第1話 焼きそばパン
武家政権が終わりを告げて二十数年のある日のこと。
帝都女学校の中庭のベンチでは、矢絣の着物に海老茶袴の2人の女学生が、昼食をとっていた。
「焼きそばパンこそ、高貴な私に相応しい食べ物なの!」
星河藍子はそう言いながら、中庭のベンチで焼きそばパンを頬張っている。
「あなたもそう思わない、茉莉?」
隣に座る幼馴染みの望田茉莉も焼きそばパンを食べている。
「はい、そう思います、藍子様。でも、そう思わない人もいるみたいですよ」
素直に答えたものの、やや懐疑的な表情の茉莉。
「そういう人は、この焼きそばパンの高貴さがわかっていないのよ!」
藍子の信念は揺るがない。
それまでも、お昼に売店でバター塗りパンを買うのが日々の習いだった藍子。
そこに、新たに焼きそばパンが登場した。焼きそばパンは忽ち藍子を虜にした。そして、
「おばちゃん、今日も美味しいパンをありがとう!」
と、お気に入りが増えてご機嫌な藍子は、朗らかにそう言うのだった。
そして次の日のこと。
その日も、昼休みに藍子と茉莉が焼きそばパンを買うべく売店に行くと、
「私はバター塗りパンをいただくわ。焼きそばパンなんて、上品な私には合いませんもの」
と、何やら取り澄まして言っている女生徒がいた。
「もしかしたらと思ってはいたけど、やっぱりあの子だったのね、茉莉」
「はい、藍子様」
上弦澪子、藍子と同じ高等部1年生だ。
上級華族の藍子と家格が近いせいか、藍子と張り合うことを信条としているようだ。
そんな澪子に、お昼の楽しみに水を差されて、藍子はすっかりご機嫌ななめになっている。
今も澪子は、チラチラと藍子を見ながら取り巻き達に熱弁している。
「そもそもパンにお蕎麦なんてお上品ではないですわ、ねえ、そうお思いになるでしょ、皆さん?」
「そうですわ!」
「パンにお蕎麦なんて!」
「考えられませんわ!」
取り巻き達は、わざとらしい調子で澪子に取り入っている。
「あの人達、思い違いをしているみたいですよ」
茉莉が藍子に囁いた。
「許せないわ! やっぱりここは、高貴な私が愛する焼きそばパンの素晴らしさを認めさせる必要があるわね!」
藍子はそう言って進み出ると、
「何も分かってないのね、上弦澪子さん!」
と言って、ビシッと人差し指で澪子を指差した。
一瞬、藍子の勢いに気圧された澪子だったが、すぐに気を取り直して、
「私が分かっていないですって? それはどういうことかしら、星河藍子さん?」
と、負けじと藍子に言い返した。
「この焼きそばパンに使われているのは中華そばなのよ! そして味付けはおばちゃん秘伝のソース!」
「秘伝のソースですって……?」
「そうよ! これはね、私のお屋敷の料理人に作らせても出せなかった味なの。お上にも認められた料理人なのによ! ああ、これを高貴と言わずしてなんと言えばいいのかしらっ!」
額に手を当てて、悩ましげなポーズをとる藍子。
「嘘っぽく聞こえますが本当ですので、上弦様」
「ちょっと、茉莉!」
わざわざ説明する茉莉に、顔を赤らめる藍子。
「ひ、秘伝かなにか知らないけれど、食べる時にお口をあんなに大きく開けるなんて、とても高貴とは思えませんわ!」
藍子の勢いに怯みながらも、別角度から切り返してくる澪子。
どうやら藍子が焼きそばパンを食べているところを見ていたようだ。
「ふふ、そこまで言うのなら仕方がないわ」
と、藍子が不敵な笑みを浮かべた時、茉莉は焼きそばパンを手に売店から駆け寄って来た。
「茉莉、用意はいいわね?」
「はい、藍子様」
既に準備万端整えた茉莉は、腰を落として身構えている。
「な、なにを……まさか、あなたは……」
怯えながら後ずさる澪子。茉莉は一気に間合いを詰めると、澪子の口もとに焼きそばパンを突きつけた。
驚愕のあまり口を大きく開けていた澪子は、反射的に焼きそばパンを口にしてしまった。
「どうかしら、焼きそばパンのお味は、澪子さん?」
してやったりといった顔の藍子。
「もぐもぐ……よ、よくも、こんな……」
悔しそうにしながらも、しっかりと焼きそばパンを味わう澪子。
「これで、焼きそばパンの素晴らしさが分かったでしょう?」
「お、覚えていらっしゃい……!もぐもぐ……」
と、捨て台詞を残すと、澪子は取り巻きの女生徒達を引き連れて足早に去っていった。
とはいえ、焼きそばパンはしっかりと完食したようだ。
「よくやってくれたわ、茉莉」
「それにしても、少し強引だったと思いますが」
自慢げに言う藍子に、ジトッとした目線を投げる茉莉。
「高貴な目的のためには、手段を選んでなんていられないの! それが高貴な者の務めなのだから!」
「まあ、面白かったですけどね」
星河家と望田家は、武家政権時代には主従関係にあった。
その縁で茉莉は何かと藍子の世話を焼いている。
そして藍子は、そんな茉莉の世話焼きについ甘えてしまうのだった。
「なんだか、迷惑をかけちゃったかねぇ……」
藍子たちのやり取りを見ていた売店のおばちゃんが、困惑顔で出てきた。
「そんなことないわ! 焼きそばパンの素晴らしさを知らしめるのは高貴な私の義務なのだから!」
と、拳を握りしめて力説する藍子を見て、おばちゃんは力なく微笑んだ。
「失礼ながらおばちゃんのことは調べさせてもらったの。ね、茉莉?」
「はい、お調べしました」
「おばちゃんはお上の厨房でも働いていたことがあるのよね。当家の料理人が敵わないわけだわ」
藍子の称賛の言葉に、
「私なんて、ただの下町の乾物屋の娘ですよ」
と、照れくさそうに言うおばちゃん。
「美味しいものは美味しいのよ! おばちゃんの焼きそばパンの素晴らしさは、高貴な私が保証するわ!」
「それって、単なる藍子様のわがままですよね」
「何を言っているの、茉莉、大事なのは結果よ! 美味しい焼きそばパンを学校の皆が食べられる、それが大事なのよ!」
「確かに……結果的には、そうですが」
と、なんだかんだと、鼻息が荒い藍子に押し切られてしまう茉莉。
「食べ盛りの女学生さんに良かれと思って作ったんだけど、喜んでもらえて嬉しいですよ。ありがとう、お嬢さん」
嬉しそうに微笑む売店のおばちゃんに、
「さあ、今日も美味しい焼きそばパンをいただくわ、おばちゃん!」
と、今日も高らかに宣言する藍子だった。
そんな、美味しいものに目がない15歳の娘の姿を見ておばちゃんは、
「作ってよかったわ、焼きそばパン……」
と、小さく呟くのだった。




