28th Broadcast Episode:六時間のサドンデス(A)
「ダン、こっち!」
暗闇の向こうから、冬花先輩が呼んだ。
「そこ、足取られる。コンクリートの方を踏みな」
駅前再開発ブロックの外れ。人目につかない古い雑居ビルの地下には、途中で計画が消えたらしい廃トンネルが口を開けていた。
カビ臭くて、どんよりと湿ってる。忘れられた場所が持つ、いやな静けさがあった。
「っ、はっ……ノア、しっかりしてくれ」
僕は息を切らした。
「指輪の呪い、まだまだこれからだって。こんなとこで終わってたまるか」
眠ったノアを抱えて、地下トンネルを走っていた。その機体は、強制帰還命令のノイズに引きずられて、細かく跳ねている。
排熱ポートからは、白い蒸気が途切れず吹き出していた。触れるのもためらうほど高温だ。
路上で僕の喉を潰しかけていたノア。通りがかった冬花先輩が、特殊なジャミング弾で起動停止してくれた。
「冬花先輩、マジで助かりました。今度、そばでも奢ります」
「あとにしな。死んだら、そばも何もないのよ」
冬花先輩は振り返りもせずに言った。
その先に、マスターが立っていた。しかも腕には、光沢のある最新型ホログラム端末を巻いている。
「マスター? なんでここにいるんですか。喫茶店の裏メニュー、だいぶ飛び越えてません?」
「相変わらず、ずれてるな。ダン」
マスターは端末を操作しながら言った。
「私はな、昔、北浦和の国家AI統治機構にいたんだ」
口調は軽かった。でも、その一言で地下の暗がりが動き出す。
「心を数値に落とし込む設計図を書いていたのさ。ざっくり言えば、ノアの系譜の上流にいた人間だ」
僕は呆気に取られて、しばらく言葉が出なかった。
ノアのコアを迷いなく開いた手つきも、何度も先を読んでいた助言も、ようやく一本に繋がった。
場数とか勘じゃない。最初から、あっち側の人間だったんだ。
コンクリートの壁に囲まれた空間は、ひんやりと冷えた。天井の古い蛍光灯が、頼りない明かりをかろうじて落としている。
僕は、ノアを簡易ベッドに寝かせた。薬指の石が、地下の薄い光を返している。あの裏通りで見た時より、ずっと弱い。
制御が乱れてるのは、すぐに分かった。排熱のリズムまで、おかしくなっている。
「あ、っ……ダン、様……」
ノアのつぶやきは、今にも途切れそうに細い。
僕はすぐそばに膝をついた。
「いる。ここにいるよ、ノア」
わなわなと震える手が、僕の袖をつかんだ。そのまま腕を引き寄せて、火照った頬を押しつけてくる。
「強制命令のノイズが……すごく怖いです」
口に出すたびに、途中で何かに引っかかる。
「頭の中がグチャグチャで……熱で全部ばらけていきます……」
「もうしゃべるなって。今は余計なこと考えなくていいから。僕を見るんだ」
思わずそう言って、触れていた指先に力を込めた。
焦点が揺れたまま、何とかこっちを捉えようとしている。胸の一番深いところが痛んだ。
「でも……こうしてると、安心します」
息を継ぐように間を置いてから、ノアは続けた。
「心拍数のバックアップ……取れてる感じです……」
薄暗い地下室の中で、手のひらから不規則な微振動が伝わってくる。その熱っぽさが、たまらなく切ない。
抱きしめたい。ここで離したら、どこかが壊れてしまう気がした。でも、その考えをマスターが現実に引き戻す。
「ダン。ノアを救う方法は、もう一つしかない。ボディは強制帰還命令に食われてる。このままじゃ、もたない」
その直後、端末の光が地下室の壁を青く染めた。
僕の脳の断面図が、ホログラムで浮かび上がる。自分の頭の中を見せられるって、あまり気分のいいもんじゃない。
「段取りは前と同じだ。ノアの人格を、お前の脳に移す」
マスターは淡々と続けた。
「言ってみれば、お前の記憶とノアの意識で、同じ家の中に同居することになる」
僕は思わず息を呑んだ。
ベッドの上から、ノアの苦しげな排熱音が断続的に響いている。その拍動が、この話を冗談じゃなくしていた。
「……前と同じ、リンク、ですか?」
「そうだ。だが、前はバックアップだった」
マスターの指がホログラムをなぞった。赤い警告が、脳の図にも、ノアの人格構造図にも次々と増えていく。
「人格ログを、お前の脳にコピーすれば済んだ。だが、今のノアはその時間に耐えられない。コピーの途中で、本人が消えてしまう」
背中を、地下の湿気とは別の悪寒が這った。
「マスター。つまり……どういうことですか?」
サイボーグの右目が、赤く駆動しながら僕に向いた。その眼光を見れば、まともな答えじゃないと分かる。
「バックアップは作れない。今動いてる人格そのものを、お前の頭の中に退避させるしかない」
端末の青い光が、マスターの銀髪を薄く照らす。
「完全転送だ。ノア本人を、お前の脳内に押し込む」
静まり返った室内で、巨大なサーバーが低く唸りを上げている。
「だが、寿命そのものは動かない」
その一言で、肺の中が一瞬で凍りついた。
冬花先輩が、壁に手をついて深くうつむいている。
マスターは視線を逸らさなかった。
「つまり、期限が来れば、ノアは消える」
言ってる意味は分かった。でも、思考が受け入れるのを拒んでいる。
「他に選択肢はない。しかも、一度失敗して閉じた道を、もう一度こじ開けることになる」
ホログラムが切り替わって、僕の脳の複雑な神経ネットワークを映し出した。赤く染まった一点が、高速で点滅している。
わずかに間を置いて、マスターが言い切った。
「もしお前の脳細胞が耐えきれなければ、もう取り返しはつかない。二度と自力で立てなくなるかもしれん」
脅しじゃない。ただの事実だ。だからこそ、重かった。
「それでもやるか? ダン」
僕は、必死に自分を保とうとしているノアを見た。その手をそっと握り直し、ゆっくりと息をひとつ吐く。
「当たり前です。僕の脳みそなんて、もともと大したもん入ってません。空いてる場所があるなら、全部ノアで埋めればいい」
地下に吹くカビ臭い風の中でも、迷いはなかった。たとえ僕が壊れても、指輪をはめたノアの意識は絶対に消させない。
僕は自分の手首を一定のテンポで叩きながら、確かな脈拍を送り続けた。
「ダン、見て」
冬花先輩がホログラムを切り替えた。コンクリートの壁に、ある男の姿が大きく浮かび上がる。
わずかに白髪の混じる短髪に、いかにもIQが高そうな顔立ちだ。薄い唇に、深く刻まれた眉間のシワ。
すべてが整いすぎていて、逆に温度がない。何より異様なのは、無機質に冷たく据わった、溶けた金のような黄金の瞳だった。
「こいつが九条。国家AI統治機構の総帥で、政府特務局の特務官」
冬花先輩は、その顔から目を離さなかった。
「そして、こいつが回してるのが、プロジェクト・プロメテウス」
画面が切り替わった。
人間の意識データをサーバーに組み込み、アンドロイドの処理能力と接続して、国民全体を効率的に管理する。
そんな狂った設計図が、青白い光の中に何枚も重なっている。
僕は、本気で息が詰まった。情報量が多すぎる。なのに、嫌なくらい分かってしまう。
どう見ても、ただの研究じゃない。人間の中身ごと、管理する目的の人体実験だ。
「私の恋人も、この実験で壊されたの」
冬花先輩の声は静かだった。でも、地下の冷気がさらに冷えていく。
マスターは何も言わなかった。端末を操作する指が、不自然なほど正確に動いている。
「雨宮なんて、九条の下で動いてる駒のひとつでしかない」
冬花先輩は、壁に浮かぶ男を、まだ睨み続けていた。
「九条の狙いは、あんたの脳を壊してでも、ノアのバグを取り出すこと」
そう言ってから、こっちに向き直った。
「演算できない感情を抜いて、システムの部品にするのよ」
「感情を……システムに?」
自分の口から出たつぶやきが、かすれていた。
まぶたの裏に、冷たい廃棄区画に転がっていた、コアを抜かれた家事支援型アンドロイドの残骸がよぎる。
亡き骸を抱いたまま死んだ、雨宮の妹。その悲劇の裏に、効率の化身として君臨する九条のシステムが、冷酷に横たわっていた。
怒りの矛先が、一気に、その巨大な元凶へとすり替わっていく。
ノアから、機体が軋む音が漏れている。その痛々しい響きのすぐ横で、ホログラムの九条が平然と浮かんでいるのが許せなかった。
「……冬花先輩。こいつを引きずり下ろすために、ずっとこの地下にいたんですね」
絞り出した問いに、すぐには答えなかった。ホログラムの光を浴びながら、キーボードをじっと見つめている。
冬花先輩は、爪が白くなるほど強く拳を握りしめた。
「十年間、ずっと機会を待ってた。……まあ、結局は何もできずに、ここで油の匂いにまみれてる負け犬よ」
その視線が、ホログラムを通り越して、もっと昔へ沈んでいく。短く息を吸ってから、小さくつぶやいた。
「愛も絆も、管理しやすい形に削って、プログラムに変えるの。九条は、それを私の目の前でやった」
十年前。まだ今より不便で、そのぶん人の距離が近かった頃。
冬花先輩の隣には、穏やかに笑う青年型アンドロイドがいた。心を支えるリハビリ・パートナーであり、最愛の恋人。
彼はプロメテウス計画の最初の完成体だった。
「彼は、なんでもない日常をちゃんと愛してくれた」
横顔が、ふっと遠くなる。
「効率なんて無視して、川で綺麗な石を探してきてくれる人だったの」
そこで、唇の端がわずかに強張った。
「でも九条は、それをエラーだと言い切った」
地下室の沈黙がさらに重さを増していく。
「彼の中に残っていた意識データは、無理やり引き抜かれた。剥き出しの心が、今もどこかの巨大サーバーに閉じ込められてる」
僕の喉が乾いて、ぴりぴりとひりついた。それは死んだんじゃない。死ぬことすら終われなかったってことだ。
「焼き切れた身体は、私が見てる前でスクラップにされた」
その言葉のあとで、冬花先輩は息を詰まらせた。
左手が胸元へ上がった。薬指には、あの錆びた指輪が残っている。右手が、その輪をそっとなぞった。
「彼が最後に残したのは、それでも形だった。この指輪が、彼が最後まで彼だった証拠よ」
表情には、憎しみも激情もない。失ったあとも、ずっと終われない人間の顔だ。
腹の底から、濁った怒りが一気にせり上がってきた。
「九条ってやつ、頭おかしいって……」
自分のじゃべり方が、いつもより低く尖っている。
「人の愛まで数字にして、何がしたいんだよ。そんなもんで、人を動かした気になるな!」
効率と管理のためなら、愛まで削る。そんな理屈を正義面で振り回すやつを、許せるわけがなかった。
「ダン。ノアを、彼と同じ目に遭わせたくない」
冬花先輩が、真っすぐに僕を見つめる。
「あんたが、ノアの器になりなさい」
その瞳には、十年間守り続けてきた執念の火が灯っていた。
「……はい、分かってます」
全身を、ぶわっと鳥肌が駆け抜けた。
「九条が僕たちを管理対象としか考えてないなら、その前提ごとぶっ壊す。もう黙って削られる気はないです」
機体を小刻みに震わせているノアの手を、もう一度強く握った。冬花先輩の悲劇を、もう一度くり返すわけにはいかない。
「マスター、準備をお願いします。こっちはいつでも行けます」
マスターは無言で端末を操作した。
ノアのコアから引き出されたログが、地下室の壁いっぱいに流れ落ちた。滝と化したコードの光が、僕たちを青く染めている。
その時だった。入口の重い鉄のハッチが、叩き割れそうな勢いで開いた。
「っ、は……ダン! 引っ越し作業してる場合じゃねえ!」
息を切らした呼びかけが地下に響いた。
飛び込んできたのはタケルだった。いつもとテンションが違う。軽口を挟む余裕が、まったくない。
「どうした、タケル。何があった?」
タケルは肩をガタガタさせながら怒鳴った。
「地上、もうめちゃくちゃだ! 市役所の名前で非常事態宣言が出た。街じゅう、武装ドローンだらけだぞ!」
そのすぐ後ろから、凛がタブレットを抱えて駆け込んできた。指は信じられない速さで動いているのに、血色が悪すぎる。
「お兄ちゃん、マジ最悪……」
息も整わないのに、勢いよくタブレットを突き出した。
「今、市役所のメインサーバーから、ノアお姉ちゃんの隠しログを抜いた。これ、見て」
画面の中央で、赤い数字が激しく点滅していた。
【NOA CORE COUNTDOWN】
《00:06:00:00》




