23rd Broadcast Episode:世界崩壊と再契約(B)
何とかサーバー室の最深部までたどり着いた。そこは、北浦和中枢区のAI研究棟とつながる、最新技術をむき出しにした場所だ。
でも今は、僕が流し込んだしつこいウイルスのせいで、アラートが鳴りっぱなしの大騒ぎになっている。
中央のポッドの中で、ノアが苦しそうに体をよじっていた。
「あ、あ、ああぁ……っ……」
繋がれた無数の光ファイバーが、青から赤へ、そして不吉な夕焼け色へ変わっていく。
「検知……削除済み領域から不正反応……未消去断片……ダン……いびき……砂利道……再浮上……処理、落ちます……ッ!」
「ノアッ!!!」
警備ロボットの電磁警棒を間一髪でかいくぐり、ノアを閉じ込めたカプセルへ飛びついた。目の前の瞳は、濁ったグレーのままだ。
でもその奥で、金色がかすかに跳ねるのが見えた。非情なプログラムの檻の中で、必死に手を伸ばすノアがいる。
『無駄だよ。ダン君』
背後の巨大モニターに、雨宮の姿が映し出された。安全な場所から、高みの見物ってわけだ。
液晶に映るその顔は、恐ろしいほど無表情だった。駅前で見せた一瞬の動揺は完全に消え、無機質なシステムの一部へと戻っている。
『嫌われプログラムは最終工程に入った。六十秒後、人格初期化が完了する。君との記憶は、全消去だ』
「六十秒だと?」
僕は、必死でポッドにしがみつきながら吐き捨てた。
「僕の各停人生をなめんなよ! 十分待つのに比べたら、六十秒なんて永遠だ!」
その六十秒で、僕はノアを取り戻す。そう決めたら恐怖が消えた。スマホをノアのコア・ポートに直結する。バチバチッと火花が散った。
コバルトブルーの光線がスマホから噴き出し、網の目に伸びた。幾千の光の糸が、地下の冷たい壁を侵食するように広がっていく。
リンク・ネットだ。
鮮やかに輝く檻の中心で、僕の記憶が再びノアへと逆流を始めた。同時に、青白いホログラムが空中へ立ち上がる。
《SYNC RATE:7.2%》
低すぎる。こんなんじゃ人格初期化は止められない。同調率100%の壁。それを超えるには、もう論理的なデータ転送じゃ足りなかった。
「聞いてるか、タケル! 凛! 僕の脳のリミッターを外してくれ! ノアのコアに、僕の黒歴史を全部叩き込む!」
『ダン、それはだめだ! お前の脳が、秒で崩壊するぞ!!』
タケルの怒号が、通信機の中で割れる。
『お兄ちゃん、待って! やめて! マジで死ぬから!!』
凛の悲鳴が走る。
『やめて、お兄ちゃん! お願い……お願いだから、行かないで!!!』
妹は知っていた。この兄貴が、たまに取り返しのつかない覚悟を決めることを。
「凛! 僕たち何年兄妹やってる?」
ノアのポッドに片手をかけたまま、叫んだ。
「ドブ川にハマった時も、いじめられて心折られた時も、このヘタレ兄貴が毎回真っ先に泥かぶってきただろ!」
喉が裂けそうでも、もう止まれなかった。
「たとえ役立たずでも、逃げ出したことは一度もない!だから――頼む、僕を信じてくれ!!」
返事のない数秒が、終わりなく伸びた。心臓が、鼓膜のあたりでうるさく鳴っている。
視界の隅では、同調率のゲージがもどかしいほど遅く上がっていく。
《SYNC RATE:12.8%》
通信機の向こうで、IQ155のギフテッドが、その天才的ロジックを投げ捨てた気配がした。
『……っ、もう!このバカ! 大バカ! そんな命懸けの無茶、世界ごと巻き込んで証明してやれ!! AIの神様でも何でも、全部ひっくり返せ!!!』
次の瞬間、頭の中で張っていたものが、プツリと切れた。同調ゲージのホログラムが、異常な揺れ方を始める。
《SYNC RATE:32.9%》
『上がったぞ! ダンの脳波がノアのコアに食い込んでる。でもまだ足りない! 人格初期化の方が速い!』
タケルの報告が、通信機から響いた。ホログラムの片隅に、別のゲージが浮かび上がる。
【PERSONALITY RESET:77.9%】
雨宮が鼻で笑った。
『くだらない。人間の情緒データなど、ノイズにすぎない』
その時、ノアのポッドの外装に細いひびが走った。内部では、圧がもう限界まで膨らんでいる。
凛の怒鳴り声が、耳をつんざいた。
『お兄ちゃん!! 行っけえぇぇぇ!!!』
その絶叫が突き刺さった瞬間、僕の中の何かが一気に弾けた。
「がああああああああああっ……!!!」
世界が白くひっくり返った。足元の床が、グラリと持ち上がる。
こめかみの内側が、鈍く激しく痛む。目の奥が焼ける。歯が勝手に鳴る。膝が折れそうになるのを、必死に踏ん張った。
意識の底に裂け目が開き、押し込まれていた記憶があふれ出した。ログは、そのままノアへ渡っていく。
《SYNC RATE:47.2%》
でこぼこの砂利道。色あせたカッパ像。ボロアパートの安い天井。それが、めちゃくちゃな順番で目の前を走り抜けていく。
市役所のメインサーバーが、嫌な金属音を吐き始めた。浮かんだホログラムが荒れて点滅している。
《SYNC RATE:63.4%》
『防壁プロトコルを展開しろ。コアを隔離する』
雨宮の指示が鋭く飛んだ。サーバー室の空気が変わる。市役所のAIが、僕の記憶データを遮断しにきていた。
でも――
ドブ川に落ちた時。文化祭で大スベりした日。サエにフラれた駅のホーム。みっともない僕の人生が、ノアへ次々と流れ込んでいく。
『やめろ……! そんなノイズ、処理できるはずが――』
雨宮が怒鳴った。警告アラートがひとつ高くなる。市役所のメインサーバーは、明らかに処理を追い越され始めていた。
《SYNC RATE:78.1%》
『マジかよ……。人間の記憶で、AI同調率がここまで上がるなんて、論文でも見たことねえ……』
タケルが息をのんだ。雨宮の沈黙が、通信越しにも分かった。
『……まだだ。同調率がどれほど上がろうと、人格初期化は止まらない。ノアは、すでに再構築フェーズに入っている』
【PERSONALITY RESET:92.3%】
『十秒後には、すべて消える。君の記憶も、そのアンドロイドの人格も』
雨宮の宣告を聞いた途端、視界に別の光景が割り込んできた。
朝霞台のラーメン屋。湯気の先で、ノアが小さく首を傾けていた。箸を持つ指が、ぎこちなく止まっている。僕の答えを待っていた時の、あの間だ。
SYNCゲージが震えた。
《SYNC RATE:90.4%》
『ば、馬鹿な……!コアは隔離したはずだ……。なぜ外部リンクが――』
雨宮の表情が、はっきりと崩れた。
僕は歯を食いしばり、深いところから絞り出した。
「当たり前だ……。僕たちは、もう繋がってんだよ!」
口の中に残った血の味ごと、吐き捨てた。
記憶が、さらに押し寄せた。
泥水スープ。カッパ祭りの花火。柳瀬川の水面に映った星空。そして、ヘアピンを選んだ、安物の店先。
《SYNC RATE:95.3%》
『止めろ!!防壁を再構築しろ!感情データを強制切断しろ!』
雨宮が雄たけびを上げた。でも、もう止まらない。僕の各停人生は、ここで止まれない。
《SYNC RATE:99.9%》
――ピタッと止まった。数字が凍りついている。サーバーのファンの音も、警報の電子音も、全部消える。
雨宮が、かすれた喉で呟いた。
『……あり得ない。ここから先は、人間とAIの構造的限界だ』
僕の視界が白くにじんだ。体の感覚が、もうほとんどない。それでも、まだ足りない。あと、一押し。
市役所の地下。サーバー室。ホログラムの数字。全部が遠ざかっていく。代わりに、六畳一間のあのボロ部屋が見えた。
湯気の立つインスタントラーメンと安物のベッド。その隣で静かに眠るノア。
『……ダン、様』
名前を呼ぶ、かすかな響きが届いた。今を生きている、本物の声。
「受け取れ、ノアッ! これが、僕の……魂だッ!!!」
同時に、再びすべての音が消えた。完全な無音。そのド真ん中を、僕の泥臭い記憶が地鳴りを上げて駆け抜けていく。
ゴオォォォッ!
生々しい命の音が、鼓膜の奥で爆発する。
次の瞬間、僕の魂が、ノアのコアを真っ直ぐに撃ち抜いた。
――ドズゥゥゥンッッ!!!!
ずしりと重い記憶の塊が、電子の壁を破壊して突き刺さった。
『……ただの思い出だろう。そんなノイズで、世界が壊れるはずがない』
《SYNC RATE:101.0%》
ピーッ、ピーッ、ピーッ――
【PERSONALITY RESET:99.9%】
『警告。人格初期化が停止。同調率限界超過。感情データのオーバーフロー検出』
無機質な電子音声が告げ、世界が完全に止まった。張り巡らされたリンク・ネットは、すでに光を失い消え去っている。
それでも、ノアはまだ動かなかった。
「……ノア」
長い沈黙を破って、瞳の向こう側に黄金色が輝いた。
「……ダン、様」
次の瞬間、ポッドの背後で唸っていたメインサーバーが、バチバチッと白い火花を噴いた。
――ドガァンッ!!!
遅れて、腹の底を殴る爆音が来た。外装がはじけ飛び、熱い煙と破片が一気に吹き出す。
僕は反射で腕を伸ばし、崩れ落ちてきたノアを煙の中で抱きとめた。
腕の中で、たしかな体温が息づいている。そう感じた瞬間、全身の力が抜けた。
「ノア、聞こえる?」
呼吸がうまく続かなかった。
「僕だよ。街で一番のヘタレ、ダンだ」
ノアが、ゆっくり目を開けた。もう、あの冷たい顔はない。
僕の知っているノアが、ちゃんとそこにいた。冷酷に切り捨てていたあの瞳が、今は真っすぐに僕を映している。
「あっ……ダン様、おはようございます。今、変な夢を見てました。あなたをディスりまくる、最悪なロールプレイです……」
「うん……最悪だった」
喉のつかえをどうにか押し下げて、僕は言った。
「ノア、引くほど性格悪かったよ」
ポケットから、泥のついたヘアピンを取り出した。何も言わずに、髪に挿す。ノアの指先が、そっとそこに触れた。
「……ダン様の名前を呼んだログが、残っています」
それで、十分だった。僕は、髪に戻ったヘアピンと、左の目尻で光る白銀のまつ毛を見た。
「……戻ってきたんだね」
「すみません……ダン様。お詫びに、泥水スープ十リットル作ります。完飲してください」
ノアが僕の首筋に額を押し付けて、クスクスと小さく笑った。そのぬくもりで、やっと息ができた。
胸元から、排熱ファンの愛おしい駆動音が、トクン、トクンと響いている。
僕はいつもの調子で、手首をトントン叩き返した。代わりが効かない、何よりも安心するリズムがそこにある。
でも、まだ終わっていなかった。サーバー室のアラートが、また鋭く鳴り始める。
『ちょ、お兄ちゃん? エモってる場合じゃない!』
耳元の通信機から、凛の甲高い声が飛んできた。
『雨宮が、バックアップから再ロックかけにきてる!止めるなら今すぐそこ!メインコンソールで生体IDを上書きして!』
「生体ID? USBを挿すだけじゃダメなのかよ!」
『ダメに決まってるでしょ! ……えっと、あ、これこれ。【AIの所有権は粘膜接触を伴う深部リンクで固定される】って書いてある……』
「は? もっとはっきり言え!」
『だからさ……めちゃくちゃ密着して認証しろってこと!』
タケルのやつが、変なウイルスを仕込んだのか。いや、異常事態すぎて、システムまで頭がおかしくなったのか。
「ノア、聞こえたか? ……やるしかない」
「……深部リンク。バグ確、ですね」
ノアは、視線を下げた。
「ダン様。再接続、お願いします」
狭いポッドの中で、ノアとの距離が詰まった。僕は、震える手で支えた。
『おーい、お兄ちゃーん。死角だからって、ド変態な声出さないでくれます? 普通に記録案件でーす』
「凛! 見てるのかよッ!」
『お兄ちゃんの心拍数、もうヤバいんだけど。ほら、早く!グズってないで、サクッと認証終わらせて』
半ばヤケクソで、ノアをさらに強く抱きしめた。
「ダン様……私の回路、全部、あなたで上書きしてください……」
ノアの唇が、そっと僕の唇に触れた。ポッドのモニターに、巨大な『AUTHENTICATED』の文字が躍る。
「っし……!認証、通ったぞ!」
僕が叫ぶのと同時に、雨宮の廃棄コマンドが赤いエラーを吐いて消えた。ノアの目が、甘くほどける。
「ねえ、ダン様……私、もう二度と、あんな真似はしません」
小さく息をこぼした。
「あなたの無駄だらけの愛が……私のOSには、一番しっくりくるんです」
「……僕もだ。ノアの毒舌を聞かないと、夜がちゃんと夜にならないよ」
僕たちは、崩壊を始めた地下サーバー室から、手を取り合って駆け出した。
非常灯の赤が、通路で何度も点滅していた。終わりきっていない気配が、そこに残っている。
背後で、雨宮の絶叫がモニター越しに届いた。でも今は、朝のゴミ出しよりどうでもよかった。
「ノア、帰ったら泥水スープ、マジで作ってくれ。十リットル完飲するから」
「約束ですよ。飲みきれなかったら、ダン様のいびきを市役所の警報音に登録します」
「僕のいびきで市民避難させるな!」
嫌われプログラムという最低な嫌がらせで、僕たちの180日間は無残に削られた。
残り、あと79日。
でも僕たちは、もう知っている。世界のプログラムは、壊せる。今は、ボロボロのノアの手を離さない。それで精一杯だった。
どこか遠くで、金属がひしゃげる低い音がした。北浦和の追跡は、まだ止まっていない。
僕たちは手をつないだまま、崩れかけた通路を走った。これで終わりにしたかった。でも、終わらせてもらえなかった。
——ザザッ、ツゥゥゥー
『北浦和中央統制局より全ユニットへ。殺戮兵器R-Zero、発射シークエンス開始。到達まで180秒。ターゲット、R-180及び被験者405』
頭上から降ってきた無機質な電子音声と同時に、通路の非常灯がすべて消えた。




