第6話 12階タワー
「これが12階タワーね!」
今日は日曜日。藍子と茉莉は今評判の12階タワーに来ている。
「新しい帝都のシンボルと言われているそうです」
「まさに、高貴な私にピッタリね! 早速登るわよ!」
ふたりが意気揚々と入り口に向かうと、
「あら、奇遇ですわね、星河藍子さん」
上弦澪子とばったりと出くわした。仁井津道子も一緒だ。
「そうね、上弦澪子さん」
と、藍子は表面上は冷静さを保って答えた。
「評判の12階タワー、名家の娘としては見ておかなくてはと思いましたの」
「そういえば昨日、仁井津さんが私達の話を盗み聞きしていた気配がありました」
澪子の言葉を聞いて、茉莉が藍子に耳打ちした。
「そういうことなのね、まあ、いいわ。それじゃ、上弦さん、せっかくだから一緒に行かない?」
「いいですわよ。8階までは昇降機で登れるのですわ。ご存じでした、星河さん?」
「勿論よ。高貴な私が知らないわけないじゃない!」
こうして、四人の女学生は賑やかに喋りながら、12階タワーの入り口に向かった。
「2階から10階には色んなお店があるのよね、茉莉?」
「はい、舶来の雑貨や文房具、化粧品なども売っているそうです」
茉莉は懐から取り出した広告チラシを見ながら説明した。藍子は自慢気な視線を澪子に送っている。
「あら、それくらい私も知ってましたわ、ねえ、道子さん」
「はい」
そう答えて、負けじと挑戦的な視線を返す澪子。道子も同様に広告チラシを手にしている。
「今日は展望台に行った後にお買い物をするつもりですの、おほほほほ!」
「あら、私もよ、偶然とは恐ろしいものね、おほほほほ!」
12階タワーに入る前から既に2人の戦いは始まっているのだった。
◇ ◇ ◇
「上へ参ります」
藍子達4人が昇降機に乗ると、操作係の女性が告げた。
「まずは展望台まで行ってみましょうよ!」
「いいですわよ」
待ちきれない様子の藍子に答える澪子。
「思いのほか揺れますね」
茉莉が顔に警戒の色を浮かべて言った。
「そ、そんな事を言うものではありませんわ!」
「そ、そうですよ、え、縁起でもない!」
茉莉の言葉に激しく反発する澪子と道子。2人は明らかに動揺している。
「でも、確かにそうね……」
藍子も不安そうに室内を見回した。
「間もなく8階に到着いたします」
操作係の女性が告げた、その時。
ガタンッ!
と、大きな音とともに昇降機が揺れて止まった。
「「「「きゃぁっ!」」」」
4人は一斉に悲鳴を上げて床にしゃがみ込んだ。
「な、なな何が……!」
「み、みみ澪子様……!」
澪子と道子は抱き合ってキョロキョロしている。
「ら、藍子様、大丈夫ですか……?」
「だ、大丈夫よ……!」
藍子と茉莉も抱き合っている。
「こ、これは一体……!」
昇降機の縁に手をかけて立ち上がった操作係の女性は、レバーやボタンを操作している。
「すぐに動きそうですか?」
藍子が係の女性に訊いた。
「……わ、分かりません、初めてのことなので……申し訳ありません」
申し訳なさそうに言う係の女性も不安そうだ。
「あ、あなたが、揺れるなんて言うからですわよ!」
「そ、そうですよ!」
茉莉に非難の言葉を浴びせる澪子と道子。
「そんな事は関係ないわ!」
言葉を返せないでいる茉莉を庇うように、藍子が答えた。
「な、何を根拠に……」
と澪子が言いかけたところで、
ガタンッ!
と再び昇降機が揺れた。
「「「「きゃぁっ!」」」
今の揺れで、昇降機が少し傾いてしまった。
「も、もうだめですわ、私達はここで死んでしまうのですわっ!」
半ば半狂乱になって叫ぶ澪子。
「み、澪子様、落ち着いてください……!」
「そうよ、上弦さん! あなたも名家の娘ならシャキっとなさい! 少しは高貴な私を見習ったらどうなの?」
立ち上がって威勢よく言う藍子だったが、その膝は微かに震えていた。
「あ、あなただって、震えているじゃない……」
「こ、これは、武者震いよ!」
などとやっていると、
「大丈夫ですかあーー?」
と、扉の外から男性が呼ぶ声が聞こえてきた。
「「「「ゎぁ……!」」」」
藍子達の口から安堵の声が漏れた。
「は、はい、大丈夫です」
「よかった、そうしたら扉から少し離れていてください」
係の女性が答えると男性が指示する声が聞こえた。
すると、ガンガン! という音とともに、2枚の扉の隙間から金属の棒が見えてきた。
外から複数の男性の掛け声が聞こえてきた。そして扉が少しずつ左右に開いていった。
やがて人1人が通れるほどに開いた扉から若い男性が顔を出した。そして、
「今お助けします。もう少しのご辛抱を、お嬢様方」
と、太陽のような笑顔で言った。
(きゃ♡)
その男性は、藍子達女学生だけでなく係の女性も思わず頬を赤らめてしまうほどの、爽やかな美青年だった。
開いた扉の半分くらいの高さに床が見える。
青年はそこから昇降機の室内に静かに滑り降りた。そして、
「もう少し開けないとだめだな」
とすぐに判断し、両手を扉の縁にかけて力強く扉を開いていった。
そんな青年の冷静な対応は藍子達の気持ちを落ち着かせてくれた。
「あの制服、巡査の方ですね」
「そのようね」
すっかり落ち着いて言う茉莉に藍子が答えた。
そうしているうちに扉も十分に開いた。
「この高さをお嬢様方に登っていただくわけにはいきませんね」
床は長身の巡査の腰くらいの高さだが、小柄な藍子達には胸の高さだ。
「私なら何とか……」
と申し出る茉莉に、
「そうはいきませんよ、お嬢様」
「お、お嬢様なんて……」
輝く笑顔で言う巡査に、茉莉は頬を赤らめた。
「大変失礼だとは思いますが、皆様を抱え上げさせていただかなくてはなりませんが、よろしいでしょうか?」
巡査の丁寧な問いかけに、
「ど、どうしましょう……」
「と、殿方に抱えられるなんて……」
「藍子様……」
澪子と道子は戸惑いを隠せず、茉莉でさえも救いを求めるように藍子を見た。
「な、何を言っているのあなた達! この方は私達を助けようとしてくださっているのよ! そんな高貴なお申し出に応えることをせず、自らを高貴と言えましょうか!」
と、高らかに言い放った。
そんな藍子に巡査は、何やら面白いものを見るような、柔らかい笑顔を向けている。
それを見た途端に、藍子は顔を真っ赤にするのだった。
「それでは、失礼します」
そう言って巡査は、澪子の背と膝裏に手をかけて抱き上げた。
「ひゃっ……!」
小さな声をあげる澪子。
「頼む、お嬢様を受け止めてくれ!」
巡査は扉の外に向かって声を上げた。
「承知した!」
上から、体格の良さそうな別の巡査が顔を出し、下から持ち上げられた澪子を両手で受け止めた。
こうして順番に皆が昇降機から助け出され、最後に藍子の番になった。
「お待たせしました」
「い、いえ……」
優しく微笑む巡査に、柄にもなくしどろもどろになる藍子。
細身の身体に似合わず逞しい巡査の腕に身を任せると、藍子の鼓動が速くなった。
(これは、どういうことかしら……)
経験したことのない出来事に、頭の中に霞がかかったようになってしまう藍子だった。
◇ ◇ ◇
「……さま、藍子様……!」
茉莉に呼ばれて藍子はハッと我に返った。
今藍子達は、12階タワーの最上階の展望室から、帝都を見下ろしている。
「あ、ごめんなさい、茉莉。何かしら?」
慌てて笑顔を作る藍子。
「いえ、その……私がついていながら、あんなことになってしまい……」
「そんなことないわ! あれは仕方のないことよ!」
そう言いながら藍子は、手にしている手提げ袋にそっと手を当てた。
そこには、一人の青年の名前が書かれた紙片が入っている。
藍子たちを助けてくれた巡査との別れ際に、せがんで名を書いてもらったのだ。
「高之瀬涼二」
それが巡査の名前だった。
「高之瀬涼二様、素敵なお名前ですよね!」
「そうね」
珍しく浮かれ気味の茉莉に、表面上藍子の反応は静かだった。
(あの時の私はどうかしてしまってたのかもしれないわ――――
――――
「あ、あの、お巡りさん……!」
「はい、なんでしょう、お嬢様」
「た、助けていただいて、ありがとうございました!」
「私の役目ですから」
朗らかに答える涼二。改めて見ると、第一印象よりも子供っぽく見える笑顔だ。
「わ、私、星河藍子、といいます」
「星河家のお嬢様でしたか」
(私の家を知っていてくれた!)
「あ、あの、もし、ご迷惑でなければ、その、お名前を、お教えいただけると……」
「高之瀬涼二と申します」
――――
(高貴な私にあるまじき恥ずかしい行いだわ!)
何であんなに思い切ったことをしてしまったのか、という思いに襲われる藍子。
思い出すと、恥ずかしさで顔が火照る思いだ。未だ胸の高鳴りも止まない。
「先程の巡査の方、とてもご立派で素敵な殿方でしたわね」
「そうですね」
横では澪子が道子と嬉しそうに話している。
「上弦さんが何やら不穏な動きをしそうですね、藍子様」
と、茉莉が低い声で藍子に耳打ちした。
「そのようね」
「ここは一つ計略を用いますか? 藍子様としても負けていられませんし!」
と、語尾に力を入れる茉莉。
「そうね……でもね、茉莉」
「はい」
「高貴な私は、殿方に恋い焦がれたりはしないのよ」
「藍子様……」
いつになく淋しげな藍子に、茉莉の表情も複雑になる。
「私は女学校を卒業したら、家が決めたお相手と結婚しなければならないのよ」
「……」
「それは士族の娘であるあなたも同じでしょ、茉莉」
「はい……」
答える茉莉も淋しそうだ。
「華族の令嬢に恋愛というものはありえない、ですものね」
「そのとおりよ」
それは藍子も茉莉も理解しているのだ。澪子や道子もそうだろう。
「そう、高貴であるがゆえに、恋などというものには縁がないのよ、私達には」
帝都を見下ろしながら藍子は言った。
そんな、藍子の心には、
(たとえ、恋に恋することはあっても……)
という言葉が去来したが、茉莉には言わないでおいた。




