第16話 聖バレンタインの日
「聖バレンタインの日って聞いたことある、茉莉?」
2月始めの昼休み、藍子は教室の窓から外を眺めながら言った。
「聖バレンタインの日ですか、初めて聞きました。どういう日ですか?」
「私も、昨日お兄様から聞いたのよ。詳しくは分からないけど、2月14日がそうなんだって」
ふたりがそんな話をしていると、
「あら、そんなことも知りませんでしたの、藍子さん?」
と、いつも通り澪子が聞きつけてきた。
「なら、あなたは知っているの、澪子さん?」
不機嫌な顔で藍子が訊いた。
「勿論ですわ。聖バレンタインの日は……その、あ、愛を伝える日ですのよ」
「愛だなんて、よく恥ずかしげもなく言えますね、上弦様」
「な、なんですって!」
茉莉の冷静なツッコミに、顔を真っ赤にする澪子。
「愛を伝える日っ!」
だが、藍子には響いたようだ。
「素晴らしいじゃない! 高貴な私にピッタリよ!」
「「「えぇーー!?」」」
爆弾発言とも言える藍子の言葉に、澪子達が驚愕の声を上げる。
「ら、らら藍子様、もしかして、あ、愛を伝えたいお相手がいるのですか?」
動揺丸出しで茉莉が訊いた。
「勿論よ!」
「そ、それは、誰ですの? もしかしたら……」
「決まってるじゃない、子供園の子供達よ!」
「「「へ?」」」
藍子の予想外の言葉に妙な声を出す澪子達。
「子供園の子供達はね、家族の愛を知らずに育った子ばかりなのよ。だからあの子達に愛を教えてあげるのは、高貴な私の義務なの!」
「そ、そうですわね、私も喜んでお力添えいたしますわ!」
「さ、さすが藍子様です!」
慌てて取り繕う澪子と茉莉。
「あら、そう? とにかく、何をするか考えなきゃね、子供達に愛を伝えるために!」
こうして、聖バレンタインの日のお楽しみ会が動き出した。
◇ ◇ ◇
「今日は聖バレンタインの日です! 外国では親しい人に愛を込めたお手紙を送る習慣がある日です!」
子供園の勉強室に集まった子供達の前で説明する藍子。
「なので、子供園のお友達に送るつもりで絵と言葉を書きましょう!」
大きなテーブルに着いている子供たちの前には、ハガキ大のカードと筆記用具が置かれている。
「だれに書けばいいの?」
藍子に男の子が訊いた。
「大切なお友達にお手紙を出すつもりで書くのよ! 書き終わったら皆で書いたカードを交換し合うの!」
「なにを書けばいいかわからない……」
「あたしも……」
困惑顔でこぼす子供たちに、
「そんな君たちに、私たちからバレンタインカードを贈るわ!」
と、藍子が言った。
すると、古村秋子と吉名彗子が、子供達にバレンタインカードを配って回った。
「わぁーーきれいーー!」
「すげぇーー!」
子供達が口々に感嘆の声を上げる。
カードには色付けされた花や、犬、猫、小鳥などの動物、夜空の星や月の絵が描かれているものなど様々なものがあった。
そして、絵とともに「ハッピーバレンタイン」「いつもありがとう」「これからも仲良くしようね」などの言葉が添えられている。
「私たちから皆さんへのバレンタインカードを見て、参考にしてくださいね!」
「「「はーーい!」」」
元気な答えとともに子供達は、初めて見る色鉛筆に目を丸くししがら、嬉々としてカードに描き始めた。
「あたし、お花をかくの!」
「ぼくは犬にする!」
「馬のほうがかっこいいぞ!」
「あたしはお月さまがいいなぁ」
と、子供達は楽しそうに口々に言っている。
秋子と彗子は子供達の間を見て回り、質問に答えたり、ちょっとしたコツを教えたりした。
こうして小一時間も経った頃、
「善子先生、隆君がいないよ」
と、女の子が佐之村善子に言った。
「え……隆君が、いない?」
室内を見回す善子の顔が青ざめる。
「皆さんが来た時にはいたはずですけど……」
「園内を探してみましょう! 茉莉!」
「はい、藍子様!」
「私達も探しますわよ、道子さん!」
「はい、澪子様!」
藍子と澪子の声かけで隆の捜索が始まった。
足の速い茉莉、道子、霧絵は周辺の屋外を、他の者は建物内を探した。
「どうだった?」
しばらくして戻ってきた者に藍子が訊いたが、皆首を振るだけだった。
「どうしましょう……ここはやはり警察に……」
「そうですわね……」
動揺が収まらない善子を慰めるように、澪子が寄り添ったところ、
「ごめんくださぁーーい!」
と、玄関口の方から男性の声が聞こえた。
「はぁーーい!」
動揺する善子を横目で見ながら、藍子は答えて玄関に向かった。
「どちら様でしょう?」
「警察から来ました、高之瀬と申します」
「高之瀬さん!?」
藍子は叫ぶように言うと、ガラッと勢いよく戸を開けた。
するとそこには、高之瀬涼二巡査と村野井巡査、そして二人の間に泣きべそをかいている少年がいた。
「ああ、星河さんもいらしたんですね」
「はい!」
涼二の爽やか笑顔に顔を赤らめながら答える藍子。
「隆君!」
すぐ後に来た善子が少年に向かって言った。
「何かあったのですか、高之瀬さん?」
「この子が迷子になってまして、私共が保護したのです。それで、子供園の子だと言うので……」
そう言って涼二は後ろを見た。すると、二人の巡査の後ろから紫陽院礼花が顔を出した。
「礼花様!」
「見つけたのがちょうど私の家の近くだったらしくて、高之瀬さんが聞きにいらしたの、子供園の場所を。それで、私がご案内を、ね」
礼花と涼二が笑顔で目を交わす。
藍子には、その仕草がとても自然で優雅に見え、
(私にあんな振る舞いができるだろうか……)
という気持ちが心をよぎった。
そして、なぜか胸の奥がチクリとした。
「隆君、なんでそんな遠くに一人で行ったの?」
そう言う善子の口調は、優しく穏やかな彼女らしからぬ強い口調だった。
「どんぐりを探してた……」
「今の季節はどんぐりは無いのよ、この前教えてあげたでしょ?」
「ごめんなさい……でも、あげたかったの……よし子先生にどんぐり……ばれんたいんに……よし子先生が大好きだから……」
そこまで言うと、隆は目から大粒の涙を零して唇を噛み締めた。
「隆君……」
善子は目を見開いて隆を見た。
そして、玄関に降りてたかしを抱きしめた。
「ありがとう、隆君……」
善子の声がくぐもる。
「ああ、なんて高貴な……」
「うぉおおおおーーー!」
いつもの藍子の台詞に、村野井の号泣が重なった。
「なんて健気な少年なのだぁーーーー!」
「お、おい、村野井……!」
「これこそ愛だ、貴い愛だぁーーうぉおおーーん!」
困惑顔で諌める涼二の言葉も聞かずに泣き続ける村野井に、
「さあさあ、感激する気持ちは分かりますけど、皆さんも困ってますから」
と、礼花が村野井をなだめる。
「あの……この後、皆でおやつをいただきますので、ご一緒してくださいますか、村野井様、高之瀬様……?」
村木菊江が、遠慮がちに申し出た。
「おぉおおー……? あなたは、村木殿」
村野井がピタッと泣き止む。
「はい……」
「そうですかそうですか! 是非ご相伴に預からせていただきます! なあ、高之瀬!」
「せっかくで申し訳ありませんが、僕たちは勤務中ですので」
涼二は表情を引き締めてそう言って菊江に頭を下げた。
「そ、そうですよね、非常識なことを言って、申し訳ありません!」
菊江が顔を真っ赤にして謝った。すると、
「お勤め中でも休憩は必要なのではないですか、高之瀬さん!」
藍子が玄関口に降りて涼二に言った。
「そうです、是非私達にお礼をさせていただかなくてはいけませんわ!」
負けじと澪子も降りてきた。
「いえ、そういうわけには……」
二人の勢いに押されて困惑顔の涼二。
「無理を言ってはいけませんよ。高之瀬様が困ってしまっているわ」
「「はい……」」
礼花に諌められて、藍子と澪子はしょんぼりと答えた。
そして、皆からの感謝の言葉を受けて涼二と村野井が子供園を後にしようとした時、藍子が駆け寄った。
「あ、あの、高之瀬さん、後で改めてお礼に伺ってもよろしいですかっ!」
藍子は思い詰めたような真剣な顔をしている。
「それには及びません、星河さん」
答える涼二に、
「あら、それなくらいならいいのではなくて、高之瀬さん?」
「え?」
かすかに笑みを含んだ礼花の言葉に、意外そうな顔をする涼二。
一方の藍子の表情は一気に明るくなり、
「そうです! 高貴な私としては、改めて感謝の気持ちをお伝えしなくては気が収まりません!」
と、本来の調子を取り戻した。すると、負けじと澪子も続いた。
「わ、私もですわ、高之瀬様! 今日は聖バレンタインの日、是非とも私の愛をお伝えしなくてはなりません!」
「あ、愛!?」
「なんてことを言うの、澪子さん!」
「あなたは感謝をお伝えすればよろしいですわ、藍子さん。私は高之瀬様に愛をお伝えしますので!」
澪子と藍子の視線が火花を散らす。そして、
「だったら、私も高之瀬さんに愛を伝えるわ!」
と、勢い余ったかのように、藍子の口からも「愛」という言葉が飛び出した。
「あ、あの、お二人とも……」
「おいおい、なんだよ、高之瀬、ずるいじゃないか」
「ず、ずるい!?」
「はいはい、その話はまた後でね。子供達も待っていますよ」
一悶着始まりそうなところを礼花が収めて、涼二と村野井は通常勤務に戻っていった。
「私、何ということを言ってしまったのかしら……」
勉強室に戻ると、藍子は茉莉にポツリと呟いた。
子供達はバレンタインカードを交換しながら、おやつのあんこ入りバター蒸しケーキを美味しそうに食べている。
「高之瀬様のことですか?」
「あ、愛を、なんて……」
そう言って赤くなった頬に手を当てる藍子。
「正直な気持ちが出たのではないですか?」
「そ、そんな、ハッキリと言わなくたって……!」
遠慮なく核心を突いてくる茉莉の言葉に動転する藍子。
隆が、善子にバレンタインカードを嬉しそうに手渡している。
そんな姿を見ながら、藍子は茉莉に言われた言葉を呟いた。
「正直な気持ち、か……」




