8話:アロハシャツの男
【エジプト・沖縄料理 天喰う】
明らかに「エジプト」と、手で書き足された看板。店内はスパイスの香りとゴーヤを炒める熱気に包まれている。
その真っ只中で、激しく意見を交わしあってる父子の姿があった。
「いいか、富とは生存権そのものだ。息をするための権利であり、他人の意志をねじ伏せて自分に従わせる力でもある。弱者は強者の靴でもなめるしかない」
ふんぞり返って語る息子の口ぶりに、今朝までの愛くるしさは微塵も残っていない。
本人が言う通り、本当に記憶が目覚めたのだろうか? だとすれば、あまり真っ当な前世ではなさそうだ。
「オー……靴をなめるのは御免だネ。けど良殻、それは略奪者の理屈ダ。商人はもっと欲張りなんだヨ!」
ここで引いては商人として、そして父親としての矜持が廃る。アンワルはぐいと身を乗り出した。
「相手の金を奪うだけじゃナイ。相手の感謝まで根こそぎ奪ってこそ一流サ。力で従わせるなんて、コストがかかりすぎて商売にならナイ。もっとスマートに、相手を手のひらで転がしてみないカ?」
彫り深い顔に愛嬌を滲ませ、パチンと片目を閉じてみせる。その人懐っこい仕草もまた、彼がつちかってきた商人の腕なのだ。
「……さっきまで、自慢のコレクションを盗まれてガタガタしてた奴とは思えないな」
蔑む色はなく、良殻は小さく鼻を鳴らし、さんぴん茶を啜る。
「も、もうっ、ソレハ・イワナイ・オヤクソク、でしょ!」
アンワルが真っ赤になって言い返すと、「お待たせー!」と明るい声が響いた。
「カバブ&コフタセットとアエーシ、タヒナ。あと、もずくの天ぷらね!」
金茶の髪にサングラスを乗せ、アロハシャツを着こなす男。エジプトと沖縄とハワイが、ここに極まっている。
「やァ、隼!」
「盛り上がってるねぇ」
隼は椅子を引くと、当然のような顔をして良殻の隣に腰かけた。どうやらそのまま居座るつもりらしい。
「今日は雨美さんいないの?」
何気ないその一言に、アンワルがテーブルに突っ伏した。
「……妻はっ……妻にっ、逃げられたんダヨー!!」
「マジで!?」
大げさに椅子ごとのけ反った隼は、そのままブラブラと体を揺らしながら、悪びれもせずに続ける。
「言ったじゃん俺、やめときなって。こういう時の俺の勘、マジで当たるんだって! ──っと、」
黙り込んでいる良殻に向き直ると、デリカシーの無さを詫びるように、その肩を抱き寄せた。
「まーそんな落ち込むなって、ラー坊! 寂しくなったらさ、いつでも俺が美味いもん食わせてやっから。な?」
「やめろ、帆留洲。あとその呼び方もやめろ」
頬の肉がひん曲がるほどの力で押しのけられ、隼はパチパチと目を瞬かせる。
「ほ、帆留洲!? なんで? 三日前まで『ホルっち』って呼んでたじゃん!」
突如として名字で突き離された帆留洲隼は、椅子から転がり落ちんばかりの勢いで、親子を交互に見やった。
「ラー坊……ちょっと雰囲気変わりすぎでしょ」
「……『ゼンセ』の記憶に目覚めたらしいんダ……」
肩をすくめ、全粒粉パンで黒ゴマペーストをすくうアンワル。
半ば諦めたような声色に、隼は「あー……」と、深く納得したような声を漏らした。
「あるよな、そういう時期。俺も眼帯つけてみたり、背中に羽根が生えてる設定にしてみたりしたなあ」
「でも隼、キミはよく目を怪我するカラ、眼帯はつけておいた方がイイんじゃないカ?」
一回りも年の離れた二人が、屈託なく笑い合う。
「ま、それはいいとしてだ」
隼は改めて良殻の顔を覗き込むと、思い出したように言った。
「来月からもう、中学だろ?」
その言葉にアンワルは腕を組み、感慨深げに深く頷いた。
「そうなんだヨ。まさにコウイン・ヤノ・ゴト──」
「パスだ。俺は中学なんていう『各駅停車』に乗って、のんびり旅を楽しむつもりはない」
アンワルの言葉が止まり、隼は不敵な十二歳の横顔を凝視した。
「あんな檻の中で足踏みをしてる時間は、一秒だって惜しい。家庭教師をつけろ」
「ちょ、ちょっと待ちなさい良殻!」
今度は彼が、息子の言葉を慌てて制した。
「学校に通わないのはヒコウリツだヨ! 家で一人で勉強して、誰とコネクションを作るつもりだい? 同級生は将来、キミの顧客かビジネスパートナーになる可能性だってあるんだよ!?」
「なるほどね~!」
良殻の代わりに、隼がやたらと納得した様子で顎に手を当て頷いている。
「学校にはイヤな先生や、話の通じないクラスメイトもいるだろウ。彼らとどう渡り合うカ……その予行演習をタダでできる場所を捨てるのは、商売人として三流だと言わせてもらうヨ!」
「いや~、すげぇな、四野っち! さすがエジプト商人、発想がエグいわ……!」
手を叩く隼に、アンワルは「当然だネ」と言わんばかりの得意げな顔を見せた。
一方、良殻は前世の記憶に目覚めてから初めて、年相応に顔をしかめて唇を尖らせる。
大人の理屈に不貞腐れつつも、その奥にある合理性を測り直しているようだ。
「……でも、キミが本気で富と権力を狙うなら、ボクは最高の投資を約束するヨ。……この取引、乗るかい?」
「投資」という言葉が耳に届くと、良殻の口角がわずかに吊り上がり、その表情は一端の商人へと変貌を遂げる。
「……なるほど。俺の最初の取引相手ってことか。いいだろう、アンタの人生で最高のディールにしてやるよ」
静かに、だが熱く火花を散らす二人の男。
そのただならぬ空気を避けるように、隼は冷蔵庫からエジプトビールを掴み出し、自分の分のアエーシを手にして、ひっそりと再び席に戻った。




