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天国・地獄・大地獄  作者: 瀬良浩介
第二話「高遠アキハ」

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02-13

天国・地獄・大地獄 第二話「高遠アキハ」


ただいま毎日〈月〜金のみ〉鋭意連載中!!

 しかしそれでも今苗(いまなえ)は手を止めない。

 ついには生え際から左耳のあたりまでの皮を引き裂くように剥がしていく。


「ひっ」


 アキハは後ずさる。


「この世界でやっていくには、何もかも忘れちゃった方が楽かもよ?」


 耳の手前でかろうじて繋がっていた皮膚を、顔にはりついたゴミを取り去るかように引き剥がした今苗は、剥がした皮膚をちらりと見てから無造作に床へ捨てた。


「あの、それ、大丈夫なんですか?」


「大丈夫なわけないだろ!」


 恐る恐る尋ねたアキハを一喝する今苗。


「めちゃくちゃ痛いんだよこれ!でも、痒くなってきたとこ、どんどん腐っちゃってさ、剥がさないわけにいかないんだよ!」


 得体のしれない病に侵されているのだろうか。

 アキハはほんの(わず)かだが今苗の身を案じたが、次の言葉を聞いてすぐにその気持ちは消し飛んだ。


「特にさあ。女を見てるとこうなるんだよ。その柔らかそうな皮膚を見てるとムラムラするんだ」


 今苗は手に持った焼酎瓶をテーブルの角に打ち付けた。

 瓶はまっぷたつになり、中に残っていた液体がガラス片とともに床にまかれる。


「だから、君の、ちょうだい」


 顔の左半分が血まみれの今苗は、先端が鋭利な刃物へと変貌(へんぼう)した酒瓶を手に、ソファからゆらりと立ち上がる。

 ――危険だ。逃げなくては!

 アキハの脳は全身に緊急信号を送ったが、まるで金縛りにあったように手足は動かない。


 その時だった。店の入り口の方から、カランカランと間の抜けた音が響いた。誰かが入り口ドアを開けたためドアベルが鳴ったのだ。

 ドアの向こうからは、二十代半ばと(おぼ)しき女性がこちらを覗き込んでいる。


「いらっしゃあい。なんつって」


 今苗は手に持った瓶を女性から見えないように体の陰に隠し、おどけた様子で言った


「えっ、何ここ、お店?」


 女性は店の中に半身を入れ、様子をうかがっている。

 ――こっちに来ない方がいい。アキハはそう思ったが、声にはならなかった。

 むしろ自分が助かるために、この人が状況を変えてくれやしないかと、打算的な考えが頭をよぎる。


「ああ、あんたか」


 今苗が女性の顔を見て肩をすくめた。


「え、誰?」


 女性は、明かりを落としている店内に目を慣らしながら、今苗の方を見る。

 今苗はこの女性のことを知っている風だ。二人は顔見知りなのか。


 すると突然、今苗がソファから外れて床に倒れこみ、悲鳴を上げた。


「痛いいいぃぃぃ、痛いよぉ!顔がぁぁぁ!!」


 先程までの狂気の素振(そぶ)りが嘘のように、顔面を押さえて泣き叫んでいる。

 アキハはその変貌ぶりを、ただただ唖然(あぜん)として見つめるしかできない。


「どうしたんです!?」


 逡巡(しゅんじゅん)していた女性が、警戒心を忘れたかのように店内に飛び込んで、今苗の元へと駆け寄る。

 鋭利な酒瓶を隠し持つ今苗の元に。


「顔が、顔が!」


「わ、ちょっと、すごい血!どうしたんです、これ?」


「皮が、剥がれて!」


「大変!あなた、何かタオルみたいなの探して!押さえるもの!」


 声をかけられたアキハは、どうしたらいいかも判らず立ち尽くした。

 その男は危険だ。そう伝えたいのに、息が詰まって言葉が出ない。


「だからね」


 そんなアキハに視線を投げかけ、今苗はウインクをした。


「あんたの、もらうね」


 今苗は女性の腕につかまって身を起こし、酒瓶の先端で女性の喉元を切り裂いた。

 傷は動脈まで達したのか、すぐさま鮮血が吹き出て止まらなくなる。


 女性は呆気に取られ、自分の胸元が生暖かく濡れ始めたことに疑問を感じているようだった。

 首元を触った手が真っ赤に染まっていることに気づいたときには、出血のショックで意識が遠のいてきたのか、崩れるように床へ倒れ込んだ。


 アキハは恐怖で動けない。口からは規則的に息が漏れ、壊れた笛のような音を立てている。


「あんた、優しいもんな。怪我したやつ、放っておけないんだよな」


 今苗は、意外に思えるくらい柔らかな口調で、倒れた女性に語りかけている。


「毎回毎回、ごちそうさん」


 女性の呼吸はどんどん弱々しくなり、ついには止まる。


 それを待っていたかは定かではないが、今苗は酒瓶の鋭利な部分を女性の側頭部に突き刺した。

02-14 へつづく


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