第2話 貴い着物
「綺麗な着物を着ると華やかな気持ちになるわよね!」
その日の朝、茉莉と並んで歩きながら、藍子は晴れ晴れとした声で言った。
藍子は二本の三つ編みを束ねたマーガレット結い、茉莉は三つ編み一本のお下げを揺らしながら歩いている。
「あなたの紫の矢絣、綺麗ね、茉莉」
「藍子様の赤と桃色も素敵です」
帝都女学校が近くなるにつれて、通学路には他の女生徒達も増えてきた。
「まだ、袴じゃない人もいるわね」
「そうですね。推奨されてはいますが、強制ではありませんし、お家の都合もあるのでしょう」
「どんな着物が流行っているのかも気になるわ」
「調べてみますか?」
「ええ、調べてみてちょうだい。高貴な私は、時代の最先端を知らなければならないのっ!」
「お任せを!」
自らの大袈裟な言い回しに酔いしれる藍子に、真剣な顔で答える茉莉。息もピッタリである。
ふたりが教室に入ると、女子生徒達が着物の話をしているのが聞こえてきた。
「やっぱり着物の話はみんな好きなのね」
「それとなく聞いて回ります」
そう言って茉莉は、早速諜報活動に入った。
「藍子様」
茉莉が教室内をひと回りして戻ってきた。
「少し気になることが」
「気になること?」
「はい、着物を着ている人のことで……」
そう言って茉莉は藍子を手招きした。
茉莉は窓際の最前列の席の女生徒に視線を向けた。
「あの人は南久世花子さんね」
「はい。元公家のお家柄の方です」
花子は、静かに席に座って本を読んでいる。
すると、数人の生徒の話し声が聞こえてきた。
「ねえ、あのお着物」
「随分と古びたお着物ね」
「もう少しマシなお着物はないのかしら」
どうやら、花子の着物のことを揶揄しているようだ。ヒソヒソ声のつもりなのだろうが、おそらく花子にも聞こえているだろう。
だが、花子は本に目を落としたまま動かない。
「ロクに見もしないで何てことを! 高貴な私が見極めてあげるわ!」
そう言って藍子が行動を起こそうとすると、
「そんな事を言うものではありませんわ」
と、落ち着いて言う声が聞こえた。
上弦澪子だった。
「上弦さん……」
意地悪を言っていた生徒の顔が青くなる。
「そんなことより、私のお着物をご覧なさいな」
と、澪子は両手を広げて、自らの着物がよく見えるようにポーズを取った。例のごとく、チラチラと藍子の方を見ている。
澪子が着ているのも矢絣に海老茶袴。だが澪子の矢絣は、赤、橙の他に紺と緑、白を加えれば5色という華やかさだ。
「す、素晴らしいですわ、上弦さん!」
「え、ええ、とっても鮮やかなお着物ですこと!」
花子に意地の悪いことを言っていた生徒が、慌てて澪子を持ち上げた。
上機嫌になった澪子は、改めて横にいる藍子に視線を送りながら、
「あら、星河さんも素敵なお着物をお召しになってらっしゃるのね」
と、わざとらしい丁寧さで言った。
「それは、ありがとう」
だが、返す藍子の声はどこか上の空だ。
それというのも、藍子の注意は澪子ではなく、花子に注がれていたからだ。
「あ、あら、もっとよく私のお着物をご覧になってもよろしいのよ、星河さん」
藍子の注意を引けなくて焦る澪子。
「藍子様?」
藍子に無視された形になって、悔しそうにしている澪子を横目で見ながら、茉莉が声をかけた。
「あの着物、どこかで見たことが……」
だが、藍子は花子を見ながら上の空で呟くだけだった。
そこに教師が入ってきたので、その話はそこまでになった。
その後も藍子は、何やら考え込んでいるようだった。
昼休みに茉莉と中庭で焼きそばパンを食べている間も、心ここにあらずといった様子だ。
「何か心配事ですか、藍子様?」
茉莉が心配そうに訊いた。
「もう少しで思い出せそうなのよ……」
「思い出せそう?」
「南久世さんが着ていたお着物よ、あの染物…………あ!」
突然、声を上げて藍子は立ち上がった。
「思い出したわ!」
「え……?」
「染物よ!」
「染物?」
「そうよ、あの染物、古い絵で見たことがあるの! 行くわよ、茉莉!」
そう言うと藍子は残りの焼きそばパンを頬張って走り出した。
「南久世さん!」
教室に戻ると、席で弁当を食べている花子に大きな声で呼びかけた。
花子は突然のことに驚いて、声も出せずに目を大きく開いて藍子を見た。
「その着物、よく見せてもらえる?」
「え……着物?」
藍子は、訳の分からない様子の花子に詰め寄り、着物を手に取って間近に見つめた。
「これ、とても古い着物よね?」
「は、はい……」
藍子の不躾な質問に、花子は顔を赤らめて、消え入るような声で答えた。
この様子では、花子は古い着物を着ていることを恥ずかしく思っているようだ。
近くで様子をうかがっていた女生徒たちが、クスクスと可笑しそうに笑っている。
「藍子様……!」
茉莉がたしなめるように藍子に囁いた。
「まだ確信は持てないのだけれど間違いないと思うわ!」
藍子は茉莉の注意など全く聞こえていないようだ。
「茉莉、今日は早退するわよ!」
「え! 早退ですか?」
「南久世さん、今日は授業が終わっても待っていてもらえる?」
「は、はい……」
「茉莉、先生に許可をもらいに行くわよ!」
こうして、藍子は茉莉を引き連れて嵐のように教室を飛び出していった。
「一体どういうことなのかしら……」
花子はまさに、狐につままれたような表情で、教室を去る藍子と茉莉を見送るのだった。
◇ ◇ ◇
そして、その日の放課後のこと。
「花子さん、あ、花子さんて呼ばせてもらっていいかしら?」
「は、はい」
昼に早退した藍子と茉莉が教室に戻ってきた。そして、なぜか着物姿の女性も一緒だった。
「あなたのお着物、うちの出入りの呉服屋さんに見てもらってもいいかしら?」
「は、はい、かまいませんけど、でも……私の着物なんて、曾祖母からのお下がりの、古びた着物ですから……」
畳み掛けるように言う藍子に押されながら、恥ずかしそうに答える花子。
「失礼します、南久世様。呉服商を営んでおります住越と申します」
藍子と一緒に来た上品な着物姿の女性が挨拶をした。
「星河様からお話をお聞きして、もしやと思っておりましたが……」
女性は花子の着物の袖や袂を手に取り、絵柄や刺繍を虫眼鏡で子細に検分した。
「あの、これは、どういうことですの……?」
何が何だか分からない様子の花子。
「この、お着物、幻の染物と言われている、とても貴重なものなのです」
「そうなんですか……?」
住越の女性の鑑定を聞いてもキョトンするだけの花子。
周囲で様子を伺っていた女生徒たちの驚きの囁きが聞こえる。
「つまり、とても素晴らしい着物ということよ! 私も住越さんのお店の古い雛形本で見たことがあるだけなの!」
「でも……この着物、とても古くて、その……繕い直しだらけで、学校に着てくるのも恥ずかしくて……」
花子は身体を縮こまらせて、消え入るような声で言った。
「こんな貴重なお着物を着て恥じるなんてとんでもないわ!」
「星河様のおっしゃるとおりです。私もこの柄の現物を見るのは初めてでございますもの」
「私は羨ましくて仕方ないのよ! こんな貴重な着物、高貴な私が持っていないなんて悔しいったらないわ!」
「藍子様、またそんなわがままを……いつものことですけど」
藍子と住越の手放しの称賛に、嬉しさと照れくささが混じった表情の花子。
「そこで、花子さんにお願いがあるのだけれど」
「私に……?」
「高貴な私としては、どうしてもその着物と同じものを手に入れたいの。なので、花子さんのお着物をしばらくの間貸してもらえないかしら?」
「え……これを?」
訳がわからない様子の花子。
「そうよ、そのお着物をお手本にして、同じ着物を仕立ててもらうの! そうしなければ高貴な私の心が納得できないのよ!」
誠に勝手な理屈である。
「はい。南久世様のお着物を私共がお借りして、知りうる限りの染物師を総動員して仕立てさせていただきます」
住越の女性が恭しくも、やる気に満ちた笑顔で答えた。
そこに、茉莉が風呂敷包みを手に前に進み出た。
「その間はこちらをお召しになってください、南久世様」
そう言って机のうえで風呂敷を広げると、中は紫と白の矢絣と海老茶袴だった。
「わぁーー……!」
花子が思わず歓喜の声を上げた。
「取り急ぎ用意できたのがこれだけで申し訳ありません」
申し訳なさそうに言う茉莉。
「と、とんでもありません! こんな素敵なお着物を、よろしいのですか?」
「ええ、勿論! 新しい着物の仕立てには時間がかかりそうだから、後でもう一着か二着用意させてもらうわ!」
花子は新しい矢絣と海老茶袴をそっと手にして、胸に抱いて小さく囁いた。
「……ありがとう、ございます」
だがその時には既に、
「これで、私の高貴さにも、一層磨きがかかるというものだわ!」
と、藍子は新しく仕立てることになった着物のことで頭がいっぱいになっていた。
すると、
「南久世さん、他にも貴重なお着物を持ってらっしゃるの?」
と、上機嫌の藍子を苦々しい目で見ながら澪子が訊いてきた。
「え、ええ、あると思うけど……」
「そうしたら、私にも見せていただけるかしらっ!?」
「ええ!?」
「勿論、その間に着るお着物も用意させていただくわっ!」
澪子は、席についている花子に覆いかぶさるようにして言った。
「あら、上弦さんが何か言ってるわね?」
「はい、また面白そう……面倒なことになりそうです」
「案外、親切な方なのかもしれないわよ?」
「それはどうでしょう……念のため調べておきます」
「ええ、よろしくね、茉莉」
相変わらず息もぴったりの藍子と茉莉だった。
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『南久世花子の日記』
今日は私にとって、夢を見ているような一日だった。
同級生の星河藍子さんが、私の着物を貴重だと言ってくれたのだ。
私が着ているのは曾祖母からのお下がりの古い着物だ。正直、古く色褪せて、所々繕われていて、恥ずかしかった。
代わりにと持ってきてくれた紫と白の矢絣に海老茶袴を見て、私は飛び上がってしまいそうなくらいに嬉しかった。
そして、今度のことで、私が着物にとても強い興味を持っていたことに気がついた。
将来、着物に関わる仕事ができたら。着物だけではなく洋服にも関われたら。
私は、紫と白の矢絣と海老茶袴を手に、ぼんやりとそんなことを考えた。
追記 : 上弦澪子さんまで私の着物に興味を持ってくれたのには驚いた。ツンとしているようで案外親切な人なのかもしれない。




