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「天国・地獄・大地獄」-序章-
ただいま毎日〈月〜金のみ〉鋭意連載中!!
診察室の先の部屋は、学校の廊下ほどではなかったが、奥に向かって縦長だった。
そこは部屋ではなかった。
両側にはクッション張りのシート、天井からは無数の輪が吊り下がり、両側の壁のほとんどが窓。
電車だ。窓の外の風景は、さも列車が走行中であるかのように、流れる風景が映し出されている。
しかし、実際には流れていない。流れているような静止画だ。
実は俺にはもう、そういったディティールに気を回す余裕がなかった。
車両の床にうつ伏せになっている男の背中が、どういう訳か無性に憎らしい。
ずかずかと男に近寄り、その背中を右足で踏みつけた。
足を上げ、下ろす。何度も何度も、俺は男を踏み続けた。
「てめえっ、自分だけ、助かろうとか、ふざけんじゃ、ねえっ!」
この憎しみが、どういう理由で発生しているのか、さっぱりわからない。
俺は怪物から逃れて生き延びようとしていただけだったのに。
わからない。でも憎い。嫌いだ。こんなやつはいらない。
怪物に喰われるべきは、こいつなんだ。
「そのへんにして!来てっから!」
高遠アキハが、ほとんど体当たりのような勢いで俺の背中を押した。
バランスを崩した俺の横を高遠アキハが走り抜けていく。
咄嗟に振り返ると、車両の運転席へと続くべき扉から、怪物が顔を覗かせていた。
俺たちが診察室から通り抜けてきた扉だ。
怪物と目が合う。怪物はその落ち窪んだ眼窩いっぱいに、牛の瞳ように真っ黒な目玉をたたえ、じっと俺を見つめた。
その後、視線を落として床の男を見た。
そして、ずるりとその巨躯を動かして車両内へと侵入してくる。
俺は踵を返し、一目散に走り出す。
車両の反対側、連結部の扉の前に高遠アキハがたどり着いたのが見える。
やばいぞ。もしあの地雷女が、扉の向こうから開かないように細工したら終わる。
あの女ならやりかねない、急げ。
後方から男の悲鳴が聞こえたが、スピードを緩めることはない。
高遠アキハが連結部のスライドドアを開けた。
俺の想像に反して、彼女は俺の到着を待っている。
しかしその目は俺を見ていなかった。もっと後方、怪物の挙動を注視している。
ドアにたどり着いた俺は振り返った。
目に映ったのは、まさに怪物が男の両足を口に入れようと身をかがめているところだった。
両の太ももを押さえつけられた男は、一ミリでも怪物から遠ざかろうと必死に床に爪を立てていたが、完全に無駄な努力だ。
ばたつく足が巨大な口に飲み込まれていく。恐怖にゆがんだ男の表情が、俺を恨めしそうに見つめているような気がした。
逆恨みすんじゃねえ。お前が死ぬのは、お前のせいだ。
「おい!」
立ち尽くす高遠アキハに耳元で叫ぶ。
高遠アキハは、はっと我に返ったようにドアの向こうへと身体を滑り込ませる。
続いてドアをくぐった俺は、両腕に力を込めてスライドドアを閉めた。
「何か、棒みたいなのないか?」
ドアを押さえながら言葉を投げる。つっかえ棒でもすれば、時間が稼げるだろう。
生存本能が刺激され、頭が少し冴えてきたような気がする。
「これ」
高遠アキハが、長さ一メートルあるかどうかの棒状のものを拾い上げた。
片方に持ち手がついている。老人用の杖か?
高遠アキハに渡された杖を、スライドドアと壁の合間に挟み込むと、いい塩梅に固定できる。
いいぞ。あとはとにかく、怪物から遠ざかるだけだ。
改めて俺は自分たちのいる部屋を見回した。
広さはワンルームと同等ぐらいか。
ベッドやタンスなど一通りの家具が並んでいるが、俺が目覚めた部屋と違って、キッチンはない。
水回りは、ドアの横の洗面台だけのようだ。
いや、入ってすぐにもうひとつスライドドアがあり、そこにトイレもあった。
居住空間のようだがどこか無機質で、病院の個室のようでもあるが、もう少し生活感がある。
杖が落ちていたことから、もしかしたら老人ホームの個室なのかも知れない。
「やられた」
その時、高遠アキハのつぶやき声が聞こえた。
彼女はベッド横の吐き出し窓を開けようとしている。
何がやられたんだ?
――おい、まさか。
「開かないのか?」
高遠アキハは、眺めのよい景色という皮肉な静止画が貼り付けられた窓に拳を突き立て、力なく答えた。
「この部屋、ワンポだ」
14 へつづく
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