41st Broadcast Episode:世界の書き換え(A)
「ねえ、ダン様……。人間に定着する実験の最初が駅前ハグって、正気ですか? 私、寿命より先に恥ずかしさで死にます……」
九条さんの遺言を受け取った翌朝。
僕は駅前ターミナル区画の東エリア、人混みのド真ん中で、ノアを抱きしめていた。制服越しに、体温がじかに伝わってくる。
昨日までと同じ街なのに、今は何もかもが張りつめていた。
それでも、僕たちは止まれない。ノアを期間限定の奇跡で終わらせないための作戦会議が、駅前のファミレスで始まった。
「いいか、みんな。状況はもう分かってるな」
テーブルに身を乗り出しながら、僕は全員の顔を見た。
「ノアの中に残ってる『AIだった私』を、日常で押し流す。笑って、怒って、悩んで、『私はただの女子高生だ』って身体に叩き込むんだ!」
集まったのは、タケル、サエ、凛。
ノアの余命を聞いた時、みんな一度は言葉を失った。それでも、そこで止まる連中じゃない。
「なるほどね。つまり、ノアちゃんを幸せのド真ん中に叩き込めばいいわけでしょ? 任せなさいよ」
サエはそう言って、ノートを勢いよく広げた。
ポニーテールをガッと高く結び直し、リップを無造作に引く。都会のハッタリを脱ぎ捨てた、本気の目だった。
「ダン、俺もやる。ノアが消えるなんて、そんなの絶対に認めねえ。おい、凛、お前も手伝え!」
タケルは手のひらで真新しいボルトを転がしながら、厄介な修理を楽しむようにニッと笑った。
「いいよ。とりあえず、市内の使えそうな場所は全部洗ったから。放課後から順番に回していこ!」
凛がラムネをポリポリと噛んで、タブレットを鬼速で叩く。
それからの日々は、濃かった。
◇ ◇ ◇
【月曜日】
柳瀬川の土手で、ノアはタケルとサエに挟まれ、くだらない冗談に腹を抱えて笑っていた。
タケルが、得意げに自販機のコンポタを差し出す。
「ほら見ろ、これが世界一うめぇコンポタだ!」
ノアは缶を一口すすって、真顔になった。
「タケル様の味覚センサー、確実にバグ確です。これ、ただのぬるい謎液体です」
タケルが「うるせぇ!」と叫び、サエが腹を抱えて笑う。
ノアは缶を見つめて、もう一口すすった。
「でも……こういう無意味な味、嫌いじゃないです。たぶん、こういうのが思い出ってやつなんですね」
そこにあったのは、演算じゃなく、ちゃんと生きている笑い方だった。
【水曜日】
サエと凛に連れ回され、ノアは初めての女子会を全身で浴びていた。
ゲーセンでプリクラを撮り、クレープにかぶりつき、終わりのない恋バナに巻き込まれる。
「サエ様、恋バナってガチで結論が出ないループ関数なんですね」
ノアはクレープを頬張りながら、口元をゆるめる。
「でも……この無意味なループ、ちょっと中毒性あります。っていうか、鬼ヤバで超楽しいです!」
【日曜日】
各停電車に揺られ、僕とノアは水族館の大きな水槽の前に立っていた。
巨大な水槽の前で、ノアはガラスに顔を近づけ、ゆっくり泳ぐマンボウを真剣な目で追いかけている。
「ダン様……見てください。あの魚、完全に人生に疲れたサラリーマンの顔してます」
「マンボウに謝って。あいつら、わりと繊細なんだよ」
「安心してください。私の方が三倍くらい繊細です。今、隣にいる男の人に、ドキドキしすぎて心拍数がバグりそうなので」
ノアはそう言って、照れをにじませて笑った。
「……じゃあ落ち着くまで、手、握っとく?」
「それ、解決策としてはかなり合理的ですね。許可します、ダン様」
ノアは一瞬、動きを止めて、それからそっと指を絡めてきた。水槽の青い光が、僕たちの影を床に揺らしている。
突然、スマホが鳴った。定着率の通知だ。画面に表示された数字を見て、僕は小さく息を吐いた。
『判定:現在の定着率:66.5%。到達確率:93.8%』
『最終リミットまで残り24日』
『分析:感情学習は安定した上昇曲線を維持。共体験・対話・社会関係トリガーは上限域で反応』
『人間型感情定着モデルとして理想的な進行状態』
ノアは通知の数字を確認して、何も言わずに僕の手を握り直した。
ここまでは、順調だった。
ノアが笑い、怒り、くだらない冗談を言い、友達と騒ぎ、僕と手をつなぐ。そんな時間を積み重ねるたびに、数字は確かに上がっていった。
このままいけば、本当に間に合うかもしれない。そう思い始めた頃には、季節の方が僕たちの前を歩いていた。
◇ ◇ ◇
桜の気配が、もうごまかしようもないところまで近づいてきた放課後。
二人きりで各停を待っていた時、ノアが急に僕の制服の裾を強くつかんだ。
「っ、ダ、ン……様……」
「ノア? どうしたの、顔色が!」
血の気が引いて、その場に崩れ落ちそうになっている。肩を支える僕の手に、異様なほどの震えが伝わってきた。
「大丈夫です……。ちょっと脳の中で、AIの私と、人間の私が押し合ってるんです……」
苦しそうに息を継いだ。
「……でも、怖いです。みんなとクレープを食べた私と、180日前にダン様へ毒を吐いていた私が、混ざっていくのが……」
九条さんの言っていた書き換えは、こういう痛みを伴うものだったのかと、そこでようやく分かった。
僕は、ノアの細い指を壊しそうなくらい強く握りしめた。
「忘れないで。AIだった時のノアも、今のノアも、どっちもノアだよ」
自分でも驚くくらい、声は真っすぐに出た。
「もしノアが迷っても、僕が覚えてる。だから自分を削るなって。ちゃんと、自分が人間のノアだって信じるんだ」
僕の胸に顔を埋め、小さく、でもはっきりとつぶやいた。
「了解、です。ダン様……」
そこで一度、息をつまらせた。かすれた口調でも、布越しに振動が伝わってくる。
「私、ダン様を好きな私のまま、生き残りたいですっ……」
直後にスマホが、処理開始を告げるアラートを鳴らした。
『判定:現在の定着率:78.1%。人間平均域に到達』
『しかし神経定着プロセスは停滞。完全書換に必要なトリガーを検出できない』
『到達確率:52.4%。タイムリミットまで24時間』
『分析:対象は統計上すでに正常な人間に近似。しかし定着実験の完了条件を満たさない』
数字ばかりが先に現実になって、僕たちの気持ちがそこへ追いつけない。
「78.1%……? ここまでやって、まだ足りないのかよ!」
スマホを握りしめ、絶望的な数字をにらみつけた。
足りない……
何が?
ノアは、こんなに頑張っている。僕だって、全力で幸せにしようとしてきた。
「ねえ、ダン様。そんな目しないでください」
ノアはまだ震えていたけれど、それでも僕を見て笑おうとした。
「私、まだ駅前のスーパーで、半額シールのついたお肉を勝ち取ってないんですから……」
最後のほうは、軽口というにはあまりにも頼りない声になっていた。
僕は、しばらく何も言えなかった。
78.1%。その数値が、頭の中で鈍く居座り続ける。
人間平均域。正常な人間に近似。つまり、ノアはもうほとんど人間なんだ。それなのに、まだ届かない。
あと21.9%。その距離が果てしなく遠い。
この数か月、人間らしいことをできる限り積み重ねてきた。学校に通い、友達と笑い、くだらない会話を交わし、放課後の時間を一緒に過ごした。
それでも、数字は止まったまま。
何かが足りない。決定的な何かが。でも、その正体がどうしても見えない。
残り、二十四時間。
このままなら、九条さんの言った奇跡は、届かなかった願いで終わる。




