問
カチャ、と扉を閉める。
自室に戻ると、机のライトを点けた。
白い光が、机の上の狭い範囲だけを切り取る。
それ以外の場所は、薄い暗がりに沈んだままだった。
椅子に腰を下ろし、スマホを手に取る。
GoTalk 。
その名前は、ここ最近やたらと目に入っていた。
ネットを開けば、どこかしらで話題になっている。
すごい。便利。革命的。
そういう言葉が並ぶたびに、かえって距離を置きたくなった。
みんなが飛びついているものに、今さら乗っかるのが癪だったのかもしれない。
けれど、母の言葉が頭の片隅に残っている。
-たいしなら、こういうのすぐ使えそうじゃない。今度やってみたら?
普段なら、気にも留めていなかったと思う。
だが今は、少しだけ事情が違った。
最初のひと言が分からない。
どんな言葉なら、不自然に聞こえないのか。
どう切り出せば、彼女はいつものように笑ってくれるのか。
欲しかったのは、もっと具体的な答えだった。
使えるものがあるなら、使えばいい。
それだけのことだ。
そう自分に言い聞かせるように、スマホを手に取る。
アプリストアを開き、検索欄に名前を打ち込んだ。
GoTalk 。
候補はすぐに出てきた。
レビューの数は多いが、誰もが入れているというほどではない。
少しだけ眺めてから、インストールのボタンを押す。
数十秒ほど待つと、ホーム画面に新しいアイコンが現れた。
それをタップすると、画面は拍子抜けするほど簡素だった。
余計な装飾はない。
中央に、テキストボックスがひとつ。
ただ、それだけ。
何を聞くか、少しだけ考えた。
『カレーの保存期間はどのくらい?』
他愛もない質問だった。
試しに使ってみるには、ちょうどいい。
返答が来るまで、数秒もかからなかった。
『カレーの保存期間の目安は以下です。
・常温保存:基本的に避けた方がよい
・冷蔵保存:二〜三日程度
・冷凍保存:約一ヶ月程度
注意点として、じゃがいもは冷凍すると食感が変わりやすいため、冷凍前に取り除くことが推奨されます。保存する場合は、粗熱を取ってから清潔な容器に移してください』
画面に並んだ文字を、上から順に追っていく。
返ってくるまでが早い。
それに、必要な答えだけでなく、こちらが聞いていない注意点まで整理されている。
なるほど。
少なくとも、試す価値はある。
期待していなかった分だけ、指先が少しだけ早くなった。
僕は、答えの出なかった問いを画面に打ち込んだ。
『女子と自然に話すにはどうすればいい?』
送信する直前で、指が止まる。
一度消して、打ち直す。
『明るい性格の女子と会話するにはどうしたらいい?』
送信。
数秒後、返答が表示される。
『明るい性格の相手との会話で意識すべきことは、「雰囲気を作ろうとしない」ことです。
明るい人は、場の空気を自然に動かすのが得意です。そういう相手に対して、こちらが「うまく話そう」「笑わせよう」と構えると、その緊張がそのまま伝わります。明るい人ほど、相手の力みに敏感です。結果として、会話は弾むどころか、妙にぎこちなくなります。
有効なのは、相手のペースに乗ることです。
明るい人が話すとき、言葉の端に反応を求めていることが多い。笑いでも、相槌でも、短い返しでも構いません。「そうなんだ」「それ知らなかった」——それだけで、相手は会話が続いていると感じます。
また、共通の話題がある場合は、会話が続きやすくなります。
たとえば同じ音楽、漫画、動画、ゲーム、学校行事など、互いに少しでも知っているものがあれば、相手も返答しやすくなります。ただし、無理に相手の趣味に合わせようとすると不自然になるため、まずは相手の反応を見ながら、興味の近い話題を探すのが自然です。
まとめると、明るい相手に必要なのは「面白い自分」ではなく「返しやすい自分」です。相手がしゃべりやすい空気を作ることが、結果として自然な会話になります。』
画面の文字を、上から順に読み返す。
たしかに、無理に話そうとしていた。
言葉を探している間も、たぶん彼女には気を遣わせていた。
その場では気づかなかったことが、文字にされると少しだけ痛かった。
画面に並んだ文章の中で、ひとつの言葉に目が止まる。
共通の話題。
たしかに、僕はまだ彼女が何を好きなのかすら知らない。
話したい。
けれど、それが簡単ではないことも分かっていた。
彼女の周りには、いつも誰かがいる。
僕が入り込める隙間なんて、そう都合よく見つからない。
それでも、明日のことを考えるだけで、気持ちは少し先へ行ってしまう。
話せなくてもいい。
同じ教室で彼女の声を聞けるだけで、今は十分だった。
早く、明日になればいい。
そんなことを思いながら、もう一度スマホへ目を落とす。
空いたままのテキストボックスが、次の言葉を待っている。
指先が、画面の上で少し止まった。
「少しは自分で考えよ」
小さく呟いて、画面を閉じる。
そのままベッドに倒れ込むと、暗くなったスマホが手の中で静かに沈んだ。




