2話:アナタ、誰なんですかっ
「──三千年前の、俺の女によく似た奴を見かけてな。……追って来てみれば、またテメェか」
銀髪の男は、裂けたような笑みを口元に浮かべる。だが、その目は一切笑っていない。
その背後、頬を腫らし唇から血を流している警備に、シュウは呆れたように小さく息を吐く。
「下がっていいよ。あとの処理はしておくから」
淡々と告げながら、再び手元のタブレットに指を伸ばす。だが、その視線は一瞬だけ、従兄の横顔を掠めた。
「……太陽の燃えカスが。何の用だ」
机越しに、風真は射抜くような視線を突き刺す。瞳には相手の殺気に引けを取らない、苛烈な憎悪が宿っている。
(ラーって……まただ。また兄さんの中二病発作が始まった……)
溜息をつくシュウの隣で、紫愛は肌身に覚えのある重圧に、小さく身を震わせる。
「テメェは、どれだけ俺たちの邪魔をすれば気が済むんだッ!!」
部屋の空気ごと切り裂く怒声と共に、男が力強く踏み出た。
「買ったばかりの代物だ。……受け取れ!!」
投げ放たれた短剣が、ドシュッ、と重たい音を立て、執務机に深々と突き刺さる。組んだ風真の指先、わずか数ミリ手前。
男はそのままの勢いで踏み込み、立ち尽くす紫愛の腕を強引に引き寄せた。抵抗する隙も与えず、その身体を強く抱きしめる。
「シア……ッ」
熱を帯びた掠れた呟きは、三千年の時を焦がした渇望。夜の砂漠に吸い込まれていくような、呪詛にも似た祈りだった。
「……ぁ」
抱きしめてくる褐色の肌は、砂のように熱い。そこから立ち昇る、乾いた樹脂の香り。
喉の奥まで侵食するようなその熱量に、紫愛は呼吸を忘れて瞬きを繰り返した。
「……相変わらず、自分の立ち位置というものを理解できていないようだな」
風真は突き刺さった短剣には目もくれず、紫愛の震えた吐息を冷ややかに遮る。
「ハッ……笑わせんな、神官様よぉ」
男は低く笑い、紫愛をさらに強く抱き寄せた。
手離す気はないと言わんばかりに、肩に指を食い込ませ、挑発的な視線だけを真っ直ぐ風真へ突き刺す。
「テメェの、神聖な皮の下で蠢いてた欲、忘れたとは言わせねぇぞ。……祈りに塗り固められた、男の欲をな」
机上で組まれた風真の指先が、激しく戦慄く。
「……女神への忠誠を冒涜するか。その穢れた手で、彼女に触れるな」
絞り出すような風真の声に、男はさらに歪んだ悦びを深める。
「その『穢れ』を愛してたのは誰だ?……それはお前もよく分かってるだろ、遠十」
──その瞬間、風真の中で何かが決壊した。
現代の理性を焼き切り、冷徹な瞳から三千年前の苛烈な神官の色が煮え立ち溢れだす。
「人の皮を被ったッ、災厄が……!」
突き刺さった短剣を風真の手が容赦なく握り込んだ、その刹那。空気を揺るがしたのは、風真の断罪でも男の嘲笑でもなかった。
「あの……っ!」
褐色の腕に捕らわれていた紫愛が、不快そうに、そして必死にモゾモゾと身をよじったのだ。
「……ッ、悪い。壊れてねぇか?」
男はハッとして紫愛を見下ろし、その腕をわずかに緩める。
風真の指先も、殺気を孕んだままピタリと止まった。
窮屈な密着から、紫愛はようやく男の胸から顔を引き剥がす。そして乱れた髪を直すより先に、精一杯の不満を口にした。
「その首飾り、痛いですっ!」
眉をひそめて指さしたのは、男の胸元で艶めくカルトゥーシュ。
痛々しくも、彼女の白い頬にはクッキリとした象形文字の跡が刻印されていた。
「うわぁ……」
それを見たシュウが気の毒そうに、けれども、白けた声を上げる。
「女の子の頬に、名前の焼き印? ……悪趣味でしょ」
その一言が、張り詰めていた空気をあっけなく霧散させた。
風真は、紫愛の頬に刻まれたヒエログリフを凝視する。かつて、自ら守護した聖なる文字が、男の名として彼女の頬にあるという事実。
「…………」
握りしめていた短剣の柄から、ゆっくりと指が離れる。諦念ともつかないため息をもらし、深く椅子へ背を預けた。
シュウは男の胸元に目をやり、純金よりも赤みがかって濃密な光を放つカルトゥーシュを、値踏みするように眺める。
「22Kですね、あれ」
「……24Kにしないあたり、執念を感じるな」
それを一瞥もせずに、風真が吐き捨てる。
当の持ち主は、鼻で笑い飛ばした。
「ハッ、そんなヤワなもんは資産家にでも持たせておけ。俺が求めたのは、永遠に形が変わらねえ『記録』だ」
カイロの職人にタガネ一本で叩き出させた特注品だ。そう自慢げに言い放つと、男は同じ鎖で揺れるもう一方のカルトゥーシュを、愛でるように摘み上げた。
「こっちには……見ろ、シア。お前の名前が彫ってある」
「えっ、なんか怖いです」
紫愛は、明確に、一歩後ずさった。
「はっ……?」
思考を完全に停止させ、彫像と化した男に容赦のない追い打ちが襲う。
「私の名前を持ち歩いてるなんて……アナタ、誰なんですかっ?」
男が愛した紫がかった瞳。それはいまや、完全に不審者を見るそれである。
「――っ、んなはず、ねぇだろ……ッ、俺たちは、恋仲だったんだぞ!? 三千年前から……ッ」
「こっ、恋仲……!?」
紫愛の絶句に、男もまた絶句する。
黙っていれば、色気のある野性的な美貌──と、言えなくもない男が、夜の砂漠で道標を失った旅人のように愕然として、自身の頭を抱えた。




