24th Broadcast Episode:境界線上のR-Zero(A)
僕とノアは、市役所の地下室から肺がひっくり返る勢いで駆け出した。
背後では、流し込んだ特大バグのせいで、最新鋭のサーバー群が派手にショートしている。
火花と煙が、通路の奥をぐちゃぐちゃに塗りつぶす。
「ハァ、ハァ……ノア、足、大丈夫? 無理な再起動で、関節イカれてない?」
僕は握った細い手を引きながら、非常階段を一段飛ばしで駆け上がっていた。
ノアの黄金色の瞳は、まっすぐ前を向いていた。全身からは、まだ冷めない熱気が出ている。
さっきまで地下ポッドに繋がれていたとは思えないほど、生き生きしていた。
「大丈夫ですよ、ダン様。今の私は、砂利道で鍛えたド根性回路がフル稼働してます!」
聞き慣れた軽口を聞くと、全身にこびりついていた冷たさが、ちょっとずつ剥がれていく。
こんな場面でも自虐を挟めるなら、間違いなく僕の知ってるノアだ。
「人格戻った途端に、ド根性って、何それ。復帰早すぎない?」
非常口の重い鉄扉を蹴破った。出た先は、市役所の裏側、柳瀬川の土手だ。湿った夜風が、泥と汗でベタつく顔を冷やしてくれる。
でも、安心する暇なんてなかった。
『お兄ちゃん!突っ立ってる場合じゃない!北浦和の中枢から、洒落にならんヤツ放たれた! はい撤退! 全力で逃げて!!』
耳元の通信機から、凛の悲鳴に近い指示が聞こえた。
僕は空を見上げた。夜の闇を切り裂く青白い光が、一直線にこっちへ落ちてきている。
冗談じゃなかった。あれは流れ星なんかじゃない。もっと、もっとまずいやつだ。
「逃げるよ、ノア! 朝霞台だ!」
息を切らしながら言い放った。
「あそこなら、街のノイズが厚いから!」
土手の草むらに隠していた、タケル特製の魔改造原付に飛び乗った。外見は古びたスクーターなのに、加速は完全に別物だ。
「ダン様、捕まっててください。私、今なら、急行にママチャリで挑む小学生の気持ちが分かります!」
ノアがハンドルを握り、僕が後ろにまたがった。狭いシートの上で、胸と背中が隙間なく触れる。
モーター音が、耳元で荒々しく唸り始めた。
「うおっ、近っ……ノア、何か熱いよ!」
「出力全開! 背中を通して、ダン様の心拍も丸分かりです」
「分析してる場合か!」
原付は、川沿いから街を縦断するメインストリートへ飛び出した。でたらめな加速に、胃の中まで持っていかれそうになる。
それでも、伝わってくる温度が、僕をこの世に繋ぎ止める。
目指すは、隣の街――朝霞台。背後から迫ってくるそれは、人間の常識で測れる速さじゃなかった。
ハンドルを握る手に、さらに力が入る。その反応で、僕にも分かった。今までの相手とは、格が違う。
駅前のロータリーへ滑り込んだ、その瞬間だった。
「……は?」
そいつは夜空を裂いて、信じられない角度で地面へ突っ込んできた。
――キィィィィィンンン!!!
耳を突き刺す不快な高周波ノイズがよぎった直後。
ドオォォォォォォンッ!!!
着地の衝撃で、駅前のアスファルトに蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
土煙の中から現れたのは、ノアにそっくりな顔をした少女だった。でも、その表情からは、感情の痕跡ごと削除されている。
全身の外装は、月光を受けるたび、ぬめる光を返す。ベッドタウンの夜に似合わない、冷たすぎる殺気をまとっている。
「ターゲット捕捉。被験者ヒロセ・ダンの抹殺、ならびに個体名ノアの強制回収を開始」
声までノアにそっくりだった。なのに、温度は微塵もない。
「あれが、R-Zero……私のバグを全部削って作られた、完璧仕様の次世代機です」
ノアの口調が、一段低くなった。
「かわいげの欠片もないですね。あれが私の完成形だと思うと、普通に最悪です」
原付から飛び降り、僕をかばってR-Zeroの前へ出た。指先の関節が、かすかに赤く光っている。
僕たちのジャンクな絆と、北浦和の完璧な論理。
朝霞台駅前。路線も、人も、音も、すべてが混ざるこの境界線上で、世界の仕様が今、書き換わろうとしている。
ノアの背中が、わずかに沈んだ。
◇ ◇ ◇
「待って、ノア! あいつは桁が違う! まともにやったら終わるって!」
僕は原付から転げ落ちながら叫んだ。
R-Zeroは、微動だにしない。それなのに、周りが急激に冷えていく。
「分かってますよ、ダン様。でも、ここは朝霞台です。乗り換えも空気もグチャグチャ。秩序を重んじるあの子には、それ自体が毒になります!」
ノアは強がってみせた。でも、膝の震えは止まらない。R-Zeroの流体金属ボディは、月光を返すたび不気味に揺れる。
「個体名ノア。低解像度環境への過剰適応を確認。退化判定。不快。感情領域を初期化します」
R-Zeroが踏み込んできた。
――ッ、キィィィィィンンン!!!
速すぎて、加速の予備動作すら見えない。鼓膜をツンと刺す不快な高周波ノイズが、空気を切り裂いた。
ありえない。そう思った時には、もう目前にいた。流体金属の腕が、一瞬で鋭いカマへ変わる。
ノアのバリアは、薄紙同然に切り裂かれた。
「っ、あぁぁぁッ!!」
肩口から、青白い火花が噴き出した。傷口は銀色の刃に侵され、黒く焦げ付いていく。
「ノア!!」
僕は半分やけくそで、電磁グレネードをR-Zeroへ投げつけた。でも、見えない壁に弾かれて、虚しく跳ね返る。
グレネードは駅舎を越えて、線路の向こうの学習塾の看板を吹き飛ばして終わった。
「被験者ヒロセ・ダン。行動値、誤差未満。排除します」
R-Zeroの視線が、僕をとらえた。全身の骨が芯から軋むほどの圧がかかる。
「ダン様に、触るなッ!!!」
ボロボロのノアが、出力限界の速さで突っ込んだ。でもR-Zeroは最小限の動きでかわし、そのまま銀色の脚でその腹を蹴り上げる。
嫌な音がして、ノアの体がアスファルトをバウンドしながら吹き飛んだ。
「ノアッ!! 大丈夫か、おいッ!!」
その瞬間、こめかみの内側がバチンと鳴って、世界が完全な静止画へと変わった。
僕は、転がっていくノアを受け止めようと駆けだす。同時に、地面の上を滑っていた華奢な体が、空中でぴたりと静止した。
その止まった視界の中で、二歩目を踏み出す。
直後、背中が凍るほどの冷気を感じた。
振り返ると同時に、流体金属の腕が飛び出してくる。避けようと、思考よりも速く体をひねってかわす。
そのコンマ数秒。僕がかわした軌道の先に、R-Zeroの頭部があり得ない速度で先回りしていた。
目の前0.001秒の距離。僕の愛する少女と、全く同じ顔がそこに張り付いている。
一瞬、思考が固まった。同時に、喉元に冷たい金属の指が食い込み、締め上げられる。
止まった世界が動き出し、その無表情な鉄の仮面が、ゆっくりと下の方へ遠ざかっていく。
「が、はっ……」
僕の足は、ぶらぶらと宙に浮いていた。敵の顔が、真下に見える。
造形は完全に同じ。それなのに、こっちを見上げる瞳には光がない。残っているのは、深い、底なしの虚無だけだ。
「ヒロセ・ダン。個体名ノアに回復不能なエラーを確認。対象を停止処分します」
「……っ、う、るさ……!ノアは……エラーじゃない……!」
喉元を潰され、酸素が途絶え始めた脳内に、あの聞くに堪えない音が直接流れ込んできた。
キィィィィィンンン……ッ!
見えている景色から光が遠くなり、闇が迫ってくる。
中枢区の呪いのような高周波ノイズが、鼓膜を破らんばかりにどんどん巨大化し、僕を支配していく。
耳が、頭が、割れそうだ。意識が、少しずつ遠のき始めた。世界がノイズに塗りつぶされようとしている。
視界の端では、ノアが必死に立ち上がろうとしていた。その瞳から、青白い涙が次々こぼれていく。
「ああ、ダン……様……。やめて……お願い……!私の全機能を、ダン様の保護に回して……! 私はどうなってもいいから……ッ!!!」
ノアの悲痛な叫びが、眠りに落ちた住宅街に響き渡った。




