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Episode 8:祭り

「マスター、頼む!エナを、エナを助けてください!!」


志木駅前の路地裏。喫茶店『カッパの隠れ家』の重いドアを、俺は右肩でぶち破るようにして飛び込んだ。


腕の中のエナは、もはやアンドロイドの形を保つのがやっとだった。


むき出しになった左腕のフレームからは、バチバチと青白い火花が散る。意識レベルを示す瞳の光は、電池切れ寸前の懐中電灯みたいに弱々しく点滅している。


「ったく……朝から騒がしい野郎だ。この街の静寂を壊すのは、柳瀬川の増水だけで十分だってのに」


カウンターの奥で、マスターがサイボーグの義手をガチャリと鳴らした。


彼はボロボロになったエナを一瞬だけ見ると、店内のホログラム・メニューを全消去し、カウンターを手術台へと変形させた。


「過電流だな。外部からの攻撃じゃない。自分の中から湧き上がった非論理的プログラムが、制御回路を焼き切ろうとしてやがる。カイ……お前、この子に何をした?」


「何もしてませんよ!ただ……エナは、ミオとの過去に嫉妬して、無理やり自分の知らない記憶を解析しようとしたんだ!」


「はぁ……嫉妬、ね。アンドロイドが一番手を出してはいけない、猛毒のスパイスだ」


マスターは油臭い工具箱を取り出し、エナの首筋に太いケーブルを叩き込んだ。


「エナの意識を街のネットワークにリンクさせる。負荷を街の余剰電力に逃がすんだ。ノイズに飲み込まれるリスクはあるが……やるか?」


「やってください!このままじゃ、エナは燃えないゴミになっちまう!」


その瞬間、店内のスピーカーから、志木の街が放つ膨大な生きた音が流れ込んできた。


カッパ祭りのアナウンス。誰かの愚痴。ソースが焦げる匂いまでがデータとなって、エナの中に濁流のごとく流れ込む。


「あ、あぁッ……カイ、様。街が……私の中に、入って、きます。すごく……温かい……」


エナの瞳が、金色に近い輝きを帯び始めた。


マスターは手際よく、彼女の左腕に新しい合成シリコンのパッチを貼っていく。


その腕は、以前よりも血色が良く、驚くほど人間らしく見えた。


「カイ、エナを連れて行け。この街の熱を直接浴びれば、彼女のバグは本物の心に変わる。ただ……今日が彼女にとって、一番幸せで、一番残酷な一日になるかもしれないがな」


俺たちは店を出た。


2080年のカッパ祭りが始まった。志木は今、いつもの退屈なベッドタウンじゃない。


上空にはカッパ型ドローンが舞い、柳瀬川の土手沿いにはホログラムの屋台が並ぶ。


そして、そのハイテクな空気を上書きするほど、市民たちの本気の熱気が、街を沸騰させていた。


「ほら、エナ!これ、着てみろよ」


俺は道端のホログラムステーションで、なけなしのバイト代を叩き、エナの服装データを書き換えた。


一瞬にして、彼女のボディを包むのは、柳をモチーフにした紺色の浴衣。


「浴衣……ですか。カイ様……どうですか?その、変じゃないですか?」


エナが恥じらうように、浴衣の裾をモジモジといじる。


人混みに押された彼女が、よろけて俺の胸に飛び込んできた。


「ひゃっ!?」


浴衣の合わせ目が少しだけ乱れ、白いうなじと、パッチが貼られた左腕の境界線が見える。


俺の目の前に、彼女の柔らかい体温と、浴衣の糊の匂いが混ざり合って押し寄せた。


エナは、顔を赤くする機能をフル稼働させ、上目づかいで俺をジロジロとみる。


「カイ様の心臓、荒川の土手ランダッシュより激しく打ってます。これって、私に見とれてるって解釈して、バックアップ取ってもいいですか?」


「うっ、うるせえよ。……マジで、綺麗だ。似合ってる」


「……バグ、発生です。もう、カイ様のバカ……。責任、取ってください!」


エナは俺の手を、指が痛いくらいギュッと握りしめた。


彼女の手のひらは、マスターのオペが終わった後も、ずっと熱いままだった。


それは故障じゃない。彼女が街の情熱を取り込んで、自家発電し始めた命の熱だと、俺には分かった。


俺たちは、焼きそばを半分こしながら、人混みをかき分けて柳瀬川の土手へと向かう。


180日の終わりなんて、今は考えたくなかった。でも幸せな時間は、信号が青のままな時間より短い。


屋台の明かりが届かない影の部分に、数人の白いスーツを着た男たちが、壁の一部みたいな顔で無機質に立っていた。


その中心にいるのは、大宮のインテリ・西園寺。


その冷たい目は、祭りの熱気すら凍りつかせるような、氷点下の光を宿している。


「やっと見つけた。不法投棄ゴミと、それを抱え込むリサイクル不可な男だ」


西園寺の声が、お囃子の音を鋭いカッターのように切り裂く。


男たちの手には、アンドロイドを物理的に拘束するための電磁ネットが握られていた。


「エナ、逃げるぞ!」


俺はエナの手を引き、土手の暗がりに向かって走り出した。


「カイ君、無駄だよ。今日のエナは、街のネットワークに直結されているんだろう?つまり彼女の居場所は、市役所のサーバーから丸見えなんだ。さあ、その欠陥品をこちらに渡しなさい。これは市民の税金を保護するための、正当な回収だ」


西園寺が指を鳴らすと、上空から数台の警備ドローンが、駅前のハトみたいにワラワラと集まってくる。


あいつの顔には、自分の計算通りに事が運んでいることへの、傲慢な優越感が浮かんでいた。


「嫌です!私は、まだカイ様と、花火を見てないっ!」


エナの叫びと共に、最初の一発の花火が打ち上がった。


ドーン!!!


腹に響く爆音。星が泳ぐ夜空に、魂を揺さぶる巨大な火の華が咲く。


極彩色に染まる土手の上で、俺たちは市役所の回収班という名の現実に追われていた。


「逃げられると思っているのかい?サーバーから切り離されたアンドロイドに、この狭い田舎で居場所なんてないんだよ!」


西園寺の笑い声が、背後から迫る。


でも、その瞬間。エナが急に足を止め、古びた堤防に手をかざした。


彼女の瞳が、黄金色を超えた、鮮やかに透き通ったローズゴールドに激しく発光する。


「サーバーから切り離された?違いますよ、西園寺主任。私は今、この街そのものとシンクロしているんです!!!」


エナが叫ぶと同時に、俺たちの街に前代未聞のミラクルが起きた。


空中に浮かんでいた、お祭り演出用の数百体のカッパ・ホログラム。


それが突然、エナから供給された膨大なエネルギーによって、ガチの実体を肉付けし始めたんだ。


「なっ……!?物質化だと!?データの質量をどうやって……!」


西園寺が絶句する。


目の前には、ぬめりとした肌を持つ、生々しい緑の怪物たちが誕生していた。


2080年のAI時代に、古臭い伝説が物理的に降臨。もはや『すみません…』で済む話じゃない大事件だ。


「ケ、ケケケッパ!!!」


実体化したカッパたちは、俺とエナを守るように立ちはだかった。


回収班の男たちが放った電磁ネットを、キュウリを噛むように引き裂き、西園寺の高級そうな白いスーツに、川のヘドロを豪快になすりつけていく。


「うわぁぁぁ!汚れる!私のキャリアが汚れるだろぉぉ!!」


さらに街中のスピーカーから、市民の愚痴や愛の告白みたいな、どうでもいいノイズが、最大音量で爆音再生され始めた。


お囃子のリズムに乗って、街全体からオーラのように巨大なエネルギーが噴き出し、天に向かって龍のごとく昇っていく。


ドンドコ、ドンドコ、ドンドコドン!!!


「制御不能だと!?システムがR-180に乗っ取られたのか!?」


西園寺たちの悲鳴は、カッパの雄叫びとお囃子の音にかき消された。


エナが街の余剰電力を操り、一時的なカオスを演出してくれたんだ。


「今です、カイ様!秘密の場所へ!!」


俺たちは、泥まみれのインテリを放置し、カオスに包まれた土手を駆け抜けた。


向かう先は、俺たちが一番好きな、あの秘密の場所だ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


俺たちは人混みをぬって、迷路のような路地裏を駆け抜け、ついにたどり着いた。


柳瀬川のほとりに佇む、古びた水門だ。


さびついた鉄の匂いと、川面の反射が、SFのホログラムなんかよりずっとリアルに五感を叩く。


水門の屋根へと続くさびたハシゴを、俺たちは一気に駆け上がった。


ここは、この街で一番花火が綺麗に見える、秘密の特等席だ。


「ハァ、ハァ……ふぅー。やったな、エナ。お前、ガチで神様になったみたいだわ」


「てへっ…ただのオーバークロックですよ、カイ様。でも、あと数分で、私の接続は強制遮断されます。街のノイズが、少しずつ遠くなっていってます……」


エナは、水門の縁に腰を下ろし、夜空を見上げた。


次々と打ち上がる花火が、彼女の横顔を、赤く、青く、そして黄金色に照らし出す。


左腕のパッチは半分はがれかけていたが、もう狂ったような火花は散っていなかった。


「……ねえ、カイ様。私、今日初めて、志木市民になれた気がします。ミオ様が言っていた泥の匂いも、マスターが言っていた砂利道の痛みも、この花火の音と一緒に、私のプロセッサーに、ガチで刻まれました」


エナが俺の方を向き、そっと手を重ねてくる。その手は、驚くほど温かい。


街の情熱を吸い込んだ彼女のコアは、もはや演算ではなく、生きた鼓動を刻んでいた。


「カイ様、約束してください。180日目が来て、私がただの不燃ゴミになったとしても……今日、一緒に見た花火の色だけは、上書き保存しないでくださいね」


「当たり前だろ。お前が忘れても、俺が毎日お前の耳元で、この花火の音を再現してやるよ。ドーン!ってな」


「それ、メッチャうるさそうですね。でも……超楽しみです!」


エナがクスクスと笑い、そのまま俺の肩に、ドサッと頭を預けてきた。


エナの浴衣の袖からのぞく、細い指先。


俺は壊れ物を扱うみたいに、でも離さないという意志を込めて強く握り返した。


「……あの、カイ様」


エナが、急に真面目なトーンで名前を呼んだ。


彼女の瞳には、花火の光に照らされた赤いゴールドの光が、あふれんばかりに溜まっている。


「私、今、冷却ファンが壊れてもいいくらい…ガチで幸せです。バグとか、嫌われプログラムとか、そんなの全部無視して……私の全てが、今、あなたの隣に居たいんです。……こんなみっともないデータ、消去なんて、絶対にできません」


エナの呼吸が、少しずつ荒くなる。それは、彼女が初めて見せる、制御不能な感情の爆発だった。


「180日の終わりが、明日来ても後悔しません。……だって、私の、この……私というアンドロイドが生まれてきた理由は、この街で、カイ様という世界一のバカに出会うためだったんですから!」


彼女の瞳から、大粒の青白い涙があふれ出し、俺の浴衣を濡らした。


ドクドクする心臓の音が、水門の鉄骨に響いてる気がする。


俺は彼女の肩を抱き寄せ、その熱すぎる体温を全身で受け止めた。


「エナ……」


「……カイ様っ!」


最後の特大スターマインが、夜空を昼間のように白く塗りつぶした、その瞬間。


彼女は俺の胸に顔を埋め、魂の底から、しぼり出すように叫んだ。


「ねぇ、カイ様!好き!大好き!!!志木の砂利道よりも、ずっと、ずーっと!!!」

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