03-14
天国・地獄・大地獄 第三話「女王のマンション」
ただいま毎日〈月〜金のみ〉鋭意連載中!!
アキハが牛鬼に話しかけたまさにその瞬間、通路に顔を出していた牛鬼のその額から、赤いしぶきが跳ね上がった。
「あっ、しもた」
牛鬼はそう言って、背中から床へ倒れ込んだ。
手足が痙攣している。一瞬で全身の運動機能が失われたようだ。
「えっ」
言葉を失ったアキハを、目だけ動かして牛鬼が見やる。
「すまん、タイミング間違った。これ即死やわ」
「うそ、ちょっと待ってよ!」
「大丈夫。直前にいた部屋、から、復活するで、ちょい、待ってて、や……」
だんだんと舌が回らなくなり、話し終えると同時に牛鬼は絶命したようだった。
大丈夫と言われたアキハだったが、ちっとも安心できる状況ではない。
――直前の部屋って……。
「おばあちゃんの店かよ!」
アキハの心中のツッコミは無意識に口をついて出ていた。
あそこからこのマンションまで、全速力で走り続けたとしても十分弱はかかるだろう。
その間、アキハが一人でこの状況を切り抜けなくてはならないのだ。
自分から騒ぎを起こしておいて、なんとも無責任な話である。
悲嘆に暮れるアキハの足元を、砂が流れ飛んでいった。
死んだ亡者の成れの果てと思しき、あの砂だ。
風もないのに、まるでつむじ風に巻き上げられるように、手すり壁を超えて空へと舞い上がっていく。
ふとアキハが目線を落とすと、牛鬼の死体が変化を始めているのが目に入った。
髪、皮膚、衣服など、体の最も外側から内側に向かい、朝日を浴びた吸血鬼が灰になって崩れていくように砂へと変化していく。
同じだ。地獄で命を落とすと、その体は細かな砂へと変貌して吹き飛んでしまうらしい。
アキハは祖母の店を出たところで空に見た、風に舞う砂埃のようなものを思い出した。
そうやって砂となった亡者は流れ流れて、『はじまりの部屋』で再び人の形を為してリスポーンするのだということを、アキハは直感で理解した。
しかし、その仮説が正しいとすれば、死体が完全に砂となるのには時間を要し、さらに物理的にリスポーン地点まで飛んでいくというタイムロスもあるので、牛鬼がここに戻ってくるにはより多くの時間がかかるということになる。
アキハの心が絶望色に染まっていく最中、ひとりの亡者が通路から姿を見せた。
チンピラというよりは、そこいらで大学生活を謳歌していそうな青年だった。
足で牛鬼の死体を小突いて生死を確認している。
亡者側からしたら、銃を乱射していた男が急に倒れた形に見えていただろう。
男がふと目線をアキハに移す。
「ひゅっ」と息を飲み込んだアキハに向かって、男はまず唸り声を上げた。
威嚇は生物界における原始的なコミュニケーションのひとつだ。
それを受けた相手の反応次第で、相対した生物が己の格より上か下かを判断できる。
アキハは絵に描いたようにすくみ上がっていた。
それを見た男は、右手に持ったサバイバルナイフを見せつけるように胸の高さにまで上げ、アキハに向かって走り出した。
その様は小動物に向かって地面を蹴る肉食動物を思わせたが、まさかその小動物が『落とし穴』を用意していようなどとは、想像だにしていなかっただろう。
アキハは自分にできる最速の反応でかがみ込み、床に両手をつく。
こちらに突進してくる標的を落とすのは初めてだったが、アキハの頭は意外にも冴えていた。
男の足元から、だいたい大人一人分の身長幅の穴をイメージする。
しゃがみ込んで舞い上がったフリルのひらめきが落ち着くより早く、ぽっかりと床に穴が開く。
「堕ちろッ!」
穴はいつも突然『発生』する。
中心から外に向けて開くのではなく、スイッチを入れたスポットライトが床に円を描くようで、連続ではなく離散的だ。
文字通り立場を失った男は、為す術もなく倒れ込むように穴の中へと消えていった。
直後、どすんという音と「いてえ」という男の悲鳴が穴の中から聞こえてきて、アキハは違和感を覚える。
これまで、穴の『底』があった試しはない。アキハ自身が体験したこの穴は、まさに奈落へと通ずる底なし穴のはずだった。
だが、今回の穴は明らかに様子が違う。
アキハから見える穴の向こうに、外通路の手すり壁が見えている。そう、下の階のものだ。
「うそッ、これただの穴じゃん!」
アキハは思わず叫んでいた。
なぜ急にこれまでと仕様が変わってしまったのか。
お気に入りだったハンバーガーのソースの味を変えられてしまったように、裏切られた気持ちになる。
03-15 へつづく
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