第14話 バター蒸しケーキ
「もうすぐ蒸し上がりますわよ!」
「分かってるわよ! て、あちちち!」
澪子と藍子が蒸籠と格闘している。
今日は12月24日。クリスマスの前日、クリスマス・イブである。
藍子たちは、明日のクリスマスに配る蒸しケーキ作りの真っ最中だ。
「それにしても、いい香りねぇ」
生徒会長の紫陽院礼花がうっとりとした表情で言った。
「はい、バターをたっぷり使えたので」
そう言って菊江は、蒸し立て熱々のケーキと格闘している藍子に視線を向けた。
そして、先日の藍子の言葉を思い出して穏やかな笑みを浮かべた。
「ケーキにはバターが必要って聞いたわ!」
ケーキ作りが決まると、早速藍子が言った。
村木菓子店ではバターは使っていない。そもそもが、バターは高価である。
「私が校長先生に掛け合ってみるわ」
と、礼花が請け合ってくれた。その結果、小麦粉などの饅頭と共通する食材は、村木菓子店から100食分を購入してもらえることになった。
だが、バターまでは認められなかった。
「ごめんなさいね、私の力が至らなくて」
「と、とととんでも、ございません、礼花様!」
申し訳なさそうに謝る礼花に、藍子は額が膝につくほどに頭を下げた。
「でも、高貴な私はこれくらいで、めげたりしないわ!」
そこは、上級華族星河家の娘である。父親に、
「クリスマスケーキ配布は奉仕活動なのよ、お父様!」
と強弁し、バターを寄付させたのだ。
こうして、菊江の助言のもと、最初の蒸しケーキが出来上がった。
蒸しケーキは大きめの饅頭のような形だ。藍子はそれを皿に乗せて礼花に差し出すと、
「お味はどうですか、礼花様?」
期待に目をキラキラさせて藍子が訊いた。
「ええ、とっても美味しいわ」
「きゃぁーー……!」
優雅に微笑む礼花に、小さな憧れの悲鳴を上げる藍子。
「バターの香りが何とも言えないわね」
「はい、星河さんのおかげで、バターをたっぷり使えましたので」
「ふふん!」
菊江の言葉に、ひっくり返ってしまうのではというくらいに、胸を反らせる藍子。
「カステラに比べると甘さは控えめなのね。私はこちらのほうが好みだけれど」
「はい、そこは敢えて、甘さを控えめにしました」
礼花に菊江が答えた。
「敢えて?」
「はい、理由はこれです」
そう言って菊江は小皿を見せた。
「これは、何かしら?」
「あんこです。これを蒸しケーキに合わせるのです」
菊江は半分に切った蒸しケーキにあんこを載せて、礼花に差し出した。
「……! 美味しいわ、とっても! バターの風味とあんこがよく合ってるわ」
「はい、こうすれば大量に仕込んであるあんこも無駄になりません」
「よく考えたわね、菊江さん」
「い、いえ、これは藍子さんの思いつきです」
礼花に褒められて居心地悪そうに菊江が言った。
「まあ、そうだったのね。さすが藍子さん、というべきかしら?」
「はい、ありがとうございます!礼花様!」
礼花に褒められて得意の絶頂になる藍子。
「確かにこれは新しい美味しさですわね」
「そうですね、いくらでも食べてしまいそうです」
「いいことを思いつきましたね、藍子様」
澪子達が早速蒸しケーキあんこ載せを食べている。
「ああ、ずるい! 私もまだ食べてないのに!」
「あら、もしかして私は毒見役だったのかしら?」
礼花がいたずらっぽい目つきで藍子を見た。
「ち、ちちち違います! 一番最初に礼花様に食べていただきたかったんです!」
「うふふ、嘘よ。さあ、お味見が済んだら、本格的に作り始めましょう」
「「「「「はい!」」」」」
◇ ◇ ◇
そして、クリスマスの日。
「さあ、手作りのクリスマスケーキを配るわよぉ!」
帝都女学校の正門の脇で、藍子達が手作りの蒸しケーキの配布の準備に精を出している。
「無事ケーキは出来上がったようですね、星河さん」
声をかけてくれたのは、高之瀬涼二巡査だった。隣には村野井巡査もいる。
「高之瀬さん!」
藍子の頬は瞬時に赤く染まり、瞳もキラキラ輝き出した。
「来てくださいましたのね、高之瀬様。とても心強いですわ」
藍子がのぼせ上がっている隙に、すかさず澪子が涼二に声をかけた。
「はい、許可は出ましたが道路使用状況の確認は必要ですので。女学校の前ですし、不測の事態も考えられますから」
「まあ、それは、ありが……」
「ありがとうございます、高之瀬さん! 私のためにそこまで……」
「ちょっと、私が話しているところですのよ、藍子さん!」
「あなたこそ、割り込んでこないでよ、澪子さん!」
涼二の前で藍子と澪子が揉み合っていると、
「我々が来た以上、大船に乗ったつもりでいてください、わははは!」
と、村野井が大きい体を揺さぶりながら哄笑した。
「そうですわね」
「頼りにしてます」
浮かれていた澪子と藍子はにわかに冷静になって、ケーキ配布の配置についた。
「あれ?」
と、拍子抜けした村野井に、
「よろしくお願いします」
と、菊江が丁寧に頭を下げた。
「お、お任せあれ、お嬢さん!」
照れくさそうに答える村野井に、菊江ははにかんだ笑みを見せた。
「これが、クリスマスケーキというものなのですね」
「そのようですね」
「見たところ、大きなお饅頭のようですけど」
早速現れたのは、先日、古村秋子の絵に文句をつけた御婦人達だ。
「珍妙なお味がしそうですけど」
「せっかくですから頂いてみましょうか」
「お話の種にはなりますわよね」
などと、いちいち癪に障る物言いに藍子だけでなく澪子の表情も険悪になる。
「せっかくですけど、ケーキの配布には順番がありまして」
と、藍子が無理やり貼り付けた笑顔で言った。
「なんですって!」
「そんな話は聞いてませんわ!」
「納得のいく説明をして欲しいですわね!」
などと御婦人達がいきり立っていると、
「あの……クリスマスケーキを配っているのは、こちらでしょうか?」
と、控えめな女性の声が聞こえた。
声をかけてきたのは、質素な着物を着た女性だった。そして彼女の後ろには、何人もの子供が不安そうな顔をして立っている。
「はい、こちらですよ!」
と、藍子が持ち前の明るさ全開で答えた。
「子供たちを連れてきたのですけど、よろしかったのでしょうか……」
「勿論です! さあ、みんな、クリスマスケーキを召し上がれ!」
警戒しているのか、最初は子供たちは女性の後ろから出てこようとはしなかった。
すると、何者かが影のように素早く動いた。
一瞬後、波戸裡霧絵が怯えている子供の前に立っていた。
「美味しいよ」
霧絵はそう言って微笑むと、子供たちの中でも一番小さい少女に蒸しケーキを手渡した。
少女は恐る恐るケーキを受け取り一口かじった。
すると、怯えていた少女の顔が満面の笑みに変わった。
「茉莉、あなたも行くのよ!」
「道子さん、負けてはダメよ!」
「「はい!」」
藍子と澪子の鋭い命令に、茉莉と道子も子供たちに素早くケーキを配り始めた。
「こっちで、あんこも配ってますよぉ」
菊江が声をかけると、子供たちは歓声を上げて、路上に出されている配膳台に駆け寄ってきた。
菊江の他に桂木春子も子供たちのケーキにあんこを載せてあげている。
「子供達にケーキを振る舞うとは、素晴らしいお考えですね、星河さん」
ひと通り周囲を見回っていた高之瀬が藍子に声をかけた。
「ありがとうございます、高之瀬さん!」
「見たところあの子たちは……」
「はい、孤児や親に面倒を見てもらえない子供達なんです。最近お父様が子供園を作ったので、そこの子供達にケーキをと……」
「子供園には上弦家も関わっていますわ!」
すかさず澪子が入ってきた。そう簡単に二人をいい雰囲気にはすまい! という気合が感じられる。
「実はケーキだけじゃないんですよ!」
そう言って藍子は横にいる古村秋子と吉名彗子に合図をした。
「クリスマスカードです!」
子供達は色付けされた絵と赤字のMerry Xmasが書かれたカードを物珍しそうに見ている。
「それだけではありませんわよ!」
澪子の横では南久世花子が手のひらサイズの巾着袋を手にしている。
「クリスマスプレゼントですわ!」
「綺麗な端切れを集めて作りました」
「私も手伝いましたのよ!」
こうして、子供達はケーキとクリスマスカード、そしてクリスマスプレゼントをもらって、思い出深いクリスマスを送ることができた。
「もうケーキはないんですの?」
例の御婦人が不満そうに聞いてきた。
「一つずつでは足りませんわ」
「お土産にもいただきたいものですわ」
「宅にも幼い子がおりますのよ」
などとやっているうちに、他の御婦人も集まってきた。
「本日のクリスマスケーキの配布は終わりです!」
御婦人たちに向かって高らかに言う藍子。
「まあ、なんてことなの!」
などと、御婦人達が続々と不満の声を上げた。
「ですが、今日お配りしたのは、私達帝都女学校の生徒が作ったものです。悔しいことに、高貴な私といえども、ケーキ作りに関しては素人です!」
相変わらずの藍子節である。
「しかし! なんと、本職が作ったバター蒸しケーキが食べられるのです!」
衝撃の発表だと言わんばかりの調子である。
「本職が作った……? それはどこで食べられるんですか?」
茉莉が今初めて聞いたとばかりに、驚きの表情で訊いた。
「何を隠そう、村木菓子店でバター蒸しケーキを今日から販売を開始するのです! しかも、あんこ入りという豪華さ!」
「なんと、あんこ入りとは!!」
「そう、私達も精魂込めてこのバター蒸しケーキ作りました! しかし悲しいかな、私達はただの女学生、この高貴な私でさえ、ケーキ作りでは本職の方には敵いません!」
「これは、すぐにでも村木菓子店に行かなくては!」
「そうです! 私達のケーキの倍、いえ、数倍の美味しさを誇る村木菓子店のバター蒸しケーキです、あっという間に売り切れてしまうでしょう!」
悲嘆に暮れる藍子と茉莉。二人の手には村木菓子店までの地図入りチラシが握られている。
「こ、これは、急がなくてはいけませんわね」
「そうですわね、この数倍の美味しさですものね」
「参りましょう参りましょう」
三人の御婦人は口々に言いながら、チラシを受けとると足早に立ち去った。
「ふふ、上手くいったわね、茉莉」
「ふふ、そうですね、藍子様」
悲嘆顔をずる賢い笑みに変える藍子と茉莉。
「よかったの、あんなことしてもらって……?」
菊江が申し訳なさそうに言うと、
「何を言っているの、菊江さん! これで帝都一のお菓子屋さんが作るケーキが食べられるのよ!」
「帝都一は、大げさだと思うけど」
苦笑いをする菊江だが、藍子は構わずに続けた。
「焼きそばパンとコロッケパンに続いて、蒸しケーキまで発明してしまうなんて! ああ! 私の高貴さは留まるところを知らないわね!」
「発明したのは藍子様ではありません」
すかさずツッコミを入れる茉莉。
「そうですわよ! コロッケパンは私の発案ですわ!」
「そうだったかしら?」
すっとぼける藍子を囲んで澪子達が賑やかに反論した。
「どうやらクリスマスケーキの配布は、無事終わったようだな」
「そうだね、無事に終わって何よりだ。お嬢さん達も楽しそうでよかった」
村野井の言葉に、涼二が穏やかな笑顔で藍子たちを見ながら答えた。
その視線は、賑やかにお喋りをする女学生達の中心にいる、一際声の大きい少女に向けられていた。
「大輪の花のようだ……」
ふとそんな言葉が、涼二の口をついて出た。
「何か言ったか?」
「いや、何でもない」
村野井に軽く笑みで返す涼二だった。
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『村木菊江の日記』
「バター蒸しケーキ」は私の人生を大きく変えたお菓子として、一生記憶に残るだろう。
星河藍子さんに「ケーキの作り方を教えてほしい」と言われたときは混乱した。
正直なところ、全く想像もつかない、というわけではなかった。
私もお菓子屋の娘だ。饅頭の作り方を応用すれば作れるのではと思いはした。
だが、うちのお店は経営が厳しく、私も学校を辞めて手伝うことに決めていた。
そこに、あの紳士からの依頼だ。有力者からの大量発注は経営立て直しの起爆剤になり得る。
両親もおおいに期待していた。にも関わらずいきなりの取り消し。
目の前が真っ暗になったところに、藍子さんが来た。
藍子さんには本当に助けられた。
だが、彼女の頭には「クリスマスケーキを作りたい!」という自分の願いを叶えることしか無かったのだと思う。
バター蒸しケーキは、私が父から教わった方法で作った。
ケーキにあんこを載せるのは、藍子さんの思いつきだ。
その思いつきが、あんこ入りのバター蒸しケーキとして、うちのお店に並ぶことになった。
藍子さんの口上のおかげで、あんこ入りバター蒸しケーキは大評判になった。
ケーキ作りに欠かせないバターは、星河家が仕入れてくれた。
父によると「代金はケーキが売れた後で構わない」とのことだった。
クリスマスは、サンタクロースが願いを叶えてくれる日だと何かで読んだことがある。
サンタとはセイント、聖女という意味らしい。
今年のクリスマスは、きっと我が家にサンタが来てくれたのだ。
星河藍子さんというサンタが。




