14話:二次元女神
「……貴様ら、これを『完成』と呼ぶのか?」
その一言が、部室の空気を氷点下まで凍てつかせる。
「ぬ、ぬおおおっ!? 四野殿、今なんと申されたでござるか!?」
アナログ派が、描き込みすぎて震える指を組み、叫ぶ。
「筆致を刻み、色彩を注ぎ、最新の有料アセットを贅沢に投入した……これぞ我ら三銃士の魂の結晶にござるよ!」
「魂だと? 笑わせるな」
良殻は不遜な笑みを浮かべ、イラストの中央、女性の瞳を指先でなぞった。
「この紫の瞳を見ろ。安っぽい色ガラスか。俺が求めているのは、もっと深淵な……そう、夜のナイルが星々を呑み込んだ時のような、畏怖を伴う慈愛だ。この程度、ただの『綺麗な着色』に過ぎん」
「そんな……! レイヤー数百枚を重ね、八百万の色を混ぜ合わせたというのに……これでもまだ『安っぽい』と……っ!」
デジタル派が、愛用のタブレットを抱きしめたまま膝から崩れ落ちる。
「さらにこの肌だ。褐色の奥に潜むはずの、太陽に愛された者だけが持つ『熱』が微塵も感じられん。貴様、背景のカネに甘えて、最も肝心な髪の一筋、産毛の一本に宿る『神性』を疎かにしたな?」
ハイブリッド派が、高額アセットの領収書を握りしめたまま絶句する。
「最新の3D背景に高解像度テクスチャ……これ以上の情報密度、物理的に不可能でござるよ、四野殿!」
「黙れ。解像度を上げれば真実に近づくとでも思っているのか? んなもん、女神への冒涜だろうがッ。貴様のその領収書まみれの指で、俺の記憶を汚すんじゃねえ!」
「冒涜……!? 拙者たちのイラストが、ただの汚物扱いにござるか! 無念ナリ、無念ナリィ……!」
絶望のあまり泣き崩れる絵師たち。
「おいおい、そんなに泣かせなさんな。どれ、俺にも見せてよ」
事態を静観していた隼が、アロハの裾を揺らして身を乗り出した。良殻の手元を、無遠慮な好奇心で覗き込む。
最高級の光沢紙に、彼女は印刷されていた。
満天の星空の下、慈愛に満ちた微笑を湛えて、白亜のドレスを纏った女性が佇んでいる。
「お、なんだ、めっちゃ可愛いじゃん! 何がそんなに気に入らないのよ」
「……隼さん、やめておいたほうがいいですよ。四野君、それ、『前世の恋人』を描かせてるんです」
部長が咄嗟に隼の袖を引き、死んだ魚のような目で耳打ちをした。
「……え、前世? あー……なるほど!? ガラっちの元カノってこと──」
「その不吉な言葉を、二度と吐くんじゃねえ!!」
隼が言い終わるより早く、良殻の拳がガンッ!!とデスクを叩きつけた。
「昔別れた女などという、薄っぺらな存在と一緒にされてたまるか! 俺たちは、魂の底から愛し合ってたんだよ……っ!!」
先ほどまでこき下ろしていたはずのイラストを、震える手で握りしめ、絞り出すような声で毒づく。
「あぁ、クソ……どこにいやがるんだ。真実の名さえ、未だに思い出せねぇ……っ」
絵師たちが「設定が重い……尊い……」と涙を拭う傍らで、隼は、「まあまあ、そのうちパッと思い出せるって!」と、適当極まりない励ましを投下した。
「おい、帆留洲……」
良殻は、まるで不倶戴天の敵を追い詰めるような殺気で、隼を射抜いた。
「……お前、俺の女をどっかに隠してるんじゃねえだろうな?!」
「な……っ!?」
流石の隼も絶句するが、良殻は「お前は陽キャすぎて胡散臭ぇんだよ」と、詰め寄る。
「さ、さすがに言いがかりが過ぎるんじゃ……!? ガラっちの前世の恋人……なんて知るわけないでしょっ」
「前世の恋人」というフレーズをなぞった瞬間、隼の口元に愉快げな色が混じった。が、すぐに大袈裟なジェスチャーで無実を訴える。
「見てよ。俺のこの、濁り一つない純真無垢な眼をさ!」
隼は自分の瞳を指さし、カッと両目を限界まで見開いてみせた。
良殻が心底嫌そうに眉をひそめ、部長や絵師たちが固唾をのんでその顔面を見守った、まさにその時──
パキッ。
琥珀色に変色し、寿命を迎えていたセロハンテープが、ついに壁から指を離した。
支えを失った掲示物が、最期の悪あがきと言わんばかりに空中で身を翻し──
シュパッ!
「ぎゃああああああああっ!?」
乾いた風切り音が響くと同時に、硬い紙の角が隼の右目を一閃した。
「目がッ! 俺の聖なる右目がアアアッ!!」
実際には目尻を少しかすった程度。血の一滴すら流れていないというのに、隼は椅子から転げ落ちてのたうち回り、廊下にまでその絶叫を轟かせた。
「は、隼さん!?」
部長が慌てて腰を浮かす。
しかし、その背後で良殻は、騒ぎなど存在しないかのように冷淡だった。
興ざめした様子で、部室の冷蔵庫から缶コーヒーを取り出す。
部室の隅では、我関せずと席に戻った絵師たちが、来期の覇権アニメの作画コストについて熱く議論を再開していた。
そんな彼らの背中に、良殻の低く冷たい声が突き刺さる。
「おい絵師共。この女の表情差分、百枚だ。いいか、睫毛一本の震えまで俺の記憶通りに再現しろ」
絵師たちの口から、断末魔のような絶叫が上がった。
良殻はコーヒーを啜り、横目で部長を見据える。
「お前はそれが納品され次第、ログインのたびに『今の俺の気分』に最適な表情が選ばれるアルゴリズムを組め。卒業までにだ」
「き、気分!? 感情を数値化するセンサーでも積めって言う──」
「誰か! 誰か俺の右目の心配してよ!!」
アロハシャツを無様に翻しながら、床で転がり続ける隼。
「…………」
部長、瀬部久二彦は虚ろな目で窓の外を見る。
もうすぐ日が落ちようとしていた。
来るべき高校生活が、どうか穏やかなものでありますように。
空の向こうにいるであろう神に、そう祈らずにはいられなかった。
その頃、元・女神(9)は──
「またな、空乃! 明日は俺が独眼竜だからな!」
「じゃあ私は昌幸ね!」
右目に眼帯を付けたまま、意気揚々と帰路についていた。




