第5話 コロッケパン
「上弦さんが?」
昼食後の中庭のベンチで、藍子が茉莉に訊き返した。
「はい、焼きそばパンの一件の意趣返しを目論んでいるのではと思われます」
「意趣返し? ふふふ、面白いじゃないの。私は逃げも隠れもしないわよ! だって私はこんなにも高貴なんだから!」
藍子は立ち上がって拳を握りしめた。
藍子の大きな声に、近くにいた女生徒が何事かと驚いている。
「藍子様、声が大きいです……」
と、茉莉も立ち上がって藍子をなだめようとしたその時、茉莉は何かに気がついて、サッと横を見た。
「何かあったの、茉莉?」
「……はい、今誰かが木の陰に隠れたのが見えました」
「誰かが隠れた?」
「はい、おそらくは上弦さんの手のものかと」
「敵もさるものとはこのことね」
不敵な笑みを浮かべながら周囲に視線を向ける藍子。
「あなたも負けてはだめよ、茉莉!」
「はい、しかと心得ました!」
◇ ◇ ◇
「先程の手のものは、仁井津道子さんだったようです」
その日の帰り道に、茉莉は藍子に報告した。
「仁井津家って、あの忍びの?」
「はい、上弦家に代々仕えていた家系です」
「益々面白くなってきたわね。望田家も星河家の元御庭番。忍び対決の渦中の人になるなんて、高貴な私におあつらえ向きじゃない!」
「忍び対決は大袈裟です、藍子様」
そして翌日の書道部の活動日でのこと。
その日で活動も三回目、吉名彗子も、書道部長という立場に慣れてきたようだ。
その日も楽しく充実した活動を終え、皆が道具を片付け始めた時、
「皆さん、書道に集中なさって、小腹がお空きになったのではないかしら?」
と、上弦澪子が含みがありそうな口調で言った。
「早速動いてきたわね」
「そうですね」
藍子と茉莉が囁き合う。
「そうですわね」
「ええ、神経を集中させると、お腹が好きますものね」
取り巻きがわざとらしく澪子に同調する。
「そう思って、私、いいものをご用意しましたの。仁井津さん、皆さんにお配りしてくださる?」
「はい!」
仁井津道子は持ってきた風呂敷包みを机の上で広げた。
中には茶色い紙に包まれた物がいくつも入っていた。長さ5、6寸、幅が2寸弱だろうか。
「どうぞ!」
と言って道子は彗子に包みを手渡した。
「これは、何……?」
「開けてみてください!」
訝しそうな彗子に笑顔で元気に答える道子。
「これって、パン……?」
彗子が手にしているのは細長いコッペパンだ。
「何か挟まってるけど……」
「それは、コロッケです!」
「ころっけ?」
「そうきたか……! 焼きそばにコロッケを当ててくるとは……やるわね」
悔しそうに呟く藍子。
「こんなに早く動くとは……申し訳ありません、藍子様」
茉莉も悔しそうだ。
「はい、最近洋食屋さんで人気のお料理なんですよ! そのコロッケをコッペパンに挟んだのがこれ、コロッケパンなのです!」
店先の売り子のような賑やかさで言う道子。
「それにしてもあの子、随分と喧しいのね」
「はい、仁井津家の者は皆あんな感じです」
「あれで忍びが務まるのかしら」
「あれが仁井津家の忍法『偽装』だそうです」
などと藍子と茉莉が囁き合っていると、道子が鋭い視線を向けてきた。
藍子と茉莉は素知らぬ振りで視線をそらした。
「さあ、召し上がってみて、吉名さん」
藍子達に視線を送りながら澪子が彗子を促した。
「それじゃあ……」
と、彗子は恐る恐るコロッケパンを口にした。
「どうかしら?」
「……美味しい……うん、美味しいわ」
噛みしめるうちに彗子の顔に笑みが広がった。
「さあさあ、皆さんもどうぞ!」
彗子の反応を見て俄然興味が出てきた生徒たちに、道子が包みを配った。
「それで、どうかしら、星河藍子さん?」
道子から受け取ったコロッケパンを食べている藍子に、澪子が訊いた。
「高貴な私がこんなことを認めるのは悔しいのだけれど!……美味しいわ」
そう答えて藍子は唇を噛み締めた。
「藍子様……」
茉莉は気遣わしそうに藍子を見ている。
すると、悔しそうにしていた藍子の表情が変わり、
「でも、この味……もう少し……」
と、何やらつぶやき始めた。
一方澪子は、藍子の素直な反応が意外だったのか驚いたような顔になった。
だが、すぐにしてやったり顔になり、
「そうでしょうとも。これは私が考えて当家の料理人に作らせたものなのよ」
「あら、そうなの」
「さすがの星河藍子さんも、このコロッケパンには白旗を揚げるしかないということね! おほほほほ!」
勝利を確信してご満悦の高笑いをする澪子。
だが、ついさっきの悔しそうな表情は藍子の顔から消えていた。
「それは早計というものよ、上弦澪子さん」
「なんですって?」
「高貴な私がこの程度で打ち負かされるとでも思っているのかしら?」
「くっ……」
「私ならこれより美味しいコロッケパンを用意できるわ!」
と、藍子は真っ向から澪子に挑戦状を叩きつけた。
「次の書道部の活動日に、これに負けないコロッケパンを持ってくるわ!」
藍子はそう宣言して、ビシッと人差し指で澪子を指した。
「きっと負け惜しみで言ってるだけですよ、澪子様!」
「そ、そうですわ!」
「澪子さんに適う訳ありませんもの!」
悔しそうに言う道子に、取り巻きも同調した。
「そ、そうよね。これ以上のコロッケパンなんて作れるはずがないですもの!」
強気に言う澪子だったが、表情には焦りの色が見えていた。
◇ ◇ ◇
「藍子様には考えがあるのですよね?」
その日、帰り道で茉莉が藍子に訊いた。
「ええ。まだ確信はないのだけれど、鍵はソースにあると思うの」
「ソース、ですか」
「そうよ、ソースよ! 高貴な私の味覚が、あの味では足りないと告げているの!」
「さすが藍子様、お考えが壮大です!」
本気なのか茶化しているのか分からない茉莉。
「それでね、あなたにはコロッケを手配してもらいたいの、茉莉」
「分かりました、星河様の料理長に頼んでみます」
「私は、おばちゃんに相談をしてみるわ!」
藍子は目を輝かせて、力強く拳を握りしめた。
◇ ◇ ◇
そして次の書道部活動日。
「さあ、皆さん、コロッケパンを召し上がれ!」
藍子が高らかに言うと、茉莉が風呂敷包みを広げた。
中には、澪子の時と同じように、細長い茶色い包みが入っていた。
「どうぞ」
そう言って茉莉は、澪子にコロッケパンを手渡した。
「ま、まあ、一応は食べて差し上げますわ」
自信満々の藍子に気圧されながらも、何とか威厳を保ちつつ澪子は藍子のコロッケパンを口にした。
「……!」
澪子の表情に驚愕が浮かんだ。
「美味しい!」
澪子の隣で食べている道子が、思わず素直な感想を口にした。
「あ、す、すみません、澪子様……」
慌てて澪子を見て申し訳なさそうにする道子。
「いいのよ、別に」
道子の反応が澪子に落ち着きを取り戻させたようだ。
「確かに美味しいですわね。皆さんも召し上がったら?」
遠慮している取り巻き達を澪子は促した。
「は、はい」
「い、いただきます」
彗子も包みを開き食べ始めた。
「うん、美味しい」
そんな、彗子たちを見ながら藍子は説明を始めた。
「上弦さんが用意したコロッケパンもとても美味しかったわ」
「別にいいですわ、持ち上げていただかなくても」
「持ち上げてなんかいないわよ!」
「え……?」
負けを確信して投げやりになっている澪子に、藍子が鋭く言った。
「確かに私は言ったわ、『このコロッケパンに負けないくらいのを作る』って。そして高貴な私が考えついたのがこのコロッケパンなの」
「それじゃ、この味は……」
「ソースよ」
「ソース?」
そう言って澪子は手にしたコロッケパンを見た。
「そう。あなたのコロッケパンは洋食屋さんのソース、デミグラスソースを使っていたわよね?」
「も、勿論よ。コロッケは洋食屋さんのお料理ですもの」
「でも、私は違うソースを使ったの」
「違うソース……あ」
澪子にも藍子の言う意味が分かったようだ。
「分かったようね。そう、私が使ったのはウスターソース、焼きそばパンの味付けに使っているソースよ! 売店のおばちゃんに分けてもらったの!」
手にしたコロッケパンをビシッと前に突き出しながら藍子が言った。
「勿論、デミグラスソースのコロッケパンも美味しかったわ。でもね、もう少し、刺激がある味も食べてみたくなったの」
「刺激がある味……」
澪子にも藍子の言わんとするところが分かってきたようだ。
「分かったわ、今回も軍配はあなたに上がったと……」
「何を言ってるの、澪子さん!」
「えっ……!?」
思わぬ藍子の剣幕にビクリとする澪子。
「そもそも、あなたがデミグラスソース味のコロッケパンを作ってこなければ、私の焼きそばソース味コロッケパンは生まれなかったのよ!」
「そう、なの……?」
「そうなのよ! ああ、悔しいったらないわ! 高貴な私が先にコロッケパンを思いつかなかったなんて!」
「……」
まくし立てる藍子に、澪子だけでなく彗子や取り巻きたちも唖然としている。
「それにね、デミグラスソース味の方が好き、という人がいてもおかしくはないわ、そうでしょ?」
藍子が周囲を見ると、何人かは頷いている。
「だからね、これからは、2種類のコロッケパンを売店で出してもらおうと思うの。どうかしら?」
「どうかしら、と言われましても……」
強引な藍子にタジタジの澪子。
「今度、二人で行っておばちゃんに頼んでみましょうよ!」
「ま、まあ、頼んでみるくらいなら」
「それじゃ、決まりね!」
そう宣言して、藍子は手にしていたコロッケパンにかぶりついた。
こうして、売店に新たなメニュー、コロッケパンが加わったのだった。
「ふふ! 新しいメニューを開発してしまうなんて、私はなんて高貴なのかしらっ!」
と、自己陶酔する藍子だった。




