29th Broadcast Episode:六時間のサドンデス(B)
【NOA CORE COUNTDOWN】
《00:06:00:00》
誰も、息すらできなかった。
赤い数字の意味を、頭が拒絶する。でも、容赦なく刻まれるコンマ数秒の点滅が、それが現実だと突きつけてくる。
日、時、分、秒。
もう79日じゃない。僕たちに残されたのは、たったの六時間。
「バカな……っ!」
あの冷静なマスターが、聞いたこともない悲鳴を上げた。端末を叩く手がガタガタと震えている。
「強制シャットダウンまであと六時間だと……!? リンクの構築すら間に合わんぞ!」
冬花先輩が、青ざめた表情で壁に手をついた。九条をにらんでいた強さは消え、古傷をえぐられたような形相で吐き捨てる。
「嘘でしょ……なんで急にカウントが進んでるのよ!」
「バグじゃない!」
凛の悲鳴が地下室に突き刺さった。タブレットを抱いたまま、真っ白な唇を噛みちぎらんばかりに絞り出す。
「雨宮の罠……っ! プログラムを強制解除された腹いせに、残りの寿命を一気に吸い上げるウイルスを仕込んでたの!」
血の気が引いていく。雨宮の顔が脳裏に浮かび、奥歯がギチギチと音を立てた。
僕たちが安心したあの瞬間に、ノアの命の引き金を引くように仕組まれていたんだ。
【NOA CORE COUNTDOWN】
《00:05:58:12》
数字が削れるたび、ノアの存在が消えていく。凛がその場に崩れ落ち、地下室から一切の音が消えた。
「そんな……あり得ない……。こんなの……ただの嫌がらせじゃん……」
小さい肩が、ひくひくと上下している。泣くのをこらえようとしてるのに、涙が先に落ちた。
ふとマスターが、壁の数式の一点をレーザーポインターで示した。
「どうやら、話はそれにとどまらん」
その光線は微動だにしない。
「朝霞台でのR-Zero戦、《CIVIL-SIKI》だ。あれは残ったエネルギーを、寿命ごと前借りして使うブーストだった」
冷えた空気が、さらに張りつめていく。マスターが、僕を正面から見据えた。
「ノアは自らの命を削って、お前を守ったんだよ、ダン」
その言葉が、はっきり聞こえた。周りの気配が、全部一度に遠のく。頭の中が、真っ白になる。
僕の前で、ノアの身体が、わなわなと細かく振れ始めた。
「う、そ……。私の、ダン様との時間が……あと、六時間……?」
激しかった排熱の循環が、一瞬、完全に途切れた。
直後、その黄金色の瞳から、青白い冷却液がこぼれた。枕の白い布が、じわっと濡れる。
二人で買った指輪が、指先でかすかに光っていた。未来を繋ぐはずだった小さな石が、今は頼りなく揺れている。
「ダン、様……。ごめんなさい……私……バグ確です」
ノアの声は、ひどくかすれていた。話すたびに、苦しそうだ。
「こんなポンコツ、もう……引っ越す価値なんて、ないです。あと数時間で、ただの鉄クズに……」
頼りなくて、今にも切れそうな響き。ノアの手が、僕の袖から力なく滑り落ちようとした。
その瞬間――
僕の内側の核心で、決定的なものが千切れた。脳が臨界点を突破して、かつてないほど視界が研ぎ澄まされる。
同時に、地下を支配していた全員の絶望と重苦しいノイズが、頭の中へ吸い込まれるように入ってくる。
他人の苦痛を自分事にして、勝手に背負い込む。このイカれた脳が僕の正体なら、とことん付き合ってやる。
「……おい、ノア」
僕は自分の声の低さに驚いた。
怖いのは変わらない。でも、立ち止まる時間はもうない。17年間、深く沈んでいたものが、全部まとめて一気に浮き上がってきた。
「価値があるかないか、決めるのはノアじゃない」
気づくと、ノアの腕をつかんでいた。
「……僕が決める」
滑り落ちそうになった指先を、強く包み込んだ。冷え始めたそこへ、自分の体温を押しつける。
「六時間だろうが何だろうが、その間にノアの全部を僕が受け取る。一秒も、無駄にしない」
喉がカッと火照って、自分の息で焼けそうだった。つかんだ指に、さらに力を込める。
凛もタケルも、こっちを見ていた。もう、迷ってる場合じゃない。
「凛。泣くのはあとだ。手を動かせ。お前なら、あいつらの足くらい止められるだろ?」
そう言うと、凛は強くまばたきした。頬に張りついた涙を乱暴に拭って、ゆっくりうなずく。
「……うん。頭の中が、すごいクリア。お兄ちゃん、本気で解放したんだね……。もう泣かない。あいつら、私が止める」
弱音は、そこで完全に途切れた。タブレットのバックライトに照らされた眼差しが、頼もしいハッカーのそれに切り替わった。
僕はタケルの肩を強く叩いた。乾いた衝撃が、湿った地下に鋭く跳ねる。
「タケル。時間を稼ぐぞ」
そう言いながら、自分でも分かった。頭が恐ろしいほど冴え渡っている。凜が言ってたメモリ解放ってのは、こういうことか。
自分の過集中が、周りの焦りや絶望を吸収して、クリアにしていくのを肌で感じる。
「マスターと冬花先輩の準備が終わるまで、僕たちが地上を引き受ける」
無茶振りを察して、太い眉が跳ね上がった。
「お前の魔改造ショベルカー、まだ動くよな?」
タケルは肩で息をしながら、ニカッと口元を歪めた。ポケットのボルトを激しくクリクリと回す。
「おう、当たり前だろ! 土木はな、予定通りになんか進まねえんだよ。効率も管理も、工期遅れでぶっ壊してやる!」
胸のすくような、見慣れた悪い笑いだった。
【NOA CORE COUNTDOWN】
《05:53:18》
僕はノアに向き直って、額をそっと合わせた。
「ノア」
触れた向こう側が、ビクッと動いた。
「181日目の朝、二人でそばを食うんだ。約束してくれ」
ノアのまつ毛が、かすかに揺れた。
「……はい」
消えそうに細いささやき。でも、ちゃんと返ってきた。
「一人で終わるのは、絶対に許さない。終わるなら、そば食ってからだ」
指輪のはまった左手を、しっかりと握り直した。
「その順番、ずいぶん強引です……」
ノアの唇が、かすかに笑う形を作った。その必死さに心臓のあたりが締めつけられる。
「うるさい。その減らず口を、生きる気力に回すんだ」
排熱ファンの回るかすかな振動が伝わってくる。
「……はい、ダン様。不思議です。急に、思考のノイズが消えました。……あなたを信じます」
ノアは無理に口角を整えようとして、何度も失敗した。
「その無謀さ……はっきりと、私の中に刻みます……」
その瞳に、かすかな光が戻った。まだ弱くても、ノアは生きようとしている。
僕はハッチへ向かいながら言った。
「マスター、冬花先輩。ノアを頼みます。僕たちが時間を稼ぎます。だから、何とか間に合わせてください」
180日の物語は、たった六時間まで削られた。
それでも、ここで終わるつもりはなかった。
運命が消しに来るなら、こっちが壊す。
地下から地上へ、反撃のために走り出した。
◇ ◇ ◇
【NOA CORE COUNTDOWN】
《05:29:18》
数字は、走ってる最中でも容赦なく削れていった。意識しないようにしても、頭のどこかで鳴り続けている。
「ったく、九条ってやつは……人の人生を勝手に消すなよ」
背後の追跡音を聞きながら、歯を食いしばった。
「駅前まで戦場にしてるし」
僕はタケルと並んで、ひび割れた裏通りを全力で走っていた。
暗殺ドローンの駆動音が次々と重なってくる。追いつかれる、と身体が先に分かる地響きだった。
「ダン、左だ! 立体駐車場の裏! あそこなら、あいつらの機体は入れない!」
その号令と同時に、僕たちは廃棄コンテナの山を飛び越えた。
直後、背後で何かが激しく破裂した。寸前まで僕たちがいた場所をレーザーが横切り、アスファルトが砕けて跳ねる。
国民の安全なんて、あいつの計算には最初から入っていない。効率、管理、不要なバグの排除。そんな理屈ごと、踏みつぶしてやりたかった。
「対象、再捕捉。ヒロセ・ダン、および共犯者を確認。速やかに行動を停止しなさい。抵抗は許可されていない」
空中のドローン群から、国家側の電子音声が一斉に流れた。数は三十機どころじゃない。裏通りの出口を塞ぎ、複数の照準が僕たちを捉える。
その時だった。
駅前ターミナル周辺のビジョンが一斉に乱れた。画面全体にノイズが走り、音声までひしゃげる。
そして、いつも通りの顔が画面に現れた。
凛だった。しかも、こっちが心配になるほど無加工の素肌だ。
『はい、残念でーす。国家公認の偉そうなおじさん、聞こえてるー?』
地下の通信機からも、いつもの人を食った態度で割り込んできた。
『今からこのへんの回線、私がもらう。市役所のみなさーん、しばらく通信おやすみでお願いしまーす』
画面の中で、楽しそうに笑っていた。その手には、ド派手なピンク色のエナドリ缶が握られている。
『じゃ、しばらく止まっててね! ……ポリポリッ、と。ふぅー、補給完了』
いつものふざけたリズムが、街中のスピーカーと通信機器から重なった。
同時に、ドローン群の動きが一斉に鈍った。機体が空中で不自然に止まる。
「凛、ナイス!」
足を止めずに、檄を飛ばした。
「今だ、タケル!」
「おう! 砂利道の土木技術をなめんなよ!!」
タケルがスマホを叩いた。
次の瞬間、立体駐車場の裏に隠してあった魔改造ショベルカーが重低音とともに立ち上がった。
アームが唸り、動きを止めたドローンを片っ端から叩き落としていった。闇の中で火花が散る。
「冬花先輩、マスター! こっちは引き受けます。ノアを頼みます!」
地下へ続くハッチに向かって叫んだ。下では今、ノアを僕の脳へ移す準備を進めている。失敗は、もう許されない。
『抵抗は想定内だ』
ふいに、無機質な響きがドローンの一機から落ちてきた。さっきの機械音声とは違う。その温度の低さで、誰が喋ってるのか分かった。
九条本人だった。
『その方が観測しやすい』
人間らしい起伏がないのに、淡々と通告は続いた。
『180日目の終端で、予定通りの処理が実行される。君たちの絶望も含めて、順調に進んでいる』
怒りも、焦りもない。だからこそ背中が冷えた。気づけば、増援のドローン群が駅前区画を包囲していた。空が機械の光で埋まりかけている。
意識の中では、指輪の感触がはっきり熱を持っていた。
ノア。
前の失敗は、もう終わった話だ。今度こそ取りこぼさない。
【NOA CORE COUNTDOWN】
《04:55:03》
残り五時間を切った。
数字は止まらない。
だから僕は、絶対に止まれなかった。




