第4話 書道クラブ
「お鼻に墨がついてますよ、藍子様」
そう言いながら、茉莉はハンカチで藍子の鼻を拭いてあげた。
「あら、ありがとう、茉莉」
今は書道の時間。
藍子は書き上げたばかりの自らの作品の吟味に余念がない。
「私の高貴さがにじみ出ている作品よね!」
「はい、藍子様らしさがよく出ていると思います」
「字には人柄が出る、と言うものね」
「藍子様らしい」という茉莉の言葉を、藍子は高貴さと受け取ったようだ。
「はい、信じた道を突き進む藍子様の人柄がよく表れていると思います」
微妙にどこか噛み合っていない会話だが、何事もなく進んでいるところは、いかにも藍子と茉莉らしい。
「随分と個性的な字をお書きになるのね、星河藍子さん」
そこに上弦澪子が入ってきた。その口調には既に優越感が表れている。
「個性的とはどういうことかしら、上弦澪子さん」
澪子の言いようにカチンと来た藍子が挑戦的に返した。
「それは、私の書を見ていただければお分かりになるわ」
澪子は自分の作品を自慢気に藍子に見せた。
「ま、まあ、そこそこの出来といったところかしら」
「そこそこですって?」
今度は澪子がカチンとくる番だ。
「きっと、上弦さんに勝てないから嫉妬してるんですわ!」
「そうですわ! 星河さんのはなんだか乱暴ですもの!」
澪子の取り巻きが援護射撃を放った。
「ら、乱暴ってどういうことよ!」
いきり立つ藍子に、
「まあ、あながち間違ってはいませんけど」
「ま、茉莉、あなたまで!」
茉莉が援護に回ってくれなくて動揺する藍子。
「でも、この上弦さんの作品、所々書き足してますよね?」
茉莉が鋭い指摘をした。
「な……!」
途端に顔を赤らめる澪子。
「こことここ、それにここも。墨の色が微妙に違いますから。きれいに見えるように小筆で直したのですよね?」
「まあ、なんてことなの! そんな姑息な手で高貴な私に勝てるとでも思って?」
一時は劣勢に立たされた藍子が、鬼の首を取ったかのごとく息を吹き返した。
「むむむむ!」
睨み合う藍子と澪子。
「はいはい、何を騒いでいるの、あなた達。今は授業中ですよ!」
書道の教師に諌められて、とりあえずその場は痛み分けとなった。
◇ ◇ ◇
「悔しいったらないわね!」
そう言って、お気に入りの焼きそばパンを親の敵のごとく噛みちぎる藍子。
「でも、藍子様が負けたわけではありませんから」
「私は圧倒的な勝利を収めたいの!」
藍子を元気づける茉莉の言葉も、あまり効果はないようだ。
「でも、以前から書道はあまり得意ではないと……」
「それでも、勝たなくてはならないのよ!それが高貴な私の義務なの! そのためには……はっ!」
「どうかしましたか、藍子様?」
何かを思いついたらしい藍子に茉莉が訊いた。
「作ればいいのよ!」
「作ればとは、何をですか?」
「私の書の実力を劇的に向上させる場を! そうね……クラブはどうかしら?」
「クラブ、ですか?」
「そう、クラブよ! 高貴な私のために書道クラブを作るのよ!」
立ち上がって拳を握りしめる藍子。
「まずは仲間が必要ね。それも強力無比な仲間よ!」
「と言いますと?」
「書の天才よ! 私も修行をすれば書の高みに到達できることは間違いないわ! でもそのためには既に遥か高みに到達している、天才の協力が必要不可欠なの!」
「分かりました。望田家の情報網を駆使して調べてみます!」
こうして、藍子と茉莉の書道クラブ設立大作戦が動き出したのだった。
◇ ◇ ◇
「隣のクラスの吉名彗子さんです」
数日後の放課後、茉莉は一人の生徒を藍子に紹介した。
「よ、よろしく、お願いします」
「星河藍子よ!」
紹介された大人しそうな彗子にいつもの調子で挨拶する藍子。
「吉名さんは素晴らしい書の才能をお持ちなんです」
「そ、そそそんな、才能だなんて……」
慌てて否定する彗子に、
「彗子さんの書は、学年一どころか学校一とも言われているんです」
「素晴らしいわ! 是非書道クラブの初代部長になってちょうだい!」
強引に押してくる茉莉と藍子。
「ぶ、部長? む、無理です、私、できません!」
「どういうこと、茉莉?」
「あ、まだ部長にという話まではしてませんでした」
「何やってるのよ」
「すみません」
なにげに抜けている茉莉だった。
「星河さん達と一緒に書道をということならできるけど……」
「何か事情がありそうね」
「私、成績が良くないので……その、学校を辞めて嫁入りしなさいって、親に言われてるんです……」
「そういうことだったのね」
「すみません、私の調査不足でした」
珍しく失敗続きで、しょんぼりする茉莉。
「なので、書道クラブの部長なんていう責任ある立場には……」
彗子も申し訳なさそうに下を向いてしまった。
そんな茉莉と彗子をじっと見て藍子は言った。
「分かったわ、行きましょう」
「行きましょうって、どこへですか?」
「決まってるじゃない、校長室よ!」
「「ええーー!?」」
仰天する茉莉と彗子。
「吉名さんがどれほど素晴らしい才能を持った人なのかを、校長先生に直談判するのよ!」
「そ、そんなだいそれたことをして、だ、大丈夫なんですか……?」
声まで震えてきた彗子。
「大丈夫です。これが、藍子様ですから」
と、自信満々に言う茉莉。
「私の書の腕を上達させるという高貴な目的のためなら何でもするわ!」
と、瞳にメラメラと炎を燃やす藍子だった。
◇ ◇ ◇
「お話は分かりました」
藍子の話を聞いた校長は、しばらく考えたあとで静かにそう言った。
校長は、白髪がチラホラと見え始めている、静かで落ち着いた話し方をする女性だ。
「それでは、認めてくださるのですね!」
「まずは、吉名さんのお気持ちが第一よ、星河さん」
前のめりになる藍子を諭すように校長が言った。
「ご家庭の事情は分かったわ。それはそれとして、あなた自身の希望はどうなのかしら、吉名さん?」
「私の、希望は……」
校長に聞かれて彗子は、両手を体の前で握りしめてモジモジとしている。
「書道クラブのお話を聞いた時、嬉しかったんです、書道が好きなので……でも、部長にはなれないと思います……」
そこで彗子は言葉を止めた。
「ご両親から、学校を辞めてお嫁入りするように言われているから、ということなのね」
「はい……」
「それでは聞かせてちょうだい。あなたは、学校に残りたい? それとも、学校をやめてお嫁に行きたい?」
校長は穏やかに微笑みながらも、真剣な声で彗子に問いかけた。
「私、お勉強はあまり得意ではありません……けれど学校は、好きです、お友達がたくさんいますので……書道クラブも、やってみたいです……部長が務まるかは、分かりませんけど……」
藍子と茉莉が、ウンウンと大きく頷く。
「ありがとう、よく言ってくれました、吉名彗子さん」
そう言って校長は微笑みを広げた。
「それでは!」
期待を込めて藍子が校長を見て言った。
「まだ、分かりませんよ。けれど、私から吉名さんのご両親にお話をしてみます。書道部の活動を通して吉名さんの書の才能を伸ばすのは、ご本人のためは勿論、他の生徒のためにも有意義ですからね」
「「「きゃぁあーー!」」」
校長室にいるにも関わらず三人の娘は、手を取り合って黄色い声を上げてしまった。
「まだ、決まったわけではありませんよ。それに、校長室でそんなに大きな声を出すものではありません」
と、校長にお小言をもらってしまった。
にも関わらず、校長室を出ると、藍子は、
「これで私の書の上達は間違いなしよ、彗子さん!」
と、嬉しそうに言うのだった。
◇ ◇ ◇
「どうかしら、私の作品は?」
藍子が彗子に見てもらいながら一心に書いているそばで、澪子が書き上げたばかりの作品を皆に見せている。
「素晴らしいですわ!」
「字に気品が漂っていますわ!」
例のごとく取り巻きが澪子を持ち上げる。
校長の説得のおかげで、書道クラブは無事設立された。
最初は、彗子を部長に、藍子と茉莉を加えた3人で始める予定でいた。
ところが、藍子が教室で自慢気に話すのを聞いた澪子も入部を希望してきたのだ。
「藍子様、顔に出てますよ」
澪子の入部を快く思っていない藍子に、茉莉が耳元で囁いた。
正直なところ藍子は、澪子に知られないうちに書の腕を上達させたかった。
そして、上達したところで鼻高々に見せびらかしたかったのだ。
だが、
「入部を希望する人を拒んではいけません」
という、校長の厳命があったので、藍子的には不本意だったが、澪子も入部したのだった。
そして何より、
「一人でも多くの人に入ってもらいたい」
と、部長の彗子も強く希望していた。
「高貴な私がわがままを言ってはいけないものね!」
と、藍子は学校帰りに茉莉に言うのだった。
「あなたがそれを言いますか」と喉まで出かかった茉莉だったが、何とか堪えた。
「それに、好敵手の存在は、私をより高貴な高みへと導いてくれるはずだもの!」
と、藍子は拳を握りしめるのだった。
――――――――
『吉名彗子の日記』
書道が好きになって本当に良かった。
今私は心からそう思っている。
星河藍子さんと望田茉莉さんの働きかけで、私は書道クラブの初代の部長を任されることになった。
私にそんな大役ができるのだろうか?
不安な気持ちを抱きながら始めた書道クラブだったが、始まってみると楽しくて仕方なかった。
星河さんを始め、今まで交流がなかった人も入部してくれた。
そして皆が、私に書道を教えてほしいと聞きに来てくれるのだ。
そうしているうちに、私は将来のこともぼんやりと考えるようになった。
学校を卒業したら、私はどなたかにお嫁入りするのものと思っていたし、憧れてもいた。
だが、そればかりが人生の選択肢ではないのではないか、とも思い始めたのだ。
自分が好きで得意な書道を通して、世の中に貢献することもできるのではないか。
そう考えると、この先進む道が、とても広く明るく思えてきた。
人生の道は一本ではない。自らの選択次第で幾つもの可能性があるのだ。
私がそう思えるようになったのは、間違いなく星河藍子さんのおかげだ。
そしていつか、私の能力が星河藍子さんのお役に立てるとしたら、こんなに嬉しいことはない。
そんな思いが、私の心を満たした。




