18話:前世の記憶?普通ないでしょ
本邸の広大な裏庭には、一面のカミガヤツリが生暖かい夜風に揉まれ、乾いた音を立てている。
月明かりを背負って佇む風真の姿が、そこにあった。
重苦しい静寂を正面から受け止め、シュウは静かに頭を下げる。
「お呼びでしょうか。風真様──」
「お前、シューだな!?」
最後まで言葉を待つつもりはないらしい。
風真は一気に間合いを詰めると、勢いそのままにシュウの両肩をがっしりと掴んだ。
「えっ。あ、はい……遠十シュウと申します。遠十の姓を名乗ることすらおこがましい身ですが」
だが、そんな言葉は一切耳に入っていないようだ。
「やはり……」
風真は地を這うような声を漏らす。
立ちのぼる、ただならぬ気配。シュウはたまらず、従兄の顔をのぞき見た。
「……先ほどの分離、あれは単なる技巧や偶然ではない。明白な証拠だ。天と地を分かつ大気神、その加護を受けし者の御業……!」
眼光が、古の賢者のように鋭く光る。
「三千年前! 私がパピルスに記録を刻む傍らで、お前はいつも風を操り、神殿の砂を払っていたはずだ。お前は……私と共に女神シアに仕えていた、あの神官だな!?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
怒涛のように押し寄せる語彙に、シュウは額を押さえた。
大気神、女神、神官。突飛な単語の羅列はまだいいとして、三千年前とは──
「仰っている意味が……さっぱり……三千年前って、ボクもその登場人物だったんですか?」
風真は雷に打たれたような顔で絶句する。
「……まさか、前世の記憶が、ない……のか?」
「いや、普通ないでしょ」
突き放すような言葉に、従兄は物理的な衝撃でも受けたかのように、わずかによろめいた。
だが、すぐに沈痛な面持ちで踏みとどまると、懐から一冊のノートを取り出す。
「……読んでみろ」
開けてはいけない個人の深淵。そんな得体の知れない気配を察しつつ、シュウは渋々と表紙をめくる。
「…………これは──」
紙面を覆い尽くしているのは、途中で文字であることを諦めたような、あるいは超特急で何かを書き殴ったような筆致。
「読めるのか!?」
何かに取り憑かれたような声にも、シュウは顔を上げずに答えた。
「何かとても、執念めいたものを感じます」
「………………」
「何て書いてあるかは、わかりません」
返したノートを懐に収め直すと、彼は「神官文字も読めないとはな……」と、夜の空を仰いだ。
空よりももっと遠く、ここではないどこかを見ているような、寂しさを湛えた瞳。
その瞳から、先ほどまでの饒舌な光が引き、冷たい知性が満ちていく。
「戻るぞ」とだけ告げ、彼はシュウの横を通り過ぎていった。
「……はい」
風が大きく吹き抜け、雲が月を呑み込んでいく。
光を失う庭園と呼応するように、胸のずっと深いところが鋭く疼いた。
シュウは揺れる緑の房に、そっと触れる。
「前世、か……」
一人ごちてみるも──知らないものは、知らない。
その頃、元・女神(10)は──
「あー! お月様、隠れちゃったよ……」
「月に叢雲花に風、ってやつだな」
父のツマミ、「叩きロメインの酒盗バターまみれ」をバリバリと咀嚼していた。




