第16話 屋根の下の雨音
翌朝、城の外へ出ると、空は厚い雲に覆われていた。
陽の光は弱く、風には湿った土の匂いが混じっている。カレンさんは雲の流れを見上げたあと、屋根へ視線を移した。
「昼を過ぎる頃には、雨が降るかもしれません」
「では、その前に屋根を直しましょう」
「うむ。私が屋根へ上がろう」
「ルキア様は、力を込めすぎないようお願いいたします」
「昨日も聞いたぞ。屋根程度、壊さぬ」
「すでに壊れております。これ以上はお控えくださいませ」
ルキアさんは屋根を見上げ、少しだけ眉を寄せた。
「……慎重に扱おう」
僕たちはガチャから出た厚手の作業手袋をつけ、屋根の状態を確かめることにした。
◇ ◇ ◇
城の内側から見上げると、残っている梁のうち、何本かは黒ずんでいた。
カレンさんは金属製の物差しの端で梁を軽く叩き、表面も指で押していく。
「黒ずんでいるのは主に雨染みでございます。芯まで腐ってはいませんが、傷んだ箇所へ体重をかけるのは危険でしょう」
以前カレンさんが張ってくれた丈夫な布は、雨水を寝床から壁際へ流す役目を果たしている。けれど、屋根の大きな穴を塞ぐには足りず、風が強ければ布の隙間から雨が吹き込んでいた。
「傷んだ板をすべて交換するには、木材が足りません」
カレンさんは排水溝から持ち帰った板を並べ、大工道具の中から目盛りの刻まれた金属製の物差しを取り出した。板の端へ当て、長さを順番に測っていく。
「残っている梁へ補強の板を渡し、その上へ大型の防水布を張ります。屋根全体を作り直すことはできませんが、雨を防げる範囲は大きく広げられるでしょう」
「僕は何をすればいいですか?」
「必要な道具と釘を渡してくださいませ。それから、屋根の内側を見て、布の傾きを教えていただけますか?」
「傾き?」
「雨水が寝床の方へ流れないよう、壁側を低くいたします。ご主人様には、城の中から水の流れる向きを見ていただきたいのです」
「分かりました」
「主よ。縄も頼めるか?」
「はい。収納袋から出しておきます」
僕が大工道具と鉄釘、太い縄を床へ並べている間に、ルキアさんは城の外へ回った。
白銀の鎧をまとわず、黒い騎士服のまま地面を蹴る。軽く跳んだだけに見えたのに、次の瞬間には残った梁の上へ立っていた。
足元の古い板がぎしりと鳴り、ルキアさんがすぐに重心を移す。
「ルキア様。そこへ体重をかけないでくださいませ」
「私はそれほど重くないぞ」
「重さではなく、踏み込む力の問題でございます」
「……なるほど」
ルキアさんは素直に足を引き、太い梁の上へ移動した。
◇ ◇ ◇
カレンさんは傷みの少ない板を選び、腐った端を鋸で切り落とした。
大工道具から出てきた鋸は、古い板にも引っかからず、細かな木屑を落としながらまっすぐ進む。切り揃えた板をルキアさんが屋根の上から支え、カレンさんが内側から鉄釘を打ち込んだ。
「金槌をお願いいたします」
「はい」
「次は、少し長い釘を2本お願いします」
僕は収納袋から必要な物を取り出し、カレンさんへ渡していく。
補強用の板が1本固定されると、残った梁の揺れが少なくなった。2本目の補強板も固定し終えたところで、カレンさんが屋根の穴を見上げ、手を止める。
「もう1本、中央を支える板が必要でございます」
「持ってきた板は、もう使えないのですか?」
「残りは短すぎます。このまま防水布を張れば、中央へ雨水が溜まってしまいます」
僕は城の中を見回した。
壁際には、これまで雨水を寝床から遠ざけるために使っていた古い板がある。片方の端は腐っていたが、中央を指で押しても沈まなかった。
「この板は使えませんか?」
カレンさんが板を受け取り、表と裏を確かめた。
「傷んだ部分を切り落とせば、長さも強度も足りそうでございます」
「主は、この城のことをよく見ているのだな」
「毎日ここで暮らしているから、少しだけです」
「十分でございます。ご主人様のおかげで、支えが足りました」
腐った端を切り落とした板を中央へ固定すると、屋根の穴を横切るように3本の支えが並んだ。
◇ ◇ ◇
僕とカレンさんが大型の防水布を広げると、城の床の半分近くが青灰色の布で覆われた。
片側へ太い縄を結び、ルキアさんが屋根の上から引き上げる。カレンさんは防水布の端へ細長い板を重ねた。布を板と梁の間へ挟み込み、板の上から鉄釘を打って固定していく。
「ご主人様。そちらの縄を引いてくださいませ」
「はい!」
僕は両手で縄を握り、後ろへ体重をかけた。
防水布が屋根の上で伸び、たるんでいた中央が持ち上がる。カレンさんが内側から傾きを確かめ、右手を少し上げた。
「ルキア様。そちらを、もう少し高くしてくださいませ」
「この程度か?」
「はい。その位置でお願いいたします」
縄を梁へ結びつけた時、頬へ冷たいものが落ちた。
屋根の穴から灰色の空が見え、次の雨粒が床へ落ちる。そのあとを追うように、細かな音が屋根全体へ広がった。
「雨です」
「間に合う。主よ、その縄を離すな」
「はい!」
雨脚が少しずつ強くなる。
ルキアさんが屋根の上で防水布の端を押さえ、カレンさんは内側から残りの釘を打ち込んでいく。僕も縄を引いたまま足を踏ん張り、布が風で浮かないよう力を込めた。
「最後の1か所でございます」
カレンさんの金槌が鳴り、布の端が梁へ固定された。
「主よ、縄を結ぶぞ」
屋根から降りたルキアさんが僕の手元を支え、2人で縄を柱へ巻きつけた。カレンさんが結び目を確かめ、余った部分を切り揃える。
「これで完成でございます」
◇ ◇ ◇
3人で城の中へ戻り、屋根を見上げた。
防水布を叩く雨音が、低く続いている。以前なら屋根の穴から冷たい雨が落ち、寝床の近くへ小型の鍋を置かなければならなかった。
僕は壁際の小型鍋へ手を伸ばしかけ、途中で止める。
「鍋は必要ございません」
カレンさんが、わずかに微笑んだ。
「……本当に、雨が入ってこないんですね」
「当然だ。我ら3人で直した屋根だからな」
ルキアさんは胸を張り、防水布の端から落ちる水の流れを確かめた。
壁際へ1筋だけ水が伝っていたが、寝床からは離れている。カレンさんは防水布の端を一度外し、壁の外側へ水が流れるよう折り返して固定し直した。
「これで、こちらも問題ございません」
雨はさらに強くなった。それでも床へ落ちる水滴はなく、毛布も敷物も濡れていない。
◇ ◇ ◇
屋根から流れ落ちる雨水を、新しく出た木桶へ受けた。
最初に溜まった水には、屋根に残っていた木屑や埃が混ざっている。僕は青白い《浄水石》を手に取り、木桶の底へ沈めた。
石から淡い光が広がると、水の中を漂っていた細かな汚れが少しずつ石の周囲へ集まった。濁りは薄くなり、しばらくすると木桶の底まで見えるほど透明になる。湿った木のような臭いも弱くなっていた。
「きれいになりました」
「飲んでみるか?」
ルキアさんが木桶をのぞき込む。
「濁りはなくなりましたけど、飲んでも大丈夫かは分かりません」
「堅実な判断だ。まずは洗い物へ使うとしよう」
カレンさんは浄水石を取り出し、表面へ目を近づけた。
「先ほどより、光が少し弱くなっております。使える回数か、浄化できる水の量に限りがあるのかもしれません」
「明日になったら、光が戻るかも確かめましょう」
「承知いたしました」
浄化した水は、作業道具と泥のついた布を洗うために使うことにした。
◇ ◇ ◇
外へ出られないほど雨が強くなったため、夕食は城にある物だけで作った。
カレンさんは深鍋へ乾燥豆と穀物を入れ、干し肉と野菜を加えて煮込んだ。僕とルキアさんは使い終えた大工道具と残りの材料を収納袋へ片づける。
やがて、温かな豆のスープが3つの器へよそわれた。
「これで、ようやく城らしくなったな」
ルキアさんが、屋根を打つ雨音を聞きながら言った。
「前から城ですよ」
「む?」
「ルキアさんが、ここは僕たちの城だって言ってくれたから」
最初は、屋根の半分が崩れた空き家を城と呼ぶことが不思議だった。
今は床が片づき、温かな食事があり、雨の日にも濡れずに眠れる。何よりも、ルキアさんとカレンさんが一緒にいる。
「そうであったな。ここは最初から、私と主の城だ」
「わたくしもおります」
カレンさんが穏やかに口を挟む。
「今は、僕たち3人の城ですね」
ルキアさんは一度だけ目を見開き、それから嬉しそうに笑った。
「ああ。私たち3人の城だ」
夕食を終え、僕とルキアさんはいつもの寝床へ、カレンさんは新しい敷物と毛布へ入った。
屋根を叩く雨音は、夜になっても途切れない。それでも、冷たい水は1滴も落ちてこなかった。
雨が降る夜は、身体を丸め、濡れない場所を探して眠るものだった。今夜は毛布の中で、雨音を聞いていられる。
雨の夜が怖くないと思えたのは、初めてだった。
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