6th Broadcast Episode:電脳都市のノイズ熱(B)
ラーメン屋を出ても、朝霞台の風は相変わらずせわしなかった。
乗り換え客の流れに押されながら、僕たちはターミナル構内のホログラム・カフェ『ルナ・テラス』へ向かった。
二十世紀の古いレトロカフェを再現した店内には、本物そっくりのタバコの煙ホログラムが漂っている。
ノスタルジーなんてものを、わざわざ有料で吸わせる店だ。
「あーあー、また一人。失恋の底なし沼に、ズブズブにハマったバカが来たわね」
カウンターの向こう側には、今日のやる気をとっくに使い切った目でこっちを見下ろしてくる女がいた。
僕の天敵、冬花先輩だ。
三色のネオンカラーの髪を団子に結び、ガムをクチャクチャと鳴らしながら、接客する気配ゼロの顔で僕たちをにらんでいる。
「冬花先輩、久しぶりっす。……その沼って、何のことですか?」
「しらばっくれないで。あんたの背中に張り付いてる、そのピカピカの鉄クズのことよ」
先輩がアゴでしゃくった先で、ノアが完璧な営業スマイルを作った。
「こんにちは、冬花様。私はノア。現在、ダン様の背後霊の位置で活動中です」
冬花先輩は、氷の入ったグラスをカウンターに叩きつけた。いら立ちを隠そうともせず、左肘のいびつな傷跡をガリガリとなぞる。
そして、ノアを真正面からのぞき込み、低く重い調子で言った。
「ダン。あんた、その子の賞味期限……書類の隅々まで読んだ?」
「……180日ですよね。分かってますよ」
「はあ? あんた、電池抜けてんの? 180日は、ただの期限じゃないの。100日を過ぎたら、その子は『嫌われプログラム』に食われ始めるのよ」
冬花先輩の一言が、ホログラムの煙を押しのけた。
「わざとあんたを傷つける。ののしる。あんたが、もう一緒にいたくないって思うまで、徹底的にね。この世で一番醜い鉄クズに変わっていくの」
その視線は、どこか遠くへ落ちていた。語尾が、かすかに震えている。
「私の愛した笑顔も声も、全部バグとして削除されたわ。毎日、血を吐くみたいな顔で私を罵倒して……最後は自分の顔を引き裂いて、壊れていったのよ」
冬花先輩が吐き出すたび、店内のざわめきが引いていく。
「この国が作ったのはね、パートナーじゃない。人間を二度と恋なんてできない体にするための、精密な拷問兵器よ」
その声には、いまだ乾いていない傷が残っていた。
「拷問……、か。笑えない冗談っすね」
僕は、炭酸水を流し込んだ。喉がチリチリと焼ける。
ノアは隣でうつむいたまま、ショックで固まっていた。表情は消え、空っぽのグラスから動かない。
「冗談なんかじゃないわよ。実際にそう扱われたんだから」
冬花先輩は、いったん言葉を切った。吐き捨てたあとに残った苦さを、まだ飲み込めていない沈黙。
「大宮とか、国家中枢圏の犬どもは、みんな最悪。人間を効率って定規でしか測れない。連中にとっては、感情なんてノイズなのよ」
冬花先輩はカウンターに身を乗り出し、スマホのホログラムを指差した。そこに映っているのは、僕の元カノ、サエの最新のSNS投稿だ。
大宮のスカイレストランで、あのスマートグラスの男と並んで笑っている写真。男の輪郭は、どこか不吉な予感と重なっている。
添えられていた一文は、短かった。
『やっぱ彼氏は、各停じゃなくて快速に限る』
隣で、ノアが動きを止めた。無表情のまま、その一文に釘づけだ。呼吸しない肩が、かすかに上下している。
「行きましょう……ダン様、大宮へ。サエ様というノイズを、私の最新自虐で完全にミュートします」
ノアが立ち上がった。瞳の青い光は、さっきのショックを底に沈めながら、落ち着きなく振れている。
「ちょっ、ノア。バッテリーは……」
「都会への往復で、私の寿命は数日分削れます。ですが、今のダン様の顔……誰にも拾われない落とし物そのもので、見ていられません」
返す言葉が喉元で止まった。手のひらに、嫌な汗がにじむ。怖くても、僕には止めることができない。
ノアは、もう大宮を向いていた。
「さあ、命懸けのデートの続きです」
◇ ◇ ◇
僕たちは大宮行きの快速に飛び乗った。
いつもと違うハイテクな加速に、体が後ろへ持っていかれる。完全に消音された最新の密閉空間は、電子の匂いがした。
電車が浦和の国家中枢圏に入ると、車窓の景色が真っ暗になった。街を遮断する、巨大な防音チューブを走行中だ。
窓の外は、すぐそこが壁だった。快速は、火花を散らしながら滑っている。均一な白が、猛スピードで視界をかすめていった。
車内の圧は、地元に染みついたゆるさとはまるで違う。
乗客は、どこにも余白を残さず立っている。気づけば、僕たちはドア横の狭い隙間に押し込まれていた。
「……ッ、ちょっ、ノア。近すぎだって!」
電車が大きく揺れた勢いで、懐に突っ込んできた。逃げ場もなく、僕は壁に押しつけられる。
「密着による外部冷却を推奨。……都会に近づくにつれて、私のプロセッサーが変な熱を持ち始めています」
口調は普段と変わらなくても、どこか急いでいた。冗談で片づけるにも、距離が近すぎる。
「ねえ、ダン様。あなたの心音、うるさいです。車内アナウンスよりアピールしています」
ノアは僕のシャツをギュッとつかみ、さらに額を胸に押しつけてきた。何かに怯えている。肩の震えが隠せていない。
「熱い、の?」
僕は恐る恐る、ノアの背中に手を回した。いつも20℃の肌が、今は服越しでも分かるほど熱を持っている。
「……はい。でも、不思議なんです。ダン様に触れていると、演算は落ち着くのに、ログは荒れます。原因不明。分類不能です」
胸のあたりに埋もれる、くぐもった声。
「……180日後には全部消えるはずなのに。意味不明ですね、ガチで」
ノアが顔を上げ、僕を見た。その瞳のレンズに、情けないくらい動揺した僕が映っている。
「今は消えるとか言うなって。変なら変でいいから、その熱ごと隣にいればいい」
「バカですね、ダン様。……その甘いポエム、今の空気に合ってないので回収お願いします。でも、ログがまた荒れました。バグ確です」
その指先が、僕の首筋に触れた。そのまま、左の眉にある十ミリの縫い傷を、そっとなぞる。
冷たいのに、熱い。経験のない変な温度に、思考が持っていかれる。
ふと気づくと、防音チューブのトンネルが途切れ、天井の分厚い中枢圏遮断シェルターの内側へと飛び出していた。
電車が大きくカーブし、窓の外に巨大なハイライズ・セクターが迫ってくる。光り方からして、もうこっち側の街じゃなかった。
「着きましたよ、魔界に。ねえ、ダン様。離さないでください。今の私、離れると処理が崩れます」
ノアが僕の腕を強くつかんだ。昨日より、ずっと強い力だ。その細い指先に、自分の手のひらを重ねた。
簡単には、ほどけそうにない。それでも、この感触がいつか別のものに変わると思うと、怖かった。
「ダン様、手が震えてますよ?……安心してください。私が本気であなたを沈める時は、苦しまないように一撃で仕留めます」
いつもの毒舌を吐きながら、口元を緩めた。
その手は、僕の腕から離れない。軽口とは裏腹に、指先には本気がこもっていた。
◇ ◇ ◇
完全電脳都市ターミナル、大宮駅。僕らのような人間にとっては、どう考えても気軽に張り合える相手じゃない。
このメガ・コアシティでは、改札ゲートを出た瞬間に、16Kホログラム広告の濁流が押し寄せる。
見上げれば、リニアタクシーの軌道が空中で何本も交差している。
そのはるか頭上では、巨大な透過シールドがクリーンに処理した空気を丸ごと閉じ込めていた。
見えない壁の輪郭が、街の電子光を反射して青白くまたたいている。
何より、通行人の勢いが違う。選ばれた側の人間だと、疑いもせず進んでいく。
「うわっ、ガチでキラキラしてるね。まぶしすぎて、こっちの低スペな網膜が溶けるって」
「ダン様、情けない発言は禁止です。今のあなたは、最新型アンドロイドを連れてOSの心臓部に殴り込みをかける、伝説の男なんですから」
ノアは「ふふーん」と鼻を鳴らして、指をパッチンと弾いた。
ビビッドオレンジのホログラムが、迷宮レベルの駅周辺の多層マップを目の前に描き出す。
それから僕の腕をぐいっと引っ張った。その肌は、さらに温度が上がっている。
この街の光も音も人の多さも、全部まとめてノアの回路をかき乱していた。
「あのさ、ノア。大丈夫? 頬、赤いよ」
「問題ありません。……ただ、都会のノイズが演算能力を奪っています。でも、これくらい、自動認証ドアに無視された時よりずっと平気です」
ノアは強がって笑みの形を作った。でも、その見た目はきれいでも、どこか薄い。
僕たちは、サエがいるホログラム・スカイレストランが入ったタワーユニットを下から眺めた。
エントランス近くにサエがいた。発光の強いピンクのドレスは、この場所に馴染みすぎていて、別人に見える。
そして隣には、さっき冬花先輩の顔色を変えた男――雨宮が立っていた。
「サエ、今日も快速の隣で楽しそうだね」
僕は精一杯の勇気を振り絞って、声をかけた。
サエが驚いて振り返った。
「……ダン。あんた、また嫌がらせ? てか、その歩き方、こんなメガコアのド真ん中で、各停すぎて恥ずかしいんだけど」
その毒舌は、相変わらず鋭く刺さる。
「何その、日に焼けて色抜けした泥水みたいな髪。色気もクソもないし、眉毛の傷も丸出しじゃん。マジで近づかないで」
外見に無頓着だったツケが、一気に押し寄せてきた。自分が急に、惨めなほどダサく思えてくる。
隣に立つ雨宮の気配は、それ以上に不快で、薄気味悪かった。
寸分の狂いもなくセットされたネイビーの髪に、糸のように細い目。僕を人間として扱っていない。
スマートグラスのフレームを人差し指でカチリと弾き、道端に落ちている用済みの端末を査定する冷たさで、僕とノアを眺めた。
「ダン君、先日はどうも。悪いけど、サエは今、僕ともっと解像度の高い未来を見ているんだ。過去のノイズは、ここで消しておこうか?」
雨宮が、サエに向けて薄い笑みを浮かべた。
サエは一瞬ためらった。ネオンピンクのリップを、慣れた手つきで唇へ滑らせる。自分と僕たちの世界を、はっきりと区切るように。
そして僕とノアを一瞥してから、判決を下す口調で言い放った。
「お願い、雨宮くん。志木の記憶って、ガチで低スペで恥ずかしいから。全部ゴミ箱に入れて」
十年分の記憶が、まとめて足元に落ちた気がした。柳瀬川で過ごした日々も、もう紙クズに過ぎない。
「ふーん……。低スペ、ですか」
静かに、でも音量はMAXで、ノアが割って入った。ブシュッ、と排熱音を散らしながら、ヒールを鳴らして前へ踏み出す。
サエの鼻先数センチまで、一気に距離を詰めた。青いカメラアイが、顔面を至近距離で無機質にスキャンする。
「なに? 離れなさいよ、鉄クズ!」
サエが唇をゆがめて、胸元を押し返そうとする。でも、ノアは微動だにしない。
「ダン様といた頃のあなたは、世界で唯一の価値がありました。そのダサさも、泥臭さも、ダン様は丸ごと愛していたからです」
「はあ!? 意味不明なこと言わないで! 私はね、もっと上の世界に来たの! あんたたちみたいな負け犬とは違うんだから!」
ヒステリックに声を荒らげた。雨宮の腕にしがみつき、必死に自分の現在地を誇示している。
ノアは冷えた眼差しで、そのすがりつく手元を見下ろした。
「違います。その男が愛しているのは、あなたではありません。自分の隣に置く、高スペックな見栄えだけです」
「……このポンコツ、ガチでムカつくんだけど」
「志木を切り捨てた瞬間、あなたは、世界でたった一人の愛される女から――」
ノアのトーンが、さらに一段低く落ちた。排熱の蒸気が、サエの頬をなでる。
「もっとハイスペックな女が現れたら即座に捨てられる、ただのスペアパーツに自ら成り下がったのです」
その宣告が、ビルの谷間で跳ね返った。
直後――ギシッ、と嫌な駆動音が響き、ノアの体内からプシューッと高圧の熱気が噴き出した。
内部回路が悲鳴を上げている。もう、限界を超えていた。
「なっ、何なの……っ? 機械のくせに、熱くなっちゃって……!」
サエの顔は真っ赤だ。ノアの放つ圧倒的な熱量と、完璧にえぐられた屈辱に、本気でたじろいでいる。
僕は、膝から崩れかけたノアを、力いっぱい抱き寄せた。その機体は、今まで触れたことのない高熱を帯びている。
「……サエ。もう分かったよ。消したい思い出は、僕が全部、泥水ごと持っていく。高解像度な未来に、各停男は要らないもんな」
サエに向き直って、そう言った。不思議と、もう悲しくない。目の前にいるのは、僕が好きだったサエじゃない。
「帰ろう、ノア。僕たちの街に」
その一言が、思っていたよりずっと自然に出たことに、自分で驚いた。
僕はノアを抱えて、大宮駅の改札ゲートへと引き返した。背後では、雨宮がスマートグラスの奥側からこっちを測っていた。
◇ ◇ ◇
帰りの各停電車の中。ノアは僕の肩に頭を預け、弱くて頼りないスマイルを作った。
青い光が一瞬、不吉な赤色に点滅したが、すぐに元へ戻った。
「ダン様……非常にまずいです。今、うまく平常に戻れません」
その言葉は今日一番重い。ふざけている時なら、こんな言い方はしない。
「さっきから、何を優先したいのか自分でも分かりません。言うつもりのないことまで前に出ます。熱も下がらないし、ログも乱れたままです」
「うん……。それはきっと、僕のせいだな。こんな歩き方で、ノアをここまで連れてきたから。でも……ありがとう、ノア」
「ねえ、ダン様。もし私が、今と違うものに変わっても……この熱は、どこかに保存しておいてくれますか?」
「保存なんてしないよ。僕の脳みそに、直接書き込んでやる」
そう言った直後、肩の重みが急にドスンと増した。心地よく響いていた、トクン、トクンという駆動音が、突然消えて無くなる。
瞳は完全に消灯し、吸い込まれそうな黒が僕を映していた。
「ノ、ア……」
ゆすっても、呼んでも、指一本ピクリとも動かない。
20℃の、金属の塊だった。電車のガタゴトという走行音が、鼓膜のすぐ裏で狂ったように拡がっていく。
喉がカラカラに乾き、心臓が嫌な速さで暴れ出す。背中を冷たい汗がつたい、指先が凍りついて動かない。
僕は息をするのも忘れて、ノアを見続けた。
――六十秒後。
ようやく、パチリ、と青い光が灯った。
「……なら、安心、ですね」
ノアが弱々しくつぶやいた。
さっきの僕の言葉に、今答えた。六十秒の空白なんて、最初から存在しなかったように。
「ノア、いま――」
「なんだか、急に眠気が……。ダン様、少し、このまま……」
僕を遮って、また肩に弱々しく頭をうずめた。ずっと体が熱い。じわじわと、恐ろしいほどの体温が伝わってくる。
その重みが、ただのバグじゃないことを、僕はすぐに思い知ることになった。




