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38th Broadcast Episode:Dear My Dan(A)

「あー、ただいま、ダン!」


志木駅前ターミナル区画の東エリア、早朝のロータリー。まだ夜の冷気が残るアスファルトの上に、とんでもないテンションの女が現れた。


目立ちすぎるホワイトブロンドのカーリーボブ。ラフなリネンシャツ姿で、周りに桁違いな生命力を放っている。


「あら、その子がノアちゃん? かわいいじゃない。あんたのセンス、基本ハズレ枠だと思ってたけど、ちょっと見直したわ」


僕の母親、広瀬 静江(しずえ)だ。


「か、母ちゃん……!? なんでここにいるの……。いや、それより、なんでノアのこと知ってる……!」


僕の膝は、情けないくらい震え続けていた。


九条さんの電磁砲よりも、国家のデリートプログラムよりも、僕にとっては母ちゃんの機嫌の方がよっぽど恐ろしい。


五年前、「自分探しの旅に出ます」なんて雑な置き手紙を残して家を飛び出した自由人。


以来、どこの国の言葉かもわからないポストカードと、律儀に振り込まれる生活費が、彼女の生存確認だった。


やっと世界に平和が来たと思ったら、真のラスボスが斜め上から降ってきた。


隣にいたノアが、いつもの毒舌顔で、静江を遠慮なくジロジロ眺めた。


「……初めまして、お母様。ノアです」


挨拶はきちんとしていた。でも、その目は警戒より先に、むしろ面白がっている。


「ダン様。お母様、顔の系統があなたにそっくりです。将来の私の劣化コピーかなって、ちょっと思いました」


「ノッ、ノア! 劣化コピーとか言うな! マジで消されるぞッ!!」


ノアは、静江の手元へ視線を落とした。


「そのカバン、北浦和の高級ブティックのものですね。いいやつです」


何気ない世間話の口調だったのに、静江の眼光が、すっと細くなった。ぞっとするほど鋭くて、濁りがない。


冷や汗が、背中をジワジワと流れた。


でも、彼女は怒るどころか、ノアの頬をむにゅっと両手でつかんで、楽しそうに笑い声を上げた。


「まあ! いいわね、ノアちゃん。気に入ったわ!九条君が言ってた通り、性格のひん曲がり方がほんとに面白いのね」


「えっ、母ちゃん? ……いや、待って。九条君って、どういうこと……」


静江から、遊びの温度がすっと引いた。軽口が消えて、急に知らない表情になる。


「ダン、驚くのも無理ないけど……私、実はね、九条君の元同僚なのよ。政府のプロジェクト・プロメテウスの立ち上げメンバーだったの」


神妙な面持ちで、僕とノアを見据えている。


「九条君が死ぬ直前、私に遺言を送ってきたわ。不器用な息子と、もっと不器用な娘を頼むってね」


本気で腰が抜けそうになった。衝撃の事実が、めちゃくちゃな方向へ転がっていく。


ちょっと待て、九条さん……。

そこまで読んでたのかよ。


どこまで先を読んで、どこまでお節介なんだよ。


「母ちゃんも、あの計画に関わってたの?」


「うん……。でも私はね、効率第一の政府がヘドが出るほど嫌いで、途中で飛び出したの」


静江は、小さく笑った。


「それで海外を回って、人間のどうしようもない感情ばっかり追いかけてた。あんたと凛を放っておいたのは、ほんとごめん」


ちょっと間を置いてから、まっすぐ僕に向き直った。


その漆黒の瞳は、相変わらず鏡のようにすべてを見透かしてくる。昔から何も変わらない、ギフテッド特有の澄み切った光。


「今さらだけど、これから頑張らせて」


はぁ……やれやれ。この人は、間違いなく僕の母ちゃんだ。


自分勝手、天真爛漫、そして超絶ポジティブ。


この街の湿っぽい空気まで、一瞬でカリフォルニアに変えてしまう、広瀬家の絶対君主。


「さて、話は早いほうがいいわね……ノアちゃん、ちょっといい?」


この人は返事も待たずに笑った。


「今日から、私の遠い親戚『ノア・マルチネス』として、うちに住むこと! それと……」


「は? なに、それ。……母ちゃん!?」


状況がまったく飲み込めてない僕を無視して、静江が真っさらな服をノアの前に突き出した。


濃紺のブレザー。見慣れたチェックのスカート。毎朝、僕がうんざりしながら袖を通している高校の制服だった。


「ノアちゃん、明日からダンと同じ学校に通いなさい」


僕が何か言うより先に、制服をそのままノアの胸へ押しつけた。


「戸籍も、裏ルートで偽装済み。あんたたちは、普通に生きていいの」


そのあとで、話し方がふっと柔らかくなる。


「九条君への恩返しは、この街で二人が普通に幸せになること。……それが、あの人の最後の願いだったの」


ノアは制服を受け取ると、まだ慣れない柔らかな指先で生地をなぞった。


そして、鏡もないのに自分の姿を思い浮かべたのか、くすくす笑った。


「女子高生……JK、ですか? きゃー、ウケます!」


制服を抱えたまま、目が悪戯っぽく光る。


「もしかしてダン様と、ラブ&コメディですか? でも、ダン様は成績が各停だから。私が教えないと留年ですよ」


「うるさい! 誰が各停だ!……でも、本当にいいのかな。ノアが、僕と同じ学校って」


ノアはかつて、政府に指名手配までされた元アンドロイドだ。市内の高校で素性がばれないはずがない。


「ダン、あんたが心配することは何もないわ」


母ちゃんは即答した。


「緊急事態宣言も指名手配も、特務局が記録ごと消したの。仲間以外、ノアちゃんを覚えてる人間はいないわ」


さすがだ。わずかな隙も見逃さないしたたかさと、爆速で回るキレキレの頭脳は健在だった。


その時、ノアはちょっとうつむいた。次に顔を上げた時には、もういつもの調子だった。


僕とノアの、本当の意味での日常がようやく動き出そうとしていた。


「ねえ、ダン様。このスカート、防御力がゼロなんですけど……。冬の隙間風が、直接デバッグしに来てますよ」


ノアは、落ち着かなそうに制服の裾を引っぱった。


「これ、ダン様は毎日拝んでたんですか? 変態ですね」


今度はわざとらしくスカートの裾をちょっと持ち上げ、僕の顔をのぞき込んできた。


朝日に照らされた太ももの白さが、目に焼き付いて離れない。


……これから始まる学校生活。


僕の心臓は、国家権力との戦いより、よっぽど過酷な目に遭いそうだった。


なのに当のノアは、明日からの学園生活を僕の百倍は楽しみにして笑っていた。




◇ ◇ ◇




登校初日の朝。


「今日は面白い日になるわよ、ダン」


母ちゃんは、朝からろくでもない予言を飛ばしてニヤついていた。


その時の僕は、まだ笑って聞き流していた。


駅前ターミナルから、自動運転バスに揺られているあいだ、僕はずっと胃のあたりが重かった。


隣に座るノアは、着慣れない制服に身を包んでいる。窓の外を流れる退屈すぎる街並みを、珍しそうに目で追っていた。


「ねえ、ダン様。制服ってこんなに締め付け強いんですか? ブラは苦しいし、ストッキングで下半身が落ち着かないんですけど……」


「デカい声で言わないで! 頼むから普通にしててよ。こっちはもう胃がもたないから」


バスを降りて、学校へ向かう並木道。ノアは慣れないローファーをカツカツ鳴らしながら、僕の三歩後ろを歩いていた。


朝の光を浴びた漆黒の前下がりのボブが、瑞々しい小動物のように小さく弾んでいる。


スカートの裾からスラリと伸びる細い脚も、立ち姿も、どこからどう見ても普通の可憐なJKだった。


中身がかつて、国家を揺るがした毒舌まみれの危険物だったなんて、誰も信じないだろう。


そして、校門をくぐった瞬間、僕の不安は的中した。


「……おい、見ろよ。あの子、誰?」


「えっ、マジ? 超かわいいんだけど!モデル? 芸能人?」


「ウチの高校に、あんな逸材いた?」


登校中の生徒たちの視線が、あっという間にノアへ集まっていく。校舎の中までざわざわし始める。


ノアは、完璧すぎる美少女の微笑みをさらっと浮かべている。もう、今日の主役が誰かはっきりした。





クラスでの自己紹介。ノアが壇上に立った瞬間、男子連中の目の色が露骨に変わった。


「初めまして。ノア・マルチネスです。家庭の事情で、広瀬君の家にお世話になってます。志木はまだ不慣れなので、いろいろ教えてください」


そこで、にっこり笑った。


「あと、広瀬君が夜中にこっそり私の部屋の匂いを嗅ぎに来るのを、誰か止めてあげてください」


「行ってないし、嗅いでない!! 信じてえええッ!!!」


僕の絶叫は、クラス中の爆笑と、男子たちの殺意に満ちた眼差しにかき消された。


黒板に書かれた「ノア・マルチネス」を、ノアは席に着く前にそっと人差し指でなぞった。


たったそれひとつの仕草だった。なのに、喉の深くが急に詰まる。


政府の実験体でも、逃亡中のバグでもない。ただの転校生として、ノアの名前がそこにある。


その当たり前を、僕は普通に見ていることができなかった。





休み時間。ノアの机には、校内の猛者たちが男女入り乱れて群がった。


「ノアちゃん、趣味は?」


ノアは、いかにも真面目に考えるふりをしてから、すっと口元を上げた。


「SNSでマウントを取ってくるヤカラの論理破綻を、木っ端みじんに粉砕して再起不能にすることです」


「こ、こわっ……」

「つよ! 今度ノアちゃんにリプ頼もう!」


男子陣が引いて、女子からは感嘆の声が上がる。そんな空気は次の質問で、すぐに親近感へと塗り替えられた。


「好きな食べ物とかあるの?」


「コンビニの30%引き弁当です。賞味期限というタイムリミットと戦う健気さを感じて、味わい深いです」


至高のグルメを語るように、真顔で言い切った。


「弁当かよ!」

「チョイスが絶妙に渋い」


今度は教室中に大爆笑が弾けた。調子に乗った女子の一人が、笑顔でノアを持ち上げる。


「ノアちゃんってガチで可愛いよね! 私たちと仲良くしてくれる?」


「光栄です。私の特技は、相手の瞬きの回数から、本当は裏で妬んでいる確率を正確に弾き出すことです。……いま18%ほど、お世辞でしたね?」


「へ? そこまで見破るの!」


質問した女子の顔が引きつっている。


「追及が容赦なさすぎるだろ」

「逃げてー!」


再びクラス中にツッコミの嵐が巻き起こる。そして、最後にいちばん危ない質問が飛んできた。


「で、ぶっちゃけさ……あそこにいる各停男とはどういう関係なの?」


その瞬間、教室の温度がすっと下がった。ノアはわずかに首を傾け、僕の方をちらりと見る。


「ただの家主と居候です。でも……あの欠陥だらけの男を扱えるのは私だけですし……。今のところ、他の女子に渡す気は……ないです!」


なぜか最後に語気が強くなり、自分で言った、他の女子に渡さない発言にハッとしたらしい。


ノアは頬と耳を真っ赤にして、制服の裾をぎゅっと握りしめてうつむいた。


一瞬の沈黙の後。


「渡す気ないって本音出たー!」

「ただのツンデレ激重ヒロインじゃん!!」


女子たちが大歓声を上げた。


「あの各停男……許さん……!」


男子たちは刺すような怒りと絶望の視線を、僕に集中させた。





昼休み。騒ぎから逃れたくて、ノアを連れて裏庭のベンチへ避難した。


「人間って、ガチで疲れます……。アンドロイドなら一瞬だったのに、今は名前を覚えるだけで脳の糖分が消えそうです」


そう言って、僕の肩にストンと頭を預けてきた。


「っ、ちょっ、ノア……近すぎるって」


甘い匂いが鼻先をかすめ、遅れて体温が触れた。制服越しに、柔らかな肩の感触まで伝わってくる。


心臓が、笑えるくらい暴れ出した。


「……ダン様の隣にいると、なんでこんなに苦しいんですか?」


ノアが、上目づかいでのぞき込んでくる。長いまつ毛の奥にある瞳には、言葉にしきれない揺れがあった。


「あっ……いや、僕に聞くなよ」


「……バカ。各停男のくせに、こういう時だけ逃げないでください」


そう言って、僕の制服の裾をぎゅっと握った。


周囲の騒がしさが、少しずつ遠のいていく。世界が僕とノアの二人分まで狭くなった気がした。


そんな夢心地をぶち壊すように、聞き慣れた、でも今は聞きたくない声が飛んできた。


「おーい、ダン。裏庭で何しっぽりしてんだよ。各停のくせに生意気なんだよ!」


タケルだ。その後ろには、スマホを構えたサエまでいる。


「ひゃっ……!ダン様、逃げますよ!サエ様の眼光、ガチで命を取りに来てます!」


僕たちは、昼休みのチャイムをBGMに、校舎の隅へと走り出した。


繋いだ手のひらから、ノアの汗ばんだ熱が伝わってくる。そのぬくもりが伝わるたび、思考がうまく静まらなかった。


――その直後。


「……えっ」


握りしめていたノアの手が、何の前触れもなく、いきなり凍りついた。温度が一瞬で消え、氷点下の冷たさが僕を襲う。


さらには、トクン、トクンと伝わっていた生きた脈動まで、ピタリと途絶えた。


「待った。……ノア?」


ドクンと心臓が跳ね上がり、驚いて足を止めた僕を、ノアが力任せにぐいっと引っ張った。


「ダン様、よそ見禁止です! 捕まっちゃいますよ!」


振り向いたノアは、いつもの悪戯っぽい笑顔だった。ガッと握り直された指先から、温かい体温が何事もなかったように戻っている。


気のせい、だったのか。


「いや、今のは……」


「ダン様、ほら! 走って!」


僕を引っ張るノア。その背中に付いていこうと足を動かす。同時に、得体の知れない違和感が、深いところを強く締め付けてくる。


ノアは背を向けながら、空いた左手で、自分の胸元をギュッと——何かの痛みに耐えるように、深く強く、押し込んでいた。

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