第10話 学芸会
「ああ、ロニー、ロニー! どうしてあなたはロニーなの?」
放課後の校庭で、藍子は朗々と暗唱をしている。
「今日、先生が読んでくださったお話、素晴らしかったわね、茉莉!」
「『ロニーとミュリエッタ』ですね。海外の作品を学芸会用に翻訳してくださったそうです」
「ミュリエッタ役をやるのが楽しみだわ!」
「まだ決まってませんよ、藍子様」
すっかりミュリエッタ役になるつもりでいる藍子に、すかさずツッコミを入れる茉莉。
そこに、
「大事なことを忘れているのではありませんこと、藍子さん?」
と言いながら澪子が歩み寄ってきた。
「あら、また盗み聞きかしら、澪子さん?」
「あんな大きな声を出していたら校舎からでも聞こえますわ」
「それだけ高貴な私の暗唱が素晴らしかったということね!」
澪子の皮肉にも全く動じない藍子。
「随分と自信がおありのようですけれど、ミュリエッタ役を狙っているのはあなただけではありませんわ、藍子さん」
「その口ぶりだと、あなたも狙っているということかしら、澪子さん」
「勿論ですわ」
「いいわ、正々堂々勝負しましょう」
不敵な笑みで対峙する二人の間に、バチバチと火花が散る。
「それでは、私はミュリエッタ用の衣装合わせがありますので、失礼致しますわ、藍子さん」
「偶然ね、私もよ。あなたの衣装が無駄にならなければいいけれどね、澪子さん」
こうして、藍子と澪子のミュリエッタ役を巡る熾烈な戦いの火蓋が切って落とされた。
と、思われた。
◇ ◇ ◇
「やっぱり、ミュリエッタ役は高貴な私よね!」
「私がミュリエッタの母親役だなんて信じられませんわ……」
「よろしくね、お母様♡」
「きぃーーーー!」
ご満悦の藍子と、悔しがる澪子
その日、学芸会の演目「ロニーとミュリエッタ」の配役が発表された。
「私達、高等部1年生の代表だものね! 頑張るわよ、澪子さん!」
「も、勿論、やるからには全力で挑みますわ!」
いがみ合っているようで、何気に息が合っている藍子と澪子だった。
そして、その日の放課後、藍子達はしばらくの間教室で話をした後、連れたって教室を出た。
「初稽古が楽しみだわ!」
「私は今日、衣装が届く予定ですの!」
主役の藍子は芝居、澪子は衣装のことで頭がいっぱいだ。
そして、校庭の脇を歩いていた時、
「あの、藍子様……」
「どうしたの、茉莉?」
茉莉が何かに気がついて、藍子に呼びかけた。
「何か、聞こえませんか?」
「何か?」
「はい、誰かが何かを読んでいるような……」
「……言われてみると」
「……聞こえますわね」
「……ですね」
藍子と澪子、道子も立ち止まって耳をそばだてた。
「向こうの林の方からです」
茉莉が校庭の反対側の林を指差した。
「見に行くわよ!」
「そうですわね!」
早くも藍子と澪子は林に向かって歩き出していた。
林に入ると、よりハッキリと声が聞こえた。
そこにいたのは一人の女生徒だった。
「この恋の蕾、次にお会いする時には、きっと美しい花を咲かせましょう!」
その女生徒は手にしたノートを胸に、朗々と台詞を暗唱していた。
「あれはミュリエッタの台詞……!」
「ですわね……!」
声を潜めながらも、驚きが隠せない藍子と澪子。
「おお、嬉しいこの短剣! この胸、これがお前の鞘なのよ!」
女生徒は尚も感情豊かに台詞を謳い上げている。
「あれは、隣のクラスの松井田澄子さんですね」
茉莉が囁くように言った。
すると、
「ああ、なんていう事なの!」
と言って藍子は、愕然とした様子で頭を抱えた。
その声に松井田澄子が気づいて、ハッとしたように振り返った。
そして、藍子たちに気づくと、
「あ……!」
と、小さく声を上げて、足元に置いてあった鞄を掴み、小走りで立ち去ってしまった。
「どうしたのですか、藍子様?」
茉莉が心配そうに訊いた。
「素晴らしかったのよ……素晴らしすぎたの!」
「素晴らしかった?」
「そう、あの朗々と響き渡る声よ。まさか高貴な私を超える人がいるなんて思いもよらなかったわ!」
「確かに、素晴らしい暗唱でしたわね」
藍子だけでなく澪子も同様に認めた。
「彼女はミュリエッタ役に名乗り出なかったのかしら?」
「調べてみます、藍子様」
「ええ、お願いね、茉莉」
◇ ◇ ◇
「松井田澄子さん、学芸会は詩の朗読で参加するようです」
次の日の昼休み、茉莉が藍子に調べた結果を話した。
「確かに、それも素晴らしいとは思うけど、なぜ昨日はミュリエッタのセリフを暗唱していたのかしら……?」
焼きそばパンをもぐもぐ食べながら思案を巡らす藍子。
「そこは、本人に聞いてみるしか……」
「そうね! 本人に直接訊いてみるわ!」
そして、その日の放課後。
「松井田澄子さん!」
「……?」
例のごとく、藍子は隣のクラスの入り口で大声で呼びかけると、澄子は顔を上げて藍子を見た。
その途端、澄子は恥ずかしそうに顔を赤らめて、反対側の出口から足早に帰ろうとした。
「あ、ちょっと待って!」
藍子は廊下に出て反対側に駆けていった。
「何か用……?」
藍子に立ち塞がれて、澄子はぶっきらぼうに言った。
「ミュリエッタはあなたがやるべきよ、澄子さん!」
「ええ!?」
「例のごとく唐突ですね、藍子様」
「どういうことなの……?」
そう訊き返す澄子は不安を押し殺そうとしているかのように、こわばっていた。
「昨日、あなたの暗唱を聞いたからよ!」
「でも、ミュリエッタは星河さんに決まったんでしょ、私にはもう関係ないわ」
そう言って澄子は、立ち塞がる藍子の横をすり抜けて帰ろうとした。
「まだ、終わってないわ、澄子さん!」
「終わってない?」
「今から職員室に行くのよ!」
「職員室?」
「覚悟を決めてください、松井田さん」
澄子は藍子に引っ立てられるようにして、職員室に連れて行かれた。
◇ ◇ ◇
「校長先生に聞いてはいたけど、また思い切ったことを言うのね。それで、あなたはそれでいいの、星河さん?」
話を聞いた女性の英語教師が藍子に訊いた。『ロニーとミュリエッタ』を学芸会用に翻訳した教師だ。演技の監督も担当する。
「はい! 高貴な私こそミュリエッタに相応しいと思っていましたが、松井田澄子さんの演技はその私を超えています。なのに私がミュリエッタ役をやるなんて、高貴な私の心が許せません!」
英語教師の前でも、藍子はいつもの調子で雄弁に語った。
「そう。それで、松井田さんはどうする? ミュリエッタ役を受ける?」
「私、は……」
英語教師の問いかけに澄子は口ごもった。
「私は、ミュリエッタ役に相応しい、衣装を用意できないので……」
澄子がそう言ってうつむき加減になると、
「それなら、私が用意した衣装を着ればいいわ」
「え……?」
至極当然のように言う藍子に、意外そうな目を向ける澄子。
「澄子さんは私とほぼ同じ身体つきみたいだし。細かいところは仕立屋さんに直してもらえばいいわ」
「ということだけど、どうする、松井田さん? あとはあなた次第だけれど」
澄子は信じられないといった表情だが、先ほどまでの沈んだ様子は消えていた。
「本当に、いいの……?」
「勿論よ! あなたは高貴な私が認めたミュリエッタ役なんだから!」
藍子の言葉に、澄子の笑顔が大きく広がった。
「それでね、お相手のロニー役なんだけど、まだ決まっていないのよ。希望者がいないの、男性役だからかしらね……」
英語教師が困ったように言った。
「それなら、私がロニー役をやります」
藍子が事も無げに言った。
「本当? それは良かったわ。衣装は間に合わなければ着物でもいいから……」
「大丈夫です、お任せください!」
自信満々の藍子。
こうして、ミュリエッタ役は澄子、ロニー役は藍子に決まったのだった。
そして、職員室を出て廊下を歩き始めると、
「星河さん、その……ありがとう、ミュリエッタ役を譲ってくれて、しかも衣装まで……」
「私の高貴な心に従っただけよ! だから気にしないで、澄子さん!」
太陽のような笑顔で答える藍子に、
「それはそうと、念のために用意しておいたロニー用の衣装が役立ってよかったですね、藍子様」
と、茉莉が内緒話をするように言った。
「え、用意してあったの……?」
「ち、ちょっと、茉莉……!」
「ええ、もし、希望していたミュリエッタ役に落ちた時のために……モガモガ」
藍子は慌てて茉莉の口を手で塞いだ。
「ま、まあ、念には念を入れてということよ、あはは……」
「聞こえましてよ、藍子さん」
藍子が言い訳をしていると、後ろから澪子の声が聞こえてきた。
「分かりますわよ、その気持ち。私の方がミュリエッタ役に相応しいと思ってらした証拠ですわね、おほほほ!」
何故か勝ち誇ったように高笑いをする澪子。
「何を言っているのかしら? 勝ったのは私で、あなたは負けたのよ、澪子さん! そういうのを負け犬の遠吠えというのね、おほほほ!」
「な、なんですってぇーー!」
「あの、二人とも、喧嘩は……」
「いつものことですから、松井田さん」
「そうです、大丈夫ですよ」
こうして、藍子達いつもの4人と澄子は、来たる学芸会のことを賑やかに喋りながら帰途についたのだった。
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『松井田澄子の日記』
私は、学芸会で念願のミュリエッタ役をやれることになった。
『ロニーとミュリエッタ』の翻訳を読んだ時「ミュリエッタの役を私がやれたら」と即座に思った。
だが、『ロニーとミュリエッタ』は外国のお話だ。衣装もそれに合わせたほうが、より物語を再現できる。
だが、私の家は貧しい。私の学校用の着物と袴も、従姉妹のお下がりだ。
とても、学芸会用に服を新調して欲しいとは言えない。
なので私は、詩の朗読で学芸会に参加することにした。
けれど、『ロニーとミュリエッタ』への渇望は消すことはできなかった。
私は、放課後に校庭脇の林でミュリエッタの台詞を暗唱して、その渇きを癒した。
ところが、それを星河藍子さん達に見つかってしまった。
そして驚いたことに、藍子さんは私の暗唱を絶賛してくれ、私をミュリエッタ役に推挙してくれたのだ。
しかし、私には相応しい衣装がない。恥ずかしいことだったが、それを藍子さんに伝えると、なんと「私のを着ればいい」と言ってくれたのだ。
あとで見せてもらったミュリエッタの衣装は、まさに夢のような美しさだった。
そして、ロニー役になった藍子さんの衣装も、とても素敵だった。
明日からの、衣装を着ての稽古が楽しみだ。勿論学芸会も。
追記 : ミュリエッタの母親役の上弦澪子さんの演技も素晴らしい。発声では藍子さんがやや優っていたが、大げさともいえる澪子さんの身ぶり手ぶりは、舞台ではきっと映えることだろう。




