1st Broadcast Episode:各停男と鉄クズ(A)
「はい、おしまい。ウチら、今日から他人ね」
たった今、僕は十年一緒にいた幼馴染のサエにフラれた。
理由は、これだ。
「ダンの歩き方さ、急行に乗れない街の男子って感じ。それってギャグ?」
ネオンピンクのリップを、あざとい仕草で塗りながら、釣り目の二重で見下ろしてくる。
ハニーゴールドのポニテが、見慣れた紺リボンの上で、ぼんやりと揺れていた。
「じゃあね、各停男」
そう吐き捨てて、生体IDでゲートを抜ける。ピッと認証光が灯った時には、もうリニア急行専用ホームに消えていた。
残されたのは、僕ひとり。
「……サエ。……やだ、よ……」
行き交う人波に背中を弾かれるたび、景色から色が無くなっていく。
息苦しくて、詰襟のボタンを乱暴に外す。パサついた短髪を両手でつかんで、無理やり呼吸を落ち着かせる。
改札の反射パネルに映った自分と、ふと目が合った。はだけた濃紺の胸元。みっともなく色褪せた茶髪。
締まらない一重の奥で、真っ黒な眼球が僕を笑っている。左眉を縦に走る白い傷が、各停男の烙印を突きつけてくる。
思考は真っ白。でも、身体はサエを追っていた。無意識の足が、ゲートへと引きずられていった、その時。
――ブゥゥゥッ!
鼓膜が拒むほどのエラー音が、駅構内に響き渡った。改札のインジケーターが、真っ赤に跳ね上がっていく。
ホログラム画面に浮かび上がった、無機質なシステム文字。
【恋愛不適格・脱落確定:急行利用資格を停止します】
「……へ?」
意味が、頭に入ってこない。急行に乗れない街の男子って、こういうことか。
立ち尽くす僕。さらにポケットのスマホが、聞いたこともない重低音の唸りを上げた。
画面のポップアップは、国からの一方的な宣告。
【国家ID管理機構より通知:あなたの恋愛メンタルスコアがゼロに到達。これより周囲の端末へ汚染警戒アラートを強制パッチします】
「え……」
メッセージを読み終えた直後。
――ピピピィィィッ!
近くにいた同級生たちのスマホや端末が、一斉に耳障りなアラートを鳴らす。
それだけじゃない。防犯カメラや端末センサーから僕を目がけて、赤いスキャン光線が一斉に照らされる。
もはや伝染性の致死ウイルス扱い。脱落者に近づけば、次は自分がターゲットにされる。昨日まで笑い合っていた同級生たちが、我先にと僕を避けていく。
「うわ、マジで各停ルートに落ちたんだ」
「汚染源に関わらない方がいいよ」
「スコアゼロとか、やべえわ」
内緒話になっていない、平たくて薄っぺらいささやき。
これなら、殴られた方が、怒鳴られた方が、よっぽどよかった。
誰も僕に触れない。責めもしない。ただ世界が、僕を黙って削り落としていく。
「……終わった」
今、僕の高校生活は、びっくりするほど無残に閉じた。
頬が濡れている。泣いてると気づいても、拭う気にもなれない。目の前には、各停ホームへと続く階段が、延々と続いている。
僕は、完全な抜け殻だった。何を追うでもなく、探すでもなく、たださまよい歩いた。
ふいに膝から力が抜け、視界がゆっくりと落ちて、駅前ターミナルの冷たい床に手をついた。
行き交う無数の靴。四つん這いになったズボンの裾を、誰かがグシャッと踏みつけていく。
ホログラムの空中CMが、僕の絶望を逆なでしながら大音量で騒いでいた。
もう、どうでもいい。
――そう思った時。
背筋に、鋭い冷気が走った。周囲のざわめきが、一瞬で遠のく。
僕の頬を伝った涙が、顎先から落ちる。
そのはずだった。
でも、落ちなかった。白い指先が、床に落ちる寸前で、空間ごと静止させるように受け止めていた。
「不合格」
声は、真上から降ってきた。
ゆっくり視線を上げる。
「……」
僕は、固まった。
言葉が出ない。
しゃがみ込んだ僕の、ほんの数センチ上。
そこに、一人の少女がいた。
近い。
近すぎる。
この街の平均値で語れる顔じゃない。整いすぎていて怖い。ありふれた紺ブレザーが、モデルの衣装に見える。
前下がりのボブに切り揃えられた、吸い込まれそうな漆黒の髪。
長いまつ毛のあいだから覗き込んでくる瞳は、磨いたビー玉を思わせるほど、どこまでも透き通っている。
綺麗だ。
なのに、熱がない。香りも、吐息もない。
少女の近くから、駅前のぬるい空気が消える。息を吸うと、真冬の冷たさが喉に貼りつく。
辺りの雑踏が、丸ごと背景と化した。
「……誰」
僕は、やっと絞り出した。
少女は、まばたきをしない。こっちを見つめ、起伏がない声で語りかけてきた。
「システムによる完全な孤立、および精神的底辺への到達を確認」
その視線には、人を慰める温度が最初からない。
「裏返ったセミの目をしてます」
「は……?」
「極めて深刻です」
その声は、なぜかふわっとやわらかい。
でも続いた言葉は、鋭利に尖っていた。
「これより、あなたの心を徹底的に壊します」
なんなんだ、この子は。僕、もう壊れてるけど。
少女は、能面のまま口を開いた。
「広瀬 楽。十七歳、高校二年生。私のデータベースでは、今すぐケアすべき恋愛敗北者の最優先対象です」
恋愛敗北者。かなり正確に刺してきた。
「……へ?」
「初めまして、ダン様。私はノア。型番はR-180です」
丁重に挨拶した後、少女はピコッと口元をゆるめた。
いかにも愛想のために貼りつけた笑みだった。でも、奥の温度は一ミリも上がらない。
「失恋特区におけるリハビリ・パートナーとして、あなたの元に派遣されました」
失恋特区。ふざけた名前だ。
恋愛で壊れた人間を、行政がアンドロイドで立て直す。そんな余計なお世話を、本気で制度にした街なのだ。
そこまで告げると、ノアはちょこんと首を傾けた。反応を確かめるための間。
それから、スカートの裾をつまみ、優雅に一礼した。品のある動きには、機械めいた正確さがある。
ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、青かった。
手術室のディスプレイが放つような、静かで硬い青。覗き込まれると内側まで見透かされそうだ。
「リハビリ・パートナー……。アンドロイドなの?」
「はい。ガチもんのアンドロイドです。最新のAIを搭載しているので、会話のキャッチボールも、エモい比喩表現も自由自在です」
「いきなり高性能アピールって……」
ノアは、僕の突っ込みをスルーした。
「あなたのズタボロになった自尊心を、駅前再開発並みに無理やり整えるのが、私の任務です」
「いらないよ! なんだよリハビリって。僕はもう、あの間抜けなカッパの前で十分みじめさらしてるし」
この街で名物扱いされているカッパのホログラムが、目の前で陽気に浮いている。
「それは困ります。市政シンボルの前で勝手に人生を終えられると、行政の印象が悪くなります」
即答だった。
「そっちの心配かよ! 僕のメンタル、行政の看板より下なの?」
「当然です。今のあなたの価値は、パスワード不明のWi-Fiルーター以下」
そこでピタリと止まった。
「まるで使えない男。つまり、バグ認定が確定した、バグ確です」
刺さる余白まで計算された完璧な区切り。
この子、慰めに来たんじゃないのか。
「でも私のリハビリを受ければ、断線しかけの充電ケーブルにはなれるかも」
「いつ火花吹くんだよ! 毒舌か!」
「事実を述べています」
ノアは、プフッ、と息を漏らした。でも、その見せかけの形はすぐ消える。
「私も、自分という存在が、税金の無駄づかいが生んだ、美しすぎる鉄クズだと自覚しています」
眉ひとつ動かない。
すっと白い指を伸ばして、僕の頬に触れた。
「ひゃっ!? 冷たっ!」
「エラー検知。ダン様の目から、涙が排出中。非効率です。そんなもので、サエ様への未練は流せません」
その目は、微動だにしない。深いところで、光学センサーの光がぼんやり揺れている。
「涙の分析より、この指どけて。冷たすぎて死ぬから」
「私の体温、20.5℃が不満ですか? もっと熱い方がよければ、そこのカッパ像と摩擦運動すべきです」
「誰がカッパと運動するか! ていうか近すぎるんだよ!」
「近接ケアは、リハビリの基本です」
ノアはそう言って、さらに顔を寄せた。
もう鼻先が触れる距離。
「心拍数、135。頬の毛細血管が拡張。……なるほど。絶望の底でも、私の顔には素直に反応するんですね、ダン様?」
世界がノアの顔で埋まる。
完璧に切り揃えられた漆黒のまつ毛に、一本だけ、白銀の毛を見つけた。左の目尻の端っこで、陽の光を吸い込み、きらりと輝いている。
女子耐性ゼロの心臓が、ドクン、と跳ねた。
「だから近づきすぎなの! 離れて!」
「非モテ由来の動揺反応が強すぎます。女子免疫、幼児レベル判定」
ノアは、また薄いスマイルを作った。綺麗な形なのに、ちっとも安心できない。
「リハビリ・ガイドライン第十六条。2080年版失恋特区ケア規定、近接接触によって被験者の孤独を剥がすこと」
どこの地獄の条文だよ、と本気で思った。
「さあ、立ってください、ダン様。地面と抱き合っている暇はありませんよ」
そう言うと、ノアは隣でふわふわ漂っていたカッパ像ホログラムの前へ出た。
なんで急にカッパと向き合ってんだ、この子。
そして、パチン、と指を鳴らした。
「……あ、お疲れっパ……」
間の抜けた捨て台詞を残して、行政の許可もなく、カッパ像がふっと消えた。
「ちょっ、何したの今?」
「公務執行妨害です」
「公務の意味、分かって言ってる?」
「今のあなたは、私を見ていれば十分です」
ノアは、一歩踏み込んできた。逃げ道を完璧に塞いで、真正面から僕を捕らえる。
「あなたの視界を、私の冷たい魅力で埋め尽くす。それが、私にプログラミングされた愛……業務です」
最後に、短い間が空いた。今のは言い間違いなのか。
「ダン様、立ってください」
直後、ノアの瞳から、すっとハイライトの明かりが消える。
美少女の仮面が剥がれ落ち、国家のシステムが顔を出す。棒読みの音声が、その麗しい唇からこぼれ落ちた。
「対象の硬直状態を計測。失恋による感傷で立てない時間は無駄。非効率な停滞は、力づくで排除します」
「……ぁ」
僕の胸ぐらが、容赦なく上に引き絞られた。どこにそんな力があるのか。細い指が、制服越しに食い込でいる。
抵抗する気力すらなく、人形同然に床から引きずり起こされた。骨が軋むほどの痛みが走る。
喉元を押し込まれて、強引に目を覗き込まれた。
至近距離。
息がかかりそう。
その瞳は、どこまでも暗いガラス球。電源の落ちたディスプレイのように、平坦で無機質。
光の戻らないレンズが、じっと僕をロックオンしている。
これはリハビリなんかじゃない。
この子は、本気で僕を壊しにきた。




