13話:中学二年
良殻が中学校という市場に「経済」をバラ撒いてから、一年。
アプリ上では今日も「M・封印入札」や「知能資産」という名のコンテンツが、猛烈な勢いで利用されていく。
決済を担うのは、専用カードにチャージされた独自のポイントだ。
管理を担うPC部部長、カードに付加価値を与える絵師、知能資産の供給源である成績上位者。
彼らへの報酬を払ってもなお、良殻の懐には毎月50万円を下らない利益が積み上がっていた。
──仕組みの中枢である部室の片隅。
専属絵師たちは今日も、良殻から放り投げられた「業務」に心血を注いでいる。
「見てくだされ、このコピックの重厚感! 一筆にソウルを込め、色の暴力で制圧する……これぞ描き手の熱量が宿る『真のアート』でござる!」
「重苦しい。今は視認性が命でござるよ。スマホ画面で映えるパキッとした線と、乗算一発の影……この軽快さこそが現代の正義!」
「両氏に『背景』という概念はおありか? 虚無の白空間など片手落ち。四野殿の資本力で調達した素材を拙者が魔改造してこそ、効率と質を両立した最強のカードが爆誕するのでござる!」
喧々囂々の絵師たち。その熱狂を遠巻きに眺めているのは、アロハシャツの男──帆留洲隼だ。
良殻に「家でお前を待つ時間が無駄」と断じられ、家庭教師のはずが、気づけばPC部の外部顧問に収まっていたのである。
「数千年後、学者が彼らのイラストを見つけたら、『これは当時の信仰対象である!』って言うかもね。あながち間違いじゃないのが面白い」
「オタク文化と考古学を一緒にしちゃっていいんですか」
部長が苦笑を返した直後、扉が勢いよくスライドする音が響く。
「おっ、来たきた。ガラっち、お疲れ~!」
良殻は気安すぎる挨拶を無視し、一直線に自席へと向かう。
そんな態度もいつものことと、隼は気にする様子もなく尋ねた。
「どうだった。西カイロ大に行きたいって話は、したの?」
「するわけねぇだろ。時間の無駄だ」
進路相談の書類を、良殻はためらいもなくゴミ箱へ放り捨てた。
生徒を特定の枠に嵌めて安心したがる教師たちに、自分の設計図を明かすつもりはない。
中学生がビジネスを見据えて海外の大学を目指すと口にしたところで、彼らは困惑し、否定の言葉を探し始める。それが目に見えていた。
「すごいな……四野君は。ボクの兄なんて、せっかくエジプトの大学に行ったのに、今じゃ写真ばっかり撮ってて。全然考古学を──」
言いかけて、部長は慌てて口を噤む。
目の前にいるアロハシャツの男は、兄と同大学の同学部。彼もまた、エジプトで学んできた考古学とは無縁の生活を送っているのだ。
「あー、その先は言わないで! いや、でも、クイっちの天文知識にはずいぶん助けられたんだよ?」
陽キャを地で行く隼に小さく笑みを返すと、部長はスッと真面目な顔を戻した。
会話に興味すら示さず、今月の収益を確認している良殻に、彼は静かに語りかける。
「四野君が社長になったとき、営業に行くかもしれない。いつか、システム開発の会社を作りたいんだ」
「ふん。『かも』だの『いつか』だの、言ってる内は単なる妄想だ」
そんな言葉は予想通りだったのだろう。部長は照れくさそうに、制服のポケットから一枚の名刺を取り出した。
『アプリ開発・システム構築
瀬部久二彦』
「へぇ……」
横目で名刺を見据える良殻の声色に、それだけで胸の奥に喜びと安堵のようなものが満ちていった。
「もうすぐ卒業だからさ。高校に入ったら本格的に活動する予定──するんだ」
良殻は受け取った名刺を、指先で弄びながら薄く笑う。
「いいだろう。……だが、こっちの『仕様』を完璧に満たすまで、一歩も引く気はない。覚悟しておけ」
久二彦の脳内に、良殻と出会ってからの思い出が走馬灯のように蘇った。
容赦なく飛んでくる修正指示。
画面を一度もスクロールせずに下された「ゴミ」という判決。
そして、完成直前にひっくり返される、悪魔のような仕様変更の数々。
それらは決して、美しい思い出と呼べる代物ではなかった。
「は……はは……でも実績を作ることができたのは、本当に有難いよ。改めて……ありがとう、四野君」
「別に。外部のリソースを利用しただけだ」
そっけない良殻の言葉に、隼の「へぇ~」という、妙にニヤついた声が被さる。
「ガラっちさぁ、なんだかんだでお父さんの教え、受け継いでるじゃない! 最初は力でねじ伏せる、なんて物騒なこと言ってたけどさ」
「(……今でもそうでは……)」
困惑する部長の心の声などいざ知らず、「青春だねぇ~」と、鼻歌交じりにバッグを漁りだす隼。
「うるせぇ。俺はただ──」
「はい、これ!」
眉間にしわを寄せて言い返そうとしたその口に、隼は素早くサーターアンダギーを放り込んだ。
「母ちゃんから預かってきた。新作のスイート・ポップ・アンダギーだってさ」
突如として口内を占拠したのは、水分を根こそぎ奪う容赦のない甘み。
咀嚼してしまえば、このふざけたアロハ男のペースに呑まれたことになる。
良殻は般若のような顔で隼を睨みつけたまま、新作アンダギーの損益計算を頭の中で回し始めた。
「おーい、キミたちもこっちおいで。新作の試食会だぞ!」
その声に、絵師たちが作業の手を止めてワラワラと集まってくる。
「おお、なんたる行幸……!」
「アンダギーは、競り負けた敗北者たちへの慈悲、胃袋への救済ですからな!」
「ホルっち殿の母君はまさに救世主……!」
口々に賛美を並べ、揚げ菓子を拝受していく絵師たち。
「『メシアがれ』……ってな!」
全員の口が、手が、ピタリと止まる。
誰かがお愛想の笑いを漏らすよりも先に、良殻は「慈悲なんかじゃねぇ」と、パサついた喉で言った。
「これは、貧乏人どものヘイト散らしだ」
ブラインドオークションの不満分子を黙らせる、安価で腹にたまる代替品。
この揚げ菓子は、良殻にとってビジネスを円滑にする安全装置に過ぎない。
「でも母ちゃん、『良い副業だ』って喜んでるよ。夕飯が豪勢になる回数も増えたしさぁ」
当の製造元の息子は食べ飽きているのか、菓子には手を伸ばさず、ブラブラと椅子を揺らす。
「ふん……それより。例のものは、当然仕上がっているんだろうな?」
鋭い眼光に射抜かれ、胃袋へ幸せを放り込んでいた絵師たちの背筋が一斉に伸びる。
「は、はい! もちろん……っ」
指先の油分と砂糖を入念にアルコールティッシュで拭い去り、絵師の一人が弾かれたように席へと駆け戻った。
やがて、恭しく両手で「それ」を掲げ、良殻の前へと差し出す。
固唾を呑んでその手元を見守る仲間たち。
良殻は、三人の総力を結集させた究極の一枚を、冷ややかな目で見下ろした。




