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天国・地獄・大地獄  作者: 瀬良浩介
第一話「序章」

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「天国・地獄・大地獄」-序章-

ただいま毎日〈月〜金のみ〉鋭意連載中!!

 ドアを伝わって衝撃が身体を揺らす。

 それを見た高遠(たかとお)アキハが、くすりと微笑(ほほえ)んだ。

 こんな状況で笑うか、普通!?


「アッシたちはね、殺されるためにここに()んの」


 左腕に巻かれた包帯を右手で()でながら、目を細めている。狂気の沙汰(さた)としか思えない。


「そんなわけあるか!」


 恐怖が、爆発した。

 それに呼応したかのように、ドア横の洗面台の蛇口から水が勢いよく吹き出す。

 そしてみるみるうちに天井に染みが広がり、全面から水滴がしたたり落ちてくる。

 トイレ内からも激しい水音が聞こえ、ドア下から水が染み出してきている。

 まただ。ここでも水の罠が襲ってくる。


 天井からの水は、あっという間に二人の全身をずぶ濡れにした。高遠アキハはうんざりしたように俺を見て言った。


「だっる……」


 背中に感じる衝撃と、眼下(がんか)()まっていく水との恐怖の板挟みに、俺の精神は限界に達したようだった。

 何故なら、また赤ん坊の泣き声が聞こえてきたからだ。

 さっきも聞いた、あの泣き声。


 水、赤ん坊。

 二つのキーワードが頭痛を引き起こす。

 ずくんずくんと波打つ頭痛とともに、記憶のベールがゆっくりと左右に開く。


 赤ん坊と二人きりの部屋。

 帰らない赤ん坊の母親。

 泣き止まない赤ん坊。

 浴槽に張られた水。


 身動きひとつせず、沈んでいく赤ん坊。


 安寧(あんねい)と後悔。

 忘れてはいけなかった、罪だ。


 俺は頭痛を和らげるように、恥ずべき罪人の顔を隠すように、右手の中指と親指で両の眉尻(まゆじり)あたりを押さえた。


「それだけのことで、こんな死刑じみたことになるか?

 おかしいだろ」


 俺のつぶやきに、高遠アキハが眉を動かした。


「思い出した?」


 答えない俺に、たたみかける。


「だったら、それがここにいる理由だよ。

 死刑なんてぬるいぬるい」


 また、微笑んだ。

 ところがこれが、これまでで一番――出会ってまだ一時間も経ってないが――人間じみた表情に思えた。

 おかしくなっているのは、この女か、それとも俺か?


 高遠アキハが、滑るようにスライドドアの脇に移動して、つっかえてある杖に手をかけた。


「思い出せたんなら、(ゆだ)ねよう。

 ……んん、きっついな」


「何言って、何やってんだ、お前」


「もう判ってきたでしょ。(つぐな)いに身を委ねんの。

 それがここでの始まり」


 衝撃でドアと壁にきつく食い込んだ杖を外そうとしている。


 本気なのか?

 あの怪物に身を委ねるのが償い?

 こんな精神崩壊女と心中することが?


 ――ありえねえだろ。


 俺はドアから背中を離し、高遠アキハの首に背後から腕を回してヘッドロックをかけた。

 彼女は咄嗟(とっさ)に俺の腕に両手の爪を立てたが、シャツの上からでは大して痛みを感じない。


 俺は力を込め、暴れる高遠アキハの上半身を洗面台に引っ張り上げ、なみなみと()められた水の中に彼女の顔を押し込んだ。


 この洗面台も排水はされないようで、この女の息を止めるには充分な水量がそこにはあった。


「死ぬなら一人で死ね、クソ女!」


 高遠アキハは俺の手を離し、洗面台のへりに手をかけて水から顔を引き上げようともがく。

 しかしこの体勢では、圧倒的に俺の方が有利だ。頭を押さえる手に力を込める。


「怪物がお前の体を喰ってる(すき)に逃げる!

 俺の役に立て!」


 ピーチクパーチクとうるさい女め。

 お前が(しゃべ)ると頭痛が起きるんだよ。


 あの赤ん坊にそっくりだ。何を言っても静かにしないんだから、やることは同じだ。

 さっさとその口を閉じて――。


「大人しくなれよ。あの赤ん坊みたいに!」


 俺の声が耳に届いたのか、高遠アキハの動きが止まった。

 窒息(ちっそく)するにはまだ早いはず。なんだ?

 高遠アキハはおもむろに、腰が砕けたように下半身を脱力させ、床に膝をついた。


 そして右手は洗面台のへりを(つか)んだまま、左手でそっと床を触れる。


 高遠アキハの口元から、泡がひとつ()れた。

16 へつづく

※次回更新は月曜日です


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