03-16
天国・地獄・大地獄 第三話「女王のマンション」
ただいま毎日〈月〜金のみ〉鋭意連載中!!
亡者たちにしてみれば、床が数センチ陥没したような軽い衝撃を味わっただろう。
しかし踝からつま先までを失った脚は体重を支えることができなくなり、バランスを崩した亡者たちは次々に床へと倒れた。
そして足元に広がる血溜まりを目撃し、自分がもう立ち上がれなくなってしまったことを悟って悲鳴を上げた。
エレベーターホールに阿鼻叫喚が響く中、アキハは安堵していた。
穴を閉じるタイミングが遅れれば、亡者たちにとっては大惨事が待っていただろう。
下手をすれば床に生首が転がっていた可能性もある。
しかし、万を超える亡者を穴に葬ってきたアキハにとって、もはや亡者の生死は些末なことで、むしろ今回は生きながらえさせることが肝要だった。
犠牲となった亡者が床に這いつくばっていてくれれば、後続の亡者がアキハに近づくことを躊躇するようになるだろう。アキハの狙いはそこだ。
役に立ってもらう。そう心の中でセリフを吐いたアキハは、複雑な思いに囚われた。
――アッシ、やっぱもう人の心とか無いんかな。
アキハの頭の中に、かつて祖母と交わした会話がおもむろに蘇る。
「人のことを利用しちゃ駄目よ。自分を利用してもらいなさい」
「でもそれじゃ、アッシのものがなくなっちゃうじゃん」
「大丈夫。誰かにあげたと思えたら、とても価値のあるもので心がいっぱいになるから」
――地獄に落ちてからというもの、他人のために何もできていない。価値あるものなんて見つけられないよ、おばあちゃん。
アキハは胸がギュッとなるのを感じたが、今はとやかく思い悩んでいる場合ではない。
エレベーターに向き直ってボタンを押そうとしたアキハは、ボタンの上部に設置された階数表示が作動していることに気づいて、はっとなった。
数字は、2、3とカウントアップしている。
どうやらハコは一階に降りていたらしく、ボタンを押す前に動き出したということは、誰かが乗っているか、他の階でボタンが押されたということだ。
アキハは亡者が乗り込んでいることを想定し、エレベーターの扉から距離をとって、向かいの壁に背中をつけた。
扉から壁まで三メートル程度か。この距離なら、エレベーターから飛び出した亡者を床ギロチンで仕留めることができるだろう。
何者かを乗せたハコは五階で停止し、扉ががたつきながら開く。
乗っていた者のシルエットを見てアキハは胸を撫で下ろし、体重を壁に預けた。
いかつい体格に禿げ頭、牛鬼だ。
「よっ、お待たせ」
牛鬼は右手で手刀を作り、顔の横で虚空をチョップした。軽薄な敬礼といったところだ。
アキハが牛鬼の死体――正確には牛鬼がコピーした男のものだが――が倒れていたあたりを見やると、死体は跡形もなく消え去っている。
死体は砂となって流れ去り、直前にいた部屋、つまりエレベーターの中でリスポーンしたわけだ。
アキハの想像通り、エレベーターもポータルで区切られた独立した部屋であった。
「ほう、あれ、アキハがやったんか?」
床に倒れ込む亡者たちを見て、牛鬼が小さな感嘆交じりに問いかけた。
「そ」
「やるなあ」
簡潔に答えるアキハに、口の端を上げて牛鬼が笑顔を見せる。まるで期待通りとでも言わんばかりだ。
足を失い、床に倒れる六人の亡者たちを検分するように牛鬼はアキハの前を通り過ぎた。
アキハから離れようとしているのか、外通路に向かって這いずっている者もいる。
「そのうち失血死するやろけど、時間かかるし苦痛やろうし。トドメ刺したるかな?」
「好きにして――」
アキハは言いながら牛鬼の後を追おうとしたが、何かに動きを阻まれた。
背中が壁から離れない。服が壁に張り付いたといよりは、服ごと体が壁に接着されたような感触がある。
「なに?」
アキハは両手を壁について背中を押し剥がそうとしたが無駄だった。
そして今度は両手が壁から離れなくなったことに気づく。
どういう理屈か、壁がトリモチのようになっていて、触ったものを捕らえて離さなくなっているようだった。
アキハは「昔、ハエ取り紙ってものがあってね」と祖母が教えてくれたのを思い出し、自分がハエになったような気分になる。
03-17 へつづく
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