02-09
天国・地獄・大地獄 第二話「高遠アキハ」
ただいま毎日〈月〜金のみ〉鋭意連載中!!
母親は、いつの頃からか全てのことを金に結びつけていたようだった。祖母のことも、アキハのことも、金に換算して見ている。
ふいに、これまでアキハが祖母に行なってきたこと全てが、母親の金勘定の内であったことに気付いた。
祖母のためにとやってきたこと全てが金に変わって、母親の手元から見知らぬ男の元へと渡っていたのだ――。
胸の奥で真っ黒なガスが渦巻き、今にも口から噴き出しそうな気がして、アキハは口元を押さえた。
車はちょうど鉄橋に差しかかっていた。闇に包まれる谷底を見つめていると、全てを飲み込む大きな口のように思えてくる。
おばあちゃんを飲み込んだ、暗黒の怪物。
車が鉄橋を渡りきったあたりで、アキハは口から嗚咽を漏らした。
「気持ち悪い」
「えっ」
母親が横目でアキハを見る。
「吐きそう」
「ちょっと!車中ではやめて!」
アキハの体調よりも車を汚して兵頭に叱られることを心配する母親は、速度を落として路肩に車を停めた。
転がり落ちるように車から降りたアキハは、とにかく母親から距離を取ろうと地面を蹴った。
まるで夢の中で走っているように、ふわふわとしてスピードの実感がない。しかし、その足は確実に鉄橋の方へと向かっていく。
母親が遠く背中越しにアキハの名を呼んだが、もはやアキハの脳はそれを母親の声とは認識しない。
程なくしてアキハは鉄橋の端にたどり着いた。歩道部分の柵はそれなりの高さで設けられていたが、難なく乗り越えられそうだ。
今にも破裂しそうだとSOSを上げる心臓を無視して、なるべく橋の中央付近までアキハは走った。
そして柵に足をかけ、跨ぎ、両足を谷側へと出して柵に座る形になった。悪魔が走りながら自分の名を叫び呼んでいるのが聞こえてくる。
地上の悪魔と地の底の怪物、自分を楽にしてくれるのはどちらなのか、アキハは考える。
今すぐにでも、楽にしてくれる方は。
とっくに答えは出ていた。
おばあちゃんは善い人だった。
だから絶対に天国に行っているはずだ。
きっと私も、そこに行けるよね?
アキハは名前占いのことを思い出していた。
天国・地獄・大地獄。
「私はきっと、天国に行ける」
ぽつりと呟いた後、高遠アキハは柵から手を離し、目を瞑って虚空へと身を委ねた。
※ ※ ※
「アキちゃん」
祖母の声が聞こえた気がして、高遠アキハは自宅の布団の中で目を覚ました。
いつもと同じ光景、同じ匂い、同じ感触。少し頭がぼんやりするものの、目覚めはよかった。
アキハは上半身を起こして伸びをする。
――長い夢を見ていたな。
アキハは布団から起き上がり、パジャマのまま台所へと向かった。
洗い物かごに伏せてあったコップを手に取り、水道の蛇口を捻る。しかし、水栓のハンドルをいくら回しても水は出ない。
――断水してる?
アキハは水を諦めて冷蔵庫を開ける。飲みかけのオレンジジュースパックを見つけ、コップに汲んで一口あおる。喉の渇きが一瞬で潤った。
家の中にアキハ以外の人の気配はなかった。祖母も母親も仕事に出ているのか。
今日が何月何日の何曜日だったかアキハには思い出せない。しかしそんなことはアキハにはどうでもよかった。
早く祖母に会いたい。アキハの頭にはそれしかなかった。早く祖母の笑顔を見て、夢の中の嫌な記憶を払拭したかった。
アキハは寝室に戻り、窓にかけられたカーテンを開けた。
外はとっぷりと夜の闇に沈んでいる。向かいに見える公営住宅にも、人の動きは見えない。
まだ深夜なのだろうか。時間を確認しようと窓から目を逸らそうとした瞬間、外の景色に違和感を覚える。
動いて視点を変えてみるとよくわかる。窓の外の景色には、遠近感がない。まるで、超高解像度の写真が窓に貼り付けてあるようだった。
心に不審の火種が灯ったアキハは、窓を開けようと鍵に手をかける。が、クレセント錠はびくともしない。当然のことながら、窓は一ミリも動かすことはできなかった。
じんわりと心の中に恐怖が広がりはじめる。
02-10 へつづく
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