27th Broadcast Episode:ダイヤモンドの呪い(B)
僕たちが立っていたのは、駅前の商店街から外れた裏通りの店先だった。
看板のネオンは半分死んでいる。歴史があるというより、店主の執念のみで営業を続けている古い貴金属店だ。
「ねえ、ダン様。ここ、本当に入って大丈夫な場所ですか?」
ノアが店を見上げて言った。ショーケースの先をのぞき込みながら、眉を寄せる。
「私のセンサーが、一世紀前の遺物を検知して、ずっと警報を鳴らしています」
そう言って、僕のシャツの裾をぎゅっとつかんだ。こういう店は、ノアの基準だと、文明が二回は巻き戻ってるんだろう。
埃をかぶったショーケースも、薄暗い店内も、ホラー映画のセットに見えてるのかもしれない。
「いいからおいで。僕だって怖いんだよ。でも、今日は絶対に入るからね」
僕は、自分に言い聞かせながら言った。勇気を振り絞って、立て付けの悪い引き戸を開ける。チリン、と力ない鈴の音が響く。
店の中は薄暗くて、ガラスケースの上が白く光っていた。時代遅れのポップソングが、小さく流れている。
場違い感がすごい。でも、今日はそれでよかった。
出てきた店主は、店と同い年ぐらいに見えた。その人に、短く用件を伝えた。
ポケットから、封筒を取り出した。ドブ板工事の深夜バイトで、三ヶ月かけて貯めたお金が入ってる。汗と泥の匂いが残っていた。
「これで、いけるやつをください。……できれば、一番いいやつを」
間を置いて、僕は付け足した。
店主が奥から出してきたのは、小粒のダイヤがついた古いリングだった。きらきらしているというより、不器用に光ってる感じの石だ。
「ダン様……。これは、……もしかして」
ノアの口調が、ふっと小さくなった。言葉の続きを、黙って飲み込んだ気配がする。
宝石はもう、特別な資産とは言えない。値がつく石なら、他にいくらでもある。
でも、僕はこれが良かった。ツルツルに整った光より、こっちの方がしっくりくる。
「ノア」
僕は左手を取った。ちょっと冷たいけれど、ちゃんと柔らかい。
「僕、お金もないし、でかいこと言える立場でもない。180日目にどうなるのかも、市役所がまだ何を隠してるのかも、正直、ずっと怖いんだ」
ノアの薬指に、リングをゆっくり通した。サイズはぴったりだ。その事実に、変に息が詰まる。
想像よりも、はるかに似合っていた。笑えるくらい自然に、最初からそこにあった顔をしている。
僕は、指輪をはめたノアの手を、穴があくほど見つめた。
「どうしても、これがよかったんだ。高級ブランドでもないし、ちょっと不格好だけど、でもちゃんと光ってる」
一度、大きく息を吸う。
「ノアのバグも、たぶんそういうやつだから」
喉元が詰まるのを、無理やりこじ開けて続けた。
「180日が過ぎても、何があっても、僕の中のノアは誰にも消させない」
その瞬間――ノアの瞳の深くで、カチッ、と何かが弾けた。
普段の黄金色を突き抜けて、ぬくもりを帯びたローズゴールドの光があふれ出す。
一度では終わらない。揺れて、あふれて、抑えきれずに何度もまたたく。
綺麗だった。
怖いくらい、綺麗だった。
僕はノアの手を握りしめた。
「これは、約束というより、呪いに近い」
思わず、情けない笑いが漏れる。体の内側に熱を感じながら、静かに言い切った。
「どこ行っても、僕のことを忘れられないやつだ。……文句、ある?」
ノアは指にはまった石を眺めたまま、固まっていた。
しばらくして、ゆっくりと顔を上げる。
頬を、青白い冷却液が一筋、静かに伝っていった。
「あ……」
思わず手が動いていた。
ささくれた親指を伸ばして、その冷たい雫をぬぐった。ノアが必死に生きている温度が、指先から確かに伝わってくる。
「……ダン様。本当に、バカです」
声が細かく震えている。もう一度、目で指輪を確かめてから、くしゃっと小さく笑った。
「重すぎます、かなり。今、私の内部がひどいです。夏休み最終日の夜みたいに、全部が間に合っていません」
胸元を細い手で押さえて、ローズゴールドの瞳で真っすぐ見つめてくる。
「でも、嫌じゃないです。その呪い、私は……すごく好きです」
そう言われて、肩の力が抜けた。ただの石でも、ちゃんと届いた。
ノアが僕の胸に、コツンと額を預けてきた。腰に回った腕は、もう出力の制御すら忘れている。
「……だめです、ダン様。未知のバグが発生しています」
額を押し当てたまま、ノアのこもった声が聞こえる。
「ダン様の心拍数、130を突破。私の内部温度も、過去最高値を更新中です。……説明が、一切つきません。この状態、一度も……」
腕の力が、ぎゅっと強まる。
「理由が不明なのに……コアが、熱くて、破裂しそうです」
自分のスペックを超えた何かに、ノアは必死で耐えている。その健気すぎるバグ報告に、僕の胸も一気に破裂しそうになった。
もう誤魔化せない。こんな風に泣かれて、こんな風に抱きつかれて、言わないなんて男じゃない。
『僕も、ノアのことが――』
喉の奥まで出かかっている。あと一歩、言葉を吐き出すだけだ。
「……はい、ダン様? 『僕も』、何ですか?」
その瞳が、潤んだまま僕を見上げている。真っすぐな視線と真顔の追撃。
一瞬、間が空いた。そして、女子免疫ゼロのチキンハートが、土壇場で最悪の悲鳴を上げる。
「……ッ僕も! 今なら、駅前を丸ごと抱きしめたい気分だよ……っ!」
ノアは、丸く目を見開いた後、ふっと呆れたように目元を緩めた。
「範囲が大きすぎます、ダン様。そういうのは、私で我慢してください」
店の奥では、白髪の店主が何も言わずにそっぽを向いてくれていた。その優しさが、今は余計に身に染みる。
情けない自分に内側で毒づきながら、震える手でノアの小さな背中を、強く抱きしめ返した。
◇ ◇ ◇
店を出ると、正午の眩しい光が落ちてきた。ひび割れたアスファルトの上を、肩が触れ合う距離で並んで歩く。
ノアは左手をかざし、薬指の小さな石をいろんな角度から眺めては、こっちが照れるくらい嬉しそうに微笑んでいた。
その横顔を見ていると、深いところが温かくなる。市役所の追っ手も、180日のカウントダウンも、今は遠い世界の出来事だ。
路地の角を曲がった所で、ノアが足を止めた。クルッと振り返り、僕の正面に回り込む。
「ダン様。私、決めました。この指輪の重さは、プログラムでは消せません。私が私じゃなくなっても、絶対に離しません」
「……ノア」
「ですから、さっきの『僕も』の続き、ここで教えてください」
「え、あ……っ!?」
動揺する僕の口元に、ノアの細い指先がそっと触れた。そのまま、僕の左眉の傷跡を愛おしそうになぞる。
「……命令です、ダン様」
ノアの顔がゆっくりと近づいてきた。まつ毛の先が揺れ、薬指の石が太陽の光に淡く輝いている。
甘いオイルの匂いが、かすかに鼻をかすめる。もう逃げ場はなかった。
「ねえ、ダン様。私、今バックアップを取りたいです。オフラインで、物理的に」
目がゆっくり閉じた。心臓がうるさい。肩を引き寄せ、唇が触れ合うまで、あと一秒。
その瞬間――ノアの動きがピタリと止まった。
迷いじゃない。中で、何かが途切れた。
ふっと空気が凍りつく。閉じられたノアのまぶたが開き、黄金色の瞳に激しいノイズが走った。
焦点が、一瞬で死んだ。
「……あ、……れ」
ゆるんでいた表情が、目の前で崩れた。ゴールドが、底のない黒に一気に塗り替えられていく。
「ちょっとノア、どうしたの? 冗談やめてよ」
僕は抱きしめた腕に力を込める。でも、腕の中の熱は急速に冷めていった。
次に口から出た声は、ノアのものじゃなかった。平らなナレーションが、無機質に流れる。
『警告。個体R-180。最終フェーズ、強制帰還を承認。周囲の障害物を排除しなさい』
「や、め……」
言いかけた僕の叫びは、もう喉元で潰されていた。
ガシャン、とノアの首筋から強制帰還用アンテナがせり上がる。
同時に、指輪をはめた左手が動いた。僕の首元をつかんでいる腕力で、そのままアスファルトへ叩きつける。
――ボキッ。
喉仏が嫌な音を立てた。息が、吸えない。
『障害物、排除を開始』
上からのぞき込むノアの顔から、表情が完全に消えていた。焦点の合わない黒い瞳。薬指の石が、陽の光を返して冷たく輝いている。
愛おしそうに僕の傷跡をなぞった、その手のひらが、今は僕の気管を確実に潰しにかかっている。
「っ……、ぁ……」
必死に手を伸ばして、首を絞めるノアの手首にしがみついた。わずかにリングに触れる。
ミシッ、と嫌な音が、骨の芯から響いた。視界が急に真っ赤に染まり、血の味が口の中に広がる。
その手が、僕の意識を、命を、ブチブチとちぎり取っていく。
――ノア、逃げるんだ。
世界が真っ黒に塗りつぶされていく中、僕はただ、それだけを祈っていた。




