なあ、遙瀬」
 自分の思考に没頭していたために、朔夜さんがデスクから立ち上がっていたことに気付かなかった。
 彼女は新たな煙草に火をつけて遠い目を窓の外に向けていた。
「ここまで話せばお前も気付いていると思うが、一つだけ解らないことがある」
 それは、ようやく俺が彼女と同じだけの情報を共有出来たと認める言葉。
 その発言に俺は無言を返答として肯定した。
「筋は通るが……人を孤独死させる方法、それだけが解らない。一人や二人なら偶然精神面の弱い人間だった、で済むが……。人間の世界とは結局認識でしかない。自分の認識出来る範囲で自分は絶対的に孤独なのだと――それも自我を見失うほどに――その人間の境遇や周囲環境を一切無視して思い込ませることなど、普通なら不可能だ」
 彼女にしては普遍的な疑問だった。
 そう。生きていく上で何の干渉も無く過ごせる人間などいない。故に、人間に『自分は世界で一人きりだ』と認識させ、あまつさえ自我を崩壊させる方法なんて――。
「遙瀬……集団無意識、という言葉を知っているか?」
 それまでとは違って、朔夜さんの言葉からは自信が感じ取れない。
 おそらく確証の無い憶測を言おうとしているのだろう。
「総ての人間はみんなどこかで繋がっている、ていうアレですか?」
 それと同じ様な話を俺は過去に聞かされている。
「ああ。人間は現象であり発生した根源は総て共通している、という考えだ。霊長には極稀に、その根源に通じる存在が発生するんだ。その存在は無意識の内に根源へ触れる方法、深層心理へアクセスする方法を理解している。根源に通じるということは、その存在にとって世界はその存在の意思一つでどうにでも出来るということだ。無論、そこから流れ出た人間も。ならば、その存在にとって人間を特定の感情で縛ることも容易いことだろう」
「歌姫事件の犯人が、その根源に通じる存在だって言いたいんですね?」
 朔夜さんの言いたい結論が解って、俺は言った。
 彼女は肯定も否定もせずに続ける。
「そうだとしたら、その存在の持つ感情は絶対的な『孤独』。無人島に一人残された、なんてものじゃない。真っ暗な世界で自分独りだけが取り残された、と言ってもまだ足りないくらいの。そんな強烈な孤独を強制的に共鳴(カタルシス)、或いは同調(シンクロ)させられれば、精神が狂っても可笑しくは無い」
「共鳴する……孤独ですか……?」
 自分でも気付かない内に俺の声は怖気を含んでいた。
 一切の強がりを排除して素直な感想を述べるのなら、

 それは、とんでもない恐怖だ。

 理由は上記に同じ。そんなものを抗うことさえ許されず強制的に与えられてしまえば――。
「全て推測の域を出ないがな」
 と最後、朔夜さんに付け加えられる。
 犯人についての分析はこれ以上無意味だと思ったのだろう。
 そもそもこれまでの全ては常識からはみ出した、むしろ逸脱したと言っていいことだ。いくら奇人変人の類である朔夜さんであろうとその心理を見極めることは出来ないらしい。
「あの、朔夜さん」
 話は終わりだ、とばかりに黙々と煙草だけを自分の世界に受け入れる朔夜さんに俺は声を掛ける。一つ目の疑問はとりあえず保留。仮定の結論なら得られたし、思考は次へと切り替わる。
 連続通り魔の噂、連続自殺事件、孤独死。それらが繋がったことにより生まれた疑問は二つ。一つは仮解決した孤独を与える手段。そしてもう一つは――
「その噂、妙だと思いませんか?」
「どういうことだ?」
「いや、だから――」
 口にしかけて思い出す。瞬間的に断片的だった記憶のピースが逆流し、一つの結論と完成したパズルを俺は思い描く。
「なんだ?」
「あ、いえ……なんでもないです」
 そんなことをいってお茶を濁す。
 それは最後の疑問、その正体(こたえ)が浮かんだからだった。
 誤魔化したのは明白で、それは朔夜さんにも見破られてしまっている。訝しむように瞳が細められたのはその証拠だろう。俺は悪戯が母親にばれた悪ガキのように、苦笑い交じりに喉から言葉にならない声を出す。……どうしよう、この状況。
「ふん。いいだろう」
 何がいいのだろう。
「最近、この学校では風邪が流行っているらしいな」
 何を言い出すのかと思えば。朔夜さんは空の言葉を復唱した。
「もしも先の仮定が正しいものとして、頭の中が孤独で満たされてしまったのなら、お前はどうする。学校なんかに、行くと思うか?」
 そんなことは決まっている。学校に行くどころではない。外に出れば目に映る全てが自分の知らないものであり、同時にそこから未知を得ることで恐怖する。おそらく部屋に篭ってしまうだろう――
「あ――」
 そこまで考えて、朔夜さんの言いたい事が解った。解ってしまった。
 教室の様子を思い出す。昨日欠席していた橘は――今日も学校に来ていなかった筈。
 怖気が走った。背筋を濡れた蛇が這い上がってくるような感覚。
「ほらっ」
 場に不釣合いな声に自我を引き戻される。と、朔夜さんはまた立ち居地を変えて窓際から俺の真正面に移動していた。胸に突きつけられている、破り取られ折り畳まれたノートの切れ端。……なんだこれ。
「ラブレター、ですか?」
「口は災いの元だ。お前は自分の何気ない発言で、土に還りたくはないだろう?」
「……冗談です。何ですかこれは?」
「持っていれば役に立つだろう。まあ、気にせずに受け取れ。そして光栄に思うがいい」
 彼女の発言は要領を得ない。
 とりあえず俺はその紙切れを受け取り、制服のポケットに封入した。
「あ、俺そろそろ教室戻ります。弁当もまだ喰ってないんで」
 最後のオチとして付け加えるにはベタかもしれないが、俺が言い終えるのと昼休み終了のチャイムが鳴り始めるのが奇跡的に同調した。
 かくして、昼食抜きで午後の授業を受けることを余儀なくされた俺は、朔夜さんの悪魔的な大爆笑に見送られて国語化研究室(命名、朱空朔夜)を後にした。
 めちゃくちゃ長くなってしまいました……!
 書き始めると止まらなくなってしまった事が原因です。
 ちなみに、更新が今日まで滞っていた理由(言い訳)は、ブログの方に挙げております。
 それでは読者の皆様、今年も本作をよろしくお願いいたします_(--)_
+注意+
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