27話:卒論とツルっぱげ
十月のカイロは、酷暑が去り、乾いた風にどこか優しさが混じる。かつてナイルが肥沃な土を運んだこの季節。
いま、現代を生きる大学生たちには、避けては通れない戦いの合図が鳴り響いていた。
「良殻。卒論のテーマ、決まったのか?」
キャンパスの喧騒の中、友人が旬のデーツをつまみ、気だるげに問いかけてきた。
「お前は、どうなんだ」
「俺のテーマ? 『新王国時代におけるオシリス信仰の浸透と庶民の死生観』でいこうと思ってるんだ。既存の論文をまとめ直すだけで、結構なボリュームになるしさ!」
隠そうともしない打算に、良殻は鼻で笑う。
「ただのリサイクル卒論じゃねぇか」
「ハハッ、バレたか! 執筆コストは最小、単位は最大。これぞ黄金比だ」
お調子者らしい気安さで、友人は顔を覗き込んできた。
「……まあ俺のことはいい。教授連中に顔が利くお前のことだ。とっくに誰も知らないような極秘ネタ、掴んでるんだろ?」
考古学の枠を超え、ビジネス学科にまでワスタを張り巡らせている良殻が、ありふれた論題で終わるはずがないと確信している目だ。
「まあ、楽しみにしてな」
煙に巻くような笑みを浮かべると、友人の手元からデーツを一つ、器用に摘み上げた。そのまま口に放り込み、種を噛まないよう奥歯で転がしながら背を向ける。
「どこ行くんだ?」
「資料室だよ」
ひらりと片手を上げ、行き交う学生たちの雑踏の中へと消えていく。
その足取りは、これから始まる「再誕」の物語を予感させるように、迷いがなかった。
◆
古びた紙と埃の匂いが凝縮された、石造りの資料室。
慣れた手つきで、書架の奥から一冊の写本を取り出す。
それは、とあるファラオの独白を今に伝える、宮廷生活の一級史料だった。
『今日もまた目をやっちまった。神殿の柱に思いっきりぶつけたんだよ。ホルス神の加護はどうなってるんだ? これで今月三度目だぞ。近視なのか、それとも俺の顔が良すぎて太陽光を反射しすぎてるのか? 側近たちは「王よ、お労しや」とか言ってるけど、絶対心の中で笑ってるだろ。目が腫れてちゃ、民衆に威厳を示せないじゃないか』
『最高にイケてる解決策を思いついた! 国で一番腕のいい細工師を呼んで、特注の最強・超・魔除け(アイ・オブ・ホルス)を作らせる。
素材は純金、瞳の部分は最高級のラピスラズリ。これさえあれば、柱にぶつかる呪いともおさらばさ。
デザイン画を見たけど、マジで輝きがエグい。完成が待ちきれないぜ!』
『届いた! 見てくれよこの輝き!早速枕元に置いて寝ることにする。これで俺の視界は一生安泰。明日からの生活が楽しみだ……』
『信じられない。この世に神はいないのか?
昨日届いたばっかりの俺の最強・魔除けが、一晩で消えた。神聖なる王宮の、俺の寝所からだぞ!?
警備の奴らは「ネズミの仕業では」なんて抜かしてるが、あんなデカい金塊を運べるネズミがどこにいるんだよ! 悲しすぎてパンも喉を通らない。せっかくお揃いの耳飾りも注文しようと思ってたのに……
盗んだ奴、マジで呪われて地獄の審判で心臓食われちまえ!』
パピルスに綴られた王の嘆きは、三千年の時を経てもなお、どこか能天気な陽キャのトーンを失っていない。
良殻はその記述をなぞりながら、ふっと口角を上げた。
その魔除けが今、どこに眠っているのか。世界中で自分だけが、その正確な座標を知っている。
前世で盗み出し、秘匿した宝。それを今世の自分が「学術的発見」として掘り起こし、卒論のネタにする。これ以上のマッチポンプがあるだろうか。
それは学位のみならず、世界的な知名度、そしてエジプト政財界との強固なワスタを築くことになるのだ。
彼は今、砂の下に眠っているかつての盗品を、最強の資産へとロンダリングしようとしていた。
「……リサイクルどころか、完全な自給自足だな」
独りそうこぼし、写本を閉じる。
薄暗がりの中、瞳にはかつて手中に収めた黄金の輝きが、確かな現実味を持って浮かんでいた。
――しかしその前に、すべきことがある。
◆
「シルバーに、ですか?」
瀟洒なブティックやギャラリーが点在する高級地区、ザマレク。
このサロンは、紹介者の名がなければ予約の電話すら取り次がれない。
「そうだ。月の下で冷たく輝く、夜の砂漠の色だ。女神が遠くからでも俺を見つけ出せるよう、完璧に染め上げろ」
レバノン帰りだというヘアディレクターの男は、楽しげに口元を緩めた。
「夜の砂漠……最高のインスピレーションです。腕が鳴りますよ」
尊大でポエティックな注文にも動じることなく、良殻の髪と頭皮をチェックする。
「そのレベルの銀にするなら、最低でも二回はブリーチが必要です。……ですが、本日は一回で留めておいた方がよろしいかと」
「あ? 二度も足を運べというのか。俺は忙しい、今日中に終わらせろ」
眉をひそめる良殻に対し、ディレクターは「おすすめしません」とキッパリ首を振った。
「夏のダメージにケアが追いついていませんね。今日二回も脱色すれば、頭皮どころか毛根にまで大きな負担がかかります」
「……毛根、だと?」
野性的な美貌から、さっきまでの絶対的な威圧感がすっと消え去る。
「……待て。ハゲる、ということか?」
「即座にツルっぱげになる、とは申しません。ですが、毛根の寿命を縮めるリスクは、小さくないかと」
「…………」
「……いかがなさいますか?」
「……三日後、また来る。今日、ケア用品も一式買っていく。俺の毛根に相応しい品を見繕え」
「かしこまりました。最高の仕上がりをお約束しましょう」
ディレクターは自信に満ちた表情で、ケープを広げた。




