第3話 一番は私
「1位、おめでとうございます、藍子様」
望田茉莉が、美味しそうに焼きそばパンを頬張る星河藍子に言った。
「ありがとう、茉莉」
と礼を返す藍子だったが、言葉とは裏腹に、美味しそうだった笑顔が心持ち曇った。
「どうかしたのですか?」
「気になることがあるのよ」
「気になること?」
茉莉が訊いてみると、どうやら藍子は成績二位の生徒のことが気になっているらしい。その生徒の成績が藍子に肉薄しているのだ。
「高貴な私としては、一位の座を不動のものにしたいのよ!」
拳を握りしめる藍子の目には、負けず嫌いな彼女の性格が表れていた。
「確か、二位は桂木春子さんでしたね」
「きっと何か私が知らない秘密の勉強法があるのよ!」
そう言う藍子は、一流の家庭教師について、最新の参考書を使って勉強している。
勿論、茉莉はそのことを知っているが、敢えて言わないでおいた。
「わかりました、早速調べてみます」
「お願いね、茉莉!」
そして、数日後――――
「平民の家の方なの!?」
いつものとおり、中庭のベンチで焼きそばパンを食べる藍子と茉莉。
藍子は茉莉の話を聞いて、思わず手にした焼きそばパンを落としそうになるほどに驚いた。
「はい、それも裕福ではないお家だそうです。学費も奨学金で」
「平民のお家で、あれほどの成績を? 何か特別な勉強法でもしているのかしら?」
「いえ、桂木さんは学校指定の教材の他は、卒業生の知人からもらった古い教材しか持っていないようです」
「なんてことなの!」
茉莉の調査結果は、藍子に大きな衝撃を与えた。
「有利な条件だから一番の成績が取れたなどと言われるなんて、私の高貴なプライドが許さないわ!」
「いえ、そんなことは誰も……」
「こうしてはいられないわ!」
残りの焼きそばパンを口に放り込むと、藍子は勢いよく立ち上がって走り出した。
「桂木さんと話を付けに行くわよ!」
「話を付けに? 藍子様、一体何を考えて……」
慌てて後を追う茉莉。
ふたりが教室に戻ると、桂木春子は席で握り飯を食べていた。
「桂木春子さん!」
相手の都合などお構いなしに、藍子は大きな声で呼びかけた。
「……!」
春子は、ちょうど最後のひとくちを食べたところだった。
「藍子様、落ち着いてください。桂木さんが驚いてるじゃないですか」
茉莉は春子を申し訳なさそうに見ながら、藍子をとりなした。
「あなたの追い上げは見事としか言いようがないわ!」
「追い上げ……?」
「藍子様、それでは全然分かりませんよ」
茉莉の言うとおり、春子は目をパチクリさせている。
「試験の成績よ! あなたは不動の一番の私のすぐ後ろに着けているわよね?」
「ああ、そういうこと……」
藍子の言うことに合点がいった春子は、握り飯を包んでいた竹の皮を丁寧にたたみ、風呂敷にくるんだ。
「それが何か……?」
素っ気なく答える春子だったが、その表情には不安な様子が浮かんでいる。
「平民のあなたが、高貴な私に迫る成績を収めるなんて考えられないわ! きっと特別な勉強法があるはずよ!」
「藍子様、そのような言い方は失礼ですよ」
例のごとく、我道を突っ走る藍子を茉莉がたしなめる。
「別に、特別なことなんてしていないけれど……」
春子は居心地が悪そうに、藍子から視線を反らして答えた。
「それならば、あなたも私と同じ土俵に立ってもらうわ!」
春子を強引に引き込もうとする藍子。
「また随分と強引でらっしゃるのね、星河藍子さん」
藍子の言葉に被せて落ち着いた声が聞こえてきた。
上弦澪子だ。
「桂木さんだけを気にしていればいいのかしら?」
「どういうこと、上弦澪子さん?」
「いずれ私があなたを捕らえてみせる、ということよ」
「あら、そう」
藍子は途端に興味を失ったように言い捨てて、春子に視線を戻した。
「な……! もう少し私の話を聞きなさいよ!」
藍子に対する宣戦布告のつもりで言った台詞を軽く流されて、いきり立つ澪子。
「それでね、桂木さん、あなたの勉強法のこととかを私の家庭教師に……」
藍子が続けようとした時、教師が入ってきて、話はそこまでになった。
そして、その日の授業が終わるとすぐに、
「一緒に帰りましょう、春子さん! あ、春子さんて呼んでも構わない?」
と、藍子は春子に声をかけた。
「うん、構わないけれど……」
「迷惑ではないのならいいのですけど」
藍子に呼び止められた春子に、茉莉が気を使って訊いた。
「迷惑なんてことはないけれど……私は平民だから、あなた達とは住む世界が違うというか……」
春子の先ほどからの居心地の悪そうな素振りは、家柄の差を気にしてのことだったようだ。
「何を言っているの、春子さん! 私達は同じ帝都女学校に通う学友よ!」
「でも……」
「私はね、あなたに私の家に来て家庭教師の先生に会ってもらいたいの! そしてあなたの勉強法の秘密を解き明かしてもらえば、私の一番の座は不動のものになるに違いないのよ!」
「自分勝手な欲望がダダ漏れです、藍子様。いつものことですけど」
そしてその日、藍子と春子は、近いうちに一緒に勉強をしようという約束を交わした。
◇ ◇ ◇
「すごいお屋敷……」
数日後、藍子の屋敷に招待された春子は、門の前で立ちすくんでしまった。
そして、あろうことか、春子は踵を返して帰ろうとしたのだ。
「何をしているの、春子さん! ここまで来て帰ろうとするなんて許さないわよ! どうぞ、入って!」
慌てて春子を引き止める藍子に、
「だって……こんな立派なお屋敷、私なんかが入ってもいいの……?」
と、怯えたように言う春子。
「はい、勿論です。行きましょう、桂木さん」
茉莉にも促されて、やっとのことで門をくぐる春子。
「今日は御学友が一緒なのですね」
洋間に入ると、若い男性が穏やかな笑顔で春子を迎えた。
「そうよ! 桂木春子さん、私の好敵手なの!」
「それはそれは」
「春子さんの秘密の勉強法を、先生に解き明かしてほしいの!」
「そんな、大袈裟な……」
まるで自分のことのように自慢気に話す藍子に、春子のほうが恥ずかしそうにしている。
こうして、春子を交えた勉強会が始まった。
「夏森先生はね、帝都大学の現役の学生さんなのよ!」
「まるで自分のことのように自慢するのですね、藍子様」
「ははは……」
藍子の大仰な紹介に苦笑いする家庭教師の夏森一。
「そしてこれよ!」
藍子がテーブルに並べたのは各教科ごとの参考書と問題集だ。
「帝都第一高校の入学試験対策用の教材よ!」
自慢のあまり、ひっくり返ってしまうのではないかというくらいに胸を張る藍子。
「すごい……!」
素直に驚きをみせる春子。
最初の勉強会では参考書を元に、夏森が解説をした。
「理解力では藍子様が桂木さんの一歩先をいってますね」
「胸を張りすぎて倒れないようにしてくださいね、藍子様」
夏森の言葉に胸を張る藍子に、絶妙なツッコミを入れる茉莉。
だが、勉強会も二回目になると、お互いの勉学に取り組む姿勢の違いも表れてきた。
藍子は夏森の教えと参考書の内容を覚え、理解することに重きを置いていた。
だが、春子は俄然問題集に興味を持った。そして、同じ問題を何度も繰り返し解くのだった。
「春子さん、その問題、何回目かしら?」
「3回目、かな……」
「1回やって理解できたなら、次に行けばいいのではなくて?」
不思議に思い藍子が訊くと、
「繰り返してやれば安心できるし、今までもこうやってきたから」
と、春子は答えるのだった。
「問題を反復して解くのも大切なことですよ、藍子様」
という夏森の助言に、最初は藍子も半信半疑だった。
だが、隣で勉強をしていた茉莉が、
「なら、私も繰り返しをやってみます」
と言って、問題集を最初に戻って解き始めた。
それを見た藍子も、
「そ、それなら、私もやってみようかしら」
と、問題集の2周目に挑戦するのだった。
勉強会も数回を数える頃、藍子は夏森に疑問を投げかけた。
「夏森先生、春子さんが私に匹敵する成績を収めていたのは、どうしてなのかしら?」
「それはですね、桂木さんは試験のための練習をしっかりしていたからです。そうですよね、桂木さん?」
「はい……私は、それほどたくさんの教材を持っていないので……同じ問題集を何度も繰り返し解いていました」
「そういうことだったのね!」
藍子は問題集を繰り返し解いていた春子の勉強法を思い出した。
「私の責任ですね。藍子様がとても頭が良い方なので、練習の大切さを説くのを怠ってしまいました」
夏森は藍子に丁寧に頭を下げた。
「なんということなの、高貴な私に盲点があったなんて! 高貴さに胡座をかいていてはいけないという良い教訓になったわ!」
とりあえず、藍子的には高貴さは保たれたようだ。
ところが、
「これで面目が立ちますね、藍子様」
と、茉莉が意味ありげに囁くと、
「ど、どど、どういうことかしら、茉莉?」
藍子は途端にしどろもどろになった。
「桂木さんも同じ教材で夏森先生に教わったので、もし桂木さんが一番になっても言い訳が立ちますから」
「な、ななな、何を言っているのかしら、あなたはっ!!」
顔を真っ赤にして、ごまかし笑顔でとぼける藍子なのだった。
――――――――
『桂木春子の日記』
星河藍子さんと望田茉莉さんとの勉強会は、私にとって大きな価値のあるものになった。
初めて星河さんに大声で呼びかけられた時は心底驚いた。
彼女は上級華族だ。平民の私とは接点など全くないのだから。
夏森先生に褒めていただいたことも大きな驚きだ。
そして、じわじわと喜びが湧き上がってきた。
それまでの私は、将来どうしようという考えは特になかった。
だが、あの勉強会は私に新しい道を示してくれた。
夏森先生も私の勉強のやり方を褒めてくださった。
私は勉強が好きだ。
それならば、勉強の楽しさを伝えることを仕事にすればいいではないか。
明日にでも星河さんに話してみよう。きっと賛成してくれるはずだ。
私達は共に学ぶ学友なのだから。




