17話:ロメインレタスばりばり
金屏風に行灯の明かりが映える大座敷。
上座の源水を筆頭に、光則と風真が一族の序列を示すように座している。
表向きは、一族の親睦を深めるための集い。
だがその底には、一族の「根」を洗い直そうとする源水の思惑が、澱のように沈んでいた。
三十名余りの親族が居並ぶその中央を、派手なスーツの男が誇示するような足取りでズカズカと進んでいく。
一瞬の沈黙──
「おい、次男だぞ」
「あんな格好で……後ろの子供は誰だ?」
座敷のあちこちで囁きが交わされる。
男は突き刺さる視線や耳打ちを心地よい音楽でも聴くように受け流し、絶対的な主の前で足を止めた。
上座の側から、風真は少年をじっと見つめていた。
「ご無沙汰しております。父さん」
源水は深い皺を刻んだ顔をわずかに上げ、眼光鋭く息子を見据える。
「星斗……相も変わらず、派手に遊んでいるようだな」
並の人間なら気圧されるような威圧感を前にしても、星斗はへらへらと薄笑いを浮かべて肩をすくめた。
「俺が派手に遊んでいるうちは、遠十グループの景気も冷え込みませんよ」
光則の眉がピクリと跳ねる。だが星斗は構わず、さらに言葉を重ねた。
「それに、所詮は微々たる額です。あとの始末は、優秀な兄貴がすぐに埋めてくれる数字ですよ」
「貴様……ッ、どの口がそれを!」
沈黙を守っていた光則が、堪えきれず立ち上がる。
「やめよ」
一喝が、一瞬で場を凍てつかせた。
源水は盃を静かに置くと、火花を散らす息子二人を、冷徹な眼差しで射抜く。
「刺し違えようが勝手だが、私の前では『仲の良い兄弟』を演じろ。それができない無能は、この家にはいらん」
光則は拳を握りしめたまま沈黙し、星斗もまた、わずかに表情を強張らせた。
「……して。それは何だ」
資産価値を見定める者の眼光。
星斗は待ってましたとばかりに、背後の少年を前へ押し出した。
「あの女とは縁を切りましたよ。残ったのは、『一族の血』を引く息子だけです! ほら、お祖父様に挨拶しろ」
促された少年は、源水を見据えると、表情ひとつ変えずに口を開く。
「……シュウと申します、遠十源水様。本日は、父の『望まれぬ手土産』としてお目通り叶いましたこと、光栄に存じます」
場に動揺が走る中、源水は愉しげに口角を歪めた。
「……その手土産。中身は空か。それとも、毒か」
風真は、目を細め、少年の内側に潜む資質を読み取ろうとしていた。
「父さん。中身が空か毒かなんて、これからの仕込み次第ですよ!」
そう言って自分の席へ腰を下ろすと、膳に添えられたロメインレタスを指で摘まみ、バリバリと噛み砕きはじめた。
「…………」
下品で暴力的な咀嚼音。風真は、冷え切った一瞥を叔父に向ける。
「シュウ、お祖父様に酌のひとつでもしろ!」
促され、徳利へ伸びる手に上座から静かな制止がかかった。
「あちらの『天地』を出せ」
源水の目配せ一つで、執事が氷の中から漆黒のボトルを抜き取り、シュウへと託す。
「…………」
ためらいなく、しかし透き通った上澄みを繊細に注ぐ。
次いで瓶をわずかに揺らし、シュウはゆっくりと、沈殿していた澱を滑り込ませた。
グラスの中に現れたのは、星のように瞬く透明な液体と、底に沈む淡雪のような白。
そこには混ざり合うことのない、完璧な二層のコントラストがあった。
「……どうぞ」
ガタンッ。
風真が、膝を打つほどの勢いで身を乗り出す。彼らしからぬ動揺を、光則は横目で捉える。
(無理もない。これはもはや、神業の域だ)
若き天才同士の共鳴か。光則は己の推測に深く納得し、視線を少年へと戻した。
「……やりおる」
地を這うような、重厚な賛辞。
源水はゆっくりと、注がれたばかりの天地を傾けた。
「さすがは俺の息子だ! だろう、父さん? シュウ、CEO様にもお注ぎしろ!」
執事がクーラーからピルスナーの小瓶を引き抜く。
シュウは無表情のまま、光則の前へ膝を進めた。
「……失礼します」
風真の熱を帯びた視線を浴びながら、シュウは淡々と、黄金の液体をグラスへ満たしていく。
「……ハーフ&ハーフにしてくれ」
その注文に、風真の肩がビクリと跳ねた。
(『天地を分けてくれ』──だと?!)
信じがたいものを見る目で、彼は父を凝視する。
次はスタウトを手に、シュウは深くグラスを傾けた。漆黒の糸が、静かに、音もなく内壁を伝い落ちていく。
風真は、もはやそれを「ガン見」と呼べるほど執拗に見つめていた。
端から見れば、若き天才の技を検分する冷静な後継者の姿。
だがその実、彼の心臓は激しくのたうっていた。
あまりに完璧な分離。一ミリの混濁も許さぬ、漆黒《夜》と黄金《大地》の境界線。
「……素晴らしい」
光則が惜しみない賛辞を漏らす。
だがその隣。風真は声にならない声を上げ、深く、深く眉間を押さえた。
「……どうした、風真」
グラスへ伸ばしかけた手を止め、光則が怪訝そうに息子を顧みる 。
「いえ……あまりの鮮やかさに、少々、目を奪われまして」
嘘ではない。だが、正確には「強制的に流し込まれた」のだ。前世の、記憶を。
引きつった笑顔で応じると、上座から源水が冷淡に言い放った。
「風真。お前もこれぐらいの分離は、いつでもこなせるようになれ」
反論を飲み込み、叫び出したい衝動を喉元で抑え、風真は頭痛に耐えるように席を立つ。
「……少し、外の風に当たってまいります」
異変を察知した執事が、「お付き添いします」と淀みない動作で歩み寄り、主の背に手を添えた。
「なんだ? 酒の匂いにでも酔ったか。次期後継ぎ様も、まだ十六歳の子供だな! ──おい、ロメインレタス、追加だ」
面白げに眺めていた星斗が、わざとらしく手を打ち鳴らす。
背中に突き刺さる、バリバリという不快な咀嚼音。
去り際、風真は肩越しに振り返った。
シュウは、感情の読めない瞳で自分を見つめたまま、置物のように微動だにしない。
「……アイツを、後で裏庭へ」




