2nd Broadcast Episode:各停男と鉄クズ(B)
コツ、コツ、と一定のテンポで、後ろから靴音がついてくる。
振り返ると、いつの間にか瞳のハイライトに、光が戻った美少女がいた。
五分前まで、僕の喉元を押し込んでいたことなど、最初からなかったかのような涼しい顔。
「あのさ、ノア。なんで背中の三十センチ後ろを歩いてるの?」
駅前ターミナルを抜け、自宅のアパートへ向かう道すがら、僕は背後に問いかけた。
ノアは秒針を刻む正確さで、ピタリと止まった。
「リハビリ・ガイドライン第四条。被験者の背後を保持し、孤立感の逃走経路を塞ぐこと。今のダン様、後ろが丸ごと空いてます」
「その言い方やめて。あと、真後ろ歩かれると目立つよ」
「問題ありません。この街の人間は、異常を目撃しても、見ないふりを選択しますから」
少し離れた車道を、自動運転のシニアカーと清掃ロボットが、何事もなく静かに流れていく。
その退屈な景色の遥か上を、最新のリニア急行が音もなく走り抜けた。あんな大動脈が停まるのに、中身は驚くほど各停のまま。
志木という街は、2080年になっても、この足元の砂利道と中途半端な空気は変わらない。
「……あのさ。そういうダサい格好のつけ方が、いかにも志木なんだよ」
「はい。そして、いかにもダン様っぽいです」
「ほ、ほっとけよ! マジで!」
通りすぎる人影が、こっちをチラチラ気にしては、何もなかったふりで離れていった。その反応が刺さって、ますます居心地が悪い。
「安心してください、ダン様。私、ホログラム補正機能で可燃ゴミ袋に擬態できます。やりますか?」
「よけい目立つわ!技術の無駄遣いするな!」
「はぁ……発想力がゼロです。美少女がゴミ袋に化けるという、全男子が一度は夢見るシチュエーションを断るなんて。マジで終わってます」
「誰がゴミ袋を夢見るんだよ!新ジャンルすぎるわ!」
ふいに、ノアは僕の真横に滑り込み、そのまま細い腕を絡めてきた。自由を奪うための拘束でも、外から見たら恋人。
「な、ななな……何するんだよ!」
「腕組みという名の束縛です。これでダン様も、美少女アンドロイドを連れ歩く生意気な男子高校生に見えます。ドキドキしますか?」
腕に伝わってくるのは、人間に寄せすぎて、かえって現実味のない弾力だ。
「冷たっ……! ガチで体温ないんだ」
「私は鉄クズですから。内部温度は現在19.8℃。ダン様の熱すぎる欲望を冷やすには最適の温度かと」
ノアは、僕の狼狽を検査結果でも扱うように眺めている。
「……あ、今、腕の感触を脳内保存しましたね? ガチでキモいですよ、ダン様」
「してないから!無断で人の脳内を見ないで!」
必死に振りほどこうとするが、ノアの握力は、見かけによらず容赦がない。
抵抗すればするほど、冷たくて硬い、でも不思議と心地よい感触が食い込んでくる。
「ダン様、顔が赤いです。心拍数は140を突破。失恋より、今は別の刺激が勝っている。……人間の思考って、結局そういう設計なんですね」
「分析やめて! 人の頭ん中を勝手に結論づけるな!」
僕たちはそのまま、柳瀬川沿いの夕暮れの砂利道を歩いた。
自動運転のバスが静かに通り過ぎる中、ノアは僕の首筋へ額を押し当ててきた。
「私、少し熱を帯びました。演算処理が追いついていません」
平然としているようで、言葉の端々がわずかに乱れている。
「僕、暖房扱いなの?」
「ダン様の視線が熱すぎて、プロセッサーがオーバーヒート気味です。冷やしてください。その無駄に冷え切った心で」
そう言いながら、僕の手を自分の首元へと導いた。指先に触れる金属の冷たさと、滑らかな人工皮膚の質感。
ノアの首筋にある排熱スリットから、かすかな駆動音と、ほのかなバニラの香りが漏れる。
耳に届く、トクントクンという精密機械のリズム。
気づけば、僕は手首の脈を、リズムに合わせてトントン叩いていた。自分の血流を、その拍動に同期させるように。
「ひやっとするね……」
ノアは、ふわりと肩の力を抜いた。
「ダン様に触れられると、演算が落ち着きます。理由は分かりません」
「……は?」
「今はガチで心地いいです。あなたの絶望、冷却材としては最高級の品質ですよ」
そう言って、不器用に、くしゃっと歪んだ笑みを見せた。
突然、僕のこめかみの内側がドクンと跳ねた。視界が異常にクリアになり、スローモーションに切り替わる。
――また、これだ。幼い頃からたまに起きる、脳が過熱するような奇妙な感覚。
ノアの表情が、消せない記録映像として、コマ送りで僕の最深部に焼き付いた。でも、すぐにいつもの濁った景色に戻る。
僕は深いため息をつき、自宅の近くに架かる古い橋の上で足を止めた。
夕暮れ時。あかね色の地平線の彼方に、大都会を覆う巨大な管理ドームの輪郭が浮かび上がっている。
そのドーム内にそびえる、浦和の整いすぎた高層セクターが放つ赤い光が、目の前の川面に揺れていた。
赤い反射が、隣に立つノアの横顔を照らし、機械であることを忘れさせる。左の目尻にある白銀のまつ毛が、一瞬、鋭くきらめいた。
「あのさ、ノア。……さっき、180日たてば消えるって言ったよね」
ノアは橋の欄干に手をかけた。
「はい。失恋リハビリ支援法に基づき、期限が来れば私は初期化されます。メモリは全消去。ダン様の失恋というバグを修正するための、一時的なパッチですから」
条文を読み上げる感じの、抑揚のない調子だった。
「リハビリ特区なんて言ってるけどさ……。結局、僕みたいな恋愛弱者をアンドロイドでごまかして、税金で慰めてる話でしょ?」
「その通りです。この街は今や、失恋した若者のリサイクル拠点。私は空っぽの心を埋めるための、高価な身代わり人形でしかありません」
まともに反論しようがない、全肯定だった。
「……刺さりました? でしたら、抱きしめてください」
ノアは無表情に僕を振り返り、ブレザーのボタンに手をかけた。
「待って、何してんの!」
「心拍数の急上昇を確認。ダン様、体温が上がりすぎです。私への不純な興奮を避けるため、密着冷却を提案します」
言っていることが正しいのかどうか、もう僕の頭はうまく処理できない。
「ほら、私の肌、気持ちいいですよ?」
ボタンを外し、わずかに開いたシャツの隙間。
そこからのぞく真っ白な肌は、まばたきを忘れるほど滑らかで、触れなくても冷たさが伝わってくる。
「……ッ、いらないって! アンドロイドに何が分かるんだよ……」
自分でも驚くほど、情けない弱音が出た。
フラれたばかりの反動か、それとも、ノアが綺麗すぎるせいか。自分でも、よく分からなかった。
「私には何も分かりません。だから観測します。ダン様が誰を見て、誰に傷ついて、誰にまた手を伸ばすのか」
「じゃあさ。もし僕が、ノアを好きになったら……180日後、どうなるんだよ」
口にした瞬間、まずいと思ったけれど、もう飲み込めない。
ノアは、ゆっくりと時間をかけて、整ったスマイルを作った。でも、瞳の青い光からは、何も届かない。
「本気で言ってます? 今のセリフ、砂糖を過剰摂取したポエムです。録音して、明日の校内放送でループ再生しますか?」
「やめろって!死ぬから!社会的に抹殺されるから!」
「安心してください。私が暴走しないよう、システムがちゃんと機能しますよ」
冗談めいた口調なのに、軽く流せる響きじゃない。
「100日を過ぎる頃、あなたは私をゴミとして捨てたくなるはずです。それが、失恋特区のリハビリプログラムです」
その言い方が、どうしても胸に引っかかる。あの時の僕は、まだその正体を知らずにいた。
直後、オレンジ色の空に白い閃光が走った。
目元をデジタルノイズで隠した、意味ありげに微笑む少女が、ホログラムで浮かび上がる。
いや、巨大すぎる。十メートルはあるだろう。同時に、街頭スピーカーから、起伏のない合成音声が降ってきた。
『――警告。被験者No.405。対象のバイタルに有害な感傷ノイズを検知。都市の生産性を著しく阻害します。速やかに感情を統制してください』
国家管理AIのナビゲーター。少女の口元が、いびつに、でも美しく動いている。
「……」
僕が絶句していると、ノアは何食わぬ顔でのぞき込んできた。
「そんなに絶望しないでください、ダン様。これも国家の愛です」
「……愛」
「さあ、帰りましょう。まずはダン様の部屋を大掃除して、サエ様の残像を、物理的に消し去るのが私の初仕事です」
「勝手に部屋に入るな! あと、捨てていいのはサエの私物で、僕の宝物には触るなよ!」
そう叫び終わる寸前、僕のポケットで端末がブルブルと唸った。画面には『外部アクセス・認証完了』の文字。
「スキャン、宝物……。あっ、なるほど、サエ様のおやすみボイスですね。再生履歴ごと、クラス共有クラウドに移しておきますか?」
「やめてえぇぇぇぇぇ!!!」
僕たちは、平和な街の空気をぶち壊す勢いで騒ぎながら、あかね色の坂道を登っていった。
どう考えても、静かに終わるはずのない180日の始まりだった。
◇ ◇ ◇
ボロアパートに帰り着くなり、ノアが宣言した。
「業務開始」
僕の部屋を、ためらいのかけらもない手際で片付け始めた。
「ちょっ、待って! そこは……!」
「不要物を確認。元カノとのプリクラ、削除。お揃いのサーモ・ポッド、粉砕」
部屋の空気が、一瞬でサエごと処分されていく。仕事が早すぎて、止める時間すらない。
「おや、スマートスピーカーに未送信の音声ログ。『サエ、好きだよ。……あ、噛んだ』。……送信前に、存在ごと削除されたんですね」
「消して! 再生するな!」
スピーカーを取り返そうと手を伸ばすと、細い指先が僕の手首を掴んだ。抵抗できないほどの、冷たくて、圧倒的な力。
そのままベッドへ仰向けに押し倒される。ノアは素早く上半身に馬乗りになり、片手で僕の両手首を頭上で固定した。
「な、なっ……」
見上げれば、月光が照らすノアの瞳と、はだけた襟元からのぞく白い肌。心臓が、うるさいほど激しく鳴る。
動けない僕を、じっと見下ろしている。もう片方の指先が、そっと僕の頬に触れた。
「――フェーズ1・アクティブホールド。ねえ、ダン様。体温が危険域です。この鉄クズで、いかがわしい妄想でもアップデート中ですか?」
「してないって……。ただ、その……ノアが綺麗すぎるから」
「もう壊れてますね。アンドロイドに欲情するなんて、もはや分類不能のド変態、バグ確です」
ノアは能面のまま毒を吐く。つかんでいた僕の手を、自分の胸の前へと強引に引き込んだ。
「ダン様、触れてみますか? 私は理想の恋人として設計されています。肌の弾力も、柔らかさも最高級です」
指先が、ノアに触れる。怖くなるほど柔らかい。僕を拘束する鉄の力とは真逆の、吸い付く肉の質感。
鼓動はない。冷却ファンが回る、かすかな振動だけ。川の水面を思わせる沈黙が、20℃の感触で手のひらに残る。
「警告。システムが異常を検知。ダン様の指先温度が上昇中」
ノアは僕の指を包み込んで、自分の首筋へ押し当てた。
わずかに開いた皮膚の隙間。コアに近い排熱スリットから、ひんやりとした風が優しく吹き出す。
「――タスク・接触報酬。……どうですか、ダン様。これであなたの脳内に、失恋の傷を上書きする快楽物質が分泌されるはずです」
「だ、だから近いんだよ!」
僕は必死に首をよじって、顔を背けた。
「プログラムの実行を一時中断。恋愛レベルが初期設定すぎます。キモいです」
そう言いながら、あっさりと退いた。ベッドから降りるなり、僕のTシャツを勝手にパジャマ代わりにし始める。
そばで着替えているのに、恥じらいの気配はない。ただ手順が正確で、そこにあるはずのぬくもりが完全に消えている。
これが、ノアの正しい仕様なのか。
「アンドロイドにプライバシーはありません。あなたの視界を独占するのも、私のリハビリ業務ですから」
淡々と言って、ベッド脇の床に腰を下ろした。
そして額に『充電中』の青いホログラム文字を浮かべると、そのまま静かになった。
◇ ◇ ◇
その夜、枕元のスマホが、場違いな軽い音を立てた。
サエからだった。
『新しい彼氏と大宮の高級ホログラム・レストランなう。ダンも志木で頑張ってね(笑)』
端末をベッドに投げ捨て、月の光に照らされたノアの寝顔を見た。
長いまつ毛の左の端が、白銀に尖っている。薄い唇は、完璧な直線だ。
そこには、人間とは違う20℃の静けさがあった。
「頑張れるわけないじゃん……バカ」
ノアの指先に、そっと触れる。自分でも何を確かめたいのか分からない。返ってきたのは、ひんやりとした感触だけ。
もし、この温度が36℃まで跳ね上がる、致命的なバグが起きたら。ありえない空想が、頭の奥にしぶとく残る。
――チカッ。
闇の中で、スマホがまた光った。
サエかと思って目をやると、送り主の名は違った。
『ノア』
すぐ隣で、スリープしているはずのアンドロイド。
画面には、たった一行。
『キモい。マジでこの世から消えて』
息が止まった。
恐る恐る視線を戻すと、ノアは微動だにせず眠っている。スマホの通知ランプが、血の通わない赤色で不気味に点滅を続けていた。
ドン、と玄関のドアが大きく鳴った。何かが激しくぶつかった音。
そっと扉を開けると、破れたコンビニ袋から、ドロドロとした生ゴミの液体が漏れ出していた。
「うわ、ガチでここ住んでんだ」
「汚染源の本拠地特定、ウケる」
クスクスと聞き覚えのある笑い声が、階段下を駆けて遠ざかっていった。
この街の夜は、2080年になっても、静かで、ひどく孤独だ。
ただ、隣で眠る鉄クズの駆動音が、トクン、トクンと、鼓動のふりをして響いていた。
──
【NOA CORE COUNTDOWN】
《180:00:00:00》




