28話:沖縄とアロハ
十一月の国際映画祭から年末年始に続く祝祭が引いても、カイロの賑わいは絶えることがない。
二月初旬、二十度前後の穏やかな風が吹き抜ける。旅人にとっても街にとっても、まさに最高の季節だった。
それは海を越え、遠く離れたここ沖縄でも同じこと。
風の質感こそ違えど、冬の盛りにおいてなお「暖かい」と呼べる気候が、不思議な繋がりを生んでいた。
「やーにんじゅ、がんじゅー、家内安全……」
湿り気を帯びた風が、女性のキルティングベストを揺らす。
「神様、琉球の神様!」
拝殿の前、熟練の拝みを見せるオカンの横で、アロハシャツの男──帆留洲隼は、まるで何かの儀式のように目を両手で覆っていた。
「エジプトとの神様ネットワークでなんとか共有お願いします。昨日、ビーチバレーの勢いで目が砂まみれになったんです! 眼帯生活はもう嫌だっ。目をお守りください、アイ・オブ・ホルス……!」
「隼、うるさい。あんたの不注意を神様のせいにするんじゃないよ。大体、二月にビーチバレーなんて……」
オカンの低く厳かな声が、ハイテンションな祈りをバッサリと切り捨てる。
そして拝殿の前を離れるや否や、隼はこれまでの悲壮感が嘘のような、晴れやかな笑みを浮かべた。
「ふぅ……これで当分は、お天道様も俺の目を守ってくれるはず!」
両手を頭の後ろで組み、アロハシャツの裾をなびかせて歩き出したその時、ポケットでスマホが力強く震えだす。
「おっ、誰だ? 目の無事を報告しなきゃな……って、ガラっちじゃん!」
その名前を聞くや否や、隣を歩くオカンが食いついた。
「良殻君からね。元気しとーね? ちゃんと夜は寝てるのかねぇ。四年生ならもうすぐ卒業じゃない。帰ってきたら、また美味しいラフテー食べさせるからね!」
次々に繰り出される質問に、「まあまあ」と片手で制しチャット画面を開く。
しかし、そこに「元気?」や「久しぶり」といった人間らしい情緒はない。無機質な青い文字列──URLだけが、ポツンと一つ、あるだけだ。
「何これ、怖いんだけど。チェーンメール?」
眉をひそめながらも、躊躇なくそのURLをタップする。
「うわ、きっつ……!」
ロード画面を経て表示されたのは、どこかのニュースサイト。曲線が複雑に絡み合ったアラビア語が画面を埋め尽くしている。
「右から左に読む感覚、完全に忘れかけてるわ。……えー何々、発見……考古学……」
「隼っ。前見なさい、前!」
オカンの鋭い制止も、解読に没頭する脳には届かない。
歩きスマホの報いか、あるいは拭えぬ前世の業か。因果がどうあれ、鳥居の柱は避けてはくれなかった。
正面から鉄槌を下された隼は、「あがっ」と情けない声を上げ、衝撃でスマホを宙に舞わせた。
放物線を描いて、地面へ叩きつけられる端末。
「あらまあ!」
無様に背中からひっくり返る有様に、流石のオカンも血相を変えてその場に屈み込む。
「隼っ、しっかりしなさい!」
いつもならスプラッター映画顔負けの絶叫を上げる息子が、今は声を失い、泥人形のように横たわっている。
その異様な静けさに、救急車か水か、はたまた気付け薬かと、血眼でエコバッグを漁りだす。
「……全て、思い出した……」
オカンの手が、ピタリと止まった。
「聞こえるか、ラーの嘆きが……余が放った呪いの言葉が、空を汚したのだ。奪われた金細工よりも、失った慈悲の方が遥かに大きかった……盗人であれ、王ならばこの懐に抱いて赦してやるべきであったのだ」
虚空を見つめ、やたら高貴な響きで朗々とポエムを紡ぎ出す息子。
「あぁ……今なら、余の平穏を乱す全ての存在と和解できる自信がある……!」
「……上等さぁ、その意気で夕飯のゴーヤも赦しなさい。あんた、今なら食べられるでしょ?」
バッグから引き抜かれた「御神水」のキャップが、勢いよく弾き飛ばされる。
「ワケわからんこと言ってからに。頭冷やしなさい! いつも災難ぬあんその目、ついでに清めてやるからね!」
隼の顔面に、容赦なく突き刺さる水流。
「ぶぼっ!? ゲホッ、ごふっ……ちょ、目にっ、目がぁ……っ!!」
悲鳴を追い越すように雲が流れ、不意に強い陽光が降り注いだ。
びしょ濡れでのたうち回る彼を呆れたように、けれど、温かく見下ろすかのように。




