11話:女家庭教師
その日の放課後、PC部のドアが乱暴に壁へと叩きつけられた。
サーバーのファンが低く唸る室内。響いていた打鍵音が止まる。
たった一人の先住者である二年生が、弾かれたように顔を上げた。
「……お前が部長か?」
机越しに身を乗り出した良殻は、眼前のリソースを厳しく品定めする。
「そ、そうだ。部員は……ボク一人だけど。キミも、入部希望──」
「アプリ。モバイルオーダーのアプリは作れるか?」
肩書の確認は一瞬。言葉は即座に、剥き出しの本題へと変貌する。
「……アプリ? モバイルオーダーの?」
戸惑いながらも、部長の思考は即座にエンジニアのそれへ切り替わった。
「作れるか作れないかで言えば、まあ、可能だよ。既存のオープンソースを流用して、在庫管理のデータベースと連携させれば……数日でプロトタイプくらいなら。けど──」
「なら話は早い」
一歩、踏み込む。机という領土を蹂躙するような、逃げ場のない至近距離。
「お前の技術、外注させてもらおうか」
◆
父が持ち帰った水銀鍍金のギラつく杯をはじめ、出所不明な曰く付きの品々がひしめく自室。
アンティークと、マルチディスプレイの青白い光が混在する異質な空間で、良殻は全校生徒数という「市場」を解剖していた。
(全校生徒720人……パンを奪い合うのは3割強。1日100個の在庫に対し、ブラインドオークションで利益率を最大化させる。数字上の予測は完璧だ。だが──)
何かが足りない。これではただの効率化ツールだ。マーケットを「支配」したとは言い難い。
「四野君、集中しなさい。授業を始めるわよ」
画面から視線だけを上げると、父が雇った家庭教師の石須が、無感情にこちらを見据えていた。
「ビジネスにおける統計学の活用──それは、客の財布をデータで、確率を大数の法則で支配すること。そう理解しなさい」
彼女は、機械がログを吐き出すような無機質な声を放つ。
「例えば、100人の当選者だけを見て満足するのは素人だわ。宝の山が眠っているのは落選した側、900人のデータよ」
落選した側。欠けていたピースが脳内でカチリと音を立てて噛み合った。
「客が『いくらまでなら払おうとしたのか』、その支払意欲《WTP》をプロットしなさい。そうすれば、市場から吸い上げられる最大収益は1円単位で弾き出せるわ」
(……勝った奴らから金を取るだけじゃ足りない。負けた120人の『悔しさ』を数値化すれば、価格設定の主導権を完全に掌握できる)
「そして、爆発的な利益を生むのは、いつだって『確率』を設計する側なの。なぜカジノの胴元が勝ち続けられるのか、わかるかしら?」
値踏みするような視線を真っ向から受け止め、良殻は鼻で笑った。
「カジノに窓も時計も無いのは、客の時間を奪い『試行回数』を稼ぐためだろ。回数さえ重ねさせれば、個人の幸運なんざ設計された数値に叩き潰される」
「そう。試行回数さえ稼げば、収益は理論上の『期待値』へ収束する。たとえ1回10円のくじでも、1000人が毎日引けばそれは岩盤のような収益源になるわ。これを、大数の法則と──」
彼女の言葉が終わるのを待たず、良殻はスマートフォンを手に取った。
「……俺だ。例のアプリに、管理者用のログ解析機能を追加しろ。競り負けた奴らが投じた限界入札額を、商品ごとにプロットできるようにな」
相手の困惑を無視し、良殻は冷酷に命じる。
「それと、落選画面に『敗者復活ガチャ』を実装しろ。価格は1回20円だ。端金で『ワンチャンある』と思わせれば、連中は何度でも回す」
不快そうに眉をひそめる石須。
「……あぁ? DBの設計はもう終わってる? 知るか。作り直せ」
無慈悲な通告とともに通話を切った彼に、彼女は小さく溜息をついてみせた。
目の前の少年は、想定していた「中学生」の枠をあまりに無遠慮に踏み越えている。
「……知識を実践に活かそうとする姿勢は認めるけれど、義務教育の場で勝手な商売を始めるのは、一線を越えているわよ」
椅子の背もたれに深く体を預け、良殻は「義務教育、ねぇ」と、小馬鹿にした響きで繰り返した。
「親父には報告済みだ。出資者に対して説明責任を果たすのは、当然の義務だからな」
指先を組み、人を食ったような笑みで二十四歳の家庭教師を見上げる。その視線は、教え子としての謙虚さなど微塵もない。
「一線を引くのはアンタじゃない、金を出している親父だ。アンタは、俺の成長というリターンを出すための『道具』に過ぎないんだよ。道具が使い手に説教を始めるなんて、エジプトの市場でも聞いたことがないぜ」
あまりに不遜な言葉である。
石須はこめかみに指を添え、「……シンギュラリティだわ」と、苛立ちながら呟いた。
「観測不能な特異点のことよ。……私の解析を越える異常値だと言うなら、その数値を自分で証明してみせなさい」
嫌味のつもりで言ったのだが、良殻にとってそれは、「選ばれし者への二つ名」にしか聞こえなかったらしい。
「特異点……ふっ、悪くねぇ響きだ」
石須は、自分の放ったワードが予期せぬブーストをかけた事に、内心で苦々しく舌打ちする。
その全能感ごと計算の砂漠へ放り込んでやろうと、サディスティックな光を瞳に宿した。




