第17話 卒業式の独唱
「私達もうすぐ2年生になるのよ、茉莉!」
「あっという間でしたね、藍子様」
桜の枝に蕾が見え始めた、3月初頭の昼休みの中庭でのこと。
「卒業式ももうすぐよね。全校生徒で校歌を合唱するのって、とても高貴なことだわ!」
「私も合唱なら……自分の歌が下手なのが紛れるので」
恥ずかしそうに苦笑いする茉莉。
「私だってそうよ」
「え、そうなんですか? てっきり一人で歌うのも好きなのかと」
「好きよ。でも自分の歌が下手なのは自覚してるわ。だからこそ合唱は高貴なのよ! そう思わない、茉莉?」
「はい、そう思います、藍子様」
答える茉莉に笑顔が広がった。
その日の放課後のこと。
「卒業式の独唱は1年生に決まったらしいですわ」
「え、それ本当なの?」
澪子から聞かされた藍子は素直に驚いた。
「ええ、2組の中坂好江さんだそうですわ」
隣で道子が頷いている。
「私も、噂は聞いていました……すみません、藍子様、確定ではなかったのでご報告してませんでした……」
「ううん、それはいいわ、茉莉」
目を伏せる茉莉に笑顔を見せる藍子。
「ただ卒業式の独唱は3年生から選ばれると聞いていたから、ちょっと驚いたのよ」
「そうですわね、私も意外でしたわ」
「そうしたら、私が詳しく調べてみます!」
汚名返上とばかりに申し出る茉莉。
「ええ、お願いね、茉莉!」
「道子さんも、調べてくださいな」
「はい、澪子様!」
そして翌日。
「3年生には見村珠実さんという歌が上手な方がいて、直前まではこの方が歌うものと思われていたようです」
「それがつい最近になって見村さんが辞退すると申し出て、代わりに中坂さんを推薦したようです」
「中坂さんの実力は音楽の先生の折り紙付きだそうですので、不自然ではないと思われます」
「それと、見村さんと中坂さんは幼馴染みでもあるようです」
茉莉と道子が、調査の結果を藍子と澪子に話した。
「中坂さんのことは訊いたことがありますわ。華族のお家柄で習い事にも熱心だと」
「そうね、私も聞いたことがあるわ。見村さんのことは知らないけれど」
澪子と藍子が顔を見合わせる。
「よし! ここは、中坂さんに訊いてみるしかないわね!」
「でも、すでに決まったことですのよ? 私達が出しゃばるのはいかがなものかしら」
澪子の尤もな意見に、茉莉と道子も顔を見合わせている。
「訊くだけ訊いてみるわ! 考えるのはそれからよ!」
と藍子は、いかにも彼女らしいことを言った。
そして放課後。
「中坂好江さんはいるかしら?」
例のごとく藍子は、2組の入り口から教室の中に向かって、大きな声で呼びかけた。
「はい……あら、星河さん」
帰り支度をしていた好江が、藍子を見て表情を緩めた。
「訊きたいことがあるんだけど、いいかしら、中坂さん?」
「ええ、勿論」
「それじゃ、一緒に帰る道すがらお話しするわ」
藍子達4人に好江を加えた5人で、校門へ向かいながら話をした。
「卒業式の独唱のこと、ね……」
藍子の話を聞いて好江の顔が曇った。
「何か事情があるの?」
「事情がある、というより、事情が分からないの……」
「分からない?」
「ええ、音楽の先生に呼ばれて、今年の卒業式の独唱をやるようにって言われたの」
「3年生の見村さんが歌うはずだったのよね?」
「そうなの。珠実ちゃんの歌が聴けるって楽しみにしてたのに……」
「でも見村さんが辞退を申し出て……」
「え、辞退?」
好江は立ち止まって、驚愕に目を見開いて藍子を見た。
「あ、聞いてなかったの、好江さん?」
「初耳よ、そんなこと……!」
わなわなと震える好江。
「あなたと見村さんは仲がよろしいのよね?」
澪子が気遣うように好江に訊いた。
「勿論よ! 小さい頃から一緒に遊んだり歌を歌ったりして、珠実ちゃんは大好きなお姉ちゃんよ!」
澪子の問いに、俯いていた顔をサッと上げてまくし立てる好江。
「今も、よくお話しするの?」
「今は……私が女学校に入ってからはほとんど会わなくなったわ」
藍子に訊かれて、好江は寂しそうに答えて、再び歩き出した。
「なんだか、私の高貴な心がうずうずしているわ!」
好江と別れると、藍子が待ちきれないような様子で言った。
「また何か突飛なことを思いついたのですか?」
「そうよ! 私はいつも突飛で破天荒な……て、違うわよ!」
藍子は自演ツッコミを覚えた。
「もしかしたら、見村さんにお話を聞きにいきますの?」
「ええ、そのとおりよ!」
「でも、3年生ですわよ?」
「3年生の教室に乗り込むのはかなり勇気が要りますね」
藍子の思いつきに、澪子と茉莉は及び腰だ。
「ふふ、私に考えがあるわ」
不敵な笑みを浮かべる藍子。
◇ ◇ ◇
「卒業式の独唱のこと?」
次の日の放課後の生徒会室。藍子達は生徒会長の紫陽院礼花に話をした。
「はい、通例と違うことで、中坂さんも心を痛めているのです」
「それで、私に事情を聞きに来たというわけね?」
「はい」
藍子は礼花に真っ直ぐな視線を向けている。
「そのことは、本来私は預かり知らないことなんだけど……事情は知っているわ」
「やっぱり!」
机越しに礼花に向かって身を乗り出す藍子。
「私もたまたま聞いたのよ、お母様が話しているのを」
「それで、どのような事情が?」
「少し前からね、中坂好江さんの歌の才能を音楽の先生が大変評価している、という話が広まったの、華族のご家族の間で」
「中坂さんの歌のことは私達も知っています」
藍子の言葉に澪子たちも頷いている。
「中坂好江さんと見村珠実さんのお家柄は知っているわよね?」
「はい、華族と士族、ですよね」
「ええ。元々、見村家は中坂家の筆頭家老のような立場だったの」
帝都女学校では、生徒同士の家がそのような関係の場合が少なくない。藍子と茉莉、澪子と道子もそうだ。
「中坂家は星河家や上弦家と同じ上級華族、その娘の歌唱力が高い評価を得ている。となれば、士族の娘よりも卒業式の独唱に相応しいのではないか。そう考える人が増えているらしいの。それを察して見村さんが辞退をした、というお話しよ」
「そんな……!」
礼花の説明に、澪子は思わず声を上げ、両手で口をふさいだ。
茉莉と道子はうつむき加減で黙っている。
「家柄に重きを置く人は多いのよ」
最上級の家柄である礼花も、やるせない気持ちが表情に現れている。
「そんなこと……」
藍子が低い声で言った。
「なあに、藍子さん?」
「そんなこと、ちっとも高貴ではありませんわ!」
カッと目を見開いて藍子が語気も荒く言った。
「私もそう思うわ……」
「なぜ、どちらかお一人なのでしょうか?」
「え……?」
「1年生の中坂さんの歌が素晴らしいのなら、3年生の見村さんと一緒に歌っているところを私は聴きたいです!」
藍子の予想外の言葉に、礼花も澪子達も唖然として言葉が出なかった。
「そうよ、一緒に歌えばいいのよ! 同じ歌を違う音階で歌う方法もあるのだから」
「和声ですわね」
「そうそれ! きっと素晴らしい響きになるに違いないわ! ああ、私はまたしても高貴なことを思いついてしまったわ! そう思いませんか、礼花様?」
歓喜に顔を火照らせる藍子。
「ふふ、そうね。とても素晴らしいと思うわ。でもね……」
と、礼花はいたずらっぽい目で藍子を見た。
「せっかくなら2年生代表も入れて三声にしてほしいのだけれど、ダメかしら?」
「と、とんでもないです! そうなれば高貴さ倍増です! さすがは礼花様!」
藍子は両手を組んで憧れの眼差しで礼花を見た。
そして、善は急げとばかりに、会長の礼花を筆頭にした生徒会役員と有志が、校長室に直談判に向かった。
「ふう、また、あなたですか、星河藍子さん」
藍子の顔を見て、呆れながらも好ましげにため息をつく校長。
「慣例を変えるのは中々に困難なことなのですけれどね……まあ、いいでしょう」
ということで、校長の許可も得て、卒業式の三声唱歌が決定した。
◇ ◇ ◇
「珠実ちゃんと一緒に歌えるの!?」
次の日の朝、藍子の知らせを聞いた好江は、文字通り飛び上がって喜んだ。
「あ、でも、珠実ちゃんは、どうかな……」
「見村さんには礼花様が話してくれてるわ!」
そして、昼休み。
「珠実ちゃん!」
「好江ちゃん!」
中庭で顔を合わせた二人は、手を取り合って喜んだ。
「珠実ちゃん、一緒に歌えることになって、私すごく嬉しい!」
「ありがとう好江ちゃん。私、好江ちゃんのほうが歌が上手いし、お家のことも考えたら辞退したほうがいいと思って……」
二人は手を取り合って、目を潤ませながら話している。
「こちらは2年生代表の倖田信子さんよ」
好江と珠実に礼花が紹介した。
「倖田信子です」
「中坂好江です。よろしくお願いします!」
「見村珠実です。頑張りましょうね!」
好江と珠実が信子の手を取る。
「早速今日の放課後から、音楽室で練習です。頑張ってくださいね」
「「「はい!」」」
◇ ◇ ◇
そして、卒業式。
「皆で歌うって、楽しいわね」
「そうですね」
校歌斉唱を終えて、藍子が隣の茉莉に囁いた。
「始まりますわよ、三声唱歌が」
澪子が囁く。
舞台に珠実と信子、そして好江が並んだ。
「みんな落ち着いてるわね」
「私のほうが緊張してしまいますわ」
藍子と澪子が囁いた。
ピアノの前奏が始まると、講堂内の空気にピリッとした緊張が走った。
珠実、信子、好江の三人の優しい声音で歌が始まる。
同じ音階で始まり、途中から三声に。
繰り返し2回目では、4小節ごとに独唱を歌い継いでいく。
そして最高潮で三声になり、そのまま静かに終わりを迎えた。
舞台上の3人がお辞儀をすると、講堂内に割れんばかりの拍手が響き渡った。
「高貴な経験とはまさにこのことね!」
「そうですね!」
手を真っ赤にして拍手しながら顔を合わせる藍子と茉莉の目は涙で潤んでいた。
そして、この年以降、各学年の代表が三声唱歌することが、卒業式の通例となったのだった。
――――――――
卒業式後の校庭の片隅のベンチにて。
「今日は一生の思い出になったわ、好江ちゃん」
「うん、私も、珠実ちゃん」
二人は肩を寄せ合い、手を重ね合っている。
「私、お嫁入りが決まっているから、もう好江ちゃんと歌を歌うことなんてできないから……」
「でも、会うことはできるよね?」
「そうね、しょっちゅうは会えないかもしれないけど」
「なんだか、私、未来の旦那様に嫉妬しちゃいそう」
「それじゃ、旦那様に気づかれないように会わなきゃね」
そう言って二人はクスクスと笑い合った。
「それにしても、星河さんには感謝しなきゃいけないわね」
「うん、本当に。でも私ね、星河さんは聖女のようだ、なんて言う人がいたけど、どこが? って思ってたの」
「そうかもしれないわ。私なんてお礼を言いにいったら『何がですか?』なんて言われたし」
「やりたいことをやってるだけ、という人みたい。でもみんなに感謝されてるの」
「いつか、何かで返したいわね、好江ちゃん」
「うん、その時は一緒にね、珠実ちゃん」
そう言って笑みを交わしていると、遠くから2人を呼ぶ声が聞こえた。
見ると、藍子が大きく手を振っていた。
その姿を見て、珠実と好江は可笑しそうに笑い合うのだった。




