32nd Broadcast Episode:唯一の器(A)
「えっ、これ……まったく笑えないんだけど」
タケルの魔改造トラックの荷台で、僕は街頭ビジョンを見上げていた。
そこには僕自身の顔が、『国家反逆罪・指名手配』という物々しいテロップつきで、大写しになっている。
「各停男が、一足飛びに全国区のテロリストか……」
でかでかと映った自分を眺めながら、心の底からぼやいた。
「有名税にしては高すぎだって。学校のグループLINE、僕の退出通知で埋まってんだけど」
マスターは無言で端末を叩き続けていた。僕のボヤキなど完全にスルーだ。隣で冬花先輩が、冷たく吐き捨てる。
「感謝しなさい、ダン。あんたのダサい卒アル写真が全国デビューよ」
「ありがたくないです!」
直後、運転席の窓からタケルが顔を出した。
「大丈夫だって。凛が今、国家データベースの顔写真を全部ハトに差し替えてる」
「余罪を増やすな!」
その直後、頭の中にいる同居人が、とんでもないことを言ってきた。
『……ねえ、ダン様』
ノアのトーンが、いつもより一段低い。
『あなたの脳のセキュリティ、ザルすぎませんか? 隠しフォルダが勝手に流出してるんですけど……』
これ、本気でまずいやつだ。
『……ちょっと、これ何ですか?』
ノアに、はっきりと冷たい呆れが混ざる。
『キッチンにいた時の、「ノアのうなじ、やばい」とか「後ろから抱きついたらどうなる」とか……キモい妄想ログが、超高画質で再生されるんですが』
「今すぐ止めて!」
思わず声が裏返った。
「それはその……健全な男子高校生としての、不可抗力だって!」
『不可抗力で、変態行為のシミュレーションをするんですか?』
ノアの返しが容赦ない。
『私に対するセクハラログが多すぎます。解像度を無駄に上げるの、やめてもらえますか? 不快感で回路が焼き切れそうです』
視界いっぱいに、真っ赤になって顔を背けるノアが浮かぶ。僕がどういう目で見ていたかまで、全部伝わってるらしい。
細い首筋も、しなやかな指先も、ずっと見ないふりをしてきた。理性で押さえつけてた分まで、まとめてバレている。
「仕方ないって!ノアがたまに、無防備にそういう角度で首かしげるから……!」
僕はやけくそで言い返した。
『言い訳が、完全に犯罪者のそれです』
ノアが毒を吐きかけて、ふいに言葉を止めた。
『……あ、また新しいログが来ました』
続いた声から、刺々しさがすっと消える。
『これ……私の寝顔を見て、唇に近づいた時の記憶ですよね?』
「ストップ!」
僕はこめかみを押さえた。
「それ以上掘らないで! 今すぐ閉じて!」
荷台の上で、反射的に小さく身を丸めた。
『……でも、ダン様』
口調が、とろけるように柔らかくなる。
『私のこと、ちゃんと女子として見てくれてたんですね』
そのひと言が、胸の深くを揺さぶる。
戸惑いも、ためらいも、そのまま流れ込んできて――重なる二つの鼓動まで伝わってきた。
『……思考ログは壊滅的にキモいですけど。でも、ちょっとだけ……嬉しいです』
そっとささやいた。
『無事に生き残れたら、続き……検討してあげてもいいですよ?』
「ノ、ノア……っ」
耳まで熱くなるのが、自分でも分かった。
【NOA CORE COUNTDOWN】
《01:57:11》
その甘い余韻の直後、トラックを激しい衝撃が襲った。上空から巨大なサーチライトが照らされ、僕の胸元に無数の赤い点が集まる。
『ダン様! 車両全体がロックオンされました! 前方も完全に封鎖……』
脳内でノアの叫びが跳ねる。
「タケル、突っ切れ!」
ヘルメットのシールドを叩き下ろし、荷台の縁を固く握りしめた。脳奥にいる、大切な同居人を守るために。
僕たちの181日目を取り戻す暴走が、始まった。
◇ ◇ ◇
トラックは夜の街並みを走り続けていた。凛が助手席でタブレットを叩き、タケルが運転席でアクセルを踏み込む。
僕は脳内のノアと無理やり軽口を叩いて、何とか気持ちをつなぎ止めていた。その間も、数字は無慈悲に減り続けている。
【NOA CORE COUNTDOWN】
《01:29:12》
ふと視線を落とした瞬間、心臓が止まりかけた。右膝の上に置いた自分の手。そこには、もうノアの指の感触がない。
しかも、寿命はあと一時間半だ。
地下に置いてきた機体。砕けて消えた指輪。思い出すと、全身が冷え込んだ。
「……181日目、か」
思わず、口からこぼれた。
今も、ノア自身は存在している。
それでも――
《01:27:59》
この声も、あとわずかで消える。僕の脳へ逃がせたから終わりじゃない。むしろ、ここからが本当の残り時間だ。
これから先、僕は誰の隣を歩けばいいのか。誰と、どうでもいいことで笑えばいいのか。
実体のない声を相棒にして生きるのが、僕たちがつかみ取ろうとした未来なのか。
いや、未来ですらない。ただの、一時間半の延命だ。
「ノア……僕、指輪も守れなかった。機体も、置いてきたし」
一度あふれた不安は、とめどなく体中に広がっていく。
このまま、ノアはここで生きていけるのか。答えのない問いがドン詰まって、考えるたびに重くなる。
思わず、手首の脈をトントン叩いた。けれど、あの愛おしい駆動音は、もうどこからも返ってこない。
視界が歪みかけたその時、冬花先輩が僕の肩を強くつかんだ。
「ダン。あんたが何を怖がってるのか、分かるわ」
そう静かに言った。トラックのエンジン音が、急に遠のいていく。
「ノアの身体がないことよね?」
完全に図星だった。すべて見透かしたように間を置いたあと、その口から、正気を疑う言葉がこぼれ落ちる。
「でもね……。受け皿ならあるの。人間の肉体が」
見上げた先の冬花先輩の目には、今まで見たことがないほど強い執念があった。
「データのままで、絶対に終わらせない。この街にいるの、ノアを人間として定着させられる器が」
その一言には、何の迷いもなかった。
「……器……? 先輩、何言って……」
【NOA CORE COUNTDOWN】
《01:24:18》
「この十年、ずっと探してきた最後の希望なのよ」
冬花先輩の指が、モニターの縁を強くつかんでいる。
「事故で脳死状態になって、五年間眠り続けている少女がいる。体は生きてる。でも、心は空白」
耳から入ってくる情報が、どうしても現実の出来事と結びつかなかった。変な汗がじわりと噴き出す。
「その子の脳波が、ノアのコアと、奇跡としか言いようのない確率で一致したの」
そんな都合のいい話があるのか、と喉元まで出かかった。でも冬花先輩の眼差しが、すべてを飲み込ませる。
「救えるかもしれない」
それはもう、祈りそのものだった。
突然、マスターが低く唸ってモニターを指した。
「おい、冬花。……まずいぞ」
歪み始めた表示から目を離さず、言葉をつぐ。
「通信網に仕掛けたバックドアが、異常なトラフィックを拾った」
表示の流れを追いながら、さらに告げる。
「特務部隊のユニットが志木中央病院へ向かってる。狙いは、あの少女で間違いない」
タケルがバックミラー越しに叫んだ。
「ここから志木中央病院まで、最短でも二十七分! 特務の装甲車なら十五分で着くぞ!」
九条はノアのバグどころか、その先まで押さえようとしているのか。新しい器ごと、管理下に置くつもりなんだろう。
『……ダン様』
意識の真ん中で、ノアが息を呑む気配がした。
『私……人間に、なれるんですか?』
ちょっと間を置いて、こわごわ続ける。
『あなたと同じ体温で、生きられる女の子に……?』
その問いを聞いた途端に、僕の不安は一気に押し流された。
『……朝になったら、ダン様と同じ空気を吸って、寒いねって言える人間に?』
返事の前に、息が一度つかえた。それでも、答えはひとつしかない。
「……うん、なれる。いや、絶対にならせてやる」
体中の細胞から何かが沸き上がってくる。
「九条なんかに、ノアの居場所を触らせてたまるか!」
【NOA CORE COUNTDOWN】
《01:20:00》
志木中央病院まで、あと9.8キロ。ヘルメットをつかんで、乱暴にかぶり直す。
「タケル、凛! 病院まで最短で飛ばしてくれ!」
突然、マスターが手を止め、低く唸った。
「おい……まずいぞ。病院の全システムが遮断された。特務部隊が敷地を完全包囲して、病院ごと国家権力でロックアウトだ」
「なっ……」
冬花先輩が青ざめて端末を叩いた。画面には無慈悲な『SIGNAL LOST』の文字が赤く点滅している。
「嘘、でしょ……少女の生命維持データが、遮断された……。向こうで何が起きてるのか、一切観測できない……!」
ぼんやりと見えていた希望の光が、九条の手によって一瞬で闇に塗りつぶされる。
『あ……ぐッ……!?』
直後、僕の脳内で苦しそうなうめき声が響いた。
「ノア!」
『ダン、様……熱い、です……! 痛い、焼ける……ッ!』
人間になれるという巨大なバグの前兆に、ノアが耐えきれなくなっている。
右脳を炎であぶられるような激痛が僕を襲い、右目からボロボロと涙があふれ出した。
視界の隅で、システムタイマーの数字が不気味に狂い、ノイズを吐きながら暴走を始める。
【NOA CORE COUNTDOWN】
《??:??:??》
病院の完全封鎖。途絶えた生命維持データ。そして僕の内側で、ノアが悲鳴を上げて崩壊を始めていた。
「ノア……ッ!!」
逃げ場のない圧倒的な恐怖に包まれながら、トラックは絶望の闇の中へと突き進む。




