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7th Broadcast Episode:緊急充電で砂利道(A)

「っ、ノア!」


 突然、隣を歩いていたノアの体が、だらんと力なく傾いた。乗り換え通路のド真ん中で、細い機体が床へと崩れていく。


 僕の視界は、一瞬静止した。直後、白い腕が頼りなく宙に浮く軌道が、スローのコマ送りに変わる。

 反射的に飛びつき、倒れかけの体をギリギリで抱きとめる。腕の中の温度は、あり得ないほど熱い。


「おい!! ノア、しっかりして!」


 朝霞台の乗り換え通路は、人が止まる場所じゃなかった。別路線へ急ぐ流れが、僕たちの横を迷惑そうに避けていく。


 それでも、もう立てなかった。


「ノア、聞こえる?」


 僕の腕の中で、うっすらと目を開けた。瞳の青い光が、うまく焦点を結べていない。その奥で一瞬、赤が混じって、すぐに沈んだ。


「……ダン、様」

「どうしたんだよ、何があったの?」

「都会での……高負荷処理。移動後も、冷却が追いついていません」


 声が細い。雑踏に持っていかれそうなほど頼りない。


「つまり、限界ってこと?」

「はい。あと少しで……歩行制御も、落ちます」

「それって、ほぼログアウトでしょ」


 僕がそう言うと、ノアはいつも通り口元をゆるめようとした。スマイルには届かない。でも、こんな時に健気に反応するのが、いかにもノアらしい。


「ダン様。駅ターミナル内に、簡易充電ブースがあります。緊急充電を実行すれば、自己修復可能です」

「分かった。ちょっとなら歩ける?」

「歩行制御は保証できません。ですが、ブースまでの最短経路は出せます」

「上等だって。道案内してよ、足は僕がやるからさ」

「……了解です。介助を許可します」


 僕は、ノアの腕を肩に回して、体ごと抱える形で立ち上がった。伝わってくる異常な高温が、もうリミットが近いことを告げている。


「ダン様……私、離れたく……」

「今は喋るな。ブースはどっち?」

「……この先の右。乗り換え案内の手前です」


 人の群れをよけながら進んだ。乗り換え客は、誰もこっちを気にしていない。

 一秒でも早く歩くことで頭がいっぱいで、僕たちは通路の端に転がったノイズ同然だ。


 僕は、ノアを壁際へ押し込むようにして運んだ。乗り換え案内の前あたりで、急に人の流れが薄くなる。

 白い表示灯のついた小さな扉が並んでいた。その一つの前で、ノアがかすかに指を動かした。


「……ここです」


 扉の横に、青い認証パネルが浮いていた。ノアが腕を上げようとして、途中で止まる。僕はその手首を支え、パネルに触れさせた。


 短いログイン認証音。

 扉が静かに開く。


 中は狭い個室だ。余計なものが何もない。椅子と接続ユニットと、壁に埋め込まれた薄いモニターくらいだった。


 ノアを椅子に座らせる。ふと、ノアの指先が髪のヘアピンをなぞった。そこを指で確かめてから、ようやく手を下ろす。


「……接続します」


 首筋に指を当てた。小さな承認ベルがなる。壁のモニターに、青いホログラムが立ち上がった。


 ―R-180 / EMERGENCY RECOVERY MODE―

 ―POWER 12%―

 ―SELF-REPAIR START―


 ノアは表示を見上げてから、ゆっくり目を閉じた。額の近くに、小さな青い文字が浮かぶ。


『充電中』


 表示は、それひとつきりだった。


 眠っていると錯覚するほど静かでも、眠りじゃない。 大宮では前のめりだったノアが、今は椅子の上で、充電システムに管理されている。

 機械そのものだ。最初から分かっていたことなのに、こうして見せつけられると、腹の底が冷えた。


「……なんなんだよ、ノア」


 返事はなかった。かすかな駆動音が、途切れずに続いている。


 僕は、ブースの床にしゃがみ込んだ。手首の脈を、トントンと叩く。僕の血流が、この鉄クズに届いてくれと願い、必死に指先を動かす。


 ノアの手が、力なく膝の上に落ちている。ちょっと迷ってから、僕はその指先に触れた。まだ熱い。でも、その奥には冷たさも確かにある。


「……勝手に壊れないでくれ」


 そう言ってから、自分で笑いそうになった。壊れかけてるのは、僕の方かもしれない。


 青いホログラムが、静かに点いたり消えたりしている。その下で、ヘアピンが小さく光っていた。




 ◇ ◇ ◇




 充電ブースを出る頃には、ノアの体温は平熱、機械的な20.5℃に戻っていた。光学センサーの青い光は、今にも消えそうに揺れ動いている。


「ねえ、ダン様。私……やっぱり都会の空気、機体に合いません」


 充電を終えても、声はまだかすれていた。回復ではなく、どうにか持ち直した状態だ。


 朝霞台から各停で引き返し、見慣れた改札ゲートを抜けた頃、ノアの歩幅はようやく整ってきた。


「戻ってきたら、だいぶ楽になりました。処理速度も、やっと安定しています」

「そりゃそうだって。あっちじゃ限界だったんだよ。次からは倒れる前に言ってくれ」


 僕たちは、志木駅前ターミナルから少し歩いた裏通りの低層区画にあるカフェ、『カッパの隠れ家』へ向かった。

 再開発の光から、ひと区画ぶん取り残された場所だ。入り口には、ホログラムじゃない本物の木彫りのカッパが立っている。


 カラン……コロン……。どこかで聞いたことのある、古びたチャイムが鳴った。


「ほお……ったく。また一人、都会のビル風に負けた犬が迷い込んできたか」


 カウンターの中から、しゃがれた声が響く。店の主、通称マスターだ。


 百歳を超えた彼は、体の半分以上がサイボーグ化されていた。立ち上がるたびに、ギギッ、プシューと、重たい油圧シリンダーが鳴る。

 オールバックのロマンスグレーの髪に、短く整えられた無精ひげ。渋い顔立ちのまま、深く濁った左目で僕をにらみつけている。


「……負け犬とか言わないでください。これでも大宮で一発かましてきたんですから」

「ふん。一発かまして、そのザマか。隣の彼女……回路が焦げた匂いがするぞ。最新型ポンコツも、都会のノイズには勝てなかったようだな」


 マスターは毒づきながらも、ノアにキンキンに冷えたグラスを、僕には良識を疑うほど真っ黒なコーヒーを置いた。


 僕はマスターに、ノアとの180日の話をした。


「180日って、短すぎるでしょ。分かってきた頃に壊れる前提とか、反則じゃないですか?」


 そしてコーヒーを一口すすった。


「苦っ……!何ですかこれ、嫌がらせですか?」


 本気で苦かった。砂利道で顔面から転んだ時の、ザラついた絶望の味がする。


「それが、この街の味だ」


 マスターは、指先でカップの縁を鳴らした。金属が陶器を打つ乾いた音色が、カウンターの向こうへ小さく転がる。


「……いいか、ダン。お前はさっきから、ノアが壊れるとか消えるとか言って、自分が傷つく側に立っている」


 今度は、冷たい義手が僕の胸元を軽く小突いた。


「甘えるな」

「……っ。いや、甘えてるつもりは……」

「なら、その被害者ぶった態度をやめろ」


 マスターは赤く駆動する機械の右目で、黒いコーヒーを見下ろしてから、ゆっくり続けた。


「大宮の偉いさん連中が、なぜ澄ました面でいられるか分かるか? あいつらは最初から、舗装された道しか歩いていない。だから転ばない。泥も跳ねない」


 店の奥で、古い換気扇が低く唸っている。


「だが、この街は違う。どこまで行っても砂利道と、泥臭い土手だ」


 僕は黙って、冷めかけたコーヒーを見つめた。


「……マスター。志木市の路面環境の話ですか?」


 ノアが真剣な表情で口を挟んだ。


「違う。もっと面倒な話だ」


 マスターの頬は、語る血気で赤くなっている。


「砂利道を歩けば、足は汚れる。石も入る。痛む。だがな、その痛みがあるから、自分の足でここに立ってるって、心に刻めるんだ」


 言葉のトーンが、一段ずつ深く沈んでいく。


「幸せは、温室で育てられた旬外れの果実なんかじゃない。のどが渇ききった後に飲む、泥水みたいな苦いコーヒーの中にこそある」


 その一喝が、自虐の殻に閉じこもっていた僕の中へ、砂利を投げ込んできた。


「マスター。……泥水って、私の作ったスープのことですか? 私、あれにはガチで愛情を込めたんですが」


 ノアが、不服そうに口をとがらせた。

 マスターは手を止め、面白そうに眉を跳ね上げた。


「ほう、愛情だと? 隠し味か」

「はい。この街の夕暮れ色のトマトベースに、乗り換えの焦りを砕いたスパイスを足して……仕上げに、ダン様の情けなくて温かい自虐を、ひとつまみです」


 いつもの澄ました顔で答えた。その口調には、どこか誇らしさが混じっている。

 マスターは呆気に取られていた。やがてサイボーグの首をギチギチと鳴らしながら、盛大に吹き出した。


「はははっ、こりゃ凄い!アンドロイドのくせに、この街を分かってやがる。いいか、ダン。180日っていうのは、お前にとっての砂利道だ」


 しばらく黙ったあと、僕を正面から見据えた。


「ノアが何を吐こうが、何をぶつけてこようが、全部お前の血肉にしろ。……それが、この街で生きるってことだ」


 僕は、もう一度コーヒーを飲んだ。今度は、不思議と苦くなかった。


「……ダン、これを持っていけ」


 立ち上がろうとした僕に、マスターが何かを押し付けた。

 最新技術とは程遠い、黒ずんだ工事用のスイッチに見える。使い古された爆破ボタンのような、不気味な重み。


「マスター、これ……」

「持っていれば、いずれ勝手に分かる。一回しか使えないがな」


 マスターはそれ以上、何も語らなかった。


 カウンターの奥で、カチ、カチ、カチと不穏な電子秒針が、僕たちの足元を削るように刻まれていた。

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