第3話 主にふさわしい服を①
暴漢たちが去ったあと、ルキアさんは水を含ませたパンを、僕が食べ終えるまで決して席を立たなかった。
固かったパンは水を吸って柔らかくなり、今度は喉へつかえることもなく飲み込めた。お腹へ少しだけ温かさが戻ったところで、僕たちは男たちが置いていった銅貨を数えた。
最後の1枚を袋へ戻すと、ルキアさんは袋の口を固く結んだ。
「正義への寄付金も得たことだ。主にふさわしい衣服を買いに行こう」
「僕の服、ですか?」
「その服では、身体を守ることもできまい。破れた箇所を直すだけなら針と糸で足りるが、替えの服は必要だ」
言われて、自分の服を見下ろした。
誰かが捨てたものを拾って着続けてきたシャツは、元の色が分からないほど汚れている。ズボンも裾が破れ、大きさの合わない古い靴を履いていた。
「でも、僕みたいなのがお店へ行ったら、迷惑になります」
「案ずるな。主に何か言う者がいれば、私が黙らせる」
「それは駄目です……」
「む……」
ルキアさんは不満そうに唇を尖らせた。
「お店の人を怖がらせたら、服を売ってもらえなくなります」
「金を払い、品を求めるだけだというのにか?」
「それでもです」
しばらく見つめ合った末、先に目を逸らしたのはルキアさんだった。
「くっ……分かった。では、私が一人で主の服を見繕ってこよう」
「一人で、大丈夫ですか?」
「それはこちらの台詞だ」
ルキアさんは僕の前へ膝をつき、両肩へ手を置いた。
「召喚された私には、離れていても主のおおよその居場所が分かる。危険が迫れば、すぐに気づくこともできるようだ」
「そんなことまで分かるんですか?」
「ああ。だから、何かあれば私の名を呼ぶのだ。必ず駆けつける」
そう言って、ルキアさんは僕を両腕でぎゅっと抱きしめた。
「く、苦しいです……」
「それだけ心配しているということだ」
ようやく腕を緩めると、ルキアさんは僕の頭をひと撫でして立ち上がった。
「私が戻るまで、この城から出ないこと。約束できるな?」
「はい。行ってらっしゃい、ルキアさん」
「行ってくる。我が城を頼んだぞ、主」
白銀の髪を揺らし、ルキアさんは空き家を出ていった。
◇ ◇ ◇
主を城へ残してきたことが、どうにも気がかりだった。
召喚された私には、主のおおよその居場所と状態が分かる。今も危険はなく、空き家の中で大人しく待っているようだ。
それでも、できるだけ早く戻るべきだろう。
私は貧民街を抜け、表通りへ足を踏み入れた。
白銀の鎧をまとった私が歩くと、行き交う人々はなぜか左右へ道を譲る。やがて見つけたのは、古着を扱う店だった。
店構えは小さいが、並べられた品はどれも丁寧に手入れされている。主の普段着を任せるには悪くない。
「いらっしゃいませ。どちらの御家の方でしょうか?」
店へ入った途端、店員が慌てて背筋を伸ばした。
「家名を告げに来たのではない。少年に着せる服を探している」
「ご子息の普段着でございますか?」
「違う。私の主だ」
「……ご主人様、でございますか?」
「そうだ」
店員が一瞬、不思議そうな顔をした。
主に衣服を用意することの、何がそれほど不可解なのだろう。
「背丈はこのくらいだ。肩は細く、腕もまだ痩せている。だが、これから十分に食べさせる。すぐに大きくなるだろう」
「でしたら、少し余裕のあるものがよろしいでしょう」
店員は丈夫な古着を何着か並べた。
私は縫い目や布地を確かめ、状態のよい生成りのシャツと濃紺のズボンを選ぶ。肌へ直接触れる下着と靴下は新品を用意させ、修繕済みの革の短靴も加えた。
「上着はいかがなさいますか?」
「今回は見送る」
主に寒い思いをさせたくはない。だが、残った銅貨は食料や城の修繕にも回さねばならなかった。上着は、次に資金を得てからでいい。
代金を払い、服の包みを抱えて店を出る。
帰り道、大きな石造りの建物が目に入った。入口には湯気を模した看板が掲げられ、男女別の大浴場であることが記されている。
「ふむ」
私は腕の中の包みを見下ろした。
「新しい衣服を身につける前に、主には身を清めてもらうべきだな」
◇ ◇ ◇
「おかえりなさい!」
入口にルキアさんの姿が見えた途端、僕は立ち上がって駆け寄った。
「ただいま、主よ」
無事に戻ってきたことにほっとする間もなく、ルキアさんは服の包みを片腕に抱え、空いた手で僕の手をつかんだ。
「主よ。ともに来るのだ」
「えっ? ど、どこへ行くんですか?」
「着けば分かる」
手を引かれ、僕は貧民街の外へ連れていかれた。
表通りへ近づくにつれ、道を歩く人が増えていく。誰もが僕より綺麗な服を着ていて、身体もずっと清潔だった。すれ違う人の視線が、自分の汚れた服や髪へ向けられている気がする。
帰りたくなった。
けれど、ルキアさんの手は温かく、僕を置いていくことはなかった。
「着いたぞ」
立ち止まった先には、貧民街の空き家よりも何倍も大きな石造りの建物があった。入口の上には湯気の形をした看板が掲げられ、その奥から人の声と水音が聞こえてくる。
「ここは……?」
「大浴場だ。新しい服を着る前に、主の身体を綺麗にしよう」
「お風呂……」
僕は共同井戸の水で身体を拭いたことしかない。湯をたくさん使って身体を洗える場所があることは知っていたけれど、中へ入るのは初めてだった。
受付にいた女の人は、ルキアさんへ笑顔を向けたあと、その隣にいる僕を見て眉をひそめた。
「何、その小汚い子。お金はあるんでしょうね?」
「うっ……」
やっぱり、僕みたいなのが入ってはいけない場所だったのだ。
俯きかけた僕の前へ、ルキアさんの腕が伸びた。受付台の上へ銅貨を置き、碧い瞳で女の人を見据える。
「金ならあるぞ。私の主に、何か文句でもあるのか?」
声は静かだった。
それなのに空気が急に重くなり、受付の女の人の顔から血の気が引いていく。
「あ、ありません! 何も問題ありません!」
「そうか。ならばよい」
ルキアさんが威圧を収めると、女の人は震える指で男女それぞれの入口を示した。
「お、男湯は右、女湯は左です。中に石鹸と手拭いもありますので、ご自由にお使いください!」
「分かった」
男湯と女湯へ分かれる入口の前で、ルキアさんは抱えていた包みを僕へ差し出した。
「これは主の新しい衣服だ。湯から上がったら、着替えるといい」
「こんなに……」
「必要なものだけを選んだ。遠慮せず受け取れ」
「ありがとうございます、ルキアさん」
僕が包みを抱えると、ルキアさんは心の底から残念そうに息を吐いた。
「本当なら、私が主の身体を隅々まで洗って差し上げたいのだが……一緒に入れないとは残念だ」
「そ、それはさすがに……一緒に入れなくてよかったです」
「何かあれば呼ぶのだぞ?」
「お風呂で何が起きるんですか……」
それでもルキアさんは心配そうに何度も振り返りながら、女湯へ入っていった。
僕も覚悟を決め、服の包みを抱えて男湯の暖簾をくぐった。
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