第19話 授業参観、そして
「とうとう来たわね、この日が」
授業参観の当日の朝、藍子と茉莉はいつもの道を帝都女学校に向かって登校している。
「とても綺麗です、藍子様」
しっかりとお化粧をした藍子に、今朝会ってから何度目かの賛辞を茉莉が言った。
「ありがとう、茉莉! あなたもとっても綺麗よ!」
「ありがとうございます」
「おはようですわ、藍子さん」
途中で澪子達とも出会った。
「おはよう、澪子さん。お化粧、決まってるわね!」
「ありがとうですわ。あなたも素敵ですわよ、藍子さん」
表面上は笑顔で挨拶を交わす藍子達だが、心の中はさながら戦場に向かう戦士のような心持ちだ。
正門前には既に御婦人達がいて、登校してくる女生徒達をそれとなく見ている。
「既に戦いは始まっているということね」
「そうですわね」
授業が始まると、参観者の御婦人達が教室の後ろに入って来た。
「やっぱり気になるわね、茉莉……」
「そうですね、藍子様……」
こそこそと囁き合うふたり。
参観者は出入り自由らしく、授業中にも出たり入ったりしていた。
参観者が増えたのは外国語の授業の時だった。
「今日が英語の授業でよかったわ。仏語ってわけが分からないんだもの」
「外交官の妻になったらそんなこと言ってられませんわよ、藍子さん」
澪子の言葉にハッとして後ろを見る藍子。
授業参観の最後は、4時間目の全校生徒合同の体操だ。
「私達の行進と体操を見てどうするのかしらね、茉莉?」
「身体が丈夫なことも重要視されるのかもしれませんよ、藍子様」
「それもそうね……お相手の方のお仕事が体力の要るお仕事なら……例えば治安を守るお仕事とか……」
「藍子様……それって」
藍子が行進しながら物思いにふけっていると、
「ぼうっとしていたら危ないですわよ」
すぐ後ろを行進していた澪子にとんと小突かれた。
体操が終わると昼休憩だ。ここで帰る参観者も多いが、残って女学生と話をしていく御婦人もいる。
「お昼は中庭でお弁当を食べましょう!」
今日は売店が休みなので藍子も茉莉も弁当持参である。
そこに藍子の母、星河鈴子がやってきた。
「今日はちゃんとやれたの、藍子?」
「ええ、お母様!」
「そう、それならよかったわ」
「お兄様達のお嫁さんは見つかった?」
「そんなにあけすけに言うものではありません」
藍子に顔をしかめて見せる鈴子。
「まあ、いいお嬢さんはいましたよ。それより、あなたはどなたからかお声をかけていただけたの?」
「いいえ!」
「そんなに元気よく答えるものじゃありません。喜んでいるように聞こえるじゃないの……あなたにもそろそろお声がかかってもいいのだけれどねぇ……」
そこに、澪子と道子、他の友人たちがやってきた。
「あら、上弦さんのお嬢さんね」
「ご機嫌麗しゅうですわ、星河様」
名家の令嬢らしく澪子が挨拶をした。
「あなたにはお声がけはあったの?」
「私に直接はありませんでしたけれど、母のところにはあったようですわ」
「まあ、それはよかったわね」
「ありがとうございます」
答える澪子は、伏し目がちで落ち着いている。
そして鈴子は、茉莉達にも声をかけると「上弦さんとお話をしに」と言って去っていった。
「お話があったのね、澪子さん?」
「ええ」
「どんな気持ち?」
「まだ、よく分からないですわ」
「そう……じゃあ、お弁当にしましょう」
茉莉と道子が芝生に茣蓙を敷き、皆で弁当を広げた。
「さすがは澪子様です! 早くもお嫁入りが決まるなんて!」
「気が早すぎますわよ、道子さん」
浮かれ騒ぐ道子に眉をひそめる澪子。
「藍子様だって、すぐに決まるはずです!」
藍子が澪子に先を越されて、ムキになって対抗心を燃やす茉莉。
「私は、まだ、いいわ」
意外にも素っ気ない藍子。
「なんでですか、藍子様ぁーー!」
茉莉的には藍子が澪子に先を越されたようで、じれったいようだ。
「それはそうと、お嫁入りってすごく大変だって、珠実ちゃんからお手紙をもらったわ」
「好江さんにもお話があったのではなくて?」
「今のところは聞いてないわ」
澪子に訊かれて答える好江。中坂家も上弦家、星河家と同じ上級華族だ。
こうして、皆で話しているところに、一人の婦人が声をかけてきた。
「お昼のところ申し訳ありませんけれど」
その婦人は、質素ながら着物を上品に着こなしていた。年の頃は藍子の母と同年代に見える。
「はい、なんでしょう?」
ちょうど食べ終わった藍子が立ち上がって答えた。
「1年生の星河藍子さんという方をご存知でらっしゃいますか?」
「私が星河藍子ですけど」
「まあ、あなたが」
婦人の顔が明るくなった。
「失礼しました。私、高之瀬弘子と申しまして、高之瀬涼二の母です」
「高之瀬さんのお母様!!」
藍子は一瞬、驚愕に目を見開いて棒立ちになった。そして、
「あ、あの、その、私……」
と言いながら、着物の襟を直したり、袴のシワを伸ばしたり、髪をまとめているリボンの位置を気にしたりと、俄に挙動不審になった。
その一瞬の隙をついて澪子が進み出た。
「私、上弦澪子と申しますわ! 高之瀬様にはとてもとてもお世話になっておりますの!」
「まあ、上弦澪子さん。あなたのことも伺っておりますわ」
高之瀬弘子の穏やかな笑みに顔を上気させる澪子。
「ちょっと澪子さん、お母様は私と話しているのよ!」
「いきなりお母様呼びなんて高之瀬様に失礼ですわ、藍子さん!」
いつもの調子でやり合い始めた2人を、茉莉と道子がなだめる。
「ご迷惑でしたわね、本当に突然で申し訳ありません。涼二から話を聞いていたもので、一度お目にかかれればと思って参りましたの」
「そ、そんな、迷惑だなんて!」
「そうですわ、全く迷惑ではありませんわ!」
何とか主導権を握ろうとする藍子と澪子。
そんな2人を横目で見ながら、
「高之瀬家といえば、あの、武門で名高い名家ですよね?」
南久世花子が遠慮がちに訊いた。
「さすが南久世さん、詳しいのね」
そう言いながら、尾之崎葉子が小型の帳面を取り出してなにやら書き留めた。
「もう遥か昔の話です。今では落ちぶれた貧しい士族ですから」
困惑気味に微笑みながら答える高之瀬弘子。
「もしかして、高之瀬さんのお嫁さんを探しに来られたのですか?」
「ち、ちょっと、茉莉、な、なんてことを……!」
「そ、そうですわ、こちらにも心の準備というものが……!」
藍子も澪子もすっかりその気になっている。
「いえ、今日は皆さんにお会いしたくて参ったのです。息子の結婚のことは本人に任せてありますから」
そう言うと、高之瀬弘子は皆に丁寧に挨拶をして帰っていった。
「素敵な方だったわね、高之瀬さんのお母様!」
「そうですわね、凛とした気品がおありでしたわ!」
「高之瀬家はどういうお家柄なのですか?」
道子が花子に訊いた。
「かつては、代々宮中の守護を任されていたと聞いてます」
「宮中の守護! 高貴な私の心を揺さぶるお勤めだわ!」
「名家の娘としては見過ごせませんわ! お母様にお伝えしないと!」
そんな気合い入りまくりの藍子と澪子を見て、
「藍子様、さっきは素っ気なかったのに……」
「澪子様も今ひとつお元気がなかったのに……」
茉莉と道子が顔を見合わせる。
「波戸裡家も貧乏士族なのよね、私もお母さんに話してみようかな……」
呟くように霧絵が言うと、
「「なんですってぇ!!」」
藍子と澪子がいきり立つ。
「それなら南久世家も貧乏公家だから……」
「だめだめ、花子さんは強敵すぎよ!」
「そうですわ! 旧名家同士でお似合いすぎて太刀打ちできませんわ!」
と、藍子も澪子も訳の分からない理屈で猛反対する。
その脇では、
「私は、村野井さんが……」
と、ボソリと呟く村木菊江がいた。
こうして、深刻になりがちだった授業参観が、高之瀬弘子の来訪によって、楽しく賑やかな雰囲気で締めくくられた。
◇ ◇ ◇
そして、授業参観が終わって一週間ほど過ぎたある日のこと。
「そろそろお腹が空いてきたわね」
「もうすぐお昼ですものね」
藍子と茉莉は教師の目を盗んで囁きあっている。
「聞こえましたわよ」
「お昼はコロッケパンですよ」
澪子と道子が囁き返してきた。
なんということはない、いつもの昼前の平和な授業風景だ。
間もなく4時間目の終業の鐘が鳴り、生徒たちは弁当を広げたり、売店にパンを買いに行ったりする。
そして、年頃の娘らしく明るく賑やかな昼休みを過ごすのだ。
そのはずだったが――――
ズンッ!
下から突き上げるような衝撃を皆が感じた。
「地震……?」
「ですね……」
藍子と茉莉が顔を見合わせる。
「まだ少し揺れて……」
澪子がそこまでいった時、
ガガガガガガッ!!
凄まじい音と共に校舎が揺れだした。
「「「きゃぁあーーーー!!!」」」
生徒達が悲鳴を上げる!
「机の、机の下に!」
教師が絶叫するように言った。
あまりにも激しい揺れのせいで、机と椅子が右に左にと床を滑る。
「茉莉!」
「藍子様!」
2人は手を伸ばしてお互いの机の脚を掴んだ。
ガシャァアアーーン!!
凄まじい音で窓ガラスが割れた。
「「「きゃぁああああーーー!!」」」
恐怖のあまりすすり泣き、泣き叫ぶ生徒もいた。
そして、永遠に続くかと思われた揺れが少しずつ弱くなり始めた。
揺れが収まった時、教室内はしんと静まり返っていた。
果敢にも最初に動いたのは藍子だった。
「止まった……?」
机の下から這い出してキョロキョロしながら、藍子が言った。
それが合図になって、皆が動き出した。
「ここは、高貴な私が奮起しないと……!」
藍子はそう呟くと、
「皆、ガラスには気をつけて!」
と、まだ動揺が収まらない生徒達に藍子が鋭く言った。
「怪我をした人はいないようですね」
教室内を見回しながら茉莉が言った。
「よかったわ!」
とはいえ、
「いたたた……」
と、道子が頭を押さえている。揺れる机に頭を打ったようだ。他にも何人かが頭や肩を痛そうに押さえている。
「まずはガラスを片付けましょう」
落ち着きを取り戻した教師の指示のもと、皆で箒と塵取りでガラスの破片を集めていった。
「怪我した人がいなくてよかったわ」
「そうですね…………藍子様、この匂い」
「これって……先生、何か燃えてるみたいです!」
藍子が言うと、あちこちから声が上がった。
「もしかしたら、火事……!」
教師の顔から血の気が引く。
「皆さん、ガラスを隅に寄せたら逃げる準備を!」
火事の恐怖に生徒たちが騒然となる。
「藍子様……!」
「落ち着くのよ、茉莉! 大丈夫、私がついてるわ!」
「そうですわ! 私達は12階タワーの危機も乗り越えたんですから!」
「そ、そうですね……!」
お互いを励まし合いながら、体を寄せ合う藍子達。
「高貴な私がこんなことで負けるなんて許せないわ! 皆、気持ちを強く持ちましょう!」
藍子の自己中心的な負けず嫌いが、最大限に発揮された瞬間だった。




