23話:でたっ、前世!
「がっ……!?」
シュウは、自身の肩に食い込んだ凄まじい衝撃に息を詰める。骨を砕かんばかりの握力。
先ほどまで「サミール様」と跪かんばかりだった男の手が、今は凶器となってシュウを椅子に縫い付けている。
「トート……てめぇ、シアをどこに隠しやがった!?」
耳元で叩きつけられたのは、地を這うような怒声。
先ほどまでの流暢なアラビア語ではない。それは、憎悪を煮詰めたような、剥き出しの日本語だった。
「何を……ッ」
痛みに顔をしかめ、その手を振り払おうとする。だが、良殻の瞳に宿る異様な光に射すくめられ、体が硬直した。
見ているのは、目の前の自分ではない。もっと遠く、闇の先にある「誰か」を凝視している。
「いや、お前はトートじゃなくて『遠十』か……忌々しい名字をしやがって。いいか、とぼけるなよ。……シアはどこだ? あいつはどこにいるッ。吐きやがれ、クソ神官の金魚のフンがッ!」
シュウは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受け、目を白黒させた。
なぜ、自分の名字をディスられなければいけないのか。「シア」とは一体何なのか。
そして何より──神官。神官の……金魚の、フン。
白目を剥きかけていると、ようやく相手は肩を掴む指の力を緩めた。
しかし、その瞳には依然として、正気と狂気の間をゆらぐような異様な光が宿っている。
「……お前、前世の記憶が無いのか?」
でた、前世。
まさかエジプトに来てまで、しかも、初対面の男からその言葉を聞かされることになるとは。
日常で使うことなどまず無いのに、この三年間、散々耳にしてきた単語だ。
「……前世のっ、記憶なんてっ、あるわけないだろっ!」
痛みと混乱を通り越し、苛立ち気に吐き捨てる。
良殻は信じられないものを見るような目で「はぁ?」と深く眉を寄せた。
なぜ、「お前、義務教育受けてないのか?」と言わんばかりの顔をするのか。なぜ、前世の記憶があることを前提として話を進めるのか。
「お前はいつもトートの三歩後ろに引っ付いて、女神に仕えていた神官だったろうが。何考えてるかわんねぇ、地味で根暗な──」
「いい加減にしてくれませんか」
肩に置かれたままの手を、今度こそ力任せに振り払う。
シュウはシャツの乱れを整えながら深くため息をついた。
「確かにボクの名字は遠十ですけどね。あなた、誰です? 従兄の知り合いですか」
「兄弟じゃなくて従兄弟か。……んなことはどうでもいい。それより、シアの居場所は知らねぇんだなっ!?」
「だから、その『シア』って何なんですか。人? 物?」
「お前が仕えていた女神の名だろうがッ。慈愛と認識の女神だ。……とてつもなくイイ女だっただろう?」
突如、ウットリとナイルの空を見上げる男。その背後には、陽炎のような、あるいは毒のような執念が渦まいていた。
それからまた鋭い視線でこちらを見据える。
「お前の従兄……遠十風真に伝えておけ。シアは俺が必ず見つけ出す。そして今度こそ……俺のものにしてやるってな」
「…………そう」
ストーカー被害にあっているらしい「女神」とやらに、シュウはひっそりと同情を寄せる。
「ハッ、腑抜け神官めが」
言いたいことだけを一方的に叩きつけ、良殻は上着をひるがえし、キャンパスの雑踏へ溶け込んでいった。
「……何なんだよ、もう。……イテテ、くそ。後で診断書取って、治療費と慰謝料請求してやる」
毒づきながら、すっかヌルくなってしまったグラスを手に取る。
そこに映る顔は、冷静な観察者のそれに戻っていた。
「……女神、か」
やたらと数千年前のことを語りたがる従兄が、一度だけ、こちらの記憶を試すようにその話を振ってきたことがあった。
当時はいつもの電波発言だと取り合わなかったし、従兄もそれ以降、二度とその話題に触れようとはしなかったのだが。
「…………」
心地よかったはずの風に、今は粘つくような熱が混じっている。
無意識にスマホを手に取りかけたが、触れる寸前で指を止めた。
学生たちの笑い声が響くキャンパス。
そのどこかに、まだあの男が潜みこちらの動向を凝視しているような──そんな拭いきれない悪寒が、熱風に混じって背中を撫でた。
◆
滞在先のザマレク地区は、カイロの喧騒を忘れさせる。そこは、まるで人工のオアシスだ。
厳重なセキュリティをパスして自室に鍵を下ろすと、シュウはようやく「法と壁」の内側へと帰還した。
「……痛っ」
肩の痣を忌々し気に一瞥し、手早く着替えスマホを手に取る。
画面には、いつでも発信できる状態の「風真兄様」の文字。
しかし、タップしようとした指先が、ピタリと止まった。
「……渡挨一週間で、日本に電話するなんて……」
あの怜悧な従兄に「もうホームシックか?」と、整った眉を上げられる姿が容易に想像できてしまう。そんな屈辱には耐えられない。
だが、あの男が「風真」の名を出して接触してきた以上、これは由々しき事態であり、報告は義務だ。決して、従兄の声が聴きたいわけではない。断じて。
「これは実務連絡だ。……そう、一刻を争うクライシス・マネジメントの一環だ」
言い訳を使命感という鎧で武装し、シュウは勢いよく通話アイコンをタップした。
無機質なコール音が耳に響く中、ふと壁の時計が目に入る。
時差を逆算して息を呑むも、受話口からはすでに懐かしい従兄の声が滑り込んできた。
「……あっ、もしもし、風真兄様? こんな時間にすみません、起こしてしまいましたよね。……えっ? ……いえ、別に、寂しいとか、そういうんじゃ……っ、いや、違うってば!」
案の定かけられてしまったホームシック疑惑に、声を荒げて否定するシュウ。
しかし、ぐっと表情を引き締め、低いトーンで本題を切り出す。
「……単刀直入に伺います。兄様……『四野良殻』という名に、心当たりはありますか?」




